眠り
ノウンもそうした声に、他者を慈しむ熱を感じ、一歩、一歩と薄暗い部屋の中へと歩み寄る。
「ご、ごめんなさい・・・・。ジョン様を起こさない様に此方へ来るまでに片付けるべきでした。それに、僕はまた部屋を汚してしまう処でした。やっぱり僕は失敗作で、邪魔者です。ですから、このまま捨てていただく方が――」
「馬鹿ですか!!」
「っひぃい―――!!」
馬鹿げた内容に、自分でも制御できぬと粗暴な言葉を迸らせる。
当然、ノウンは叱責を受けて涙を瞳にためるが、許してやるものか、浮遊させたモニターをノウンへと近づけ、睨みを利かせて言葉を重ねる。
「―――死ぬつもりだったのでしょう!?」
「え・・・えっとぉ・・・・」
何処か誤魔化す様に視線を這わすと、迫力に負けたのか、諦めたようにうな垂れ。
「・・・・はい」
とだけ言葉を発した。ノウンが駆けて行こうとした経路から、厨房へと繋がっている事より推察した最悪の予想ではあったが、確率としては高く、それ故に言葉を重ねなければならなかった。
「再生タンクにでも身を投げるつもり?」
「・・・・こ、こんな・・・こんな僕でも何かに使って貰えたら・・・って思って・・・」
「本当に馬鹿です、馬鹿過ぎます!」
もし、腕が備わっていれば抱き締めてやれたのだろうが、そうした簡単な事も出来ず、モニターに映る表情も無表情なそれ。如何にか顔を苦渋の表情や、憂いた表情へと変えようとするが、そうした簡単な事すら出来ず、ミュールは必死に言葉を重ねる。
「この船に乗る以上、全ての権利は私達に有ります。ですから、ですから・・・そんな勝手は許しません・・・」
「・・・・ごめん・・なさい」
ノウンは表情を見られたく無いのか、抱えた衣服で顔を覆い、体を揺らす。
体が震える度に、尾と耳は、感情を表す様にふるふると震えた。それは何とも儚く、弱々しい。
「でも、それは当然の事。ノウン、君はまだ子供で、私達は頼られるべき大人だ。つまり、頼ってもらって構わない。いや、頼らないといけない。だから・・・・泣きたいなら泣くといいし、苦しいなら打ち明けなさい。君の悩みを受け止める程度には人生とやらの経験はあるつもりだから、私もジョンもね―――」
自分でもこれ程すらすらと臭い台詞が出るものだと関心するが、恥をかいた意味はあったか、ノウンは震える事を止め、意思の宿った瞳をミュールへと向ける。
「すみま――――」
再度謝ろうとしたノウンへ、ミュールが視線を投げ掛けると、一瞬言い淀み。
「―――ありがとうございました!」
と、笑みを添えて感謝を述べた。その仕草が何とも可愛らしく、ミュールはドローンを操り、逃さぬと抱擁する。
『ピッパポッ!!』
突然の抱擁に、ノウンも耳と尾を逆立てるが、その仕草すら愛らしく、狸寝入りするジョンを尻目にノウンを蹂躙していく。
「や、止めて下さい。そ、そこは―――だ、駄目です!」
漏れ聞こえる悲鳴とも、嬌声とも取れる声に、耳を塞いでおくべきだったかとジョンも軽く後悔しつつ。
「っんがぁ―――?」
と、間抜けに声を上げる。喧しさに声を上げた臭い芝居ではあったが、ミュールは勿論の事、ノウンも事態を飲み込んだのか、慌てて飛び起きては距離をとる。
何とも警戒された様子に、ミュールも元気が出たのならば良しとばかりに気を吐いて、ドローン達を散開させた。
「色々と危なかったですね。まさかこの様に暴走してしまうとは、自らの事とは言え、新しい発見でした。しかし、警戒される事は本意ではありませんし、これからも仲良くしたいと思っています。ですので、仲直りと致しませんか?」
何処と無く子供の様な初々しい声色に、ジョンも必死に噴出すのを堪え、不味いとばかりに息を殺す。
しかしながら、ジョンも子供から大人へと変化し、友達の様に語り合う中から変化した。
ならばこそ、気軽に話せる友は必要だったのかもしれないなと、無理やり納得し、事態の推移を背中越しに観察する。
当然、ミュールのそうした謝罪の言葉は、ノウンにとっても異質であったのか、如実に困惑した様子が感じ取れた。
傍から見た様子では何とも横暴な言葉であったが、それ故に嘘偽りの無い言葉か。
ミュール本人も混乱していると言った方が正しいのかも知れないが、ノウンも唖然とするなり。
「・・・僕で・・良ければ」
と、微かに笑みを浮かべて緊張の糸を解き、有耶無耶となった負の感情は霧散する。
感情を抑制されず、己が心に左右される亜人の悲哀、その一端に触れ、その在りかたにジョンは憤りを感じていた。
感情が無い方が良いと言う気も無いが、亜人を物として扱う者達が、ノウン達を同じく扱っていたのだと知り、悔しさに歯を噛み締める。もっと早くこの事を知っていれば、もっと、もっと・・・・・。
後悔の念は徒然と漏れ出すが、こうした感情は自分勝手な感情であるとも自覚していた。
結局の処、今回の事件が起きなければノウン達の存在は秘匿され、消費され、闇に葬られていたに違いなく、依然としてジョンが契約した企業は、亜人を燃料とする計画を進めるのだろう。
そしてそれは、人類という種の発展にとって大きな一歩。半永久的な資源の生産という面において、亜人の犠牲など黙殺可能な事柄。一般の者達が知る事の無い、裏社会の情報へと切り替わるのだろうが、それ故に黙殺する事は不可能であった。
(――――此処で黙ってしまえば、世界の常識として組み込まれる。そうなれば、犠牲は止まらない。止める為には、採算が採れぬ事業だと認知させるか、もしくわ世間に暴露するしか無いか。当然、そんな事をすれば命を狙われる事にもなる・・・か)
独断で己の正義を執行するにはリスクが高すぎる。正義だと信じていても、大勢の前ではそうした思いも霞む。
結局の処、目と耳を閉じ、口を噤むのが大人の処世術というもの。臭い物に蓋をする様に視線を遠ざけ、近寄らない事が肝要。それが、幼子の時より今に至る間に学んだ常識というものなのだから。
(ったく――――。クソ過ぎて鼻が曲がりそうだ。こんな事なら子供のままの方が幾分かましってもんだな。感情を抑制されていない亜人の子供か・・・不憫なもんだ)
事象改変機関を駆動させる為だけの精神燃料。感情を抑制されず、己が心に左右される亜人の悲哀を知る由も無いが、目の前のノウンだけでも自由に生かしてやりたい。言ってしまえばそれはただの我がままではあったが、そうした思いはミュールも同じか、二度と過ちを冒さぬ様にドローンで扉を堅固し、視線はノウンを捉えて離さない。
まるで子供を守る母の如き仕草ではあったが、茶化す者が居る訳も無く、ジョンも安堵に息を吐く。
(やはり、選択肢が無いという事が最大の要因だろうからな、選択肢の幅は自信にも繋がる。ならば、選択肢を与えるという俺の選択もあながち間違いでは無い・・・か)
そう思い、胸中に渦巻く不安を無理やり塗り固め、ジョンは重苦しい思いと共に、寝息とも溜息ともとれぬ呼気を吐き出す。願わくば目が覚めた時にノウンが笑顔であれば気も晴れるだろうと、意識を殺して闇に身を委ねた。
今度こそ船を漕ぎ出したジョンを見て、ミュールも自身を偽る必要も無いのだと頭を振っては、ノウンに向き直る。
「では、仲直りも済んだ事ですし。ノウンさんも、今日はお休み下さい」
「・・・か、畏まりました! で、では失礼致しまして」
ノウンはそう言うなり、畳んだ衣服を衣装棚へと仕舞うと床に寝転んだ。
金属の床面は、ひんやりと冷気を放ち、多少火照った体を冷やす。
昨日とは違い、腐臭も死の気配も遠い世界への安堵からか、地面に横たえるなり自然と柔らかな吐息を漏らす。
「―――っふにぃいい」
何とも獣じみた仕草ではあったが、本人にとっては至って普通な事柄か。
床に寝る事が普通だとばかりに頬を緩ませる。だが、そんな事を容認する訳にもいかず、無情にもドローンを用いて尻尾を吸い込んでいく。空気を吸引する音と共に何やら異音が混じり、それと共に背筋に走る異様な感覚にノウンは体を震わせた。
「んなぁああ―――!!」
断続的に続く未知の感覚に、自然と頬を赤らめては、悲鳴にならぬ悲鳴を上げ、慌てて口を手で押さえた。
「い、行き成り何を為さるのですか?」
自身の困惑を織り交ぜつつミュールを見つめるが、ミュールはミュールで拗ねた様な表情を浮かべ、その視線は部屋を占有する大きなベッドを指し示した。
「床は寝る所ではありません! 眠るのならばベッドで寝て頂けませんか?」
勿論、亜人の身として人であるジョンと同じベッドを使用するなど考えられず、疑問の表情を浮かべるが、ドローンの動きはそれすらも阻み、追い立てるべく垂れ下がった尻尾を狙う。
「っわぁああ―――! や、止めて下さい、解りました、解りましたから」
慌てて尻尾を隠しては、ベッドの端に腰掛け、控えめに体を埋める。
寝かされていた時には気づかなかったが、寝具にも拘りがあるのだろうか、ベッドはノウンを優しく包み込む。
「―――っふぁあああ」
意識せずに漏れる感嘆の声。汚部屋であった室内より匂いも無くなり、鼻腔をくすぐるのは清涼な空気。
二度三度と嗅ぐ度に頭の奥は痺れ、体の感覚は曖昧に変っていく。
もしかすれば空調を操作し、何か細工をされたのかとも思ったが、殺す為ならばそんな事をする必要も無いかと諦めに似た感情は警戒を解いていく。
「・・・っすぅ」
微かな寝息に合わせて胸元は上下し、夢の世界へと旅立った事を告げていた。
「せめて、過酷な現実より一瞬でも心地よい夢を・・・・」
ミュールはそう呟くと、モニターは光りを消し、寝室は闇へと沈み。
ジョンとノウン、両者の微かな寝息だけが調べを奏でていく。
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