42話 肝臓、超爵の聖石①
「あ…あへ…」
全身に粘着質の赤黒い何かが纏わりついたベオウルフは、まるでマタタビをキメた猫、紅茶をキメたエゲレス人の如く恍惚の表情で、正常な判断能力を失っている。だというのにしっかりとした足取りが異彩を放つ。その矛盾する様子が示す事実、明らかに操られているか、乗っ取られているということだ。
「おっと、まだ浸食が完全ではなかったか」
あへったその口から続けて、先ほどと同じ冷静な言葉が出て来る。超爵も隠すつもりは無いのか、隠すのは無理だとわかっているのか、もしくは別の理由か。わざとらしい独り言を放ち、超爵は完全にベオウルフを支配する。ベオウルフも屋上に連れて来いというのは、つまるところこれだ。超爵が敗れたときのことを見越しての予備のボディにするためだったということ、じゃあベオウルフを置いて来ればよかったじゃんと人は言うが、アカネが囚われている状況でそれは無理無理無理蝸牛である。
「…あぁ、正真正銘化け物だ、こりゃ。ペロは諦めるか」
「ふふふ、口ではそう言いながらなんとか助けようと考えているな。やさしい子だよお前は」
「まぁ一応な。でも優先順位は低いぞ」
これは本音である。アルにとってペロは別に助けなきゃいけない人ではない。助けることができるなら一応救助も考慮はするが、無理なら諸共始末するだけである。二次被害を招くのは救助者としてあってはならないことだから。
(…けど、やべぇのはアイツがアカネさんを乗っ取ることができるのか、だ…)
アカネは超爵に囚われの身であった。まず間違いなく操られると考えるべきだ。問題は何を埋め込んだか、どういう理屈で乗っ取ったのか。ペロを焼き払うのは簡単だが、まずはそのギミックを明かさなければならない。
(あの赤黒いネバネバがそうなのか?いや、優先すべきは…)
アカネを庇う様に立つアルの左手が、そっとアカネの手を握る。血の通わない冷たく硬いその腕は、アルにぎゅっと握られた感触は伝わらない。アカネはそれが辛かった。アカネの四肢を奪った山賊一味のラファエルに気を許していたこと、そしてその記憶を鮮明に思い出したことが、その辛さに拍車をかける。
「アルくん…」
「アカネさん、大丈夫だから」
アカネを安心させるようにやさしく声をかけ、そしてアルは手を離す。慈愛に満ちたその左手と真逆に、殺意を込めて握りこんだ右手に魔力を宿し、アルが超爵INベオウルフを殴りに駆ける!
「さぁ来いフレイムインパルスゥ!やれるものならやってみろォ!」」
「超振動拳!」
小刻みに震えるアルの拳がベオウルフの真芯を打ち抜く!
「ぐはぁ!」
致命傷の三歩くらい手前のダメージが、反射的にベオウルフの口から呻吟を吐き出す。この呻きはベオウルフ本人によるものだろう。肉体はあくまでベオウルフのものだ。しかし命が助かるなら安いものだ。むしろ感謝してほしいくらいだ。
「な、なにィ!」
この驚きの声は、超爵のものに違いない。あへっているベオウルフは状況を理解できているわけがないのだから。そして超爵を驚愕させたのは、超爵の謀をアルが読んでいたからだ。超爵の狙いは案の定攻撃を受けた瞬間にアルの肉体を奪うことだった。やさしいアルならば遠距離魔法で一気に焼き払うのではなく、ベオウルフを救うためにその体に纏わりつく超爵細胞を引きはがしにくるだろう、と。そこを奪う算段だった。
しかし、その程度の企みなど読むのは容易い。アルはそれを見越して打ち込んだ魔法拳、それが超振動拳。魔力により超振動させた拳がベオウルフの肉体を内部から共振させることで表面に纏わりつく超爵細胞を弾き、さらにアル自身の振動で超爵細胞の付着を防ぐ攻防一体のパンチ!
ベオウルフとアルの周辺に赤黒い細胞がべちゃべちゃと飛び散る。あとは一気にこれらを焼き払えば完全勝利…ではあるが、そう簡単に事は運ばない。
「きゃあああああ!」
直後、背後から響く悲鳴。アルの背後で超爵のもう一つの企みが動いていた。
「しまった!」
「もう遅い」
アカネの口から告げられる現実。超爵のアカネ乗っ取りが完了していたのだ。
「テメェ…やっぱりか…」
「そうだ…そうなのだよフレイムインパルス。さて、この少女を救いたければ…わかるね?」
「…」
無言で超振動を止めるアル。すぐさま周囲の超爵細胞がアルに纏わりついてくる。すぐさま意識を消失し、その場に倒れ込むアルを、アカネの肉体から超爵は勝ち誇ったように見下ろした。
「ハハハハハ!勝った!さぁあとはお前の肉体をわが物とするのみよ!」
勝利を確信した超爵は全く警戒することなくアカネの肉体でアルに近寄る。途中、キラっと一瞬細い光が目に入ったが些細な事と無視し、そして超爵がアルの肉体へ本格的に移乗する。超爵の本体はアカネにとりついている。ベオウルフとアルに纏わりつく超爵細胞はあくまでプログラムされ自律行動しているにすぎない。本体が脳に成り代わって初めて完了するのだ。
超爵の本体、赤黒い塊がアカネの首筋からずるりとアルへと落ち込む。それはアルの腹部に落ちると、するりと内部へと侵入を果たす。超爵が抜けきったことで、アカネはその場で意識を失い倒れてしまう。万が一、アカネが何かをしてアルを救いかねないため、気絶をさせていた。
「フフフ、あとは奴の脳の自我を司る部分を破壊し私がその場に収まれば仕事は終わりよ。フレイムインパルス…お前と暮らしていた頃はこうなるとは思わなかったな。お前が私に従ってさえいれば…」
少し寂しそうにアルの体内を進む超爵、人であった頃の彼はどのような思いでアルと生活を共にしていたのだろうか。もはや聖石に人格を侵略された超爵自身にも、その頃の記憶はもはや曖昧である。だからこそ、思い出はなくとも、懐かしき家族だったアルと一緒にいたかった。アルが意に反し敵対した今、体だけでも自らのものにせんとする超爵の歪んだ支配欲。その侵略を遮る影が、超爵の行く手を阻んだ。
「フレイムインパルスじゃない、あの子の名前はアルくんよ」
「…!貴様がなぜここに…アルの脳内にいる!?」
そこにいたのはアルが守護ると誓った少女、アカネだった。