第4話 セレンの歌声 ②
そして翌朝。
レースカーテンの間から差し込む朝日はまだ弱く、優勝を目覚めさせるには少し足りない。優勝が微睡みの中にいると、突如として室内灯が点灯する。その眩しさに優勝が目を開こうとすると、口元に何かが突っ込まれた。サクッとした衣の内側から、ブルーベリージャムの甘みが口いっぱいに広がる。
「むがっ!?」
「はぁい、オハヨーゴザマース」
「…………」
「……うわうわうわぁ!??」
目の前には、こちらを覗き込む2つの顔があった。慌ててベッドから飛び退く優勝。そこにいたのは、昨日出会ったアイドルの2人、アポロとソラリスだった。なぜここに、どうやって。色々聞きたいことは山積みだが、何よりもまずは――
「ふぁんでふはほへ(なんですかこれ)はっ!?」
「朝飯だ。食ったらすぐに支度して出るぞ」
口の中に放り込まれたそれは、クロワッサンのような生地にジャムを挟み込んだパンだった。
あまりの出来事に心臓が止まるかと思ったが、鼓動を確認する限りどうやら自分はまだちゃんと生きている。
口内のパンを咀嚼しながら辺りを見ると、ソラリスと目が合った。ソラリスは片手に、優勝が食べているのと同じような、小さなパンを持っていた。
「……なんだよ? 言っとくけど、これ以上はやらないからな?」
優勝の視線から逃がすように、ソラリスはパンを懐へと隠した。別に欲しかったわけでは無いのだが。
アポロをして『ドケチ』と言わしめる、その食への執着は本物なのだろう。
「その1個は、お前の新生活を祝っての餞別だよ。ありがたく食べな」
「……はあ、ありがとうございます?」
なんともささやかな餞別だが、その思いやりの気持ち自体は嬉しいものだ。
ソラリスの厚意(?)もあって、いただいた朝食を食べれば徐々に脳が覚醒してきた。優勝は、ようやく落ち着いて質問をすることができた。
「で、お2人はどうしてここへ?」
「決まってんだろ。お前の部屋が用意できたから迎えに来たんだ」
「だからってこんな早くに来なくても……」
「芸能人の朝は早いんだよ。準備したらとっとと行くぞ」
2人のアイドルに見守られるといった謎の重圧を背負いながら、優勝は朝のシャワーを浴びて身なりを整えると、そこらに散らばった衣服をナップサックに詰め込んだ。買い込んだ服をどうにか1人で抱えながらロビーへ着くと、フロントから優勝へと声をかけられる。
「お早うございます、トキワ・ユーショー様。本日はお出かけですか?」
「あー、悪いが今日でチェックアウトだ。教会にもそう伝えといてくれ」
「は、はあ……?」
優勝に代わり、アポロが強引にチェックアウトの手続きを済ませてしまう。そのまま先を急ぐアポロとソラリス。優勝はふと後ろを振り返り、フロントへと向き直ると、
「えっと……お世話になりましたっ!」
深く頭を下げて、その場を去った。
◯ ◯ ◯
ホテルから車に乗り、城門から海辺の方へ少し遠ざかったところにその目的地はあった。
辺りは青々とした野山に囲まれた、豊かな平原――そう言えば聞こえは良いが、いくつかの田畑と、時折やってくる商人の車の他には特筆すべき物は何もない、都会の刺激に慣れきった優勝にはいささか刺激の足りない場所だ。
しかしその『何もない』自然の中に建つ屋敷と、それによって生み出される調和の取れた風景には、心惹かれるものがあった。
その邸宅といえばさすがの広大さで、2階建ての本邸は、優勝の感覚で言うならばサザエさんの家10個分の広さだ。しかしこれでも貴族の屋敷としては小規模な方なのだとか。
庭は綺麗に刈り揃えられていて、周囲の平原とは垣根なく、どこまでも広がっているかのようだ。優勝が移り住むのは、そんな庭に隔てられた先にある別邸だった。
「前置きしとくが、俺たちはこれ以上のサポートはしないからな? あとは当日、お前の実力を見せてくれ」
「あざす! 任してくださいよ!」
「これだけ世話してやったんだ。『例の件』も考え直してくれるよね?」
「それは嫌です!」
別邸は本邸に比べいくらかこじんまりとしているとは言え、十分以上の機能は備えていた。3室の個人用ベッドルームに共同のバス、トイレ、ダイニングスペース、それと、レッスン室があった。優勝が二つ返事で移住を決めたのも、このレッスン室の存在が大きかったと言えるだろう。
ダンスの練習には豪邸が必要だ。まあ、必ずかと言われれば、無いなら無いでどうにかするのだが。大きな鏡のある広いスペースが無ければ、本格的なダンスの練習を行うのは難しい。
日本の家屋は基本的にそこまで広くはない。だから優勝も東京にいた頃は、駅前の広いガラス張りのテナントみたいな、少しでも練習できそうな場所を足繁く探し回ったものだった。
エマカダイン別邸のレッスン室は、そんな必要条件を全て満たしていた。クッション性のあるフローリング張りの床に、一面全てが鏡になっている壁、バレエの練習に使われるのだろう手すりも付いていた。
ちなみに、本邸では大体10人ちょっとの使用人が働いている。今はエルネスト卿が不在のため、住んでいるのは夫人のみだが、身の回りの世話は使用人が全てやってのけるらしい。しかしそのうち、こちら別邸まで来てくれる人数はほんの僅かだ。
そのため、ある程度の自分の身の回りのことは、自分でこなさないといけない。これはエルネスト卿の芸能事務所EAPの教育方針なのだそうで、夫人は申し訳なさそうにしていたが、優勝はむしろそっちの方が慣れていると答えておいた。
そんなこんなでエマカダイン家への挨拶も済ませ、早速練習に取り掛かろうと優勝はストレッチを開始する。屈伸から始まり開脚運動まで差し掛かった頃、練習場の戸がそろりと開いた。入ってきたのはシンラだった。小脇には何やら布の包みを抱えている。
「や、元気?」
「あれ、シンラじゃん! どうしてここが分かったの?」
「まあ、ちょっとコネがあって。キミの名前を出したら、あっさり通してくれたよ」
シンラは優勝の隣にしゃがみ込むと、手元の包みを開く。
「オーディション、受けるんだろう? せっかくだから予習しといた方が良いと思って、持ってきたよ!」
包みの中から、何枚もの音盤が姿を現した。音盤はそれぞれ様々な装丁のジャケットに包まれていたが、そこに刻まれた文字の一部と、写っている男たちの顔ぶれは全て、共通していた。
優勝は写っている彼らの姿に既視感を覚える。
「ん、これって……?」
「そう! これがあのアポロとソラリスがかつて在籍していたアイドルグループ、『Xeno.(ゼノ)』だよ!!」
「やっぱり! ……へえぇ4人組だったんだ。あ、しかもホラ、シンラと同じ『ネガイ』もいるよ!」
優勝はジャケットに写されたメンバーの一人に指を指す。その姿はシンラ同様に青い肌と漆黒の眼を持ってはいるが、顔つきはより精悍で、骨格は強靭そのものだ。
シンラは優勝の指差す先を見て、少し照れくさそうに笑った。
「ああ、その人はね。ボクの……憧れなんだ」
「憧れ! いーじゃんいーじゃん! じゃあやっぱ、シンラもオーディション受けるんだ?」
「いや、ボクはその……」
シンラの返事を無視して優勝は話を続ける。
「バックダンサーなら諦めといた方が良いよ。きっとオレには誰も勝てないからね! シンラはさあ、歌は得意なの?」
「いやそれが……」
優勝は我が耳を疑った。幻聴かとも思ったが、何度聞いても返ってくる答えは変わらない。
シンラは「諦める」と言ったのだ。
「えーっ、なんで!! アイドル、憧れなんでしょ? どーして諦めちゃうのさ!?」
「いや、歌とか人に聴かせたことも無いし……あーっ! ボク、用事があるんだった! もう行くから!」
わざとらしく声を張り上げると、シンラは音盤を残しいそいそと部屋を出た。その様子を見た優勝は、顎に手を当てて考える。
「ふう〜む。これは、つまり……何かありますな」
こうして、優勝の尾行作戦が幕を開けた。
読んでくれてありがとうございます。
前回に引き続き読みやすい分量に区切ってみました。やはりというか何というか、このペースだとこのエピソードはもうちょっと続くことになりそうです。お付き合いいただけると嬉しいです……!
更新は週3回(火・木・土)予定です!
次回更新は4・30予定です! ヨロシクおねがいします!!