二兎を追う者は一兎を得た 後編
◇◇◇◇◇
兎の継承者を混じっての戦闘は、それでもまだ、ピスケスが有利だった。
やはりまだ、どこか躊躇いがあるのか、動きを完全に制御しきれていないウサギは、ピスケスの注意を逸らすのが精一杯。
横からグレイが、ピスケスの動きを予測して爪で斬り裂こうとしても、側にあった水球がぶつかり思うように動かなかったり。
更に都合の悪い事に、時間が経つにつれてピスケスの動きが良くなっているというのが、ウサギの焦る原因にもなっている。だというのに傷を一つも負っていないのは、ウサギ自身のポテンシャルかはたまたピスケスの甘さか……
「どうするのだ!?」
焦ったように声を出す。
それを聞いてグレイは黙りこくったまま。ボーッとする頭で、刻々と、チャンスを狙っているのだ。
諦める様子は……ない。
「……」
ウサギはグレイの覚悟を感じた。ならば、自分は? 勝つも負けるも、このまま中途半端に終わるのか?
……その時、あの時の事が思い出される。自分を庇う、アリスの姿。
そうだ、それだ。
ウサギも真に覚悟を決めた。
ーー私も、姉さんと同じやつに!
ウサギの覚悟に、座に組する者、兎ーールナ・マーチヘアーは答えた。
ーーもう、金の国に戻れないかもしれないとしても?
ーーやると決めたらやるんだ!
ーー……分かりました。ああそれと、これは私事ですが、黒の戦士によろしくとお伝え下さい。
ーーアリスに? 分かったぞ!
ルナ・マーチヘアは苦笑する。何と阿呆な継承者なのかと。
しかし……面白い。
止まっていたはずの、時計の針は動き出した。ルナ・マーチヘアにとって、黒の戦士の為になる人間を継承者にしたのだが……案外、ウサギは好ましい者であった。少し、手助けをしてやりたくなる程に。
ーーなら、唱えなさい。私の後に……未は三日月……
「未は三日月 オールドワールド!」
自分の存在を書き換える。かつて世界を支配したと言われる、兎へと。
失敗の可能性があったその行いは、ルナ・マーチヘアの気まぐれによってリスクが消えた。代わりに不完全な力ではあったが、漸く、ピスケスと同じ土俵に足を踏み入れた事になる。
服が消え、代わりにモフモフとした毛皮が体を覆ったウサギを見て、こちらは下半身が魚の人魚のような姿のピスケスは、驚きのあまり一瞬体を固まらせたが。
ほんの少し、微笑んで。
完全にウサギを、敵と認識した。
それでもまさか、自分が動く先に、自ら入り込んでくるとは思いもしなかった。
ウサギは、自分を盾にしてピスケスの動きを止めたのである。かつての、アリスのように。
もちろんタダではすまない。速度はそのまま力となる。速すぎたピスケスのそれはウサギの体にぶつかり、堪えきれず、側にある水球を吹き飛ばしながらまだ止まらない。
そのウサギの決死な覚悟が、勝負を決める一手となった。
まるで獣のような俊敏な動きでピスケスの背中にまたがるグレイ。
ピスケスは慌てて振り払おうとしたが、両手を掴まれ動きを封じられる。
ならばと、向こうも両手が使えない今、水球の形を変えてグレイに突き刺そうとしたのだが。
「アクアピアーーっ!?」
首に生まれた痛み。あまりにも痛すぎて熱い熱いと錯覚してしまう痛み。
そして大量の血が流れた。
フッと……意識が落ちる時に、最後に聞こえたグレイの言葉。
「言わなかったか? 黒の国には、三つの頭を持つ容赦なき猛獣がいると」
牙と見惑う爪を生やした右手を一つの頭として、左手を一つの頭として、ならば最後の頭は……自分自身。
グレイは口から生やした牙で、ピスケスの首元を噛みちぎったのである。
アリスがいたならドン引いてしまう光景を難なくやってのける、男女差別のない男がそこにいた。
ーーかくしてピスケスとの戦いは終わった。ピスケスの姿が元の人型に戻ったのと、空中に漂っていた水球が全て地に落ちたのが証拠だ。
「……姉、さんっ」
骨も折れて、内臓も潰れて、満身創痍なウサギは、這いずるようにピスケスへ近づく。
「安心しろ、手加減はした。水につけていれば辛うじて治るだろう」
……グレイの言葉は何か違うと思ったウサギだったが、一応は共闘した仲だし、お礼を言おうとしてーー
ーー遠くの空で、暗闇が生まれた。
空の模様を変えてしまうほど巨大なそれを見て、グレイが反応する。
「……俺は行く。そいつは頼んだぞ」
「知ってる、のか? 会いに行くの、か?」
「いや、奴と俺の間に、語り合うことなど何もない。
……屍を拾いに行くだけだ」
グレイはそれだけ言うと、遠くの暗闇を目指して去って行った。
その顔が、少し悲しそうに見えたのは、ウサギの気のせいだったのか。
それとも。
◇◇◇◇◇
昔。
ピスケスがまだ幼い頃、その頃はまだ沈黙姫などと呼ばれずにいた沈黙姫の護衛として付き添い、草原で見を休めていた頃。
一人の女性が、森から出てきた。
ただならぬ気配を感じたピスケスは、座に組する者から目の前の女性が兎の継承者だという事を知った。
「お下がりください姫様!」
子供のピスケスは、頭が固かった。沈黙姫を守ろうとして、少しやりすぎな面があった。それは、自分が仕える姫が、一部からお花畑と馬鹿にされていた事で攻撃的になっていたという理由もあるのだが。
話し合いを放棄して、目の前の人間を敵とみなして、ピスケスは兎の継承者に指を向けた。
普通なら避けられない速度で水が発射された。ピスケスは油断しすぎていた。
兎の継承者は、速い。地上でなら無類の速さを誇る。
「嘘っ!?」
目で追いきれない動き。
気づいた時には、兎の継承者がいつの間にか、沈黙姫に飛びかかっていた。
慌てて次の水弾を……
「ダメ!」
沈黙姫の言葉に戸惑いながら、動きを止めてしまったピスケス。
兎の継承者は止まらず、沈黙姫を押し倒した。犬歯を剥き出しにして、獣のように唸って。
沈黙姫は悟る。
兎の継承者の悲しみを、辛さを。
孤独さを。
「……そう、貴女、私を食べたいの?」
「ヴゥゥ、ウゥッ」
「……分かった。そんなに欲しいなら、一口くらい。私が許すよ」
「ッ……ガァァア!」
沈黙姫を見てると無性に湧き上がる胸の熱さを誤魔化すように、兎の継承者は喰らいついた。
首筋に歯を立てた。
沈黙姫はピスケスを手で制しながら、首の痛みに頭が警鐘を鳴らしても、目の前の兎の継承者を抱き締める。
「貴女の方が……痛かったよねっ」
「……」
「でも、大丈夫。大丈夫」
「……ぅ」
兎の継承者は、噛み締めていた。涙を流しながら。
「愛情って、時々、痛いからね」
それは、兎の継承者が口を放して、ピスケスが癒しの水で首の傷を治していた時の沈黙姫の言葉だ。
それから色々あって、兎の継承者は金の国に入り、しばらくピスケスといがみ合いながら、やがて和解してピスケスの義妹となるのだが。
それはもう、終わった話。
◇◇◇◇◇
「ん……っ」
昔の事を思い出して、ピスケスは首の痛みに目を覚ました。
「ここは……」
自分は負けたと自覚しながら、今の状況を確認する。
「あ、もう少し、ジッとだぞ」
「……ウサギ」
懐かしい声を聞いた気がする。
何故そう思ったのか分からないけれど、とても懐かしく、涙を流した。
自分を膝に乗せているウサギの、慌てた声が余計に。
「だ、大丈夫か!? グレイはやり過ぎだったからな、でも、傷は治ってるぞ!
まだ、痛む、のか?」
「……えぇ」
とても、痛かった。




