第5話 VS(対立) ②
200人を超えるオーディションの参加者たち。その中に、他のネガイはいなかった。
700人ぐらいが住んでいるリンダストリート。その中にも、他のネガイはいない。
3000人以上のネガイが暮らす故郷の村にだって、ボクみたいなやつは、誰一人としていなかった。
ボクが今日まで孤立に耐えられたのは、アイドルと、『憧れの人』の存在のお陰だ。
だから今日、ボクがここで歌うことは、彼らへの恩返しでもあるんだと、そう意気込んでやって来た。
アイドルが観客を楽しませることを望むなら、ボクもそれと同じようにしよう。それがボクにできる精一杯の恩返しだ。
全ての目的は直線状に繋がっていて、やるべきことはハッキリとしていた。
しかしそれでも、すくみ上がるこの身体を止めることができない。
ボクは今日、初めて人前に立って歌う。
『――次、エントリーナンバー6、シンラ!!』
1階観客席の最前列からバリケードを越えた向こう。そこに腰掛けた2人の審査員、アポロとソラリスの表情は、告げられた名前にピクリと反応を見せた。
何も知らない観客たちは無邪気な歓声でもって挑戦者を歓迎する。
しかし、その真っ青な色素を持つ真皮にくるまれた姿がひとたび現れると、場内は水を打ったように静まり返った。
ステージに立つ異貌の少年は、緊張した面持ちでそこにいた。
アポロがソラリスの肩にぽんと手を置く。それは彼の審査を任せるというサインだった。
ソラリスは卓上のマイクに手をかけると、質問を投げかけた。
「まず、簡単なプロフィールから訊こうか。君の名前は?」
ソラリスはあくまで公平な立場を取る。知り合いだから、ネガイだから、そういった理由で庇い立てするつもりは一切無かった。
アーティストがステージ上でパフォーマンスの意図を説明することはありえない。そこに立った時点で、観客の反応が全てだ。
ステージ上の少年は深く息を吸い、なおも震える声で自らの名を名乗る。
「シンラ。……シンラ・ネヴラマズダです」
静粛を保っていた観客たちから、ひそひそとした話し声が聞こえ始めた。そのざわめきは、この会場そのものがシンラの参加の是非を問いかけているかのようだ。
ソラリスは質問を続ける。
「出身は?」
「……ムレ・オサマリ」
それはある種の残酷な質問だった。ソラリスはシンラに、この会場の観客たちに自らの所在を示せと要求しているのだ。
群というのはネガイたちの集落を意味する、彼ら独自の言語だ。その単語をきっかけにしてか、観客たちは口々に不満を垂れはじめた。
「恥も知らずに、良くも舞台に上がってこれたよな」
「正直こわいよ、あの人……」
「あんなヤツ誰が連れてきたんだ」
観客たちそれぞれの声は変わらず小さなものだったが、その内容はシンラにも伝わっていた。表情が強張り、悔しさから拳をぎゅっと握りしめる。その仕草から敵意を感じ取った観客の一部から、小さな悲鳴のような叫びが上がった。
ソラリスは観客たちを一瞥して、それからシンラに言う。
「あんまり歓迎されてないみたいだけど。どうする? やめとくなら、今帰っても良いんだよ」
シンラは唇を噛み締めて、少しの間逡巡した。
そして絞り出すような声で、ひとつひとつ紡ぐようにして、言葉を口にした。
「覚悟は、してました。人前に立てば、きっとボクのことを良く思わない人もいる。
分かってたつもりだけど……実際そうなると、正直、今も怖い気持ちはあります。
どう思われても良い、なんて言うことも、ボクには無理だと思います。でも……」
シンラは2回目の深呼吸をする。
続く言葉はハッキリとした声音だった。
「誰かに歌を聴いてもらう嬉しさを、ボクはもう知っている。
この気持ちをもう失いたくはない。だからボクは、目の前に誰かがいるのなら……その人達のために歌います」
2人のやり取りを隣で聞いていたアポロの口角がにんまりと上がった。
そして突如として立ち上がり、返事をしかけたソラリスからマイクを奪い取ると、意気揚々とこう言った。
「オーケー、上出来だ!! さあ、そろそろお前の歌を聞かせてもらおうか。曲名は?」
アポロは期待に目を輝かせていた。ソラリスは頭を抱え、「これじゃ俺、悪役のままじゃん……」と小さく呟く。
シンラが曲の名前を告げる。
「アーティストは『Xeno.』。曲は……『エル・ドラド』」
◯ ◯ ◯
それは黄金郷を目指す男たちの物語。
シンラが初めてその曲を聴いたのは9歳の時。兄に連れられて観たXeno.のコンサートのステージ上だった。シンラはこれまでに知りもしない、アイドルと呼ばれる者たちのパフォーマンスに心を奪われて、すっかり虜になってしまった。
コンサートが終わった後、兄の紹介でバックステージを見学することができた。
遠いステージの上にいたアイドルたちに声を掛けられて、はじめはとても緊張したけれど、彼らがつくる場の雰囲気のお陰で、簡単に心を開くことができた。
シンラは無口な子供だったが、この時だけはウソみたいにたくさん話せた。
自分のような存在であっても、いとも容易く心を解放させてくれる。それこそがアイドルの魅力なのだとシンラは実感した。
Xeno.の、特に気さくなムードの若者2人が、シンラに最も気に入った曲は何かと尋ねた。
シンラはそれに、コンサートの一番初めに歌った曲が好きと、そんな風に答えた。すると彼らはやや照れくさそうにして、「それは自分たちが初めて作った曲なんだ」と教えてくれた。
その時の2人のはにかんだ笑顔が、シンラには何だかとても印象に残った。
あの時の自分は、ただメロディに惹かれていただけで、歌の内容なんてこれっぽっちも理解していなかっただろう。
けれど、今なら分かる。この歌の本質は、届かないと知りながらも憧れてしまう、夢への悲願だ。
この歌はまさしくボクそのものだと思った。だから、ボクは歌う。
ボクを皆に知ってもらうために。
◯ ◯ ◯
シンラの歌はゆっくりと、しかし確かな響きを持って、ライブハウスの中を満たしていった。
辺りに歌声以外の音はなく、静粛さには神秘的な空気すら感じた。
2階席にいる優勝にも、その歌声は届いてきた。
優勝はアポロとソラリスが歌うその曲を以前に聴いたことがあったが、シンラがアカペラで歌うそれは、全く違う曲のような情緒を感じた。
心の古傷に優しく触れられたような、そんな感じがした。
シンラの身の回りには、真紅のビロードのように美しく輝くアウラが、広がっていた。
歌が終わり、シンラは深く一礼をしてステージから降りていく。
会場の中では呆気にとられたような静けさが続いていて、その反応を窺い知ることはできない。
シンラは客席を背に、自らの実力不足を悔やんだ。その時だった。
散発的ではあるものの、会場の至るところから、まばらに拍手が響いた。
すべての人の心を解きほぐすことはできなくても、一部である彼らの心を動かすことはできたのだ。
その事実に背中を押され、ようやく晴れ晴れとした気持ちで、その場を去ることができた。
2階席。優勝は、誰よりも力強く打つ手で、その歌に惜しみない賛辞を示した。
そして時は刻一刻と、優勝の出番へと近づいていった。
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