第4話 セレンの歌声 ⑤
それから数日が経った。優勝は毎朝いの一番にセントマグナへと向かったが、アレンと会うことは叶わず。あいも光を放ち続ける『メモリア』は、手元に残ってしまった。
エマカダイン邸での暮らしは優勝の望む全てを与えてくれた。食事はきちんと3食与えてくれたし、夫人が程々に不干渉でいてくれたこともまた、優勝にとっては気が楽だった。
不満らしい不満と言えば、一度だけ米料理が食べたいとこぼしたことがあったが、それも翌日の献立には解消されていた。リゾットのような米料理の存在や、これまで食べてきた料理などから察するに、この辺りはイタリアに近い食文化なのだろう。
ある日、街はどことなく浮足立っていて、見ると街角のあちこちに、優勝が貰ったものと同じ、オーディションを告知するポスターが貼られていた。
新聞記事の一面でもアポロ&ソラリスの活動再開のニュースが大々的に知らされており、この地での2人の人気を改めて思い知ることとなった。
ともかく、オーディションへのエントリーも始まったようだ。優勝は予め用意しておいた封筒をポストへと投函して、それからエマカダイン邸へと帰った。
帰宅した優勝がレッスン室にてアップ運動を行っていたところ、その扉がゆっくりと開かれる。
シンラだ。彼はいつもこれからという絶妙なタイミングでやってくる。
「やってる? 音盤『取りに』来たんだけど」
「へええ〜、『取りに』ねえ。じゃ、そこに置いてあるからさぁ、まあ、持っていきなよ」
シンラが取りに来たということをことさら強調するので、優勝はおかしくなってつい意地の悪いことを言ってしまう。しかしシンラもまだ、引き下がりはしない。
「いやあでも、練習に使うのに必要でしょ? 困ったなあ。『どれか1枚だけ』って言うなら、このまま貸してあげても良いんだけど」
「それなんだけど。ごめん、まだどれも聴いてないんだ」
その一言が決め手となった。シンラは目をまん丸にさせて、2人の奇妙な腹のさぐりあいの時間は終わった。
「えぇ、なんで!? いくらでも聴く時間あったよね? もしかして、そこまで興味無かった?」
「あり寄りの大アリよ! でもこれ、シンラもまだ聴いてないんでしょ? オレだけ先に聴いちゃうってのもなんだかなぁって」
「ユーショー……」
胸の前で握られた手からは、暖かい温もりが迸ってくるかのようだった。それほどまでに、シンラには優勝の思いやりが心に響いたらしい。そういうことをするやつと思っていなかっただけ余計に、ということもあるのだろうが。
「オーディション、絶対合格しろよな」
「へ?」
「勘違いするなよ? ただ、ボクに気を使ったせいで落ちた、とか、言われたくないからさ!」
持って回ったような棘のある言い回しでシンラは応える。その本意はあまりにもわかり易いものではあるが、完全に傍観者の立場を取っているというのは一貫していた。
しかしそれでこそ、優勝の仕込みが活きるというものだ。時は満ちた。優勝は話を切り出す。
「何言ってんの? シンラも出るんだよ、オーディションに」
「え? いやいやでも待って、ボクはエントリーなんか――」
「して来たんだなあ、これが! さっきオレが2人分ね」
優勝が投函した封筒、それは2枚あった。1枚は優勝の分、そしてもう1枚はシンラの分だ。
優勝は、本人に無断でオーディションへの参加表明を済ませてきたのだ。シンラの所在地の書き方なんて知らないから、その辺りは自分と同じにしてあるが、ともかく正規の手続きは実行された。
当然の如く、シンラは顔を火照らせながら慌てふためく。
「や、や、や、チョット待ってよ!? 応募してきたってこと? ボクが? に、したって、歌とか、ダンスとかさ!?」
「だぁからダンスじゃオレに勝てる訳無いじゃん? コーラスでエントリーしてきたよ」
「歌とか言ったって人に聴かせたことなんて無いし! それに――」
パニック状態のシンラは、いつぞや聞いたような問答を繰り返していた。そして、
「そもそも、ボクの歌なんか聴きたがる人なんて、どこにもいないよ!!」
言ってしまった、と思ったのだろう。「あ……」と呟いたシンラは口を開いたままフリーズすると、そのまま大粒の涙を流し始めた。
確かに、優勝が見てきたごく限られた範囲であっても、シンラのようなネガイという種族への差別は陰惨極まりないものだと感じた。しかしある部分においては、決してそうではないという事実もまた、優勝は知っていた。
「シンラはさ、『セレンの歌声』って、知ってる?」
優勝はそう言って新聞の1ページをシンラへと手渡す。それはいつぞやシンラがうんざりとした気分で読むのを諦めた、優勝の写真が載ったページだった。優勝は続ける。
「その、隅の方にある記事さ。まあ、読みながらで良いんだけど……ちょっと流したい歌あるから、一緒に聴いてもらえない?」
優勝はそう言って、無地の紙袋から音盤を1枚取り出すと、プレーヤーへとかけた。
しばらくの静寂の後、その歌は流れ始める。それは夜の静けさをまるごと閉じ込めたような空気の向こうから漂う、微かな響きだ。
「これって……」
その声はシンラにとって何よりも馴染みのある、それでいて、初めて聴いたものだった。
まさか誰かに聴かせるつもりもなくて、熱の入りすぎたトーンがなんだか妙に恥ずかしい。しかし、それよりも。
優勝はシンラの手に握られたままの新聞を覗き込み、記事の一部を指差す。
「いやあ、めちゃめちゃ苦労したんだよ? この記事で取材されてる人から借りてきたんだけどさ。アレンさんたちと一緒に、近くの家を総当りで探し回ったんだ。やっとの思いで出会えても大事なものだからって断られて……事情を話してようやくだよ!」
シンラは目を見開いたまま何の返事も返さなかった。あらゆる感情が一挙に押し寄せてきて、どれを表すべきか、分からなくなったからだ。
優勝がシンラの状態を理解していたかは定かではないが――少なくとも、シンラの感情を無理やり引き出すような真似はしなかった。
2人はしばしの間無言で歌声に耳を澄ませていたが、たったひとつだけ、優勝は感想を述べた。
「良い歌だよね、これ」
その瞬間、シンラは自らの感情を全て理解した。
独りよがりな歌への恥ずかしさも、勝手に自分の歌を持ち出された怒りも、こうすることでしか歌えない悔しさも、全てがあった。しかし、何よりも。
シンラは闇夜のコンサートホールで、いつでも満員の観客を夢想していた。ステージから見える景色を瞳に焼き付けて、まぶたを閉じれば誰もが皆、自分の歌を聴きに集まってきてくれた。
そうして歌を歌い終わった後に目を開けると、辺りにはがらんどうの客席だけが広がっていた。その度にシンラは深い孤独に苛まれ、この歌が誰にも届かないという現実に打ちのめされそうになるのだ。
しかし、シンラが思い込んでいた現実は、そうではなかった。
シンラの歌は届いていたのだ。それも、誰かの宝物となって。
それはシンラが、いつか「そうありたい」と願った姿そのものだった。
シンラはゆっくりと首を起こすと、流れる涙を気にも留めず、天を仰ぐ。
そして呟くような小さな声で、こう漏らした。
「ああ、本当に……本当に、良い歌だ」
嬉しさに、震えた。
読んでいただきありがとうございます!
しばらく続きましたがこれにて4話は終わりです。
5話は、5・7更新予定です!! ビバ!




