26話 英雄、はやく家に帰りたい
なんという不便な世界だろうか。電気が無い代わりに魔力が存在している。その魔力を持つ者は現代社会の人間以上に便利に暮らせる。しかし、魔力を持たない人間は、まるで室町時代のような生活レベルだ。
この世界に呼び出された現代社会の申し子、伊集院英雄。英雄は『ひでお』ではなく『えいゆう』と呼ぶ。こんな名前のせいだろうか、魔王を倒し世界を救う英雄になれと呼び出され、勇者と呼ばれるようになってしまった。
この世界は不便だ。乗って来たバイク『CBX1000』は給油したあと50kmは走っている。つまり残り50km程度しか走ることができない。当然この世界にガソリンなんてない。魔術の才能があればガソリンを作れるのか、答えは否。ガソリンを精製する知識が無いのだ。この世界は魔力があれば便利だろうが、現代文明の利器(というにはまるで化石の様に古いバイクだが)の扱いには対応していないのは辛い。そいうのに都合のいい魔術という設定じゃないのかと。一応ガソリンを調べてもらおうと宮廷魔術師たちにバイクを預けたが、期待はできなさそうだ。
英雄はこの世界に長居するつもりはない。この異世界転生というのはお話として聞いたことはあるが、まさか自分がなるとは思わなかった…厳密にいえば転移だが。英雄は、仕事をしていない。なのになぜ帰りたいのか。彼は毎日バイクに乗って好きなとこ行って好きなもの食べて、夜には女の子がいるお店に行って、ととても自由な生活を謳歌していた。それができる人間だった。
なぜなら、持っているのだ…金を。常人が一生かかっても稼ぎきれない…大金!当選したのだ…!その金額…5億円…!だのにこの世界ではケツ拭く紙にもなりゃしねぇ!ケツを吹くには硬すぎる!だから、勇者なら速攻魔王をぶっ転がして帰るんだ!…そのため、英雄は今は訓練をしている。剣?魔力?武術?否、もっと根本の部分の訓練。そう、語学だ。
この世界、に存在している四国大陸にて主に使われている『四国語』と呼ばれる言語は、現代世界の日本語とは異なる言語である。どうやら英雄を呼んだ子達は、英雄以前に呼んだ勇者ジャスティスから日本語を習得したらしい。おかげでジャスティスのときよりスムーズに言語の習得が可能だ。未知の言語とは言え、日本語とある程度ルールが似ている。慣れてしまえば習得はスムーズにいけそうだ。
「言葉を学び、常識を学び、そして武術を学ぶ。やれやれ、気が長い話だ。でも、まぁ、楽しそうだな。異世界に行くお話ってのはお約束だもんな。聖戦士コンバイン、魔法騎士レクサス、魔神英雄伝渡る世間はゴブリンばかり、いずれも名作揃い。せっかくだし楽しもうか」
ピカッ!ゴロゴロゴロ!
突如の雷鳴、先ほどまでのどピーカンな空が、一転して夕立な空に変貌を遂げていく。まるで俺の(誰?)人生のような雨が、大地へと落ちてゆく。
「うお!雨が!」
このままじゃ濡れちゃう!すぐにおうちに帰らないと!走る英雄に立ちふさがる黒い雨カッパを身に纏った大きな影。よく見るとそれは雨カッパではなく、ところどころに刺繍が入った高そうなローブである。
「貴様か…異なる世界の英雄…」
英雄は気付く。その者が放つ、人ならざる異質な雰囲気。
「我が名は魔神指令サガ!新たな勇者の芽、摘みに参った!」
「魔神指令…なんかわからんが強そうだ…この大雨だというのに…やるのか…?」
「確かに大雨だな…天気予報では晴れだった筈だが、山の天気とはわからぬものよ」
ゴロゴロゴロ…!収まる気配の無い雷鳴、ざぁざぁ激しさを増す大雨。このような悪条件での戦いはお互い体調を崩す要因になるのは間違いない。魔術の才能が無いサガにとって、天候を操作することは不可能である。しかし力なくとも、地位があれば遍く力を自らのものにすることができる。サガは親衛隊のアークデーモンを呼び出した。名前は川崎さん。
「しばし雨を止ませよ」
「…ハッ」
アークデーモンの川崎さんが手を天に翳し、呪文を唱える。
「聖霊よ我が声に応え、空を見せよ!さすれば我は汝に供物を捧げん!晴天招来、ラナンキュラス!」
呪文の発動により黒雲が徐々に消え、雨も雷も勢いを徐々に弱め、そして止んだ。精霊にお願いして空を晴れさせる魔術、ラナンキュラス。天候を操作する高難度の魔術である。魔神には届かないものの、上級の魔族である川崎さんだからこそ扱える。このラナンキュラスは割と禁忌に片足を突っ込んでおり、魔術を使用したら12時間以内に供物を捧げなければならない。捧げる供物は現物が基本ではあるが、現金での支払いも可能。手数料はかかるが分割払いもできる。しかしそれを怠った場合、川崎さんには罰が当たる。最悪の場合、死に至るとも言われている。
「サガ様、終わったら供物を都合付けてくださいよ」
「わかっておる。もう下がって良いぞ」
「ハッ…」
川崎さんは即答してその場から姿を消す。主が戦うというの配下は何もしないのはどうなの?と英雄は疑問に思っていた。
「フ、俺は外様だからな」
「外様?」
「幹部では新参者でな。今まで仕えていた魔王様に、今からこの魔神指令に従うようにとよそ者を据えられたら良い気はするまい」
「あー…あわよくば消えてほしいとすら思われてそう」
魔神指令サガ。元々はこの四国大陸とは違う大地で魔王サガとして君臨していたが、地元勇者に敗れ死に至る直前にイクスに救われ、イクスの腹心たる魔神指令の座を拝した。というのも、当時のイクス魔王軍は正直寄せ集めの有象無象と言われても仕方のない実態であった。魔王イクスは軍団運営に関しては素人であり、軍団幹部は竜族、亜人、人間、人間という魔族以外が構成する有様。純然たる魔族であるイクスシェイドも魔王イクスと同じく経営能力は無く、一番適任なのは新興宗教団体の代表を務めていた魔族なのだが、いかにも軍団の予算をちょろまかしそうでこれを責任者に置くことは怖い。というわけで魔王として軍団を運営していたサガに声がかかった、というわけである。
「なんか自分より強い部下がいてそう」
「うぐ…」
図星である。魔王軍最強と呼ばれる部下がいるのでいつその地位を脅かされるかと思うと胃が痛い。そんな最強が委員会との闘いに向け独自に動いた以上、サガものんびりするわけにはいかない。そんな折、魔王イクスから勅命が下った。
「サガよ、どうやら異界の英雄が来ているらしい。確認と、もし可能ならば始末してくるのだ」
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異界の英雄。この四国大陸にはかつて3人の英雄が呼ばれ、勇者として魔王を討伐したという。この世界に呼ばれ、語学の勉強も兼ねて歴史を読まされた英雄は、この世界を救った3人の勇者を知っている。
一人目の勇者は、元居た世界で剣聖と呼ばれた男、真に英雄であったその者は名をクラウドと言い、全て袈裟斬りに終結する独特な構えから生み出す実戦剣法を操る剣士であった。流派をタイシャと言い、その技は剣士というにはあまりにも節操なく、蹴り、目潰し、関節技まで繰り出したという。どのような技かはもはや失伝しているため不明だが、九曜の構えからなる円の太刀という技があったそうな。彼は魔王を討伐した後は地域住民のために開墾に従事しながらの隠居生活を送り、皆に惜しまれながらその生涯を閉じた。
そして100年後、新たな魔王の襲来に二人目の勇者が招かれた。この勇者もまたクラウドと同じく強い体を持った強者であった…のだが。健全な肉体には健全な精神が宿るという言葉がある。これは誤りであり、正しくは健全な肉体には健全な精神が宿るといいなぁ…そんな感じ意味である。つまりは、現実はそうでもない、という意味であり、この二人目の勇者はその典型であった。当時の魔王を秒殺した後はもう、まるでタンポポ。自分の子種をあっちこっちに振りまいて望む女も拒絶する女も構わず孕ませる孕ませる。時の王は強い血筋を残すためとそれを黙認する有様。いや、黙認しなければ次に討たれるのは王であったのだろう。その忌むべき名は歴史から抹消されたため個体名はわからない。
そして三人目の勇者。今度は女性の強者が呼ばれた。聖拳の勇者ジャスティスである。この勇者は私、普通の女の子になります!と勇者を引退し、今はどこでなにをしているやら。魔王襲来にも姿を見せず、勇者としての力はもはや無いのかもしれない。
…ジャスティスは人間に裏切られたのだが、それは歴史の裏。知る者はごく一部の者のみであり、英雄は知らない。歴史の真実、人間の醜さを。女は子を産ませることはできない。自ら子を産むものである。当時の国王は彼女を罠に陥れ、強い血を残そうと子を産ませた。そこにジャスティスの意思は無く、繰り返される陵辱により、勇者の尊厳は完全に破壊された。
そして四人目となった伊集院英雄は、とある存在が過去を反省し、二人目三人目と真逆の性質を持つ勇者であった。その意味とは。
「ぐはぁ!」
決闘が始まって以降、サガの拳を何度も受け英雄は息も絶え絶え、こんな殺人パンチを何発も受けていては身が持たない。
「さすがは勇者、というべきか。俺の殺人パンチにここまで耐えるタフさは尋常ではない…が…」
四国大陸の一般人よりは確かに強い肉体を持つが、それだけである。英雄が繰り出す技は全てサガに通用していない。まるで白帯のド素人である。当然である。ようやく語学が一段落し、武術の訓練が始まろうかという段階なのだから。
「げほげほげほ…!くっ…話が違うぞ…!」
「その程度では脅威とはならんが…これも魔王様からの指令だ…。悪く思うな」
サガの拳が、迫る。その拳がゆっくりと迫って来る。これは死んだ、そう確信した英雄の極限の集中力が生存方法を模索しようと時間を超越したのか。もちろん見えていても体はついて行けないので回避などできようもない。できるのは思考のみ、所謂走馬灯か。ゆっくりゆっくりと、じわじわと迫るサガの拳。あぁ、思えば宝くじで5億当選したとこで運を使い果たしてしまったのだろう。こんなことなら全額使っておけば良かった。まだ300万しか使ってないのに…。思い起こすのは後悔ばかりである。
まだ来ないのか…早く終わらせてくれよ…、と生存をもはや諦めた英雄であるが、違和感に気付いた。じわじわと迫ってきた拳が、今は完全に制止しているのだ。良く見ると周囲の風景が先ほどと変わっている。具体的に言うと、色が無い。あらゆるものがモノクロの、色彩が失われた灰色の世界。これは一体どういうことか?
「今から説明してあげるわね」
英雄の耳に届く声は、若い少女の声。英雄は世界が静止しているのを認識しているが、自分の身体は動かせないでいる。背後から聞こえるその声にも、声を出して返事できない。ただ、心の中で誰だ?と聞くことしかできない。
「私は…そうね。神、とでも言っておこうかしら…えぇ、そうよ。私は貴方の声ちゃんと聞こえているからそのまま続けなさい」
背中にいると思われる少女は、英雄の心の声に応答する。この止まった世界がこの少女によるものならば、本当に神、だというのだろうか。
「そう言ったわ。この四国大陸を司る神、白よ」
名乗りならが、英雄の視界に入る少女。白いワンピースと白い大きな帽子を被った、美しい白い長い髪をなびかせる、白い肌の少女。まさに名前の通りである。
「銀髪といいなさい。白髪って言われるの気にしているんだから。…四国大陸の民の祈りをキーに、選ばれた世界の救い手、それがあなた。選んだのが私」
英雄を呼んだのは時間を止めたこの神様らしい。じゃあ白様が時間止めて魔王を刺殺でも何でもすればいいのに、ともっともな意見が脳内に反射的に生まれる。
「時間が惜しいから説明は最小限ね。まず、私には無理。だからあなたを呼んだの。そしてあなたが選ばれた理由は、力よ」
力とな?今の状況わかっているのだろうか?全く力及ばず敗ける寸前なんだけども。力強い者を呼びたければ地上最強の生物とか怪物を超えた怪物でも連れて来ればいいのに…後者はもうあんまり強くないか。前者も作者の保護が過ぎるな…、と好きな漫画のキャラ批評をしてしまう英雄。
「わたしが選んだのは単純な肉体の強さじゃないの。健全な精神は健全な肉体に宿るとは限らない。世を乱すような力を振りまく乱暴者じゃなく、力の使いどころをきちんと判断できる子じゃないとダメなのよ」
この子は話を聞いているのだろうか。何の力かわからんが俺は体力も筋力も知力も人並み。すんません知力は人並み以下です。あとは…金の力くらいか…まさか…。
「そう、金よ。本題に入るわ。わかりやすく言うとね、あなたはおよそ4億9700万円の貯金があるわ。これを魔力として行使できるようあたしが弄ったから、つまり4億9700万のマジックポイントの魔力があるということになるの。この魔力で世界を救いなさい。あなたも魔術使いたいって思ってたしちょうどいいでしょ」
ゲームのマジックポイントは時間経過や休息などで回復するものである。でも、そう都合良くは無いんだろうなぁ、と直感する英雄。現実はいつも非情なのだ。期待は裏切られるものなのだ。
「お金は時間経過や休息増えるかしら?」
案の定である。マジックポイントと言うよりは魔術の効果を金で買えると言った方がいい。つまり買った分だけ金は減る…いや待て、利子だ。時間経過で利子は付く!ほんのちょっぴり増えるぞ!年50万くらいは…だめだ何年もこんなとこでダラダラできねぇー!
「理解が早くてさすが私ね説明が上手だわ。じゃあチュートリアル行くわね」
チュートリアルといいマジックポイントといい、ずいぶん俗世に汚れた神様だなぁと思わざるを得ない。
「あなたは今瀕死の重傷だけど、これを回復する魔術を使うわ。あなたが使う魔術はあなたの世界で同じことをすればかかる費用から換算するわね。つまり病院に行って治療したらどの程度費用がかかるかが実際の消費MPになるというわけ。ただ、効果は瞬時に現れるし治療も後遺症も残らないからお買い得よ」
英雄が暮らす国の医療費は高額療養費制度があるからどんなに重症でも一定の金額を超えることは無い。そしてその一定のラインを決めるのは収入、英雄は貯金はあるけど収入は無いから低所得者として考えて35400円/月の医療費となるはずである。支払う月が増えるともっと安くなるが、基本はこれだ。
「その通り、35400ポイントのMPで全回復するってことね。今回はチュートリアルだから実際は無料よ安心なさい」
白の説明セリフの後、英雄の身体の傷が癒される。現実と支払いのルールが同じであるならば、月の医療費の上限が35400円なので、一ヶ月の中ならば何回回復しても35400円以上にはならないだろう。治療に時間がかかる傷、つまり最大三か月分の入院が必要な大ダメージ(大腿骨転子部骨折など)なら35400円×3、最大五か月分の入院が必要な極大ダメージ(高次脳機能障害を伴わない急性硬膜下血腫など)なら35400円×5になるが、それらは一括請求ではなく毎月35400円の請求となる。
「想像しているとおりよ。じゃあうまくやりなさい。大丈夫、最初のボス戦は簡単なものよ」
英雄が以前60万円ほど課金したゲームはチュートリアルで全滅するようなクソゲーだった。チュートリアルボスだからと言って安心はできない。が、まぁ仕方がない。何もしないで死ぬくらいなら、やるしかない!…帰った後のためにも2億は残しとかないといけないから濫用は厳禁と決意し、その決意に応えるかのように色を取り戻した世界が動きだす。
ついに覚醒した英雄の力!筋力など金の力の前には無力と思い知らせてやれ!
チュートリアルで全滅するゲームはインサガです。チュートリアルボスがマヒらせてきました。最高難度アビスを星1入れてSクリアするほど楽しみました。またやりたいです