魔王到来3
ちらり、と上を見た後、魔王は私との距離を詰めて私の手を無理矢理引いた。数歩分、前につんのめりながら足を進めた私が抗議の意思を伝えようと顔を上げた瞬間。
背後で何かが爆発したような、物凄い音がした。
風圧でよろける私を魔王の片腕が支え、背後から飛んでくる破片からマントで庇う。
何が起きたかわからない私は、魔王の顔を見たまま動けなくなった。
魔王は渋い顔をして、髪をなびかせながら私の背後を見つめて呟く。
「……来たか」
何が、と聞くより前に耳をつんざくような叫びが背後から聞こえた。
空気を震わせ大地を揺らすその叫びは、テレビで見た恐竜の鳴き声なんて非にならないくらいの威圧感を持って私を襲う。
急な尿意を頑張って堪えながら背後を振り返り、私は自分の行動を後悔した。
振り返った視線の先には、四肢を歪ませ地面に叩きつけられたような体勢で嘶くドラゴンのようなというかドラゴンが私達を白目でみていた。
(なんで、ドラゴンーッ?)
声にならない叫びを上げた私を魔王がかつぎ上げるのと、ドラゴンがその口を開きチラチラと炎を貯め始めるのは同じだった
視界が急に高くなる。
それでもドラゴンの顔を見上げるのは、ドラゴンが家ほどの大きさだからだ。
ガサリとコンビニの買い物袋が鳴った。
「家はどこぞ」
「うち? えっと、えっと」
「遅いっ」
魔王が屋根の上まで飛び上がる。
今まで私達がいたところを炎が音を立てて通り過ぎた。
ドラゴンは立ち上がりたくても立ち上がれないのか、何度も足に力を入れては地面に倒れながら辺りの家や塀を壊していく。
これだけの音を立てているのに、人が集まる気配がない。屋根の上から見下ろした住宅は家々の明かりはついているのに、そこにいるはずの人の気配が全く感じられなかった。
私はそんな異様な雰囲気の住宅街を家までの道を辿りながらなんと説明をすれば良いのか考える。
そして、1つの目標になりそうなものを見つけた。なんで気づかなかったんだろうか。
「貴様がどうやって我が張った結界に入れたかはわからぬが、」
「あ、うちは銭湯の隣の赤い家です!」
「……高い煙突のところか」
「はい!」
魔王がマントを翻し、飛んできた炎の玉を弾く。
玉は何も無いはずの空に向かって行ったが、途中で何かに当たったように弾けたあと虹色の光になって消えた。私が中断させてしまったけれど、魔王が言っていた結界とはあのことだろうか。
魔王に担がれてる私は、最初の動揺も落ち着き当たりを見渡す余裕が少しずつでてきた。魔王が私を守るなんて保証はないはずなのに、何故か魔王に担がれていたら大丈夫なんて気持ちになって安心する。
「行くか」
魔王は屋根から飛び降りる。
バタバタと羽を動かし、辺りの塀を壊しながらドラゴンがじりじりと前に進む。
そんなドラゴンを一瞥すると魔王は軽く地面を蹴った途端、景色が高速で動き出した。
風が辺りを舞ったと思えば、背後のドラゴンも大きく1度羽ばたいたあと、信じられないくらいのスピードで追いかけてきた。
「ぎゃぁあああ! 気持ち悪ぃいい」
「……煩い」
魔王が1歩2歩と足を踏み込む度、私の顔が魔王のマントに埋もれる。その合間合間で見えるドラゴンがすごく怖い。
「死んじゃ、ぅぶっ! 追い付かれちゃ……うぐっ。あ、痛っ」
「だから煩いと言っている。黙れ馬鹿者」
ぱしり、と魔王にお尻を叩かれた。痛い。
時々、ドラゴンの口から出る火の玉を魔王は背中にも目があるかのように振り返ることもせずひらりふわりとかわしていく。
私の体もひらりふわりと……とはいかず、ばしんばしんと魔王の背中に体当たりしている。魔王の背中は丈夫かもしれないが、私の体は魔王よりも恐らく丈夫ではない。そろそろ、鼻の頭が痛くなってきた。
「ぅわあ」
突如、酷い耳鳴りがした。
「家に着くぞ。貴様はもう家から出るな、否、貴様は今夜は家から出られない」
がしりと腰を掴まれたとおもったら振り投げられた。
「全て忘れろ」
眉間にシワを寄せた魔王と目が合って、その後ろのドラゴンは魔王に向かって口を開いている。ゆっくりと感じる浮遊感のあと、背中に暖かいものが当たった。
「まお……っ!」
ぱしん、と頭の奥で何かが弾けたような音がして耳鳴りが止まる。
瞬間、世界が真っ白に染まった。
「やだ、何してるの?」
「……え? お母さん、あれ」
しぱしぱと、瞬きを繰り返す。
足元に玄関の扉があり、ホールに大の字に寝転がった私を見下ろす様な形で、お母さんが見える。
「大きな音がしたと思ったら、買い物はどうしたの?」
「……これ」
「あら、助かったわー。もう、寝るなら部屋で寝なさいよ、風邪ひくわよ」
のろのろと起き上がりながら、右手にずっと握っていた袋を差し出した。
お母さんはそれを受け取ると、キッチンに戻っていく。その背中が見えなくなるまで眺めた後、私は背後にある玄関のドアを見つめた。
そっと、ドアノブに手をかける。
(開けない方が、いいんだよね)
投げ出される前、魔王に言われた言葉が蘇る。
それと同時に後ろから魔王に食らいつこうと口を開いていたドラゴンの姿を思い出して、ドアノブにかけた手に力がはいる。
(大丈夫だよね。魔王、やられたりしてないよね)
ぐっと握った手を、私は離した。何も出来ない私は、行っても役立たずだ。明日、魔王に助けてもらったお礼を言おう。
そう、心に決めて玄関のドアに背を向け、歩き出した。
あんまり眠れずに登校した通学途中。ドラゴンが出てきた場所を通ってみたが、そこはドラゴンが壊したなんてなかったかのようにいつも通りの住宅街だった。
家々から朝ごはんの匂いや、テレビの音、会話、人がそこにいて生活している音が聞こえた。
「結界の中で起こったことは修復されるのかなあ。うーん、魔法だ」
「……やはり、覚えていたか」
不意に真横から聞こえた声に、左隣を見れば魔王が難しい顔をして立っていた。昨日とは違う、いつもの学ラン姿で。
「おはよう、魔王様」
「我の魔法が跳ね返された」
顎に手を当て、私を見る。頭からつま先までを、じっくりみて首をかしげた。
「どこにも魔力はないのに、何故だ」
「魔王様?」
私も首を傾げて魔王を見る。
「偶然か、制御が効きにくい故の失敗か……我としたことがまだまだということか。まあ良い、昨日のことは他言無用ぞ。言えば貴様の首が飛ぶと思え。物理的にだ」
「え? はい、大丈夫です!」
頷いた私を見て、満足そうに一度首を縦に振った後魔王はゆっくり歩き出した。その後ろ姿を見ていると、魔王は振り返り私を見る。
「何を突っ立っておる。行くぞ」
「はい!」
駆け寄り、魔王の隣を歩く。魔王が目を細めてふっと笑った。
「馬鹿な娘よ」
ぽん、と頭に置かれた手がすぐに離れる。
「魔王様、昨日は助けてくれてありがとう」
手を離しかけた体勢で魔王が目を見開いた。
ゆっくり目を閉じ開く。黄金色の瞳が、虹色に輝いたように見えた。
「……貴様は我の駒ゆえ、あそこで消えてはこれからがままならぬ」
「はいはい」
私の口元が、ふわりと弧を描いた。
まだまだ寒い朝の住宅街なのに、何故かぽかぽかとした春の陽気に包まれたような気がした。
魔王が長い足をゆっくりと進め、私がいつもより少し早く歩く。
たった1日しかたってないけれど、なんとなく魔王はそんなに悪い人……悪い者じゃないような気がした、そんな朝だった。