元大魔王はボロアパートにて下町庶民ライフを送る
世界は本当に理不尽だ。
俺は民に心を砕き、彼らが不自由なく暮らせるように努めてきた。それなのに“大魔王”という肩書きのせいで俺は悪と罵られ、ある日突然城に押し入ってきた勇者一行にボコボコにされた挙げ句、住処を追われなければならないのだから。
城を追われてから一ヶ月と少し。
俺は遠く離れた下町のアパートで身分を隠し、ひっそりと暮らしていた。
その部屋は俺が住んでいた城のトイレより小さく、厩舎よりもボロい。以前は泳げるほど広かったバスタブも、今では膝を抱えてやっと入れるほどの大きさになってしまった。
そのうえ、このアパートには癖の強い人間ばかりが集まっていた。
ピンポーンと安っぽい呼び鈴が響く。居留守で誤魔化そうとしたが「ねぇ、いるんでしょー?」と、さほど耐久性のないドアをドンドンと叩かれ、俺はドアを細く開け渋々顔を出した。
「やっぱりいた」
ニィと口角を上げたのは、癖の強い住人の一人。上の階に住む“デビル”という男だった。
悪魔を意味する名はもちろん偽名だし、奴は歴とした人間だ。確か初対面のときに本名を言っていたが、デビルのインパクトが強すぎて忘れた。
奴は新聞配達の仕事をしながら楽士のようなものを目指しているようで、デビルという名も奇抜な風貌も、その楽士の活動のためだという。だが何故楽士が偽名を名乗り、髪を派手な赤に染め、妙にあちこち破れた服を着なければならないのか、俺にはさっぱりわからなかった。
「……新聞ならいらんぞ」
事あるごとに新聞を押し売りしてくるデビルに先回りすると、奴は「今日は別件でさぁ」とヘラヘラした顔で、隙間から覗く俺の目の前でヒラヒラと手を振った。
「実は仲間達と自主制作のレコードを作ってさ。一枚買わない?」
「いらん!」
何故俺は、こんな奴のためにわざわざドアを開けてしまったんだろうかと後悔がこみ上げる。
「そういえばさっき、大家さんと揉めてたでしょ? 家賃を待ってくれって言ってさ」
壁の薄いボロアパートには、プライバシーなんてものはなかった。
「お金ないなら、オレのバイト先紹介しようか?」
「……結構だ」
ピシャリとドアを閉め、俺はギシリと奥歯を噛みしめる。
屈辱だ。元大魔王の俺がこんな粗末な部屋の家賃さえ払えないこともだが、何よりあんなチャラチャラした頭の軽そうな庶民に金の心配をされたことが、俺のプライドを傷をつけた。
「……とりあえず“はろわ”とやらにでも行ってみるか」