不思議な不死の迷宮 紫の国は不思の国
◇◇◇◇◇
「あ、ちょっとすまない」
無事? に儀式を終えた次の日、特に何かをやれと言われていない俺は、鍵をかけられなくなった部屋から出て、メイドらしい人物に声をかけた。
「カレハナという人物を呼んでくれないか」
「あ、は、はい!」
良い返事だ。……良い返事なのだが。目の前のメイドは動かない。
「何か?」
「はい! あの、あの、握手してもらってもよろしいでしょうか!?」
「……まあ」
「やった! あ、自分、アースンと言います!」
アイドルの握手会に行った事はないが、これと一緒みたいなもんか? なら……怖っ。何だこの出処の知れぬ熱気は。アイドルとはこんな事を笑顔でしなければならないとは……あいつら、やりおる。
「すぐに呼んで参ります!!」
かれこれ1分はじっくりと堪能したそいつは、気持ちのいい笑顔でそう言った。
……指紋が無くなるかと思った。だが分かったこともある。黒の戦士とは、こういうものらしい。
むぅ、好意的に接しられた事など多くないので、どうも慣れない。調子に乗ってサインでも考えていようか。
なーんて考えたりもしたのに。
「ーーそれで、食事を途中で投げ出してきた私に用とは何ですか」
「……お前は普通なんだな」
「はい?」
「や、何でもない」
カレハナは、カレハナだった。
サイン? 馬鹿馬鹿しい。
「実はな、暇なんだよ」
「私は暇じゃありませんけど」
お前ほんとに俺の付き人か?
「こんな馬鹿でかい城だ。図書館の1つや2つあるだろう。案内してほしい。その後は好きにしてくれて構わない」
「好きに、ですか」
「煮え切らない返事だな」
「字は読めるのです?」
「……ほぉ」
「ほぉ、じゃないっつーの」
辛辣なカレハナに何も言い返せない。言葉が通じているから、その点は気にしていなかったが。よくよく考えてみればそこは重大な問題だ。
さて、話す事はできる。ならば読むこともできるという都合の良い展開に期待したのだが。カレハナに連れてこられた図書館に入り、いざ適当な本を読もうとした時に判明した。
やっぱり読めない。
「はぁ……一冊だけですよ」
「この借りはいずれ返す」
「別にいいです。それより、何を読むんですか。適当に見繕いますから」
「おお、そうだな」
俺の要望により、カレハナは3つの本を用意してくれた。
〝真っ黒黒の黒猫物語 簡易版〟
〝純・色とりどりの歴史〟
〝お前でも分かる 単純一般常識〟
黒猫物語は、この国の人間なら誰もが知っている、初代黒の戦士と歩みを共にした黒猫視点から描かれる英雄譚。2つ目は言わずもがな。3つ目も同じく。
まずは、黒猫物語からだな。
「では、いきますよ。昔々あるところに、黒猫がいました。名前はまだありません。そこへーー」
「……」
「そこ、そこへ黒の戦士様がやってきました。名前はクロイヌ。クロイヌ様は言いました。そこの黒猫、名は何という。黒猫はーー」
「……」
「こ、答えました。名前はまだない。いらない。必要ない。黒猫はつっけんどんな態度でしたが、クロイヌは気にした様子もなく、黒猫の頭を撫でーーあの、すいません。顔、近いです。その……読んでる最中は、恥ずかしいので」
「おっとすまない」
真っ黒黒の黒猫物語。後に黒猫は、白の国で生まれ、黒だというそれだけで群れから追い出されたという事情を知る事になる。名前が無かったのは、今まで「おい」とか「お前」呼ばわりだったからというわけだ。
因みにそれを知ったカレハナが、涙ぐみながら「国から見捨てられのに……黒猫、頑張り屋さんですっ」なんて言った時にはびっくりした。感情移入しすぎだろ。
まあ、あとは普通に涙あり感動ありの物語。老若男女問わず楽しめる作品だったと思う。最終的には他国の戦士と戦いを終えて、兎と仲間になったり、初めての世界会議を始めたり。
どうして戦士という存在がいるのかは分からなかった。その疑問はきっと、この世界で意味のない事なのだろう。
「ーー黒猫はニャーと鳴きました。めでたし、めでたし……ふぅ。私も全部読むのは初めてでしたが、思ったよりも時間がかかりましたね。もうお昼です」
「ありがとう。初めてにしては上手だったな。とても聞きやすかった」
時間にして3時間弱で終わったのも、カレハナの読むスピードが速かったからだろう。途中からは抑揚も出ていたし。ノリノリだったし。
「では1度部屋に戻りましょう。すぐにお昼を持って参ります。残りの2つは、その後で読みますから」
「分か……ん?」
「何か?」
「……何でもない」
いつの間にか残りの2冊も読んでくれる事になったが、まあ、いいか。それなら俺も、その頃には完全にこの国の言葉をマスターしている。
因みに、俺のお食事事情は大幅に改善されてあった。いかせん量が多いので、パンやスープと言わず、俺たちは全てのメニューを一緒に食べた。バレてしまうと怒られるらしい。そこまで知るか。
ーーそれから、昼飯を食べ終えて、純・色とりどりの歴史をカレハナが読んでいた時だった。俺は聞き慣れない言葉を口の中で反芻しながら聞き返す。
「迷宮?」
「はい。えっと、迷宮を知らないんですか? 凄い遠くから召喚されたんですね」
そういう、ものか。地球も平行世界には迷宮なんで当たり前だったり……と、そこまで考えるとキリがない。大体、この世界も1つのパラレルワールドと言えるのではないか。やはり、キリがない。
カレハナの説明を俺なりにまとめると、この世界の迷宮とは資源確保の最重要施設みたいなものらしい。各国に1つずつあり、迷宮の中は、時間さえあれば無限に湧き出る魔物達。本来なら大自然に赴かなければならないところ、近くにそんな場所があるのなら楽なものだ。階によって出現する魔物も数も、ある程度決まっているらしい。
生きる為なら低い階でも困らない。だが、生きてる上で人の欲望というのは計り知れない。美味なる獲物を求め、質の良い材料を求め、迷宮で命を落とすものも少なくないらしい。
そんな、命知らずの者達が集まる職場、「冒険者」 。主に迷宮で暮らしを立てる人間達。他の仕事と言ったら、時々起こる自然の脅威に立ち向かうくらい。
……冒険者というのは、つい最近、王家の三代前ほどに確立されてある。迷宮は、五代前に唐突に現れている。
迷宮の存在も、果たして考えるだけ意味があるものか、ないものなのか。
「この不死迷宮を詳しく知りたい」
「迷宮ですか……まず、迷宮の名は、その最上階に位置するボスの力が大きく関わっています」
「なら、不死の迷宮のボスは、不死身という事か……」
「ですね。この国は不死の迷宮ですが、例えば金の国は無敵の迷宮です。攻撃はしてこないが絶対の防御で傷1つつけさせない。行き過ぎた平和主義が、皮肉も含めて無敵と呼ばれる所以です。
本当にすっごく硬いですよ」
「……ふーん」
不死身のボス、デスオーバー。幾多の強者が名乗りを上げ、ついに勝つことを諦めた無敗の王者。別に放っておいても問題ないので、今の最上階は空気となっているらしいが。
俺は不死という言葉に釘付けだった。何と魅力的な力だろうか。
是非、戦いたい。
戦わなければならない。
「良かったなカレハナ。俺も暇じゃなくなったぞ」
「はぁ……どこかに行かれるので?」
「ああ」
剣と盾はーーおっ、ベッドと壁の隙間に落ちてあった。ま、こんなのでも、ないよりはマシだろうからな。
「不死迷宮まで、ちょっとな」
ポカンと口を開けていたカレハナが、とても愉快であった。