第2話 バイバイマインズ
コトン、という朝刊の投げ込まれた音でシンラの朝は始まる。寝ぼけ眼を擦りながらカゴに積まれたバナナを一本手に取り、郵便受けから新聞を引っ張り出せば、活字を追っている間に段々と目が覚めてくる。これがシンラの毎朝の習慣だ。
一面記事を読み終えてパラリとページをめくると、昨日の優勝の姿が写真付きで大々的に紙面を飾っていた。せめて夢であってほしいと願ったものだが、こうもまざまざと見せつけられては事実と受け入れざるを得ない。
とりあえず、この記事はユーショーには絶対見せないようにしようと心に誓った。あいつ、調子乗りそうだし。
一本目のバナナを食べ終え、二本目に手を伸ばそうとした時、ふと我に返った。
バナナ、こんなに残り少なかったっけ?
状況を頭で整理していると、バスルームの扉が勢いよく開け放たれた。
「ん〜やっぱ日本人は風呂だな! ……あ、シンラ君おはよ。シャワー借りたよ!」
「うわあぁぁぁぁ!!?」
目の前に突然現れたのは、パンツ一丁の姿の因縁の男、トキワ・ユーショー。
夢であってほしい事実がここにもう一つあった。昨日の晩のことがありありと思い出される――。
◯ ◯ ◯
「ねえシンラく〜ん。床堅いのどうにかなんない?」
「あのねえ、今日屋根の下で眠れるだけありがたいと思えよ!?」
どういう因果か、ユーショーがボクの部屋にやってくることになってしまった。心身ともに疲れ切った一日の終わりだというのに、休まる時はまだ来ないらしい。
ユーショーはと言えばさっきからこの調子で、くだらない質問を延々と投げつけてくる。さっさと寝てしまいたいボクは、ベッドにうつ伏せになって無視を決め込むことにした。
「ねえ、ハラ減らない? オレは減った!」
「…………」
「バナナあるじゃん! 貰っても良い?」
「…………」
「音楽とかどんなの聴くの?」
「…………」
「好きな子って、いる?」
「……なんっなんだよそのテンションは!? 言っとくけど、まともに答える気はないからな!!」
あまりのくだらなさに思わずベッドから身を乗り出してしまった。いけない、完全に向こうのペースに呑まれている。再びボクはベッドに突っ伏して、視界を遮る。
しかしそれからも、ユーショーの話が止まることはなかった。ようやく眠りにつけたのは、いつのことだったんだろう――。
◯ ◯ ◯
……思い出したら腹が立ってきた。大体こっちは寝不足気味なのに、向こうと来たらやたらさっぱりとしているのも気に食わない。バナナを食べたのも間違いなくこいつだ。本当にどうかしている。
なんとなく、このままこいつを放っておくと、今後ボクの人生の至るところにこいつがまとわりついて搾取されてしまいそうな気がした。この状況に手を打つなら、早くしなければまずい。
怒りに身を任せればきっと向こうの術中にハマってしまう。だからボクはつとめて冷静に、言葉を放った。
「……出かけようか」
「お、良いね! 準備するから待ってて!」
◯ ◯ ◯
シンラの住むリンダストリートは、港町からほど近い新興の住宅街だ。ところ狭しと敷き詰められたアパートに住むのは安月給の労働者か他国からの移民である。そのほとんどは単身世帯で、シンラや優勝のような10代の子供の存在は珍しい。ましてネガイであるシンラは、絶えず周囲の好奇の視線にさらされていた。
シンラと優勝は港町を目指して移動を始めていた。目的は港にある市場である。
優勝はアパートの2階からこちらを見つめる視線に気がついて、それに手を振って応えた。視線の送り主は慌ててカーテンを閉め、姿を隠す。
「すごいねシンラ。オレたち人気者じゃん!」
「……ボクが人を連れ立って歩くのが物珍しいんだろ。ほっときなよ」
シンラはクールに振る舞いながらも、内心物凄くムズムズとしていた。
どうしてこのユーショーは、こうもフツーでいられるんだ? 異世界に来たという認識は同じはずなのに、もう少し感慨とか無いものなのだろうか?
昨日セントマグナを出た時は辺りは真っ暗だったから、その実感が湧かないのは分かる。しかし今日は清々しいまでの快晴だ。シンラだってこの街に初めて来た時にはその風景に感動したものだった。もっとこう、なんかあるだろう!
「あのさ」
「ん?」
シンラは我慢の限界を迎え、つい一言切り出してしまう。こうなれば行けるとこまで行くしかない。
「キミは何とも思わないのか?」
「え、なにが?」
「だぁから、この光景を見て何も思わないのかって聞いてるんだよ! 例えば――」
「あ〜! スゴイよね、『アレ』!」
優勝が指差した先、立ち並んだアパートの壁を越えて遥か先のそこには、天まで届くかのような巨木がそびえ立っていた。街のどこにいても見つけられるだろうその存在感は、優勝の感覚で例えるなら東京スカイツリーに相当するだろうか。
シンラはそんな優勝の、さも見てきたかのような言動が不可解でならなかった。
「リアクションが薄い! 初めて見たんだろ? だったらもっとさぁ」
「いや感動したよ? ただ……」
「?」
「実は散歩がてら、走ってきたんだよね、この辺。だから、もう一通り驚き尽くしたってゆーか……」
優勝は申し訳なさそうにこめかみを掻く。
「えっ!? いつの間に?」
「シンラが起きる前だよ。起こすのも悪いと思って、コッソリ出てきちゃった」
「なんだよ、道理で……」
「今から行くのって海のほうだよね? いやぁ、楽しみだなぁ〜!」
メチャクチャなやつとは思っていたけれども、本当に自由すぎる。シンラはこの先うまく行くかが思いやられた。
◯ ◯ ◯
ウォラムの市場はセリン王国最大の規模を誇る総合マーケットだ。ここは昼夜を問わず多くの人々で賑わい、ずらりと並んだ露店の店頭には、港から入ったばかりの魚介や、海外より輸入された雑貨や珍品の類が並ぶ。
歴史的な側面では、街の興りから施設づくりに至るまでのほぼ全てが教会政府主導で決定されているこのセリン王国下において、ほぼ唯一の住民たちの動きにより自然発生した市場、ということが特徴に挙げられるだろう。政府は国内に複数の港や百貨店を設立したが、ここの人の流れに致命的な打撃を与えるまでには至っていない。
ウォラムの市場には小綺麗な首都にはない、ある種の妖しさがある。その妖しさを求めて、今日も朝から大勢の客がやってくるのだ。
「うお〜スゲー! さっき走った時はこんなテントとか、人もいなかったよ!」
目を輝かせて露店を見渡す優勝。ようやく思っていた通りの反応を得られて、シンラは少し調子づいた。
「フフ……そうだろう? なんと言ってもこの市場はね――」
薀蓄を語りだすシンラ。内容はつまり、上記の通りである。しかし、ひとしきり熱中してふと隣を見ると、そこにもう優勝はいなかった。
「あいつ……」
いやしかし分かりきっていたことだ。シンラは油断していた自分自身に歯噛みした。
この人混みの中でアテもなく優勝を探すのは時間の無駄だろう。そう考えたシンラはひとまず目的の店に向かうことにした。
この市場にある店は大まかに2種に大別される、大きく開かれた道路の中央でテントを敷いて営業するものと、その両端の建物の中に店舗を構えているものだ。扱う商品の種類は大差ないが、大概の場合、店舗を持つ店には老舗が多い。
シンラが用のあるのもまた、後者のタイプの店だった。
『ワゴムレコーズ』。それが店の名前だ。この名前はかつての昔、店主が仕入れた『ワゴム』なる物品の品質に感動したことから名付けられたと言う。
店内を色々と物色して回ると、音盤売り場の前で、ひとり盛り上がっている優勝を見つけた。
「あ、シンラ! スゴイよここ、宝の山だ!!」
「……だと思ったよ。ここにあるものは全て、キミと同じだから」
「オレと同じ? それってどういう……あっ、『Bad』じゃん!!」
「えっ、ちょっと!?」
優勝は音盤の一枚を手に取ると、おもむろにそれを開封する。それ売り物だぞ? シンラはとっさにそう言って優勝の行動を阻害する。
ふーん、そうなんだ、ふーん……、優勝を見るシンラの目は冷たい。その漆黒の瞳に射竦められてか優勝は蛇に睨まれた蛙のようにシンラを見つめ返したままじっとしていたが、その実、目が離せなくなっていたのはシンラの方だった。
つまり、その音盤が奏でる旋律に、シンラが興味がないかと言うと嘘になった。それら音盤は乱雑に並べられてはいるが、一枚としてシンラには手が出ないほど高価だったからだ。
「関係ねえや、聴こう」
優勝はシンラの忠告を無視して(あるいはシンラの思惑通りに)、レコードを再生機にかけた。迫力あるサウンドが店内に鳴り響く。
「おお……」
「やっぱ良いなあ〜! オレ、オリジナル盤のレコード初めて見たよ」
シンラは咳払いをして自分が感嘆の声を漏らしたことをごまかす。
「ゴホン……よく知ってたね? キミみたいに、異世界からこの世界に来たとされてる物を、ここでは『天跡』って呼ぶんだ……って、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。いや〜でも勿体ないな。ここにMVがありゃ魅力倍増なのになぁ」
「えむぶい?」
「ミュージックビデオだよ。この曲には元々ダンスの映像がついてて……えっと、こんな感じで!」
そう言ってダンスの実演を始める優勝。なんだかんだ言って、この男のダンスの腕前は凄い。当然のように踊りだした動作の美しさにシンラは一瞬見とれてしまっていたが、それがいけなかった。
「こう、こう来て……こうだろ!」
雰囲気をなぞっていただけの優勝のステップが、少しづつ熱を帯び始めていた。こうなったらもう手がつけられない。
「んで仲間を引き連れてこっちへ走る!」
迷いない足取りで店内を突き進む優勝。足元には無数の商品が並んでいたが、お構いなしに蹴散らす。
「ここで風が来るッ!!!」
そう叫んだ優勝は壁掛け時計を勢いよく取り外す。
ジェット気流のようなガスが噴出し、優勝の髪をなびかせる――
「……っと。ねえ、ちょっと!」
なんてことはなく。
シンラの呼びかけでようやく我に返った優勝は自分の踊った痕跡を眺め、しばし呆然とした。なぎ倒された箱から飛び出した雑多な商品は足元に散らばっていて、そのうちのいくつかは踏みつけられて、泥まみれになっていた。投げ捨てられた時計の文字盤はひび割れ、その機能はすっかり停止している。
「ひどい……一体誰がこんなことを」
「キミだよ!?」
「コラァ! 何やっとんじゃあぁぁ!」
上の空の優勝が他人事のように事態を認識していると、騒ぎを聞きつけたこの店の店主が奥の方から現れた。老いぼれた店主は店内の様子を一通り見渡して状況を把握すると、わなわなと震えだす。
「何じゃいこの有様は……お主らのしわざか?」
「分かりません。許せないですよこんなことするヤツ……」
正気で言ってるのか、コイツ!? 優勝がごくナチュラルに責任逃れをしたせいで、店主はすぐ隣のシンラを睨みつけた。ここの店主とシンラは常連という顔なじみではあったものの、ネガイであるシンラには、まんまと罪がなすりつけられてもおかしくはない。
こんなやつのためにこれ以上濡れ衣を背負うなんてまっぴらだ! シンラは必死に弁明する。
「ちがっ、違います!! 全部コイツのせいなんです! 彼、異世界から来たせいでまるっきりジョーシキってものがなくて……」
「『異世界から来た』だぁ!? 嘘を吐くならもうちょいマシな嘘を……ん? んん?」
シンラの指差す先。優勝の顔を、店主はまるで見覚えのあるかのように凝視する。そして瓶底眼鏡を上下させ片手に持った新聞と何度も見比べた後、少し考え込むような素振りを見せてこう言った。
「……よし。今回のことは特別に不問にしてやっても良いじゃろう。その代わり、一つ条件がある」
『条件』。その言葉に二人は固唾を飲んだ。言葉の響きは比較的温和だが、立場はこちらが圧倒的に不利である。一体どんな制裁が待っているのか――シンラと優勝に緊張が迸った。
「アンタ有名人じゃろ? ワシと写真撮ってくんない?」
「オレェ? なんだそんなことなら、そりゃもう何枚でも!!」
一気に肩の力が抜ける二人を尻目に、店主は店の奥へと再び姿を隠す。
胸をなでおろす優勝にシンラは憤りをぶつけた。
「どうしてあんなこと言うんだよ! おかげでボクまで疑われたじゃないか!」
「え? でもオレは思ったことをただ――結局、何があったの?」
「……だから! 全部キミのせいだよ!!」
参った。どうやらユーショーには本気で現実と空想の区別がついてない様子だった。
困りあぐねていると店の奥から店主が、今度はカメラを持って、現れた。
「さー写真じゃ写真じゃ! アンタ、男前に撮ってくれよ?」
「え、っと……写真って、ここで良いですか?」
「アホ! ここで撮って何の意味がある。店の看板が映るようにしとくれ。さ、表へ出るぞい」
当たり前のようにシンラにカメラが手渡される。シンラは往来の中で精一杯後ろへ引いて――『ワゴムレコーズ』の看板が映り込むようにして――写真を撮った。優勝のポーズはいつもの二本指である。
2,3回ほどシャッターを切って、カメラを店主に返す。出来上がりは現像してのお楽しみだ。
「さて、と――」
その時、店主の瓶底眼鏡の奥がキラリと光ったような気がした。
「アンタが異世界から来たとして、持っとるんじゃろ? 天跡」
店主が持ち出したのはカメラだけでは無かった。小さな石のついたそろばんのような計算機を持ち出して、店主はぺろりと舌なめずりをする。商売人の顔だった。
「え? でもさっきは信じないって……」
「そりゃ根拠もなしに信じるワシじゃない。しかし、この記事を見て確信したよ。この子は天使様じゃとね」
言いながら店主は新聞を開く。今朝シンラの元に届いたものと同じ、昨晩の優勝について書かれた記事だった。
「これほどの実力を持ったダンサーが今まで誰にも見つからんかったワケがない。天使様だとすりゃあその謎は解けるし、ツバつけとくなら早い方がええじゃろ?」
「天使様って? ……あっ! これ、オレじゃん! 何これなにこれナニコレ!!」
そこに載せられた写真を見て優勝は大はしゃぎする。はぁ、こうなるのが分かっていたから見せたくなかったんだ。しかし、記事の存在に気を取られているのがむしろチャンスでもあった。シンラはこの機に店主に優勝の存在について尋ねる。
「……実は、ボクたちが今日来たのは、彼を元の世界へ帰す方法を探しているからなんです。天使様とおっしゃいましたよね? ソレはどういう意味ですか?」
「なるほど、知らんのも無理はないか。何しろ天跡と違って、天使の降臨なんて十年に一度あるかどうかの話じゃ。だがなにも大層な話じゃあないよ」
前置きめいた話をして、店主は少し呼吸を整える。いかにもこれから説明セリフを言いますよ、といった雰囲気にシンラは身構えた。
「我々この世界の住人は天上の世界より落ちてくる『天跡』の技術を解明することで文明を発展させ、より良い暮らしを実現させてきた。それと同じように天界からやってきた人間がいるならそれは『天使』。その考えを広め、深く理解することで世の中に恵みがもたらされる――」
言いながら、店主は優勝の方をちらりと見る。優勝は変わらずはしゃいだ様子で、新聞紙を相手にワルツを踊っている。
「ま、やってきたのがこんな小僧じゃ、ハナシを聞く気なんて起きやせんがのう」
「なるほど……それで、帰す方法ってあるんでしょうか」
「悪いが言い伝えレベルの話じゃ。本格的に伝承を学びたいなら図書館に行った方が万倍ええよ」
「そうです、よね。…………」
「え、なになに? 図書館行くの? よっし行こう!」
当てずっぽうに走り出そうとする優勝。その肩を店主がむんずと掴んだ。
「待て待て! ワシは取引の話がしたいんじゃ。特にその靴! 観客を魅了するステップはその靴に秘密があるとワシは睨んどる。二千ベルク出す。どうか売ってはもらえんか?」
「ええ!? いや〜でも、履き慣れてるしなあコレ。売っちゃったら良いのが新しく手に入るかどうか……」
店主の指摘は半分くらい的中していた。獲物を狙う鷹のように、店主はすかさず次の一言を投げかける。
「しかしアンタ、しばらくここで生活せにゃならんのじゃろ? 金は必要なハズじゃ」
それもそうだ、と優勝は納得した。しかし靴は売りたくない。優勝はナップサックを開いて他に価値のあるものがないか確認する。
まず2着入ったインナーウェア。これはほとんど価値はないと言えるだろう。通りの人々の服装を見れば、軽装にも関わらず彩り豊かで小洒落た服装をしている。隣のシンラにしたってそのファッションセンスは優勝の居た現代とそう違わず見える。物に目新しさが無いなら、ただの古着以上の物にはなり得ない。
次に財布。茶色い革製で二つ折りのそれは、現代では貴重品に区別されるが、ここではその中身に何の意味も存在しない。インナー同様商品としての目新しさは無いだろうし、現金を持ち歩くための入れ物も残しておきたいところだ。貨幣には貴金属としての価値がありそうだが、あいにく優勝は極力現金を持ち歩かない主義だった。
最後に、カバンの奥底で眠っているスマートフォンに目をつけた。
無数の半導体集積回路とセンサーの集合体であるそれは、我々の暮らしをまたたく間に革新し、否応なしに新時代を到来させた。そのイノベーティビティならば、こちらの世界にもアジャストして、ビッグなバジェットをクリエイト――まあ、そこそこ良い値段で売れそうだ。
「あの、コレとかどうすか?」
優勝はスマートフォンを取り出した。しかし、その輝く黒い板を目の前にした店主の反応は思いの外良いものでは無かった。
「ふーん? で、コレで何ができるんじゃ?」
優勝は言葉をつまらせる。スマートフォンとは文字通りスマートな携帯電話という意味だが、今のご時世に、これを電話をするためにあると胸を張って言える者が果たしてどれだけいるだろうか。
かと言って他の用途もイマイチ説明しにくい。もし優勝がwebの概念を説こうものなら、何日時間があっても足りることは無いだろう。優勝は悩んだ末、店主が持っているカメラに目を付けた。
「えっと、そうそう! 写真が撮れるんだよコレ! こんな風にさあ」
言いながら優勝は店主とシンラの二人を自分の近くに寄せ、スマホのインカメラを
起動する。さあ笑って、と三人の自撮りを撮影すると、その画像データを店主に見せた。
「どう、スゴクない!?」
「ほお、確かに驚いた! 手鏡のように自分の姿を確認しながら写真が撮れるのか。出来栄えも見たまんまのキレイさに仕上がっとる。何しろ現像いらずと来たもんだ」
そうでしょ、そうでしょと、優勝は頬を緩ませる。「しかし……」店主の要求はさらに高いものだった。
「写真はもうこの世界にあるしのお。時間はかかるじゃろうが、いずれそのレベルに追いつくじゃろ。それよりもっと新しいコトはできんのか?」
「ん〜、そうだ! 動画、動画も撮れんだよ?」
「ドーガ?」
苦し紛れに放った一言だったが、ようやく好機への糸口が見えた。この世界にはまだ動画の時代が来ていないのだ。優勝は起動したままのカメラのメニューをスワイプして、ビデオカメラを呼び出す。
しかし次の瞬間、画面は暗黒の渦に飲み込まれ、一切の操作は不可能となった。
「あっ……」
つまり、電源が落ちた。
えも言われぬ沈黙に全員が飲み込まれ、口火を切るのは誰なのか、と全員が考えていた。
必然的に、優勝は苦笑いしながら言葉を切り出すほかなかった。
「えっと……これ、どうでしょう?」
「分からん……」
ぼやーとした空気のままに店主は答える。
「しかし、買ったァーーッ!!」
……かと思うと、突如として店主は目の色を変え、計算機の石をパチパチと弾き始めた。
瓶底眼鏡の奥底にあっては目の色もへったくれも無いのだが、確かに優勝にはそう見えた。
「分からんものにこそカネを出せというのが、代々続くウチのルールッ!」
「やった! まいどアリィ!!」
しめたとばかりに指を鳴らす優勝。査定を求める店主にスマホを手渡すと、店主はそれをじっくりと観察し始める。
「要するにこれは、機械なんじゃろ?」
「そうそう。下のとこに小さい穴が空いてるでしょ? そっから充電したら動くと思うんだけど」
「電気か……なるほど。なら、一万ベルクでどうじゃ?」
「オッケーじゃあそれで!」
やり取りの後、10枚の紙幣が優勝へと手渡された。嬉しそうに紙幣を財布に直し込む優勝。その様子を見て店主は意外そうに呟く。
「アンタ、自分がカモられとるかもとか一切思わんのじゃな。念の為言っておくが、今渡した一万ベルクは、生活費用にするなら大体一月分ぐらいじゃ。大事に使えよ?」
「そっか、ありがとうオジさん! じゃあこのレコード一枚貰える?」
「言ったそばから!!」
優勝が手に取ったのは先程まで流していた『Bad』の音盤だ。店主はそれを見ると、思わず感嘆の声を漏らす。
「ふうむ、いや、しかしそれは良いチョイスじゃな少年。『ミカエル』の曲は天界から来た音楽の中で、最もこちらの世界に影響を与えたといっても過言では無いぞ」
「えーっ! オジさん、違うよ! その人ミカエルじゃなくてマイケルって言うんだよ?」
「いや、そう言われても……そんだけ知っとるっちゅうことは、コイツはアンタの時代にあった物か?」
「それも違うね。『持ってないから欲しい』んじゃないか! そうでしょ?」
「なるほど、違いないわい!」
ガハハハ、と豪快に笑い合う店主と優勝。このふたり、馬が合うというのか随分と話が弾んでいた。蚊帳の外のシンラが咳払いをして呼びかける。
「コホン……で、それどうするの。買うの、買わないの?」
「もち、買った!!」
「そんじゃ一千ベルクじゃ。……あんま無駄遣いするんじゃないぞ?」
優勝は紙幣一枚と音盤を引き換える。店主の目は孫を見るようなそれだ。
◯ ◯ ◯
『ワゴムレコーズ』をあとにして、買い物終わりの優勝はすっかり上機嫌でいた。対してシンラは難しい表情を浮かべたままだ。
「や〜楽しいとこだね、ここは! この後どうすんだっけ? 図書館?」
「……いや、図書館へは行かない。もうちょっとここらで情報収集してみるよ」
「そう? そんならそれでオレは歓迎だけど。あ、じゃあさ、先にメシ食いに行こうよ!」
「いや、いい」
「なんでえ? 奢るよオレ」
「いらないよ別に!」
シンラが鬱陶しげにするので、優勝もそれ以上話すことなく、共に雑踏の中を歩いた。しかし時間が経つに連れ腹は減っていくもので、優勝は目的もなくぶらぶらしている現状が耐えきれなくなってきた。
「ねえ、やっぱメシにしようよ〜……」
言ってみるものの、返事はない。
「ていうかさ、これって何の時間? 何の用事で出てきたんだっけ、今日?」
だんだん苛立ちを隠しきれなくなってきた。優勝がこの世界へ来て退屈を感じたのは初めてのことだった。そうした優勝の気分を察してか、シンラはようやく重い口を開いた。
「……用事あるって言ってたろ。キミが元の世界に帰れる方法を探してるんだよ」
「そんな、困るよ! オレ、こっちで暮らそうと思ってんだ!」
「は?」
優勝の発言は思ってもみなかったものだ。そのショックは、優勝が帰還すればこの先の未来が好転すると考えていたシンラの心を折るには十分な衝撃だった。
「オレさ、最初異世界に来たって言われた時、剣と魔法の……なんと言うか、血なまぐさい戦いのイメージがあったんだよね。けど実際は大きな舞台があって、服装はオシャレで、マイケルのレコードまで買えたんだ。分かったんだよ、ここがオレの求めてた場所だったんだって!」
優勝は夢見心地のように今まであった出来事を振り返る。確かにそれらは実際にあって、この世界の特徴でもある。しかし、優勝の目線から見えるそれはほんの一部でしかない。”そうではない”部分をシンラは誰よりも知っていた。
誰かに気を遣ってほしいだなんて思ったつもりは一切無いが、それでもシンラは、僅かな見識だけで理想郷を物語る優勝の態度が、なにより癪に触った。
「なんだよそれ、じゃあ、ボクはどうなるっていうんだよ?」
優勝にはシンラの嘆きの意味を理解できなかった。シンラももう分かっていたことだが、優勝には他人の気持ちを察する能力が致命的に欠けている。しかしそう理解していても、今更この思いの丈をぶつけないことには収まりが効かない。
「キミのせいで全てがおかしくなった! キミさえ居なくなれば、ボクの生活ももとに戻るはずなんだ。……目障りなんだよっ、キミが! キミがこの世界に留まるつもりなら……ボクの前から消えてくれっ!」
全てをぶちまけたシンラは少しバツの悪い表情を浮かべたあと、踵を返して走り去っていった。優勝はそれを追いかけようとしたけれど、押し寄せる人波に揉まれ、気づけばシンラの姿はどこにもなくなってしまった。辺りは人でごった返していたが、優勝は孤独だった。どうすることもできず、ただ一人ごちる。
「どうすんだよ、これ……」
雑踏の中で行く宛を失って、ただ立ち尽くす。
そんな優勝の背後から、低い男の声が響いた。
「常葉優勝様ですね?」
優勝の肉体はたちまち硬直した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回の話はプロットでは次回エピソードの冒頭部分ぐらいのつもりだったのですが、思ったより膨らんだので単体の話にしました。
次のエピソードからもうちょいアイドルものっぽくなるかと思います。
次回更新は4/18です。よろしくお願いします。