38話 引退、普通の男の子になります
「は…?」
トッシュは愕然とした。フォーゲルがローシャ市から帰って次の日。イクスシェイドから突然の連絡があり通話してみたら、なんということだ。あのジャスティスが魔王イクスとの面会を求め、会った途端に自らが勇者ジャスティスだと、すなわちトッシュの母であると明かしたということだ。イクスシェイドも吉報を知らせようとトッシュへ連絡を寄越したのだろう。トッシュの戦う動機である母の仇討ち、その母が生きていたというのだ。良かったなー、と明るい様子だった。
今じゃ魔王イクスと意気投合し、トッシュの話題で盛り上がっているらしい。それだけならいざ知らず、ジャスティスはフォーゲル配下の三騎士に籍を残しながら、さらに魔王軍枢密顧問官に就任したといのだ。もはや魔王に意見を述べる魔王軍で誰よりも偉い、やんごとなき地位へと上り詰めたジャスティスの魔王軍への影響力は計り知れない。
母親と同じ職場どころか、そんな重役になられたら…いづらい…。ただでさえ魔王イクスのコネ入社も否定しづらい立ち位置だというのに、実母が職場の偉い人になっただなんて、周りの目が嫌すぎる…。いや、たぶんジャスティスはこれを狙ったのかもしれない。自分の子を危険から遠ざけるために、自分から魔王軍を辞めるように。
トッシュが嫌がる気持ちをイクスシェイドは理解できないだろう。魔族は人間と違いそんな細かいことは気にしないから。カーチャンと一緒に働くのが嫌だと言ってもそんな小さなことで、むしろ喜ぶべきじゃないか、母の仇討ちではなく母を守護るために戦わないのか、そんな言葉が返ってくるのは目に見えている。
理由をこじつけるなら…戦う理由がもうないということか。ジャスティスは生きており、ジャスティスが自分の意思で戦うっていうなら止める理由はトッシュにはない。
戦う理由がもうないとは言ったものの、それは完全には正しくない。委員会に収奪され、非道なる人体実験や交配実験を繰り返され、記憶の一部を失った母を見て何とも思わないわけがない。ただ、復讐とは自分でした方がすっきりするものだ。トッシュも国王を自分で殺したから気分が少し晴れた。あの国王を他の誰かが殺したのなら、なぜ自分が殺せなかったのだと悔しさに打ちひしがれる。ジャスティスも、自分の半生を奪われた復讐は、自分でしたいはずだ。ならばジャスティスに任せようじゃないか。ジャスティスはトッシュ以上に強いのだ。何を心配する必要があろうか。だからトッシュは決心した。その決意を、イクスシェイドへと告げる。
「イクスシェイド…俺、魔王軍引退して普通の男の子に戻るよ…」
『…はぁ!?』
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それから4日後。
「カルバリン男爵の不正の証拠は揃ったか?」
ローシャ市の政に介入したフィリップ伯は、市を修める男爵を失脚させるべく暗躍する。彼が雇った私兵、というよりはボディーガードの一人、知将ブレインは、委員会へ定期的に搬入される人的資材、その秘匿されていた出元がカルバリン男爵だと突き止めた。さすがは知将である。
一方その頃、カルバリン男爵は焦っていた。ローシャ市に来訪したフィリップ伯爵が自らを失脚させるべく暗躍していること、そして身寄りのない下級市民たちを保護した救貧院へ働きかけ就職先と称して委員会の秘密工場へと出荷していたことを既に掴まれているのだ。
「このままでは破滅だ…」
カルバリン伯爵が従えさせていた市の傭兵たちはフィリップ伯の私兵に壊滅させられている。彼らは所詮金に雇われただけ、忠誠心などあろうはずもない。雇い主の立場が危ういと知り傭兵たちは2秒で姿を眩ませた。
「兄さん、男爵は焦っているようだね」
「そうだな。あのとき見つけた少女も結局フィリップ伯に取り込まれたころだし、もはやこれまでだろう。我々もそろそろ引き際だな」
カルバリン男爵の手下の傭兵兄弟、弟のアスタバンと兄のドゥバンも男爵の元を去ろうと考えていた。その日、男爵の元を訪れた来客を目にするまでは…。
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「兄さん、あの男を信用できるのかい?もうカルバリンは落ち目だと思うけど…」
「今はそれを見極める段階だ。勝者になるには逃げてばかりではいかんのだよ。あの男が器でないならば、その時に、な…」
「そうだね…じゃあ行こうか、フィリップのもとへ」
カルバリン男爵。ローシャ市に不動産を多く所有している貴族である。その出自はとある没落貴族の子らしいが、金の力で貴族の養子になったとも噂されている。金のためならば何でもする、そういう男だと。その噂が示すように彼は建築業やコンクリート業を営み、各地に新しい物件を作ろうとする者あれば、どこからともなくやってきてうちの業者を他社より高い金額で使えと迫り、断れば手下の傭兵を使い脅迫している。その過程で姿を消した者も少なくない。その手下である傭兵たちは市営賭博場で市民に娯楽を提供しているが、やはり博打、負けを繰り返し首が回らなくる債務者も多く輩出する。そんな債務者たちに土建の肉体労働をさせ、働けない者には委員会の秘密工場へ出荷している。しかしローシャ市には深く男爵の影響が刻まれている取り締まることはできない。役所で傭兵たちが暴れても役人たちが素知らぬ顔をしているのもこういうわけだ。
このカルバリン男爵の不正をローシャ市の貴族議会に提出するだけでは失脚させることはできないだろう。奴の影響力は市の各地を治める貴族たちにも及んでいる。男爵という爵位で最も低い貴族でありながら、ローシャ市の貴族たちが何も言えないのは男爵の背後にいるとある大物貴族が原因だ。
ブラッド超爵。王国に二人しかいない最高位・超爵の地位に立つ王国の大貴族、いや超貴族。そして、委員会にいる貴族を取りまとめる委員長である。しかしそれこそ好機、委員会の貴族たちが姿を晦ました。それはブラッド超爵も例外ではない。奴がいない今しか、カルバリンを叩き落すことはできない。ローシャ市を改善する絶好の機会なのだ。
ローシャ市を構成しているミズィ町、ミカガ町、ヨート町、ザガート町、センチュリー町という5つの地域を治める貴族たちにも話を通し、ブラッド超爵がいない今、カルバリン男爵につくことが不利だと判断させる必要がある。まずはもっとも位の高いザガート町のランス公爵に話を持っていくのが筋だろう。
「そうはさせないよフィリップ伯爵」
「!?」
フィリップ伯爵の書斎にいつのまにか侵入していた賊が二人。間違いなくカルバリン男爵の手先だろう。
「わざわざ声をかけてきたということは、暗殺に来たのではないのか?」
「フフ…無論最後にはそうさせてもらうさ。だがその前に調べることがあるのでね…ドゥバン」
「さぁ伯爵。君の持つ石はどこにあるのかな?言わなければ痛い思いをするよ」
海賊の船長の義手みたいな、ぐにゃりと曲がった鈎手のようなエモノを持ったドゥバンがにじり寄る。
「…何のことだ?」
石。その言葉にフィリップ思い当たるものが一つある。しかしそれは委員会に属していないカルバリン男爵は知らないはずだ。委員会に入会し委員となった者には王さまことグランガイザスから石を託されている。聖石と呼ばれているそれは、ただの委員会の記念品だと思っていたが…どうやら何かあるということだろうか。それよりも、なぜ委員でないカルバリン男爵の手下が石のことを知っているのだろうか?グランガイザスが接触したか、あるいは…。
「とぼけても無駄だよ。今持っていないのなら、隠し場所を吐かせるまでさ。痛い思いをしたら言いたくもなるだろ?」
「野蛮だな…者どもであえ!であえー!」
フィリップが叫ぶと同時に、彼のボディーガードたちが室内に入ってきた。
「愚かな侵入者め!このパワーの力が貴様たちを叩きのめす!」
ボディーガードたちの中でも一番の力自慢、名前はパワー。趣味は筋トレ。
「逃げても無駄ですよ。私のスピードからは逃げられません」
そして一番のスピード自慢、その名はスピード。しかし寝起きが悪く目覚めるのはとても遅い。
「貴様らの考えなどお見通しだ。我がブレインの知略、見切れると思うな」
最後は頭脳担当のブレイン。肉体能力は人並み程度だが、指揮官として万の兵たちをも手足のように操る将たる者。
「ほう、貴様らはあの有名なフリーのボディーガード専門店、RAOーの…」
「多少厄介だね。でも赤い衝撃も東方不敗もいないならどうにでもなるさ」
賊が口にするその名前。赤い衝撃と東方不敗のことも知っているということは間違いなく委員会の介入があるに違いない。そしてわざわざこれを口にするということは…。
「そう、あなたの行動を牽制するためですよフィリップ伯」
「ぼくらの雇い主はカルバリン男爵だけどね、その上にいるのさ、君が知る委員の一人がね」
「俺たちを無視してんじゃねェゾコラァ!」
自分を意に介さない賊にパワーが興奮し、殴りかかる。パワーのゴリラのようなパワーパンチをアスタバンはひらりと躱し、すかさずカウンター!パワーは一発でダウン!
「オイ、ヤロー強ェーゾ」
「スピード、君の速度もこの書斎の中じゃ行かせない。すぐに伯を連れて逃げなさい」
「させないよ。君たちはここで終わるんだ」
伯を逃がそうとするブレインとスピードを遮るようにドゥバンが回り込む。挟み撃ちの形だ。もはやこれまでか。勝利を確信した傭兵兄弟が、最後に聖石について尋ねる。
「最後だ、聖石の所在を教えてもらおう。教えてるならば命は助けてやらんこともない」
「言わないならそれはそれで構わないよ。君を殺したあとでじっくり探すさ」
「…捨てた」
「何?」
「委員会が無くなったのなら必要ないと思ってね。今はゴミ集積所にあるんじゃないかな」
「そんなでまかせではぐらかせると思わないでもらいたいね」
その時、書斎に新たな来客がやってきた。隣の部屋から壁をぶち破って、炎の勇者アルがやってきた!
「何!?貴様は…そうか、最初からこの屋敷にいたのだな」
「バカな!あのメタル四肢の子と一緒に町にいたのを確認しているのに!!」
「フッ、このブレインの策略にまんまと騙されたな」
「くっ、だましたのか…ドゥバン、撤退だ!」
ローシャ市の傭兵たちを一人で壊滅させたアルを相手にするのはさすがにきついと傭兵兄弟は書斎の窓から逃げ出す。ブレインはすぐにスピードに後を追わせようか考えるが、すぐに無駄だと判断した。スピード一人だけなら離れた所で返り討ちにされてしまうだろう。
「追わなくていいよ、ブレイン。そしてありがとうアルくん。君にいてもらって…」
助かったよ、と最後まで言い切る前に、アルも書斎の窓から飛び降りていった。フィリップはその行動の理由がすぐにアカネを心配してのことだと理解した。委員会にいたころに比べて随分やさしくなったんだなぁと、少し嬉しくなる。委員会の頃はまるで人形のように感情の起伏が無かった。記憶を失ったからこそ、人と関わることで一から人格を形成していけるのだろう。
「アカネくんのもとには私の私兵を潜ませているが、やっぱり心配だものな」
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悪い予感というものは的中するものだ。アルは宿の近くまで来ると鉄の臭いが鼻についたのがわかった。主に木造建築の古き良き宿が並ぶこの古都に似つかわしくない鉄の臭い。そして周囲に点在する弱弱しい気配。宿に到着した時、アカネを守るために配置されていたフィリップの私兵たちが赤く赤く染まり、意識を失っている。その出血は間違いなく命に係わる量だ。そしてその血の臭いの中、意識を失なったアカネを抱きかかえる影が見えた。
「貴様!」
アルは沸き上がる激情に従い、魔力を帯びた手を振り払う。その空気の流れに従って放出されたアルの魔力の刃が、その影の目前で霧散する。
「何!」
「赤い衝撃…この女を返してほしくば、フィリップに明日の22時、聖石を持ってカルバリン男邸まで来いと伝えるんだな…石と女は交換だ」
そう言った影は、一瞬で姿を消していた。
「クッ…!委員会の亡霊どもめ…!」