魔王到来
1.
部屋の出窓によしかかり寝る前のコーラをちびちび飲みながら携帯をいじっていた私は、黒板を何本もの金属で引っ掻いているような激しい耳鳴りに小さく叫ぶと思わず持っていた携帯から手を離し両手で耳元を抑えた。
支えを失った携帯は、重力に逆らうことなく自室の床に当たると1度跳ねる。その音すら、耳鳴りに消されて聞こえない。
(持ってたのがコップじゃなくて良かった……じゃなくて、何この耳鳴りー!お、お母さんっ!)
あまりの異常さに階下にいる母親に助けを求めようと息を吸った所で、急に耳鳴りがおさまった。
詰めていた息をゆっくり吐き出しながら、立っていられなくなった私は壁に体重をかけながらお尻から床にへたり込む。
「……何、今の耳鳴り」
耳鳴りがおさまった体は心臓がドキドキしてる他いつもと何も変わらない。けれど、自分の感覚と見ている物の間にフィルターを1枚挟んだような不思議な感じがある。手のひらを開いたり閉じたりを繰り返してみるも、感覚は変わず私は思わず首を傾げた。
(……なんか私が私じゃないような、変な感じ。)
ふと足に当たる硬くて冷たい感覚に気づき視線を移せば、落とした携帯が緑のランプを光らせていた。画面には、町田優よりメッセージが1件ありますの文字が表示されている。
(そういえば、連絡とってたの忘れてた)
のろのろと携帯を手に取り画面のポップアップをタッチして、メッセージを確認する。
『春休みも終わりとかつらいんだけど。雪も解けてきたし、俺の楽しみが減ってくんだけどどうにかならない?』
クラスメイトからの他愛ないメッセージを読めば、フィルター越しだった世界がじわりじわりと身体に染み込んで、感覚が自分に戻ってくる。安堵のため息が口から漏れた。
『どうにもならないね』
それだけを打って送信したあと、携帯を持って立ち上がる。部屋を見渡してみれば、さっきまで変だった感覚はなくなっていつもと同じ私の感覚が戻ってきていた。
「……なんか、疲れた。寝よ」
携帯を机の上に置いて、出窓に置いていたコーラの入ったコップを手にとり一気飲みするとコップも机の上に置く。
(明日、持って降りればいっか)
ちらり、とコップを見てそう考えてから私はベッドに入る。時計を見ると既に針は0時を少し回っていた。
リモコンで電気を消し頭まで布団を被れば、某少年と同じ特技を身につけている私は3秒で眠に落ちた。
いつもと同じ時間に目覚ましで起きて、ご飯を食べてから家を出る。短い春休みを終えた新学期に胸なんて踊るはずもなく、なんとなく勉強やだなあなんて思いが頭をぐるぐるまわる。
珍しく朝から校門で町田君に会った。いつも、ギリギリに登校してるらしい町田君と余裕を持って登校する私は朝に会うことはほとんど無い。
「おはよう、珍しいねこんなに早いなんて」
「はよう。なんか早く目が覚めてさあ。新学期だから?」
そう言って、黒目がちな目を細めて笑う。茶色のふわふわした髪の毛が所々はねているのが、笑う度にゆらゆら揺れた。
「町田君が新学期って理由で早く起きちゃう神経持ってるとは思えないから、今日は槍が降るね」
「持田は何気俺の扱い酷いよなあ」
「まあね」
他愛ない会話をしながら、校舎に入る。先に靴を履き終えて私を待っていた町田君が廊下の先を見たまま遅れて追いついた私にそういえばと口を開いた。
「今日、持田のクラスに転校生が来るだろ」
「え? そうなの? 知らなかったー」
町田君の視線の先にその転校生とやらがいたのかとついで見てみたけれど、友達と話をしたり携帯をいじりながら歩いている生徒が登校しているいつもの光景で何を見ていたのかわからなかった。
「ってか、なんで町田君がそんな話知ってるの?」
「噂になったろ、休み前に」
「そうだっけ?」
「そういう話に興味なくて聞いてなかったんだろ、どうせ」
「そうかなー?」
歩き出した町田君について私も歩き出す。なんとなく何を見てたのかは聞かなかった。
なんで知らなかったんだろう、とぶつぶつ悩む私に町田君は「まあ、知ったところでって話だけどなあ」とぼそりと呟いたので、「たしかに」と返事をした。
町田君と別れて、自分のクラスについた私は窓側の一番後ろの席に座る。2年から持ち上がりのクラスは、名前順だと私が最後になってしまう。
この席は嫌いじゃないので嬉しい。
「おはよう」
まだまだ咲く気配のない校庭に植えられた桜の木や登校してくる生徒の姿をぼーっと眺めていたら前から声をかけられた。私は顔を動かしながら、おはようと挨拶を返す。
「今日寒くない? 明日は雪降るらしいよ。まじないわ」
「えー……もう、4月なんだから雪は嫌だなー。雪降ったら町田君がうるさいし」
がたり、と音を立てて前の席に座ったはるかは「うー、クソ寒い。町田がうるさくなるのはマジ勘弁」なんて言いながらマフラーを外している。相変わらず口が悪い。
少し明るい茶色に染めた腰まである髪は緩く巻いている。スラリとした体型に人形みたいな可愛い顔をしているのに、口が悪いせいでよくみんなに黙って座る姿はマジ天使、喋りだしたらくそ悪魔なんて言われている。
本人はあまり気にしていないから、おもしろい。
そんなはるかに、私は話しかける。
「そういえば、転校生が来るって知ってた?」
「えー?知らなーい」
「私も知らなかったんだけど、町田君から聞いたの」
「町田は誰に聞いたんだろ」
「わかんない。休み前に噂になってたよって言ってたけど記憶にないんだよねー」
一通りの準備を終えたはるかが、私の方に椅子を向ける。
「そう言われたらあったような気もしなくはないけど……。お菓子食べる?」
机の横にかけた鞄から、ノッポの箱を取り出して開けながら、私に差し出してくる。
「ありがと、もらうねー」
1本引き抜いて、くちにいれる。
おいしい。
中にチョコが入ってる細長いお菓子をポリポリ食べる私を見てから、はるかもお菓子を食べだした。
「とりあえず、転校生イケメンだったらいいな。目の保養にいいよね、関わったら面倒臭いから嫌だけど」
そう笑っていいながら、箱を差し出してきたのでまた1本そこからお菓子を引き抜く。
「んー、男か女かはわかんないけど、話しやすい人がいいな。すごい怖い人とかだったら嫌だー」
「最初が肝心だよ。がっと睨んでぐっと腹に力を入れた声で、舐めたマネはすんじゃねえよって言えばいいと思う」
あははと笑うはるかに、もー無理だからと笑ったところでホームルームのチャイムが鳴った。
はるかはお菓子の箱をしまいながら、「噂の転校生、悪そうなら私がガツンとやってやるわ」と言いながら前を向き直す。
それに苦笑いを返す私の視界に、担任がドアを開けて入ってくる姿がうつった。
簡単に挨拶を終えたあと先生は「新しいクラスメイトを紹介します」と告げた。
わずかに教室内がざわつく。
はるかは後ろを振り返り、ウインクを1度すると前を向いた。あれは、きっと悪そうならやるぜっていう顔だ。はるかは本気のようだ。
先生は大きめの丸眼鏡をかけてはいるが、それが伊達眼鏡なのはみんな知っている。眼鏡がないと恥ずかしくて人前に出れないという噂があって、本当かどうか試した生徒がいたみたいだがどうやら本当だったという話を聞いたことがある。
それでよく教師になろうと思ったよねーなんて思いながら私は先生を眺めている。
「どうぞ、入ってきてください」
にこにこしながら、先生がドアの向こうに声をかけた。
「……は? はぁあああ?」
カラカラと軽い音を立てて入ってきた人を見て私が思わず叫んだ声は周りの女子生徒の黄色い声でかき消された。
前の席から、うぉおお! なんて女の子が出す声じゃない雄叫びが聞こえたが、それすらも気にならないほど私は衝撃を覚えた。
黄金色のさらりとした腰までの髪に、同じ色の瞳。こめかみから弧を描きながら天を衝くように捻れながら伸びた2本の漆黒の角。長身なのにすらりとしているおかげで圧迫感はないがその姿で学ランを着ているのは違和感がある。
黒板の前、堂々とした姿で立つ彼を、にこやかに微笑みながら見守る先生の光景が現実感がなさすぎて、何度も瞬きを繰り返した。何度瞬きをしても、頭を軽く叩いてみても、頬をつねってみても、目の前の転校生の頭から生えた角は消えなかった。
(なに、これ。夢じゃない。どういうこと)
呆然とする私に先生はさも当たり前のことを言うように言葉を続ける。
「今日から1年、地球の勉強のためにエスタール大陸の魔族領から留学に来ることになりました。自己紹介、お願いします」
空いた口が塞がらない。
前の席から、雄叫びを終えたはるかが何かを話しかけてくるが頭に入らない。
先生、エタなんとかって大陸はどこの国ですか?
魔族領って、どういうことですか?
意味がわからない私を置き去りにして、話は進む。
魔族領からきた転校生が口を開いた。
「我は、エスタール大陸魔族領を統べる第42代目が魔王、メイルヌ・ズクルーテエムである。勉学に励みに来た身、些細な無礼は許すとするがあまりにも無礼が過ぎれば己が孫の代の魂朽ちる時まで我が魔族の手下になると思え。本来ならば人間ごときが我と口を聞くことなど恐れ多く許されぬことだが、1年勉学を共にする間、それでは不便であろうから我を呼ぶ時は恭しく魔王様と呼ぶが良い」
「はい、ズクルーテエムさん、自己紹介ありがとうございます」
「教師、名を呼ぶな。魔王様と呼べ」
「魔王様は名前ではないので、先生はズクルーテエムさんと呼びますし、それは決定事項です。学校では学校のルールに従ってくださいね」
「ルールならば致し方なし。教師、人間ごときが我が名を呼べることを誇りに思うが良い」
先生、わけが分かりません。
いつから、ここは魔王という生き物が生息する地域になったんですか?
魔王よりも、はるかに小さく見える先生は微笑みを崩すことなく、魔王を見ている。
魔王もだいぶ顔を下に向けて先生を見下ろしているが、その顔は真顔だった。
教室内はざわざわとざわついてはいるが、誰も魔王がいるということには突っ込んでいない。
イケメンだの、さすが角がかっこいいだの、身長たけぇだの、そこじゃないでしょ気にするところは! って突っ込みたい。
はるかは、「すっげーイケメンだけど、好みじゃねー」と呟いていた。
はるか、あんたも気にするとこはそこじゃない。
先生と魔王は何事かを2人で話したあと、前を向いた。
先生の視線が私を捉える。
「それでは、ズクルーテエムさん。席は、後ろに一つ空いている席です。持田さん、ズクルーテエムさんは地球のことを勉強するために来ています、何かあれば教えてあげてくださいね?クラスの皆さんも、エスタール大陸とは違うことしかありません、いろいろとサポートしてあげてください」
そう先生が話してる間、持田さんと名前を呼ばれた私がビクリと体を揺らした瞬間、魔王と目があった。
(あ、殺られる……)
そんな気持ちが湧いてきて、気が遠くなりかけた私を見て黄金色の瞳がすっと細くなって、口角があがった。まさしく、にやりと悪魔の笑みを浮かべた魔王は、先生の話が終わると優雅に歩いてきた。
(こっち来るよね! 席隣だしね! わかってたよ、みんな来ても隣の席が埋まらなかったんだからー)
空きっぱなしの口が塞がらないまま、気持ちの整理もできず現状もよく分からないままの私の視界に映る魔王はずんずん近くなる。
そのうちまっすぐ前を見たまま首を動かせない私の視界は魔王の腰しか見えなくなって、視界から消えたと思ったら横から椅子を引く音の後に、ガスっとなにか硬いものが当たった音がした。同時にふわりと、甘い香りがした。
「貴様が、1年我が手先として働く駒か。相応しい働きを心がけよ」
(なんか話しかけてきたー!)
ぎぎぎ、と効果音が付きそうなほどぎこちなく首を向ければ腕と足を組んで座る、机と椅子がこれほどまでに似合わない人が……人でいいのかわからない、似合わない生き物がそこにいた。
魔王って、どういうこと。
「貴様、耳はないのか」
魔王なんて、小説とか漫画の中の生き物だよね。
「……我が問に答えぬとは無礼な」
なんで私の隣に座って、私に話しかけてくるんだろう。
「貴様、いよいよ消し炭になりたいと思える」
目の前の魔王は顔を顰めながら私を見る。
「いい加減「あんた、うるさい」……貴様」
「もー、柚月はね怖いのが苦手なわけ。あんたのそのきっつーい顔で睨まれたらびびんの、わかる?」
顔を前に戻すと、はるかが魔王を睨んでいた。
「その顔、やめろっつーの」
「我を愚弄するか」
「ぐろーなんかしてねーわ。こいついちいちうざいんだけど、何様? あ、魔王様か。とりあえず、笑って話しかけなよ、そんなことも出来ないの?」
そう言って鼻で笑うはるかに、顔を更にしかめて唸り声をあげる魔王。
そんな魔王とはるかの間に、先生が割って入った。
「はいはい、授業の時間になりますよ。最上さん、友達思いでいいですが相手を挑発してはだめです。ズクルーテエムさん、クラスメイトや持田さんは手先でもなんでもありません。対等です。それが学校でのルールです」
そう2人に微笑んでから、先生は私を見た。
「持田さん、無理なら席を変えますか? 隣だといろいろ関わることもありそうですし」
私ははるかをみて、魔王をみる。
魔王は「ルールならば仕方なし」と呟いているその姿は些かしょんぼりしてるように見えた。
先生を見上げれば、先生は首をかしげて困ったように笑っている。
よくわかんないし、魔王とかわけわかんないし、全然理解出来ないけど……。
「大丈夫です。たぶん、そのうち慣れます」
「そうですか。何かあれば相談してください」
1つ頷いて先生は私に背中を向けて、教壇に戻る。
先生に向けてた視線を右隣にうつして、声をかけた。
「えっと、ズ……ズク……魔王様」
名前がわからん。諦めよう。
「なんだ」
「1年間クラスメイトとして、よろしくね」
そういえば、魔王は一瞬目を見開いたあと、ふっとわらった。
その顔は不覚にもかっこよかった。
「手先になる覚悟ができたか」
「対等って先生言ってたよね? 聞いてた?」
「対等な手先だろう?」
「……都合のいい言い方してるだけじゃん」
「我が手のひらで踊るが良い」
相変わらずわけがわからないけれど、魔王はなんだかニヤニヤしている。
左腕をちょんちょんとつつかれて視線を左に向ければ、はるかがお菓子を出していた。
「あれ、先生は?」
「もう出てったよ。とりあえずお菓子たべる?そいつ、面倒くさそうだし疲れたじゃん?」
気付かなうちにホームルームは終わったらしい。
私は差し出されたお菓子を受け取った。
私の高校3年生、出だしは最悪と言っていい。
魔王を受け入れてるこの環境もわからないし、私だけ魔王に動揺していて私が変なのかと思えてきた。
「我が駒の、阿呆な顔よ。嘆かわしい」
そんな言葉が聞こえ横を見れば魔王が、冷たい瞳で私を……私の持ってるお菓子を見ている。
「柚月はあんたの駒じゃねーよ、クソ魔王」
「貴様に話してはおらぬ。口を慎め」
「てめえなあ」
「……魔王様、お菓子食べる? はるか、あげてもいい?」
「え? いいけど」
はるかからお菓子を1本もらうと、魔王に差し出した。
魔王はお菓子と私の顔とを交互に視線を向ける。
「魔王様、たべる?」
その言葉に、魔王は小さく咳払いをすると鋭い視線を私に向けてきた。
(魔王、やっぱりこわい)
「供物を手に入れるとは、良くやった。最初にしては良い働きだ。我が駒にふさわしい」
と、非常に上から目線でお菓子を受け取って食べた。
「……美味なり」
1口食べて、そう呟くと口から離してしげしげとお菓子を見つめてから、もう1口食べた。
「そこの小娘、我にそれを差し出すが良い」
「やだよ」
「……貴様」
半分くらい残ったお菓子をつまんで持ったまま、魔王はキラキラとした瞳をはるかに向けたがその返事を聞いた途端目が細くなった。
なんだろう、この魔王って生き物。
机に肘をついて、今やはるかと何やら言い合いをしている魔王を眺めながら私は大きく息をはいた。
ゆるーくはじまりました。
のんびり更新します。