0 背後に気を付けたバレンタイン
よろしくお願いいたします。
「別れてほしい」
「………………分かった。でも諦めないから」
告白にありきたりな校舎の裏で、俺は中学から付き合っていた彼女と別れた。三年以上付き合っていて悲しくないと言えば嘘になるが、これは苦渋の決断だった。俺を、周囲の人を、ひいては彼女自身を守るために。
彼女の黒い部分が発覚したのは、情けないことに最近、ほんの一ヶ月前のことだった。
委員会で遅くなり、重い荷物にぶつくさ言いながら帰ろうとしていたら、普段この時間にはいない、幼馴染の猪爪京花の後ろ姿が見えた。
そののろのろとした歩みは、いつもの凛とした姿からは想像もできない程、弱弱しかった。
「おーい、京花。何かあったのか」
「…ん? あぁ千夏。大丈夫。何にもないよ」
先生に呼び出されて雑用でもさせられてたのかと思いながら声をかけると、彼女は明るい調子で振り向いた。
ぎこちない笑みに、赤い腫れが右頬に見えた。
俺は吃驚しながら、濡らしてきたハンカチを差し出して話を聞く。
「京花、それどうしたんだよ」
「それが千夏の彼女にやられたんだよね。彼女、見た目によらずアグレッシブだね」
反撃しそこねたよ、とけらけら笑いながら告げる京花。俺は口を開き固まった。まさか弥生が。そんなことをするような人ではなく、大人しい人だったのに一体何で。
「ご、ごめん。痛くないか?」
「大丈夫。それより彼女、どうにかした方がいいんじゃない? 千夏に近づく人全員に牽制してるし、酷いときはこれ。まぁ、私が煽ったんだけど」
他にも嫌がらせされたり、度を過ぎた悪口を言われたりされている人も出てきているらしい。俺に言われないように口止めまでされて。
次々と打ち明けられる衝撃の事実に打ちのめされる。自分が浮かれていたせいで、周りが見えず周囲を傷つけてしまった。今すぐ彼女にこんなことは止めるように伝えにいかなければ。そう思い立ち、弥生に伝えにいこうとしたが、京花に首根っこを掴まれてしまった。
「ちょっと待って」
「うぇっ! ゲホっゲホ。痛いぞ、何するんだよ」
「今彼女のところに言っても誤魔化されるだけよ。証拠を集めないと」
「京花が言ってくれれば証拠になるんじゃないのか?」
「一人だけじゃ信憑性が薄いの。今日から手伝うから、頑張るよ」
「ありがとう、助かる」
この日から証拠を集め続けた。もう芋づる式でどんどん出てきた。ノートを破られてたり、脅迫に近い手紙が届いていたり、足をわざと引っかけていたり……。少し注意すればすぐ分かることだったのに、全然、気付かなかった。
調べている最中に京花は、学校でやるなんてお馬鹿さんね、と悪い顔で言っていて、京花には絶対敵わないと思った瞬間だった。
誤魔化しきれないほどの証拠を集めて、今日、弥生に別れを切り出す。放課後に弥生に話があると校舎裏に呼び出した。
授業は放課後のことで頭が一杯になり、集中できなかった。別れることで悪化しないか、開き直ってしまわないか。悪い方へとぐるぐる思考が回っていた。
「な、なあ京花。伝えてさ、悪化しないかな。弥生」
「大丈夫って言ってるでしょ。彼女は独占欲が強いだけ。別れなかったらそれこそ悪化するだけよ」
昼に机を合わせ、作戦会議をしている。実際は俺を励ます会みたいになっているが。
「なんの話をしてるんだ、二人とも」
頭にキノコを生やしていると、小学校からの親友の光樹がメロンパンを食べながら椅子をくっつけて来た。そういえばもうすぐ実行するのに、話していなかった。これまでのことをかくかくしかじかと話した。
「えぇ……可愛くて清楚な子だと思っていたのにそんな一面が」
「だろ、それで今日、別れようと思っているんだ」
「そうか、頑張れ。帰り道は後ろに気を付けて帰れよな」
「何、俺刺されんの!?」
珍しく真剣な顔で言うものだから本当かと思ってしまった。京花にも笑われてしまった。
「あー、緊張してきた」
「証拠集めてきたんだから、大丈夫だろ。流石に殺されはしないさ」
「でもさあ」
「しっかりしなさい。応援してるから」
昼休み終了のチャイムが鳴り、俺たちは席を戻し次の授業の準備をし始めた。次は数学、苦手だな。絶対寝かせにかかっている。
全ての授業を終え、足早に校舎裏に向かうと、既に弥生は壁に寄りかかって待っていた。追い越されている。クラスの誰よりも早く出てきたはずなのに。
「暁くん、話って何?」
「っあのさ弥生、これに見覚えあるよな?」
手に持っていた封筒から、脅迫のような手紙、足を引っかけている写真、叩いている場面の動画などを弥生に渡した。心臓がばくばくする。
彼女が全て見終わったのを見計らって、話しかけようと口を開いた瞬間、彼女は矢継ぎ早に言葉を吐き出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい。暁くんに近づく女達が許せなかったの」
両の手で顔を覆い隠した。泣いているのか、怒っているのか、その震えた声では判断しきれなかった。
「だからってこんなこと」
「暁くんが悪いんだよ、私がいるのに他の女に近づくから。…それでどうしたいの?」
「他の人に危害を出さないで、あと……別れてほしい。」
「……………わかったよ、でも諦めないからね。」
「い、今までありがとうございました。俺を好きになってくれて!」
微笑みながら告げた元彼女が怖くなって走り去ってしまった。これで誰も傷つけられない。これまでの緊張がとけて涙が出てきた。本当に刺されるかと思ったくらいに緊張していた。
走って走って、校門まで走って、帰宅部の俺は息が上がって疲れきってしまった。膝に手をついて休憩していると、突然ぽん、と背中を叩かれて、誰も居ないと思っていたので全力で驚いてしまった。
そんな俺をくすくすと笑う、手の主。
「うわぁ!!!…てなんだ京花か。驚かせんなよ」
「ごめんごめん。それでどう、上手くいった?」
「あー、うん九割は上手くいったよ」
「えっと、九割ね」
そう、九割は。去り際に放っていたあの一言が不安になる。他の人はもう大丈夫だが、俺はどうなるか分からない。
落ち着かせるように目を閉じると、彼女と過ごした日々が浮かぶ。記憶の中の彼女は笑っていて、あんなことをしていたとは思えない表情だった。中学から付き合っていた彼女。幸せだった時間が脳を駆け巡る。割り切ろうと思っても中々できるものではない。
暗くなる千夏に見かねて、京香は肩を軽く叩いて労わる。
「お疲れ様。何か奢るよ」
「ありがとう、じゃあチョコをお願いします」
「……今日バレンタインだから?」
「そ、そんなことない。さっ早くいこう!」
バレンタインに貰ったチョコが0ということは絶対にあって欲しくない。せめて市販だけでも貰っておかねば。
「そんなことしなくてもあげるのに……」
「おーい早くー!」
「分かった!」
京花が何か呟いていたが、距離が空いていて聞こえなかった。何か大切なことだったら困るな。あとで聞いておこう。
コンビニでチョコを買ってもらい、京花と別れた。帰り道は背後に気を付けて帰ったのは言うまでもない。
……あのこと聞き忘れた。ま、いっか。
「ただいまー」
「お帰りなさい、塾の時間までギリギリだけど大丈夫?」
「あっやべ。ありがとう、母さん」
全力で支度し、走って出掛けた。塾まで近くてよかったとこれまで以上に感じた日だった。
□□□□□
ピンポーン
暁家の呼び鈴が鳴り、暁の母――紗由里が返事をし、急いで玄関のドアを開けた。
「こんばんは、紗由理さん」
「こんばんは、どうしたの京花ちゃんこんな時間に」
訪ねてきたのは京花だった。母の紗由理は寒いでしょう、と家にあげようとしたが、予定があるので、と断られてしまった。
「あの、これ千夏に渡してもらえませんか?」
「あらあら、いいわよ。二人から貰うなんてモテモテだね千夏は」
「二人?私の他に誰が渡したんですか。」
「友達に頼まれて来た子みたいだったから分からないのよ。でも一年生なのは分かったんだけど」
「そうですか。ありがとうございました」
チョコが二つ。京香は胸騒ぎを覚える。何も起こらなければいいが。心配しすぎだと落ち着かせ、暁家をあとにした。
その少しあとに千夏が帰ってきた。
「ただいま母さん」
「お帰り、チョコが二つ届いてるわよ」
「え! まじで!」
何も考えず喜ぶ千夏。大丈夫だろうか。
□□□□□
今年はチョコを二個貰った。そう、二個。まさか京花から貰えるなんて思っていなかった。料理が苦手らしく、毎年ガムとか美味しい棒とかしかくれなかったのに何故だろうか。なんにせよありがたい。
ただ残りの一つが謎だった。俺に送る人なんて心当たりがない。せめて名前だけでも知れたらいいんだが、母に聞くと友達経由で届いたものらしく、誰が渡したのか分からないらしい。
ま、いいか。
「いただきます」
京花が作ったチョコをありがたく頂く。
「え…旨いだと」
口に手を当て、驚愕する。
あんなに下手だ不味いだの言ってたくせに、市販より何倍も旨い。今まで何で隠していたんだ。さて、問題の二つ目のチョコ。箱を開けてみた。
案外普通の丸いチョコだった。ドライフルーツが上にトッピングしてあるいい感じのチョコだ。匂いも見た目も問題ない。では実食。普通に美味しい。心配のしすぎかと安心し、歯を磨きにいこうと立ち上がったその時。
視界がグニャリと歪み、その場に大きな音をたて倒れこんでしまった。体が熱い。母さんが階段をかけ上がってくる音を聞きながら、俺は意識を保っていられず気を失ってしまった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。主人公、どうなるんでしょう。