亜人の性
「・・・よいしょ、よいしょ」
何処か遠くでそんな声が響いては消えた。何事かと動き出そうとするが、今だ感覚はぼんやりとしており何処となく夢うつつ。聞こえてくる声の主にも心当たりがあり、そもそも船の中であればミュールが如何にかするだろうと意識を手放した。
その様に多少警戒されているとは知らず、亜人の子は、お姫様宜しくジョンを両手に抱えてジョンの部屋へと歩む。
それは子供が大人を抱える様な異常な光景ではあったが、作られた種としての力か、さして力を加えるでも無く、悠々と抱える様は余裕そのもの。物を運ぶ様な無遠慮な行進では無く、眠りを妨げぬ為に衝撃を逃がすあたり、ジョンに対する敬意が推して知れた。とは言え、子供に抱えられる大人の姿など笑いの対象でしか無かったのだが。
しかし、そんな考えは頭の中に無いのか、ジョンの部屋へと辿りつくなり抱えたジョンをベッドへと横たえる。
「・・・んぁ・・・」
「っわぁわわわわ」
少しばかり衝撃が強すぎたのかと慌てるが、ジョンが再度寝息を立てた事で胸を撫で下ろす。
ジョンをベッドへと運ぶという仕事を終えた事で、改めて周囲を見渡し、尻尾を揺らす。
「―――よし!」
大事な仕事をこなし、一つ気合を入れては、少し前の事を思い出す。
目覚めた当初は、この部屋の有様に夢だったのかと思ったものだが、如何やらそうでは無い様で、目覚めるなりモニターが点滅し、見知った銀髪の少女が現れた。
「・・・おはようございます」
「お、おはようございます!!」
慌てて返した返答ではあったが、少女も気にした様子も無く、淡々とした表情で僕を見下ろしていた。元々無表情で、先程もこの様な表情であったと思うのだが、亜人の本能が違うと告げていた。何が違うのかと問われれば、熱と言うべきなのだろうか、何か大事な事の為には小事を切り捨てる事が出来る冷たさの様な物を感じ、体を震わせる。
「そ、そのぉ・・・・」
「心配しなくても大丈夫です」
「は、はひぃ!」
怯えた心の影響か、呂律の回らぬ返答に僕は恥ずかしさに顔を手で覆う。手から伝わる熱より、赤面しているのだろうと思うなり益々熱は増し、布団を被って蹲りたい衝動に駆られた。しかし、そんな事が亜人に許される筈も無く、恥ずかしさを押し殺し、少女へと顔を向ける。
「あ、あのぉ・・・此処は何処なのでしょう?」
少女は値踏みする様に僕を見下ろし、部屋を眺めると、溜息混じりに口を開いた。
「・・・はぁ。確かに此処の状況を見れば、不安がるのも当然の事。口に出すのも恥ずかしい話ですが、唯一寝室としての機能を備え・・・いえ、保っているのがこの部屋なのです。元々、人を乗せる様な船でもありませんし、他に部屋は有るには有るのですが、物置と化しているので止む終えず自室を開放したのでしょう・・・が、この惨状。もう大人なので言うまでも無いと思っていた私が愚かでした。ジョンを叩き起こして片付けさせましょう」
無表情の中に多少の怒りを宿し、モニターに映る少女が飛翔する。きっとこのままあの人を叩き起こしに行くのだろう。それは少女にとって日常なのだろうが、僕にとっては違った話。美味しい物まで頂いた上、寝床まで奪っておいてこの始末では生きた心地がせず、慌てて飛び起きモニターに縋る。
「だ、大丈夫です!! い、いえ・・・そのぉ・・・」
慌てて行動したものの、何を言えばあの人の為になるのかと頭を捻り。
「む、むむむ・・・・」
と、声が漏れる。モニターの少女も何か思う処があったか、無表情な表情で僕を見下ろしていた。はっきり言って背筋が凍る恐ろしさではあったが、誤魔化す為に尻尾を握り締め。
「・・・・あ!」
降って湧いた答えに声を上げる。何でこんな事が気づかないのかと過去の自分を殴ってやりたかったが、此れならばきっとあの人の役に立つ筈だ。
「お・・・お掃除・・・・しても良いですか?」
「・・・・・・・」
流石に突飛過ぎたのか、少女は固まり、不思議な生物でも見るかの如く。恐らく、あの人は掃除などをしないのかもしれず、不思議だったのかもしれない。だけど僕達、亜人にとっては普通の事。あの船に居た時から掃除は僕達の仕事であり、糧を得る為の誇り。上の兄弟達がよく言ったものだ、「埃を拭って誇りを手に入れよう」だけど僕にとってはいまいち意味が分からず、意味を知っている筈の兄弟に聞いたところで、「寒い、寒い」と、尻尾を抱く始末。
とは言え、何だか痛い『実験』を受けずに済む御掃除は楽しかったのも事実。きっとこの後、白い服を着た人達が迎えに来て、『実験』されるのだろうが、その前に楽しい掃除で役に立ちたかった。僕を蹴ったり、殴ったりしない人に会ったのは此れが初めてだったので、何か返せるものは無いかと考えてみてもやはり思いつくのはこの程度。
もっと勉強して役に立てれば良かったと心底、悔やんだが『実験』が失敗すれば終わる命。ならばせめて掃除だけでもと、そうした言葉が口をつく。
しかし、少女は少し訝しむと、顎に手を当て思考に耽る。
「・・・・成る程、対価を支払おうとする姿勢。やはり、精神抑制はされていない様ですね・・・。良いでしょう、ではこの部屋の掃除を任せます」
何だか理解不能な言葉を言い放つと、少女を写したモニターは燐光を放ち掻き消える。何時の間にか胸元に添えていた手からは、「ドッドッド」と、鼓動を早めた心臓が早鐘を打ち、緊張していたのだと知れた。
「・・・ふぅ」
額に浮かんだ汗を拭い、立ち上がったベッドから周囲を見渡していく。部屋にはベッドを中心に衣服が散らばっており、多少汗ばんだ匂いが室内に満ちていた。しかしながらあの船の亜人部屋も相当な環境。掃除をしたくとも水も無く、冷えた鉄の檻が乱立するのみ。それに比べれば天国と言っても過言ではない光景に意思の光りを瞳に宿す。
さて片付けようと、腕まくりをした瞬間。再度少女の幻影が現れては問い掛ける。
「・・・失礼、お名前を伺っても?」
「うっわぁあああ!!」
当然、突然現れた幻影に仰け反らせ飛び退いた。身体もそれに追従し、引いた筈の汗が噴出し、心臓も早鐘を打ち鳴らす。悪戯ともとれるそうした行動に、少女の顔を見つめるが、先と変らぬ無表情。ならば名を問う事は必要な事なのかと、呼ばれた事も無い名について再度頭を悩ませる。あの船で亜人が呼ばれる時は往々にして「おい!」だの、「そこの!」や、「お前!」で済む話であり、僕の名前は「それら」ですと言った処で問題ないのだが、少女がそうした答えを求めていないのだろう。唯一名前と思しき記号は『実験』の最中の記憶。そう、僕の名前は確か―――。
「確か―――NDK3098・・・・」
「―――結構です」
「・・・・っひ!」
心の臓に釘でも打ち込まれたかの如く、冷えた言葉が突き刺さる。元より無表情であった少女の顔は、まるで精巧に作られた人形めいて見えた。何か間違った答えでもしたのだろうかと、尻尾を抱えて様子を伺う。
しかしながら、何時もならば飛んでくる拳も無く、如何すれば良いのかと心底頭を悩ませた。殴るという行為は、人にとって楽しい事なのだろう、常日頃からこうした態度をとっては罰を受けた。だが、今となっては、少し分かる気がするのも事実。きっと傍から見ればおどおどとした姿に吐き気がするのだろう。当然、気持ちの悪さを解消する為に、兄弟達は殴られ、笑う事を強要され。笑わなかった者は『実験』へと送られた。そうした経験から殊更怯えを示すのは普通の事であり、科学者? と呼ばれる人達が言うには、成功なのだそうだ。
きっとそれこそが、少女の言った『精神抑制』とか言う行為なのだろう。怯えや怒りや痛み等の強い感情は『事象改変装置』を動かす動力になるらしく、精神を抑制されたままでは充分な精神力が働かず、動かす事が出来ないのだと『実験』で聞かされていた。つまるところ、亜人らしくも無い僕の行動に少女は怒りを覚えたのだと納得し、改めて悔しさに尻尾を齧る。
「っむ~~~」
「・・・痛くは無いのですか?」
少女の声に再度飛び上がると、自身の行為に顔が熱を持つのを感じた。昔からの癖で恥ずかしさを誤魔化す代償行為だと大人の人達に言われていた事を思い出す。簡単に聞いたところ、痛みで恥を忘れるという行為らしく、慌てて尻尾を手放し恥ずかしさに顔を手で覆う。全部が全部失敗の連続。やはり僕は失敗作なんだと、うな垂れる背に少女が声を投げ掛けた。
「ごめんなさい・・・・辛い思いをさせてしまって」
「・・・え?」
角の取れた柔和な声に、何事かと振り向くなり奇異な姿を目にする事となった。無表情であろうと想像していた彼女の表情に、笑おうとする仕草を見つけてしまい、如何したものかと間抜けな声を上げる。
少女にとってそれは最大限の謝罪だったのか、苦しげに表情を変えようと苦心するのが見受けられた。
理解不能な状況に、また失敗したのだと尻尾に伸びる手を制し、謝罪の言葉が重なった。
「―――不躾でした」
「い、いえいえいえいえ!!」
映像も合わせて頭を下げられれば、僕としては慌てる他無く、首と手を出鱈目に振っては否定する。
そうした行為が暫く続き、どちらとも無く。
「っふ――――」
「あ・・・ははは・・・」
と、笑みを浮かべては、場の空気を取り繕う。
「如何やらジョンの見立ては正しかったという事ですね・・・。改めまして、私の名前はミュールと申します。以後お見知りおきを、――――ノウンさん」
「・・・ノウン?」
言われた事も無い名称に当然ながら首を捻る。番号は流石に面倒だと理解していたし、僕としても“お前”と呼ばれるのだろうと理解していたところにこの名称。何か意味があるのだろうかと疑問の表情を浮かべるが、そうした様子にミュールと名乗った少女は一人得心し。
「失礼ながらジョンが命名した名前でして、勝手な事ですから気に入らない事もあるでしょうが、暫定的な仮の名として呼ばせて頂ければ幸いです。私としても名を呼ぶ時に番号を羅列するのは避けたいもので、何か良い名を思い浮かべば直ぐにでも変更して頂いて結構です。円滑な会話を進める為の潤滑剤であるとだけ理解して頂ければ」
すらすらと語られる情報の波。恐らく僕の事を“それ”等と呼びたくないという事に尽きるのだろうが、初めて受け取った「ノウン」という呼称に、特別な名称に胸の奥がドクンと高鳴るのを感じた。僕は大量に製造された一体じゃ無くて、ノウンという個体なのだと。この世界に存在するのだと初めて言われた様で、頭の奥からツンとした変な感覚が体を突き抜けた。
「――――ノ・・・ウン・・・・僕の名前は・・・ノウン・・・」
言葉にする度にノウンという名は現実味を増し、己の事なのだと認識するかの様。
ノウンと名付けられた亜人の子には分からないだろうが、ミュールからすれば、その姿は過去のジョンと重なって見えた。親から生まれた子では無く、突然存在した己。自己認識などと安易に言われるが、結局のところそれは外部からの情報を身に纏い、形となした心。外部からの情報も無く、突然生まれ落ちた者にとって、名がどれ程の意味を持つか。この船においてその事を知るのは名付け親であるジョンぐらいなものか。そしてそれ故に、仮であれノウンという名を送ろうとしたのかも知れない。何処か生きようと足掻くかの様な仕草を見送り。
「・・・掃除の件ですが、代償行為では無く、己が成したいと思われた場合には許可致します。冷たい話になりますが、こんな有様でも問題はありません。言いかえるならば、生きていく為に必要な行為でも無いのです。ですが、それでもやりたいと思うならばお任せ致します・・・・ノウンさん」
それは冷たく突き放す言葉であったが、ノウンにとっては関係無いのか、瞳に意思の光りを宿しては鼻息荒く何かを決意する様子が見て取れた。きっとこのまま放置した所で意思は曲がらず、部屋を片付けだすのだろう。
それが亜人という性なのか、それともノウンの心なのか? 前者であれば仕方ないと納得し、後者であれば悲しい事だとミュールは思い、微かな燐光を残して掻き消えた。
ミュールに如何思われているかなど知らず、ノウンと呼ばれた亜人の子は部屋を見渡しては、一人思い耽る。
「やっぱり・・・綺麗な方がいいですよね」
と言うか、それ以外の方法を知らないと言うべきか。しかし、一つの方法さえ分かるならばそれを成さない理由も無い。散らばった衣服を掻き集め、洗濯カゴと思しき物に詰め込んでいく。
「ん~~~此れは如何すれば・・・・」
部屋を片付けるにしても、先に衣服を洗濯すべきかと一旦服を纏め終えると、如何したものかと辺りを見渡す。
そうした様子を何処かから見ているのか。
「―――わっ!?」
振り向く動きに合わせ、突如として目の前に何らかの絵が表示された。恐らく注意を引く為なのだろうが、絵の一点は緩やかに明滅を繰り返す。絵の全体像としては似た様な四角い枠が並んでおり、明滅する四角い枠と、自分が居る部屋とが似通った作りなのだと亜人特有の空間認識が訴える。
「・・・だとしたら、この部屋なのかな?」
疑問の答えが正解であるとでも言う様に明滅は激しくなり、光点は線を描いていく。線はそのままこの部屋を抜け出ると、縦に伸びる通路と思しき場所を抜け、新たな部屋を指し示した。
「もしかして・・・洗濯室なのかな?」
手に抱えた衣服の山。それを如何にか処理しなければならず、途方に暮れていた様を見かねたのだろう。ミュールと名乗った少女を思い出し、頭を下げると。
「―――よいしょ!」
と掛け声一つ。身の丈よりも大きな衣服の山を抱えて足取りも軽く部屋を駆けて行く。普通であればよろめいて然りな状況ではあったが、子供であっても亜人。肌に感じる空気の流れにより周囲の状況を把握し、視界が衣服で塞がれようとも関係無いとばかりに猫の様な耳を震わせて目的の場所へと至る。
「・・・多分、此処かな?」
頭の中に先程描かれた船内図を思い描き、位置を照らし合わせては一人頷いた。
「うん、此処だね」
完璧な空間認識を備える亜人にとっては不必要な確認作業ではあったが、過去幾度と無く大人達に怒られたせいか、確認する事が癖になってしまっていた。そのせいで兄弟からは仕事が遅いと言われ、大人達からは不良品と罵られたが、身についてしまったものは仕方ない。再度確認せず気持ちが悪いよりもましであろうと納得すると、そのまま門戸を開いた室内へと歩を進め、開かれた扉からは薄暗い室内が見て取れた。
室内からは微かな洗剤の匂いと、多少のすえた汗の匂い。匂いの元を辿れば自分の抱えた洗濯カゴと同じ物が二つ程放置されており、洗濯しようとしたのだろうか、衣服の山が出来ていた。一見して途中で諦めた様子から、ジョンと呼ばれた大人の人は洗濯が嫌いなのだと推察し、ノウンはそれらの山を一瞥しては尻尾を揺らし一人笑みを浮かべる。
きっと、傍から見れば可笑しな光景かもしれないが、それは満ち足りた人の感想。ノウンにとっては、自分に出来る事があるのだと、必要とされているのだと改めて認識し、自然と頬を緩ませた。
「あ、これ知ってる奴だ」
洗濯という行為は既に完成された技術なのか、過去にノウンが使用していた物と同じ洗濯機を眺め、微かな懐かしさと苦痛の思い出に笑みを漏らす。とは言え慣れた機種である事は助かった。一々質問をしてばかりではいつ何時怒りを買うかわからない。ミュールという少女に対しても色々と迷惑をかけてしまっているのだから、何とか迷惑をかけない様にしなければならないと思っていた矢先にこの幸運。知らず知らず笑みが漏れるのも仕方なく、鼻歌まじりに洗濯機の蓋を開き、汚れた衣服を詰め込んでいく。
「ん~~んん~~~ホイ、ホイ、ホイっと! これで完了っと。さてさて、洗濯が終わるまでに御主人の部屋を片付けないと」
言うが早いか、洗濯室より元居た部屋へと踵を返す。
寝室は先程と変らず汚れてはいたが、汚れた衣装を片付けた為かすえた匂いは薄まり、巻き上がった小さな埃は、船の空調設備を作動させ、吐き出された新鮮な空気が頬を撫でる。何時の間に現れたのか、足元には微かな音を立てて汚れを吸い取る自動掃除機の群れ。それらの機械は今こそ役目を果たす時とばかりに埃に群がり歓喜とばかりに吸い込んでいく。そうした様子を何処か羨ましそうに見つめ、負けるものかと気を吐いた。
「・・・・そうだよね、君たちも役目を果たしたいものね? でも僕も負けてられないぞ!」
掃除機達も突然の気勢に何事かと詰め寄るが。
「な、なんでも無いです・・・・御掃除を続けて下さい!!」
と、慌てて手を振るノウンの様子にやれやれとばかりに埃を吸い込んでいく。しかしながら未だに散らばるゴミの山。
何に使う物か分からない物も多く、勝手に捨てられる筈も無い。相反する矛盾に、折衷案として手近な箱に物を詰めるという方向で折り合いをつけた。後々確認が取れ次第ゴミとして廃棄する予定ではあったが、何とか体裁は整い、洗濯室への数度の往来の果て、ジョンの寝室は真新しい色を取り戻した。
ある意味戦いとも言える部屋掃除。それらを共に戦った盟友である掃除機達を拭ってゆく。掃除機達もこそばゆいとばかりに微かな抵抗を示すが、汚れている事も事実。
『ピーーピッ!?』
と鳴いては仕方ないとばかりに諦めると列を成す。
それより暫く時は過ぎ、全ての掃除機の汚れを拭うなり、一体がノウンの前へと踊り出る。
それは他の者達とは少し違い、一回り大きく、色もくすんだ黒色。恐らく隊長と思しきその一体は。
『ピポポポッ! ピッ!』
と、何やら電子音を漏らしては、その場で一回り。如何やらそれが礼なのか、礼を述べては親鳥の如く子分を引き連れ、役目があるとばかりに部屋を後にした。
「あ、ありがと~~~」
言いそびれた礼をノウンも言い放つが、その時にはもう既に彼等の姿は無く、何処かへと消え去っていた。
「・・・今度はちゃんとお礼を言いたいな」
そう一人呟くが、傍から見ればおかしな話。道具である亜人が道具である機械に礼を述べる。笑い話にもならない光景に。
「おかしな子・・・」
船を管理するミュールがその光景に微かな笑みを漏らした。先程まで掃除機・・・否、黒い防衛用ドローンへと入り込み、ジョンの部屋を片付けていた。流石にノウン一人では大変だろうと掃除を手伝ったのだが、まさか最後に掃除される事と成るとは。本当に可笑しな存在に、面白いと観察を続けた。
ミュールがドローンを駆使し、粗方のゴミを処理した為か、ジョンの寝室は寝室としての役割を取り戻し、快適な空間へと移り変わっていた。ならば、後は寝るだけだろうと思っていたところ、ノウンは何を思ったのか枕に顔を埋めては、匂いを嗅ぐ。傍から見て変った光景ではあったが、ノウンにとっては関係が無いのか。
「・・・この匂いは―――」
と、匂いを覚えるなり匂いを辿る。先程までは溜まった衣服にこびり付いた匂いが邪魔をしていたが、今となってはそれも薄れ、匂いは一本の線を描く。亜人という種は伊達や酔狂で獣の容姿を取り入れている訳では無く、こうして人を超えた嗅覚や、力を備えており、優秀な嗅覚は、家主が何処に居るのかすら暴く。
「・・・こっちかな?」
ノウンが見据えた通路の先には一つの扉が存在し、先程記憶した船内図には一際大きな区画として描かれていた。
匂いの元はそこから放たれており、当然ながら目的の為、そちらへ向けて歩み出す。
しかしながら、それはミュールにとっては異な行動。ノウンが何をするのかと行動を注視し、もしもの時はとドローンを配備する。現状ジョンは寝たままの状態、亜人の力をもってすれば殺す事も容易。考えたくもなかったが、もしノウンが工作員であり、ジョンの命を狙うならば絶好の機会。亜人と呼ばれる消耗品に対してそう思ってしまう辺り、ミュールも世間の常識に染まったのだろうと溜息も募る。
最悪の事態だけは避けなければならないと思う一方で、何をするのかを知りたいと思う辺り自分も異常なのだろうと何度目かわからぬ溜息を漏らす。
「・・・悪い癖ですが、ジョンならば問題無いと思う事に致しましょう」
一見して冷たい言い回しではあったが、それは信頼の証。事の動向を見守らんと口を閉じた。