39話 亡霊、18年前の敗北者に尾を振る老人だち②
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彼は力を欲した。守護りたいとそう心から望んだのに、結局自分だけでは叶わず、力ある者に託すことしかできない無力な自分を呪った。あの役所での戦いで今にも死にそうな彼は、ついに決断をする。救急隊員に王立労災病院ではなく、とある小さな診療所へ運ぶように伝え、その診療所から受け入れ可の返答を貰い、救急隊は当該診療所の所長へと向かう。その診療所所長を務めるのはマッドドクターギロチネス。王国の医師免許を持つ表向きは普通の医師であるが、その裏では保険診療をせずに自らが開発した治療術のみを施す闇の医師。その存在を知る人は上級王国民でも一握りであり、その治療で命を繋いだ者も少なくない。…が、無理な治療の負担で命を落とす者の存在も無ではない。上級王国民の血に連なる者を救うことができないこともあれば当然逆恨みにより命すらも怪しいところだが、今までギロチネスが命を脅かされたことはない。一つは、ギロチネスに救われた多くの状況王国民の患者が逆恨みを許さないこと。そしてもう一つ、ギロチネスは…強い。
「ほうほう、検体になる決心をしたようだな。ま、その前に出血が割とヤバイから輸血からだ」
「ギロチネス先生…力が欲しい…」
「んん、何があったかは知らんがまぁ検体になれば治療費もチャラになるしいいことだ。成功率は50%。悪くない賭けだよ」
マッドドクターギロチネスの強化手術。医術と魔術と科学を融合させたオリジナルの施術は、今だ完成には至っておらず成功率は五分五分である。完成に近づけるには少しでも術例をこなし、問題点を洗い出し、改善せねばならない。命を賭けるのだ、そう易々と検体が見つかるはずもない。嘘をついてその辺の身よりが無い人間を使えば良いのでは、と思ったこともあるが下手に成功してしまったが故に逆恨みされては困る。医師としてインフォームド・コンセントは欠かせないのだ。
20時間に及ぶオペは終了し、魔術的に強引に傷を修復し、最後に独自の技術で作り上げたパーツを接続。このパーツの完成度を高めるためにアカネのメタルアームを欲したが、ラファエルの報告によるとあれは完全に魔術的なものだというので、残念ながら参考にはならなさそうだ。魔術や闘気というのは個人差が激しい。ギロチネスが望むのは量産、個体差の無い誰でもパーフェクトソルジャーになれる技術なのだ。
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「やっぱりロクでもねェ奴に狙われてたんだな茜ちゃんは…カルバリン男爵か…」
強化手術後、アカネを訪ね彼女の通院に付き添った。常に感じていたアカネを狙う視線、おそらくカルバリン男爵の手下による見張りだったのだろう。それを警戒し気付かれない距離で警戒していたのだが…。襲撃を感知しアカネの宿に向かうが既に攫われた後であり、あたりには血の臭いが蔓延るばかり。すぐさまアカネの生体反応を捜索し、ついに辿り着いたのはこのカルバリン男爵宅だ。当然貴族のお家だ、見張りもいる。
「盗賊として、ここはこそっと侵入するか。待ってろよ茜ちゃん。絶対に助けてやる」
ラファエルがカルバリン男爵宅へ侵入後、しばらくして兄弟傭兵ドゥバンが到着する。アスタバンの空間超越窃盗術で盗み出したこのフィリップ伯が持っていた聖石をブラッド超爵へ渡すために…あれ?無い!?
アスタバンは聖石をドゥバンに持たせ、自らはゼファーを止める殿となったのだ。だのにアスタバンに託された聖石を亡くしたとあっては、一体何のために一人で逃げたというのか!慌てふためくドゥバンは男爵宅前でもはやこれまでとハラキリを開始するが、その凶行を止めたのは他でもない敬愛する兄アスタバンだった。
「やれやれ、何をそんない慌てているのだが…」
「に、兄さん!無事だったんだね!良かった!でもごめん!石が…!」
「気にするなドゥバン。ここに来る途中に拾っておいたよ」
アスタバンが差し出した掌に白く輝くカルシウムの塊。紛れもない聖石そのものだ。
「さぁドゥバン。超爵のもとへ行こうではないか」
「う…うん…」
ドゥバンを引き連れ屋敷の奥へ向かうアスタバン。ドゥバンはいつも目にする兄の頼りになる背中が、なにか違うように感じる。うまく言語化できないが、何か違和感があると…。
(兄さんはすぐに僕に追いついたけどどういうことだろう…あのゼファーは容易く撒ける相手ではないと思うけど…)
その疑問もいつもなら聞くことはできた。しかし、ドゥバンの感じる奇妙な違和感がそれを許さなかった。何か、恐ろしい予感がして…。
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「超爵。例の物をお持ちしました…」
アスタバンが超爵へ差し出した白い聖石が放つ不気味な光沢。その光を目にし、超爵の様子が一変する。
「ほう…ほう!なるほど、これは素晴らしいな。…アスタバンよ。そしてドゥバン。貴様らを我らが同志…亡霊(アfントム)勇士へと迎え入れようぞ」
「はっ、ありがたき幸せ…」
「あ…ありがたき幸せ…」
アスタバンがすぐに納得したのが、ドゥバンには理解できない。そもそも危険な橋を極力渡らずに世渡りしていこうというのが兄弟のコンセプトのはずだ。ある特定の組織人物に肩入れするのは、破滅するときも巻き込まれてしまうというのに。
「石がある以上ここにいる意味もないな。アスタバンよ、地下にいる女を連れて帰るとしよう」
「地下の女?」
「うむ。我らが求めた資格者だよ…」
「ほう…!」
アカネが言っていたように、周囲の人間が理解できない内容をそれっぽく話すアレな雰囲気の二人に、ドゥバンもカルバリン男爵も何の話をしているのか理解できない。いや、まったく理解できないわけではない。この二人はここから帰るつもりなのだということだけはわかった。
「待ってください超爵!私を助けるんじゃないんですか!?フィリップ伯爵を始末してくれないと私は…!ていうか超爵が貴族議会に戻ってくれるだけでいいんですよ!一体どこに行くというのです!?」
また超爵に姿を消されては男爵は身を守ることができない。貴族議会に超爵がいてくれるだけで伯爵を牽制できるが、それができないならせめて伯爵を亡き者にしてくれなければ困ると、慌てて超爵を引き留める。
「…そうだな。フィリップは邪魔だ。カルバリン男爵殺人事件の犯人になってもらうか」
「な!?なんですって!?超爵、血迷いましたか!?」
超爵の正気を確かめようと必死に制止する男爵だが、超爵の殺意は紛れもない本物だと、素人の男爵ですらすぐにわかった。
「くぅ、者ども!出て来い!超爵が血迷ったわ!」
男爵の一声で屋敷の騎士たちがぞろぞろと応接室になだれ込んでくる。突然の事態にドゥバンはただただ困惑するばかりだ。
「…アスタバン。この程度の兵で我らを消すつもりらしい」
「私が始末しましょう。超爵は帰る準備を」
「任せた」
その場から出て行こうとする超爵を、騎士の一人が斬りつける。剣を振り下ろしたとき、切断されたのは騎士の両腕だった。
「あああああああ!!」
「ひいいい!一体何が!化け物か!」
超爵は騒然とする部屋を後に、地下を目指す。騎士たちが後を追おうとするが、超爵が閉めた扉は異常に固く閉ざされた。木でできているというのに全く動かず、壊そうとしても傷一つつかない。
「貴様らの相手はこのアスタバンだ」
ドゥバンが今まで感じたことの無い圧力を放つ兄アスタバン。兄はどちらかと言えば威圧するタイプではなく、むしろ面倒を避けようと受け流すタイプだ。この兄は本当に兄なのかと疑う。その疑いは、すぐに確信へと変わった。
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応接室から響く怒号や悲鳴、絶望の叫び、嘆きの声。心地よいハーモニーを耳にしながら、超爵は地下のアカネのもとへと辿り着く。
「さぁ行こうか…む?こっちに来ているのか…明日来いと言ったのだが。まぁそれも一興か…」
「何を一人でぶつくさ言ってるんだか」
またわけのわからない独り言をぶつぶつ言っている超爵に、アカネが厭味ったらしく言い放つ。
「フフ、わかるように言おうか。赤い…いや、君が良く知るあの子が、アルがこちらに来ているののだよ」
「…」
「喜ばないのかい?じゃあ悲しませようか。アルをここで始末する。君の目の前でな…」