第24話 『失ったもの、得たもの』
フワリと、潮の香りをのせた柔らかい風が肌をなでる。
窓辺から受ける朝日は部屋を明るく包み始めたのか、仰向けに寝ていた俺の顔に温かな日差しを当ててくる。
海が香る部屋で目を覚ました俺は、ベッドから身を起さずに目線だけを動かす。
ぼんやりとした寝ぼけまなこで周りを見ると、ここが小さな個室であることが分かる。
白い壁、かけられた色彩豊かな風景を描いた絵画、花が活けられた小さな花瓶が置かれた木造りの丸テーブル。
まるで病室のようだ。
いや、病室なのか。
俺は昨晩、クラーケンがフォージの冒険者の魔法によって殺された後、気絶するように寝入ってしまったんだ。
そして、逃走劇で負った傷を治すために、どこか病院のようなものに泊まったのだろう。
そこまで考えが及んだところで、お腹あたりに温かな重みを感じた。
少し首を起こして見てみると、俺の上で光が突っ伏して寝ていた。
泣き腫らしたのか、目元は赤く頬には乾いた涙の筋が残っていた。
きっと一晩中俺を看てくれていたのだろう。
光だって疲れていたはずなのに、倒れた俺の傍に居続けてくれたのだ。
その疲れと悲しさで少し歪んでしまっている寝顔を見て、愛しい気持ちが溢れて来る。
光の口元にかかった栗色の髪をそっと手でどけて、頭を手で包むように左手で優しくなでる。
すると、光も少し眉を上下させた後、瞼をゆっくりと持ち上げた。
そして、俺のことを見て、
「ノ・・・ノブううぅうぅあああああぁ・・・。」
と泣き出して抱き付いてきた。
光の肌の確かな温かみを受けながら、俺は右腕がないことに気付いた。
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俺は勘違いをしていた。
クラーケンからの逃走劇は昨日のことではなく、1週間前のことだった。
光は俺を抱きしめて泣いたあの後、急いで別の宿に泊まっていたみんなを起こしに行き、医師職の先生も連れてきた。
みんなも起きた俺を見るなり泣き始め、やっと落ち着いたところで話をし始めた。
俺は魔法をぶっぱなした後、まるで死んだように1週間寝ていたと、みんなは口々に言う。
実際に、船で倒れた時に心臓が止まって息をしなくなっていた、というのだから死にかけたんだろう。
光と林が必死に回復魔法を行使しても、目覚めることはなかったようだ。
だが光はそのあと、このフォージの療養所に運ばれた俺を1週間、離れずにずっと看てくれていたらしい。
もう起きないかもしれないとも言われていたそうなのに、光は俺が起きることを祈ってずっと傍に居てくれた。
その話を聞いて光を見ると、涙を浮かべながら照れくさそうに笑う。
俺も笑い返し、そして一番気になったことを尋ねる。
右腕のことだ。
俺に生えていたはずの右腕は肩口からバッサリと消え、そこには何もなかった。
右腕の話をし始めると、みんなは表情を暗くさせ、光はまた泣き出した。
左腕で光を抱き寄せながら、先生の話を聞く。
「ノブヒロ君、単刀直入に言わせてもらうよ。君の右腕は、君の行使した魔法スキル『ドレイクフィスター』によって、壊死した。」
・・・やはり、使用中に感じた腐食されるような焼ける痛みは、そういうことだったのか。
先生は話を続ける。
「本来ならそんな状態になるような危険な魔法ではなく、戦士の基本的な魔法スキルなのだが、君は通常では考えられない程の魔力を吸収し、尚且つ行使し続けてしまった。その威力は、あのクラーケンの触手を焼け焦がすほどのものだったと聞く。それほどの威力を行使した結果、君の装備は強烈な魔力に耐えられず、魔力暴走とともに破裂を起こしてしまったんだ。」
「・・・。」
先生は黙って唇を噛みしめながら聞く俺の様子をうかがった後、説明を続ける。
「・・・続けるよ。魔力は本来、僕達ヒト種には多量に備わっているから、多少の魔力にさらされても影響はでない。だが、魔力の暴走は別だ。魔力の暴走で負傷した傷は、回復魔法でも癒すことは出来ない。幸い、君の装備の中でしか魔力の暴走は起きなかったから右腕だけの汚染で済んだが、これが君自身の中で起こっていたら、恐らく死んでいただろう。だから、今回は本当に運が良かった。生きていることも、目覚めたことも。」
先生が話し終えた後、病室は静まり返った。
そして、みんなは俺のことを静かに見つめる。
俺は・・・どう思ったものだろうか。
少しずつ、少しずつ、思ったことを言葉にした。
「悲しくない・・・わけじゃない、と思う。けど、悲しいっていうより、嬉しいんだ。こうやって、みんなで集まれたのは、右腕が無くなったからなんだ。そりゃあ、右腕がなきゃ不便だろうし、まだ実感も湧かないしさ。でも、俺は右腕よりも、みんなが大切なんだ。だから、いいんだ。」
そう言い終えたら、何故か涙が流れてきた。
なんで流れているのか、分からない。
みんなも泣き始めていた。
なんか、申し訳ないな、と思っても涙が止まらない。
先生は俺たちを見て微笑んで言った。
「・・・僕はね、ノブヒロ君に敬意を示したいと思う。僕は冒険者だったころ、・・・未熟な魔法使いだったころ、大切な幼馴染たちを死なせてしまったんだ。僕はこんなにも元気で、ね。その時の僕にはそんな選択が出来なかったし、今も出来るか分からない。だから、君の行動は、仲間を救った勇気ある行動だと、思ってほしい。」
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俺たちはこのフォージであと3日滞在することにした。
話だとフォージから近い街、噂の冒険者最前線の街サーディアは魔王軍による防衛拠点侵攻でかなり騒々しくなっているらしく、俺のこの状態でサーディアを経由してネクスタに戻ることはかなりキツイ。
そこで、俺たちは乗ってきた船で帰ることにした。
俺たちの船を熟練の技でこのフォージまで操舵してくれた爺さんも無事だったらしく、俺のことを見て肩を叩いて喜んでくれた。
爺さんの話だと船の修理にあと3日かかるらしく、それまではこの街で滞在した方がいい、と勧めてくれた。
そして、片腕が無くなったせいで歩くこともヨロヨロとしている俺のリハビリも兼ねて、少しの間この街をゆっくりと楽しむことにしたのだ。
初日は俺を心配したみんなが一緒に付き添ってくれて、街めぐりをしたのだが、2日目と3日目は気を遣って俺と光の2人きりにしてくれた。
まぁ、残る4人も晴花と力雅、林と幹夫と仲のいい組み合わせで別れたので、いいんだろう。
俺は光に寄り添われながらゆっくりと街中を歩く。
この街はオリジナの街と雰囲気が似ていて、色々なものでごった返しになっている。
一応、湾岸の防衛に関しては最前線であるため、街というわりに巨大な魔法装置や物々しい冒険者たちが歩いているが、最近海の防衛は王族の海上要塞フロイトネスが担っているため、ここは束の間の平和を得ているようだ。
それに、頭に血が上っていて暴走しがちだったとはいえ、クラーケンを一瞬で粉砕した装備と冒険者がいる。
安全に浸るのも無理はない。
そんな平和な空間を俺たちは味わうように楽しんだ。
2日目にはもう結構歩けるようになって、肩から羽織った長袖の上着をブラブラとさせながら、左手で光の手を握って並ぶ。
光はいつもよりしおらしく、俺もゆったりとしながら歩を進める。
店や景色を眺めて、時々光を見る。
光も優しく笑いながら見つめ返して、冗談を言い合う。
お洒落な装飾店、召喚獣の契約所、公園に波止場。
様々な場所に行って、この街を存分に味わう。
こうやって2人で色んなを回りながら、ゆっくり過ごすのはとても楽しかった。
この異世界に来て、毎日のように戦っていた俺たちには嬉しい、そして貴重な時間になった。
3日目の夕方になって、漁師の爺さんから連絡があった。
どうやら船の修理が終わったらしく、明日にでもマリンに戻ろうとのことだった。
確かに、マリンにはまだ連絡をしていなかったため、俺たちは死亡した扱いになっているはずだ。
娘夫婦がマリンに住んでいるという爺さんにとっては一刻も早く無事を伝えたいところなのだろう。
俺たちは明日の朝一でこの街を出ることにして、みんなで夜飯を食べ、その後それぞれこの街で最後の自由時間を過ごすことになった。
俺は光を連れ出して、港の防波堤まで歩いて行った。
防波堤に着くとジャンプしてその上に飛び乗って、光に左手を差し出し、登ってくるのを手伝った。
光は俺が手を使わずに飛び乗ったことに慌てていたが、差し出した手をしっかりと握って防波堤の上に登り、俺の左にゆっくりと腰を下ろす。
2人で並んで座って、無言で夜空に浮かぶ月や星々とそれを鏡のように反射する海を眺める。
星空は美しく、オリジナの宿オリバーの近くにあった湖で見た時と、何も変わっていなかった。
そういえば、あの時も光と並んで座っていたか。
そう思って光を見た。
光は、ただ星をそのガラスのように透き通った瞳に写し、じっと夜空を見上げている。
甘い香りのする栗色の髪は夜風に梳かれ、小さく閉じた口元は星の明かりで艶やかに光る。
オリジナで見た時よりも、ずっと魅力的で、美しい女の子だった。
俺も視線を空へと戻し、静寂を肌で感じる。
だが、この静けさは、いい静けさだった。
光と一緒にいるだけで、こんなにも満たされた気持ちになる。
俺はその心地よい静寂を破るように、言葉を紡ぐ。
「光、ありがとな。」
「ん?どうしたの、突然。」
俺も光も海に移した視線を動かさずに、前を向いて話し続ける。
「いや、ほら、ここに着いてからさ。俺が腕失って、寝てた時もずっと、・・・ずっと看てくれてたろ?」
「・・・うん、でも当然よ。ノブと約束したじゃない。守るって。ノブは命がけで私を、私たちを助けてくれたなら、私もお返ししなきゃ。」
「あぁ、そうだな。おかげで俺は約束を破らずに、生きていられた。」
「・・・そうね。ホントに、良かった。」
お互いを思いやる気持ちが、伝わってくる。
「覚えてるか?デーモンロードの時、俺が死にかけて、光、泣いてたろ?」
「当たり前よ。あれがあったから、約束したんじゃない。」
「そうだったな。・・・あの時、もう光を泣かせたくない、と思ってたんだ。俺が苦しんで、光も苦しむのは、辛かった。」
「うん・・・。」
「でも、俺は毎回、ただみんなが生き残るために自分のことを顧みないで、行動しちゃうんだよ。光を守るために、光を傷つける。」
「そう、だね。」
「でも、俺は、自分が傷ついてでも、光を助けたい。でも、光とは別れたくない。なんか矛盾しちゃってるけど。」
「確かに。」
俺と光は少し笑う。
「でも私も、ノブと同じ。自分を傷つけてでもノブにいなくなって欲しくない。」
「・・・そうか。・・・そうだ。」
俺は一息ついて、光の方を向く。
光も振り向き、真面目な顔で俺を見つめた。
「光。」
俺はその名前をしっかりと呼ぶ。
光は、ただ無言で俺を見ている。
「俺は、光と一緒に戦って、一緒に楽しんで、一緒に生きていたい。この世界でも、元の世界でも。いや、・・・そうじゃない。うん、そうだ。・・・俺には、光が必要だ。ずっと、ずっと。」
光の目はただ輝き続けている。
「・・・俺は光が好きだ。ずっと俺の傍に、居てくれ。」
そう言い放つと、光は涙をその瞳から零した。
涙は、月と星の明かりを反射させていた。
微笑みに流れるその輝きは光から溢れる想いを表していた。
強い風が吹き、雲がその明かりを遮る。
俺と光はそっと手を握り、その唇を重ね合わせた。
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街灯に照らされた夜道を、俺と光は指を絡ませながら手を握り、歩いて帰っていた。
俺が少し強く握ると、光もギュッと握り返してくる。
顔を覗くと気恥ずかしげにしているのが、愛らしい。
右の方を見ると、そこにあった俺の腕はなくっていて空虚に袖が揺れていた。
だが、左手には、絶対に離せない、大切な人の温もりを確かに感じていた。
失ったものと、得たもの。
もう二度と、失えない。