あまくておいしい世界
とある村に少年がいました。
裕福でなく毎日食べるものにも困る生活で、少年はいつも空腹です。
お腹いっぱいになるまで、おいしいものを食べたい。
願いを胸に、畑を耕したりなどして一日は終わります。そして、明日もいつもと変わらない日々を繰り返すのです。
そう思っていました。
「なんだかいい匂いがする……」
寝床から起きると、お腹が空いてしまうような香りがしました。これは甘い、と表現するのでしょう。
森から稀に採れる果物からしか甘いものを食べたことがない少年は、そう推測します。
匂いの元はどこだろう。
探してみますと、壁を触ってみたところで手がべたりとしました。手には壁の色と同じ、白いものがついています。
匂いの元はこれなのでしょうか。壁は堅いもののはずですが、触れると溶けてしまうものに変わっています。
好奇心に負けて舐めてみます。とってもあまくておいしい味がしました。
「わあ!」
少年はあっという間に、手についたものをきれいに食べてしまいました。
俗に言うチョコレートだったのですが、そんなことを知らない少年は自らの母親に興奮した様子でこのことを話します。
母親は嬉しそうにその話を聞きます。
ひもじい思いをしていたせいで日頃元気がなかった少年が、目を輝かせて声を弾ませているのです。なので少年がもっと喜ぶだろう、次のことを教えてあげました。
「この世界はね、おかしでできた世界になったのよ」
そして、机の上に置いてあるコップを食べてみるように言います。
コップはキャラメルです。少年は跡形も残らず胃におさめました。
「おかあさん、僕もっと食べたい!」
まだまだお腹が空いている少年は、母の許可を得て家の中にあるものを次々と食べていきます。
バームクーヘンの箱、ワッフルの皿、バターサンドのフォーク、マシュマロの毛布、ムースの蝋燭。
パクパク、もぐもぐと口を動かしていきます。
「家のものばっかり食べたら、何もなくなってしまうわ。外にあるものになさい」
そう言われたら仕方ありません。まだまだ食べてみたいものがありましたが、母の言う通りにします。
少年はちょっぴり不満を持っていましたが、外の光景を見てそんなものは吹き飛びました。外のものも、あまくておいしそうなものがいっぱいです。
ドーナッツの鋤、カステラの桶、ウエハースの木、キャンディの花。
どうやら育てている野菜もマドレーヌ、エンゼルケーキなどのおかしに変わっているようでした。
ある程度食べ終わると、少年は喉が乾きました。甘いものには全然飽きませんが、口の中がパサパサしていることは気になります。
井戸で水をくみました。桶はなくなってしまったので手のひらで水を掬い、口に含みます。
そして少年は吐きました。
強烈な吐き気がありました。
水はおかしではなかったのです。汚水で、とても飲めるようなものではありません。
辺りに撒き散らした汚水により、あまいのに加えて腐った匂いが混じりました。あまい匂いの方が強いので直ぐに掻き消えましたが、吐き気はまだ収まりません。
地面の上でのたうち回ると、水ではないまた違った匂いがしました。
それは土からです。汚物でした。
少年は今度は胃の中にあるおかしを吐きます。
今日食べてきたものを吐瀉物として全部出しきった後、ちょうどそこに自らの姉が通りかかります。
「馬鹿ね。水と土はおかしじゃないんだから、食べられないのよ」
姉は一本の花を差し出します。弟を気遣ったのです。この花の蜜であるゼリーは水の代わりになります。
少年の喉はあっという間に潤いました。またおかしを食べることに夢中になります。
少年は、出したものを取り戻すかのようにいっぱいいっぱい食べました。無性にお腹が空いたのです。
今に限らず以前からそうなのですが、あまい匂いが食欲をより促進します。
それに、これはもしかしたら夢かもしれないのです。夢から覚めて、食べきれなかったおかしがあるのはもったいない。
なので、少年は手当たり次第に目についたものを食べていきます。花や木、井戸、小屋の倉庫、自らの家でさえもです。水と土は避け、次々と胃におさめていきます。
パイも、マカロンも、ゼリービーンズも、プディングも、ビスケットも、クッキーも、フロランタンも、シュークリームも、ホットケーキも全て。
そうした中で驚いたのは虫です。虫もあまくておいしかったのです。
グミでできており、ぐにぐにとした感触がおもしろいことから、逃すことなく食べていきます。
パクパク、もぐもぐ、ちゅうちゅう、むしゃむしゃ、もりもり、もぐもぐ、むしゃむしゃ、パクパク。
「あんた、食いすぎよ」
「食べ過ぎは良くないわ」
母と姉に止められますが、少年は聞く耳をもちません。
引き続き、目につくものを食べます。
ぐしゃぐしゃ、ポキポキ、ごっくん、パクパク、ガブガブ、クチャクチャ、ペロペロ、むしゃむしゃ、パリパリ、もぐもぐ、ちゅうちゅう、むぐむぐ、もりもり、ばぐばぐ。
少年はどんどん咀嚼していき、そうして彼の頭を占めるのは食べることに関すること。ただそれだけとなっていました。
「おいしい! おいしい! おいしい! おいしい! おいしい! おいしい!」
食欲は収まりません。お腹もいっぱいになりません。
もっともっとあまいものを。
あまくておいしいものを、満足するまで!
ですが、そうはなりませんでした。
少年が満たされるよりも先に、おかしがなくなってしまったからです。
「……お腹、空いたなあ」
何日か経ちました。
おかしをすべて食べ尽くしてしまった少年は、再び飢えの状態にいました。
極度の空腹で少し動くだけでも辛く、仰向けで寝そべっています。
土の汚物の匂いはもう慣れていて、気にすることもありません。
「雲、おいしそうだ」
手を空に伸ばすのも、雲には届きませんでした。ただ億劫なことをしただけです。
それで終わり。
ということにはなりませんでした。
少年は気付いたのです。
まだ食べれるものがある、と。
「こんなに近くにあったんだ」
腕です。
食べました。あまいです。久しぶりの、待ち望んだおかしです。
少年は歓喜しました。
涙を流しながら、一心不乱に食べます。自分の体を余すことなく、丁寧に。
涙でさえもあまいです。
少年は、おかしな自分を食べてしまいました。
そうして食べ残ってしまった頭部は、突如降ってきた雨に打たれます。ざあざあと降り注ぐ雨は、おかしを溶かしていきました。
そして雨がやんだ頃には、もうそこには何も残っていません。
見事な虹が、空にかかりました。




