第1話 カラフルなやつ 後編
オーケストラが陣を構えた場所のはるか脇、階段状に重なった観客席のちょうど死角になる位置でシンラは舞台を観賞していた。ここはシンラのお気に入りのスペースだ。
舞台はクライマックスの大立ち回りが終結し、大団円へ向かおうとしているところである。すっかり見入っているシンラの元に、一人の男が声を掛ける。
「シンラ、ちょっと良いか」
「……あ、はいっ!」
男の名前はアレンという、この舞台では演出補佐のチーフを務めているスタッフだ。演出補佐の仕事は非常に多岐に渡り、公演前から公演中に至るまで、あらゆる部署のスタッフの橋渡し役となって舞台が円滑に進むよう目を配らせている。
例えば上演中にトラブルがあれば、真っ先に話が入るのが演出補佐なのだ。
アレンに連れられて、シンラは舞台から離れた通路の物陰へと隠れる。正直この時点で嫌な予感は少ししていた。
「実は、7番倉庫の鍵が空いてるって報告があったんだ。お前何か知らないか?」
口から心臓が飛び出しそうだった。思い出した。ユーショーと名乗る少年と出会った後、慌てていて倉庫の錠をかけるのを忘れていたんだ。ユーショーの存在がバレなければセーフと思い込んでいたけれど、それ以前の問題だったらしい。
しかし、だとするとユーショーは一体どうなったのだろう? シンラは手助けする約束をした手前、少し気がかりだった。
「あのっ、倉庫の中って誰かいました?」
「中だって? どうもこうもお前——」
「チーフ! 大変です、すぐ来てください!!」
言いかけたところを遮るように、別の演出スタッフが息を切らして駆け寄ってくる。話の腰を折られたアレンは少し不機嫌そうに答える。
「どうした?」
「舞台がやばくって……あの、アンサンブルの一人がやらかしました!」
「なんだと?」
急いでアレンは舞台袖に向かう。話の途中だったシンラは場の雰囲気でそれに同行する。
しかしその結果シンラは、これまでにないほどに激しく、自分の運命を呪う羽目になった。
ステージ上で我を忘れて踊り狂うのは、先程出会った常葉優勝その人であった。
本来の出番を終えた共演者たちは既に舞台を離れ、ステージは彼の独占状態になっている。優勝の歓喜の舞いは明らかに演出の意図を超え、もはや狂乱の域に達している。
しかしそれでも、シンラはこれほどまでに楽しそうに踊る者を見たことがなかった。シンラの胸の奥に、何かざわつく感情があった。
「あいつ、さっきの!」
「やばいですよねこれ、どうしましょう……」
口ぶりからすると、アレンも優勝と出会っていたのだろう。シンラは当然、アレンはこの事態に怒るものだろうと考えていた。しかし、実際の反応はまるで異なっていた。
「面白いな……」
「え?」
「観客を見ろ。おそらく今日イチの盛り上がりだぞ」
言ってアレンは観客席を指さす。確かに観客たちはこれ以上ないほどに熱狂している。シンラから見れば、それは今日一番どころか、この公演をやってきた中で最もと言って過言ではないものだった。
「……でもそれ、完全に主役食っちゃってません?」
シンラもこれに同感だった。舞台の登場人物にはすべて、果たすべき役割がある。様々な役割の者が調和を成し、磨き上げられた珠のようになるからこそ舞台は美しい。それを結実させるために役者たちは、来る日も来る日も稽古を重ねているのだ。
優勝の行いは、その努力を踏みにじっている行為でもあった。
しかしアレンは、そんな不安をいともたやすく受け流す。
「ああ、舞台としては大失敗だな。だがな、俺たちのやっていることは結局は娯楽なんだ。お客を愉しませる以上に大事なことがあるか?」
「それは……」
「ま、メチャクチャやってんのは事実だ。戻ってきたら、たっぷり反省してもらわねえとなあ?」
話はそこで終わるはずだった。優勝が『その先』を見せるまでは。
優勝はほとんどオーケストラを支配していると言える状態にあった。オーケストラは優勝の無茶な要求に応え、まるで優勝の一挙手一投足が音楽を伴うかのよう表現していた。しかし、プロの集団が翻弄されっぱなしで終わる訳もない。
音楽は段々とペースアップして、優勝の肉体の躍動をさらに引き出す。優勝は狂気の最中にあって、まだ自分の可能性を隠していたのだ。白熱するのは舞台上だけではなく、観客たちもまた同様だった。異常とも言える熱気が会場中に広がり、気付けば、優勝の身体の表面は、うすぼんやりとした青白い光に包まれていた。
シンラは自分の目を疑った。そんな、まさかあんなヤツが。
瞼を擦ってみるものの、見える景色は変わらない。隣を振り向くと、どうやらアレンにも同じ景色が見えているようだった。
「おいおいおいマジかよ! あいつ、あのナリでもう『アウラ』が出せるのか!?」
その場にいる誰もが、もはや呆然と眺めていることしかできなかった。
青いアウラを身に纏った優勝の身体は、ひとまわりも、ふたまわりも大きく見えた。動きの残光はダンスのあらゆる瞬間を切り取って、脳内に焼き付けるがごとく鮮烈な印象を与える。
一瞬、オーケストラの指揮者と優勝が目を合わせたような気がした。その数秒後、メロディとともに優勝のダンスは終了した。
「アリガトー!!」
——頭上に、2本の指を掲げて。
取り残された観客たちの反応は、もはや感動というよりも動揺と言った方が正確だろう。
そそくさとステージを降りる優勝。その首根っこをアレンが捕まえる。
「『アリガトー!』じゃねえんだよバカ野郎。お前、よくもまあ好き勝手やってくれたな?」
言いながら、アレンは優勝の頭に拳をぐりぐりと押し当てる。優勝はアレンの顔を見るとハッとした表情で、
「あっ、さっきの……その節はどうもでした!」
ぺこりと頭を下げる。
シンラは他人のふりを決め込んで目を逸らしていたが、そのビジュアルで見つからないようにする方が無理な話だ。優勝はシンラを見つけるやいなや、笑顔とVサインを送る。
「キミはシンラ君、だよね! オレのダンス見てくれた?」
「なんだお前ら、知り合いなのか?」
このまま全てを正直に話すべきだろうか。しかし、荒唐無稽すぎて誰も信じてはくれないんじゃないか。色々な考えがうず巻いて、結局シンラは一言も話せなかった。
その様子を見たアレンは、少し溜息をついて話を取りまとめる。
「……よし分かった。とにかくお前ら二人とも後で支配人室に来い。今回の処分はそこで決まるだろう」
「あの……」
優勝の手がそろりと挙がった。
「なんだ?」
「支配人室って、何なんスか?」
「お前……ホント何も知らないのな。それで本当にキャストか? 分かった、連れてってやるよ」
アレンは優勝の腕をぐいっと引っ張り、歩き出す。
シンラもついて行こうとするが、その鼻先の正面にアレンの手の平が突きつけられた。そして、
「それとシンラ。お前は7番倉庫を片付けてから来い。終演間際で今、あそこに回せる人手が無いんだ」
そう言い残し、その場を去った。
〇 〇 〇
支配人室は優勝が思っていたよりもこじんまりとした小部屋で、執務用のデスクの他には簡単な応接スペースがあるばかりだった。質素な印象を受けるが置いてあるものは全て一級品らしく、優勝はその応接用のソファの柔らかさに驚いた。
部屋にはまだ他に誰も来ていない。優勝は落ち着かない様子で、ドアの付近を何度も見回していた。
ギィ、と古木のきしむ音と共にドアが開かれる。入ってきたのはシンラだ。シンラは優勝の顔を見るとムスっとした表情で、その胸元に布の小包を投げつける。
受け取ってみると、それは優勝にとって見覚えのあるナップサックだった。
「これ、キミのだろ」
「……ああ! 忘れてたんだ、ありがとう!」
元の世界から持ってきたものと言えばこのナップサックくらいだろう。中身を確認してみると、先程自分が脱ぎ散らかした服が綺麗に畳まれて放り込んである。その他には替えのインナー2枚とサイフ、それとスマホが入っていた。
「着替えろよ」
「へ?」
「今すぐその衣装を返せって言ってるんだよ!」
シンラが何に怒っているのかは皆目見当もつかないが。しかし、借りた衣装のままだと居心地が悪いこともまた事実なので、優勝は元の服に着替えることにした。上下の衣装を脱いで下着姿になった頃、再びドアの開く音がした。
「わーすいません! お見苦しい姿で……」
「……あー、構いません。どうぞ続けて」
男は初老で、それなりに肥えていて、しっかりとパーマの当たった長髪のカーリーヘアの、これぞ貴族と言うべき風貌だった。優勝は脳内で、この男の肖像を音楽室の壁に飾ることにした。
男は執務用の椅子にどっかりと腰かけると、くたびれた様子で話し始める。
「改めまして、『セントマグナ』劇場支配人のピウス・マヤです。二人とも、会うのは初めてだよね?」
「ええ、まあ……」
劇場の中では非常に多くのスタッフが働いていて、劇場支配人と言えどその全てと面会しているわけではない。シンラもピウスの顔と名前くらいは知っていたが、実際に会ったことはこれまで無かった。
ピウスは机から一枚の紙を取り出すと、ペンを抜いて優勝の方を指す。
「ユーショーくんって言うの? キミィ、随分とまあ盛り上げてくれましたよねえ」
「えっへへ、いやあそれほどでもないッスよ……」
優勝には皮肉がまるで通用していない。というか、さっさと服を着ろ。シンラは内心で毒づく。
「まあ、それは良いんですけど。困るんだよね、あんま勝手なことされちゃ」
「……すみませんでした」
ヘラヘラしたままの優勝に代わってシンラが謝る。
どうしてボクが頭を下げなくちゃならないんだ!? そう思っていても言葉に出すことはとても出来ない。
すると、ピウスの追及の矛先はシンラへと向かった。
「シンラくんねぇ、真面目に働いてるって聞くから期待してたんですけど。やっぱり、伝統あるセントマグナに『ネガイ』を入れるべきじゃなかったかなぁ」
「それはッ……!!」
シンラの表情が強張る。反論しようとするシンラの言葉を遮ってピウスは続ける。
「あ~良いです言い訳は。幸い目立ちたいだけの犯行みたいだし、他に被害も出てないので警察には言いません。キミたちにやってもらうことは2つ。この書類にサインして、帰ってください」
承諾書と書かれたその用紙には、大雑把に言えば「今後一切セントマグナに近づかない」という主旨の文章が記載されていた。いくらなんでもこれはあんまりだ。
「違うんです! ボクは——」
「早くしてもらえますか? 私の気が変われば、キミたちを通報することだってできるんですよ?」
ようやく飛び出た心の声すらも容易く打ち砕かれて、シンラは従うほかなかった。
二人は承諾書にサインを書き、部屋を後にした。
〇 〇 〇
辺りはすっかり夜遅くなっていて、終演後の観客たちがいなくなったセントマグナ前の大通りは、ひたすらがらんとしていた。舞台に絶好の華を添えていた満天の星空も、今では心の寂しさを募らせるばかりだ。
どうしてボクはこんなことになったのだろう? 歩きながら隣を見ると、何を思うのか彼はやけに爽やかなカオで星空を見つめていた。
「異世界って、スゲェ……。オレ、もう一度あのステージに立ちたい!!」
思わず耳を疑った。こいつ、何を言ってるんだ? さっき自分で書いたサインの意味を理解していないのだろうか。ついお節介を焼いてそのことを説明してやると、ユーショーは目をまん丸にして、
「うそっ!? オレ、あの書類よく読まずにサインしちゃった! 詐欺じゃんなんだよ~」
などと言って慌てふためく。けれど、散々騒いだかと思うと、今度は突然ケロッとした顔になってこう言った。
「……でもま、いっか! いつかどうにかなるっしょ!」
どうして彼はここまで楽天的なのだろう? もしかしたら、いつだってやることなすこと全てうまく行ってきたからなのだろうか。ボクと彼との違いはなんなんだ?
気づけば、言葉が溢れだしていた。
「無理だよ」
「え?」
「無理に決まってんだろ。『一切立ち入り禁止』って書いてあるんだから」
「いやでも——」
「キミにできても! ボクには無理だ!」
「……なんで?」
「それはボクが、『ネガイ』だから」
言っててかなりつらくなってきた。なんでボクは会ったばかりのやつにこんな踏み込んだ話をしているんだ?
この街に来てからかなりの間、自分のことを人見知りだと思っていたけれど、もしかするとそうでもないのかもしれない。
「ネガイって?」
「こんな見た目のやつ、ボクの他に見なかったろ? この種族がネガイさ」
「ふ~ん……で、それと舞台に立てないこと、何が関係あるワケ?」
「あのねえ、まだワカンないかな!? ネガイは——」
「カッコいいじゃんね?」
ユーショーは、へらっと笑いながらそう言った。あまりにも自然に言うものだからそのまま流れて行ってしまいそうだったけど、ボクの中ではそれが時が止まったように感じたんだ。
「いや本当よ? ここが舞台だって気づいた時、真っ先にキミはキャストだったんだ! って思ったもん。でも舞台上にキミはいなくて、そこだけは残念だったなあ」
「……だとしても、ネガイはセントマグナのステージには立たせてもらえない。前例が無いんだ。でも——」
思えば、自分の夢について話すのはこの日が初めてだった。
「ボクだって、あのステージに立ちたかったんだ……」
「できるよきっと」
それは無根拠で、無責任で、けれど、心からの言葉だった。
「……ねえ、それよりさあ~」
ユーショーがニヤリとする。
「なんだよ」
「今晩、泊まるところが無いんだけど……」
「はあ!? 泊めないからな!」
さっきまでちょっとだけグッと来てたのに、これじゃ台無しだ。
とにかくこのユーショーとかいうやつは、何かを考えていても数秒後には頭が違う方へ行ってしまうらしい。カラフルなやつ。そう思った。
月明かりが少し目に眩しかった。
始まりました『ネガイネクサス』。厳密に言うとまだ始まっても無いような話ですが……。
タイトルだけ見ても全く内容が分からない中、それでもここまで読んでくださってありがとうございます。まだ先の長そうな話ではありますが、キャラクターに愛情を持ってきちんと最後まで描きたいと思っていますのでよろしくお願いします。
更新は週に1、2回ぐらいになると思います。
次回更新予定は14日です。読んでもらえると嬉しいです。