落とし穴、ゴゥォオオオオ!! 奈落墜落 フォールホール
◇◇◇◇◇
「アリスは分かりますか? 落とし穴の大前提を」
え、まだその話するの?
いやいいけど。
「そりゃあ、誰からも落とし穴の存在に気付かれない事だろう。バレてしまえば、それはもう落とし穴ではない。ただの穴だ。
何も知らぬ誰かが落ちて初めて、落とし穴は落とし穴たりえる」
「そう、そこです。その点に関して、アースンは天才的なのです。誰よりも素早く、誰からも気付かれずに落とし穴……いいえこう言い換えられます。彼女は、奈落の底を作るのです」
「物騒だな」
「戦時中、彼女の即席致死性落とし穴は大活躍でしたからね。何しろ、戦場で兵士にまず教えるのはーー『一、その場に留まるな。留まれば最後、瞬き一つで奈落に堕ちる。二、その場から動くな。前後左右、奈落に通ずる穴がある』ーーなんですよ」
アースンも大概だった。
その教えも誰が考えたのやら。士気を低下させるだけになりそうだ。
それだけ絶望的だったという事か。
メイドが冥土に送るとは、シャレが効いてるじゃないか。
「かくいう私も何度かここに来て、アースンの落とし穴にはまってしまいました。流石に竹槍も毒沼もありませんでしたが……ビショビショになりましたよ」
「水があったのか? まあ、アースンも元気付けようとしてやったんだろうな」
「それは……そう、ですね。彼女はそういう人です。まだ黒の国に憎しみがあった私の、最後のしこりを消したのはアースンなのかもしれません。
……って、あれ、ウサギはどこに?」
そういえば先ほどから声を聞かない。何事かとベッドの下を除けば、ウサギがいたであろうそこには、一つの穴があった。
穴を掘るという兎の習性でないとすれば、これは……
「ーーうわっ、私また会えました! 黒の戦士様と目が合っちゃいましたよ!」
件の穴からひょっこり、1人の女性が顔を出す。話の流れからして、もちろんアースンであった。
「何をしているんだ」
「何って……つい」
つい、何だつい。
カッとなってやったのか?
「まあ、一名様ごあんな〜いってところですよ。ほら、何だか意気消沈しているらしい兎の継承者に笑顔になってもらおうと、ちょっとお股のひんやりする体験を。だって私、優しいですから!」
アースンがそう言い切った後、後ろのカレハナから冷たい返し。
「本音は?」
「黒の戦士様を危険な目に合わせたって聞いて、考えるよりも先に得意分野が張り切っちゃいました。反省はこれからするかも。後悔は気が向いた時に」
「よろしい」
どうもメイドの黒の戦士様愛が強い。
「俺」ではなく、「黒の戦士様」
メイドだからご主人様に……この場合は黒の国に仕えているから、黒の戦士は絶対とかいう、洗脳じみた教育でもされているのかもしれないな。
あり得そうな話で怖い。
メイクンさんの家族光景なんて、闇が深そうだ。
「おっと、伝言が二つありますよ」
穴から這い出てきたアースンは、二本指を立てて俺とカレハナを交互に見た。
まずはカレハナから。
「メイド長が呼んでますよ。何だったかな、確か……お仕置きーー」
そこまでアースンは言って、カレハナの行動は素早かった。
こいつ、こんな俊敏な動きを、そしてこんな醜い自分自身をさらけ出せるのかというほど、最短ルートで部屋を出て行こうとする。
全力疾走。
乙女にあるまじき行いである。
軽く引いた。
……しかし、アースンは読んでいた。
同じメイドとして、多分、お仕置きとやらの恐ろしさを知っているから。
「ーー堕ちるとこまで堕ちましたねハナッち。だったらついでに、落ちててください」
俺は、カレハナの言葉を思い出していた。
『一、その場に留まるな。留まれば最後、瞬き一つで奈落に堕ちる』
「……二、その場から動くな。前後左右、奈落に通ずる穴がある、か」
今回の奈落は、メイド長の所か?
目の前から一瞬でカレハナが消えた。彼女のいた場所の底の見えぬ穴が、全ての真相を明らかにしていた。
「一名様、ごあんな〜いってね」
何だこいつ、カッコいい。
やる時はやる、そういう人間だ。
くっ、砂場で安心設計が売りの落とし穴を作っていた自分が恥ずかしい。
一流は場所を選ばないという。つまりアースンは場所を選ばない。そこが鉄だろうと何だろうと、落とし穴を作ってしまう。
今度ご教授願おう。……俺はまだ、先をいけるかもしれない。
「あ、黒の戦士様は、グレイが呼んでましたよー」
高揚としていた気持ちが、一気にどん底へと沈んでしまう。
嘘だろう。おいサクヤ、俺はゆっくり出来るのでなかったか?
「はぁ……場所は?」
「何か、一階の訓練場で話があるみたいですけど、そこまで私が案内しますよ」
訓練場……
俺は自分の装備を確認した。まだ着替えていない事もあり、武器も万全である。
まさか真剣勝負になる事は無いだろうが、そこはグレイ。俺とサクヤの仲が気にいらず嫉妬を抉らせているかもしれん。
……流石にそれは冗談として。
今回のこれは、冗談ですみそうにないからな。あいつ自ら俺を呼んだというそれは、とても大事な事なのだろう。
きっと。
多分。
「よし、準備は済んだ。案内してくれ」
「わっかりました! では黒の戦士様、もう少し前に足をお願いします」
「ん? こうか」
俺は何の疑問も抱かず足をーーいや待て待て。カレハナフラッシュバック。
「まさかアースン、案内というのは」
「大丈夫ですよ! 他ならぬ黒の戦士様、緩やかで、それでいて道中暇にならないよう幾つかのお楽しみをご用意させていただいておりますから!」
そういう問題ではないのだが。
アースンの屈託のない笑顔。それを壊す事は、流石に出来なかった。
ーー消えたウサギ。逝ったカレハナに。消え行く俺。
結局、三人とも穴に入る羽目になるとは。カレハナがフラグのように落とし穴の話を真剣にしたせいだと思われる。止めなかった俺の責任でもある。
だからこれは……今回の落とし所として、最も的確かもしれないな。
そんな事を思いながら、足を一歩前に出した。数秒待って……
何も起きなかった。
「何だ、失敗か?」
「あっれぇ、おかしいな。ちょっと待っててくださいすぐに終わりますから」
何だか出鼻を挫かれてしまったな。
アースンが俺の足元に用があるらしいーーと俺は思ったのでーー後ろに下がり、どれくらいの時間がかかるか分からなかったのでベッドに腰掛けた。
その時だ。
にやり、とアースンの口元が歪む。
「私も、己の矜持ってやつはあるんですよ。落とし穴は、予定調和じゃただの穴なんです」
それは皮肉にも俺が言った内容だったというのに、まさか、俺自身がそれに引っかかってしまうとは。
ガラリと景色が変わる。
最後に聞こえたアースンの言葉。
「黒の戦士様、ごあんな〜い」




