伝えるということ
「間に合った〜」
18時49分。篠山えりかは帰宅した。急いでラジオの電源を入れ、数字を合わせる。
「このあたり…かな??」
いつもは何かと用事があってなかなかラジオを聴くことはないが、今日は偶然何もなかった。
♪〜♪♪〜
『19時!FM!聴けよ!』
あの時瑞樹に言われたのは、単なる番宣なのかもしれないけど、私は何かを期待している。
手を洗って、お茶を淹れて、一息ついていると、スマートフォンが振動して、SNSにメッセージが来た。
『久しぶり!色々忙しいと思うけど、研究の進捗はど…』
メッセージが長いらしく、通知画面からは途中で途切れている。
あ…野崎さん。
そういえば、先々週?は毎日のように連絡してたのに、今までしてなかったな。
SNSのアプリを開いた。通信速度制限が来ているせいか、今来たメッセージの読み込みが遅い。
『そうなんだ!お役に立てたならよかった!俺も専門の分野じゃないからなかなかわからないけど、少しでも役に立てたなら嬉しいよ!体調に気をつけて頑張って!』
これが最後に野崎さんから送られてきたメッセージ。野崎さんは、私と同じ大学・同じ学科の卒業生で、社会人2年目の先輩。以前行った学科の実習先で偶然出会った人。学科の後輩だからなのか、すごく優しくしてくれる。まあ…基本的に誰にでも優しいんだけど。
『久しぶり!色々忙しいと思うけど、研究の進捗はどうかな?今更ながら、この間篠山さんの実家のあたりに行ったよ!サッカー見に!』
やっと、さっき届いたメッセージが読み込まれた。
!
今まで専攻科目の研究の相談はしてたけど…野崎さん、私の地元行ったんだ…?いいなあ……ていうか、初めて普通の話題だ…
…!
えっ…何これ。え、どうしよう…
「Jのミュージックスタジオ!今日も始まりました〜司会を務めさせていただきます、Jです!みなさま1週間ぶりですねえ!お元気でしたかあ!まずはオープニング曲として…」
19時を回ったらしく、CMばかり流れていたラジオから活発な女性MCの声が流れ始めた。英語がやたら流暢である。
既読つけちゃったから早く返さなきゃ…
普通なら何気なく返せるであろうメッセージが、篠山えりかにはすごく難しい。失礼のないように、不信感のないように…等、様々なことに気を使う。脳内をフル回転させる。
「今日のゲストは〜high estでーす!」
「!…high est」
篠山えりかは思わずラジオの方を見た。このラジオ番組ほぼ初めてくらいに聴いたけど…今日、ゲストだったのか。
「「「どうも〜high estでーす」」」
「いやぁ〜まさか、このゴールデンタイムの音楽番組に出られるだなんて!」
「最高ですね。」
「いやぁ〜ありがとうございます。今日は楽しんでいきますね!!」
「あはは、なんだか芸人さんみたいですねえ〜」
篠山えりかは少し微笑んだ。
「いやいや〜僕ら芸人みたいなもんなんでね」
「そうそう、清川さんとか特にね!」
「いやいやそんなことないですから!んじゃあ、自己紹介して頂いても??」
女性MCと、声の低い男性と、清川瑞樹と、あと1人がラジオ番組に出ている。聞きながら、篠山はスマホをいじる。
「Jのミュージックスタジオお聴きの皆様!初めまして!high estのドラム担当の桃井祝詞です!high estの中で一番イケメンです!はい!」
低い声で桃井祝詞はハキハキと話した。
「最後の方、めっちゃ笑ってましたよ」
「ははは、なんか恥ずかしくなっちゃって。まあ、本当のイケメンはこういうこと言わないですね。」
「桃井はね〜こういうこと言わなければね〜喋ると残念だから。」
清川が茶々を入れ、桃井はおそらく清川のことをバシバシ叩いているのだろう。
「残念って何すか!清川さんひっど〜」
「はい!清川瑞樹です!high estのギター兼ボーカルです!メンバーの中で一番胃が弱いです!」
「無視ですかあ」
「時間少ないからね!巻きで行かないと巻きで!」
「へええ!清川さんは胃が弱いんですか?」
「そうなんですよ。たくさん食べられなくて。いつもサンドイッチとか、サラダとか、OLさんみたいな食事ばっかりしてて。」
「あれ?失礼ですがおいくつでしたっけ?」
「30でございます。」
「まだまだガッツリいきそうなご年齢ですけどね。」
「いやーどうにも食えないんですよ。胃もたれするし、お腹もすぐ壊しちゃいますし。さっきも緊張してお腹壊してましたよ。」
「ええ!大丈夫ですか!」
「今日は新曲の宣伝するまで帰れないので!気合で乗り越えます!」
「はは。じゃあ最後!お願いします。」
「どうも。ベース担当の大林洋也です。この中で一番高身長です。」
すこしはにかんでいる感じの声で大林は喋った。
「あ!やっと喋りましたね!初めての一言です!大林さん緊張してます〜?」
「僕あんまり喋る担当じゃないんで…いつも清川と桃井に持って行かれてます。」
「そうなんですか??じゃあ是非今夜はたくさん喋っていって欲しいところですが…!身長お高いんですか??」
「はい。座ってるとあんまり高く見られないんですけど。180あります。」
「へええ!高いですねぇ!!他のお二人は??」
「僕は172とかですね!」
「清川さんは?」
「ちょっと非公開でお願いします〜」
「ええ!」
「僕らの宣材写真とかムービーとかどうやって撮ってるのかとかばれちゃうんで」
「あら!そこ気にしますか!」
「ちょっと嫌ですね〜」
「ははは、ということで、最近話題沸騰で女子中高生のカリスマ的存在のhigh estの皆さんをゲストに迎え、今日もはじめて行きますよ!まずは、high estの1曲め!行きましょう!では、曲名!よろしくお願いします!」
「女子中高生のカリスマだなんて、恐縮です。」
「今日のセトリは僕らで決めさせて頂いたのですが、まずはメジャーデビューのまえの、ほんとうのデビューシングルを聞いていただきたいと思います。」
「high estで、『ステイ』」
篠山えりかがちょうどSNSのメッセージを送信したときに、曲が流れ始めた。
あっ…
昼に聴いてた曲…
『お久しぶりです。研究の進捗なのですが、最近どうにも忙しくてなかなか、最後にお見せしたところからはあまり進んでないんですよ〜(´-ω-`)』
『へええ!サッカーいいですね!地元にサッカーのできる場所があっただなんて、初めて知りました!』
自分の送信したメッセージを確認してから、篠山えりかはスマートフォンの画面を切り、曲に聴き入る。
篠山がhigh estの曲を、聴かない日はないと言っても過言ではない。365日、ほぼ毎日聴く。
不思議と飽きたことはない。新曲が出れば、覚えようとそればかり聴くことが多くなるが、全く聴かなくなる曲があるとか、飽きるとか、そんなことはない。
初めて聴いたときに意味がわからなかった歌詞が、今になって理解できたり、あとで違う解釈が出来るようになったりと、日々、彼らの楽曲には発見がある。
正直、瑞樹のことは引いたよ。ダメな男だって思った。でも、やっぱりすごいなあ…
なんでこんなに、私の気持ちがわかるんだろう。なんでこんな曲を作ってしまうんだろう。もう世に出たのはずっと前なんだよ…
『何、さっきの声』
ケタケタ笑いながら近づいてくる清川瑞樹。
『俺、泣いちゃうんだからな…』
ぐしゃぐしゃな清川瑞樹。
『健気なんだな。』
優しい声と眼差しの清川瑞樹。
『めっちゃ好きだった。』
未練タラタラの清川瑞樹。
そしてロックバンドhigh estのメンバーでアーティストの清川瑞樹。
私は瑞樹のことをアーティストとしてしか知らないし、瑞樹は私と関わった記憶が私の半分以下しかない。
それに、今もあの人が私のことを覚えている保障なんかなくて、彼にとって私の存在なんかたくさんいる自分のファンのうちの1人にしか過ぎない。
だめだよ。
これ以上、自分の中で存在を大きくしちゃ。
『〜♪ 一番大切な人が幸せならそれでいいの』
『何もいらない〜♪』
『何よりもあなたが大切だから』
『それでも私に気づいて欲しいし』
『胸の痛みは治まらない…♪』
急にスマートフォンが激しく震えて、篠山はびくっとした。
「うわあ、びっくりした…」
手にとって画面を見ると、野崎裕太が画像を送信しました と出ている。それ以外にも1件。
「野崎さん、仕事もう終わったのか」
前は、21時頃まで仕事が長引く忙しい時期だと言っていた気がする。もう繁忙期は終わったのかな。
さらにスマートフォンが震え、メッセージが来ている。
「野崎さん珍しく返事早いな…」
『おつかれ!そうなんだね!お忙しい中申し訳ない!わからないことがあったら、俺にできることならなんでも言ってね(^^)』
そして、サッカー場の写真が送られている。
『仕事の人と一緒に日帰りで行ったんだけどなかなかすごい試合だったよ!めっちゃ面白かった(笑)』
優しい…それに嬉しそう。サッカーあんまり知らないから、なんか申し訳ないな。
『最近できた会場みたいだよ!すごくきれいだった!』
野崎さん、彼女いるのかな。こんなに優しくて、気が利いて、頭も要領もいい人だから、きっといるんだろうな。若いし。
私の方が若いけど…
篠山はスマートフォンの画面をタップして、返事を一生懸命考える。
「はぁ〜い!1曲め!ありがとうございましたぁ〜」
「思わず涙ぐんじゃうバラードですね!この曲ですが…どんないきさつで作詞作曲を??」
それと同時に曲が終わって、女性MCがハキハキとhigh estに質問を投げかける。
「はい。ありがとうございます。インディーズの頃の曲なので、僕らの中では本当に古い曲なんですけど」
清川が嬉しそうに、かつ真面目そうに答える。
「僕はいいやつだって思われたくて、みんなに好かれたくて、ほんと、嫌われたくなくて。嫌われないためにはどうしたらいいか、でも好かれたい。そういうヤラシイ気持ちが詰まった曲なんですね、これは。」
「嫌われないために自分を偽って他人の幸せを願っているよって振る舞うんですけど、でも本当はそのぶん報われたいから、悲しいし寂しい。当時の僕はなんでだよって嘆いていたんですけど…まあ、精神的に未熟でしたよね。」
「結局、本当の自分じゃないと無意識に見抜かれてしまうんでしょうね。本気でぶつかって、嫌われたならそれまでなんです。本当に関わるべき人間だったら、そんなことで関われなくなったりしないんですよね。」
「あはは、なんかよくわかんなくなっちゃいましたけど。僕なりに、バンド結成して、デビューしてから数年間で色々成長しましたよ。」
「おお〜熱いですね!清川さんコメント長くないですか。」
桃井が茶々を入れ、清川が長くねーよと、はにかんだように笑う。
「でも清川さんの言ってること僕は本当によくわかります。相手に気を使うことは大切だけど、顔色伺ってばっかりじゃだめだよってことですね!」
「そう!さすが桃井。俺のこと大好きだね!」
ラジオから笑いがあふれる。
「ははは!仲良しなんですねぇ!!」
もしかして、私に言ってるのかな?
篠山は、なんとなくスマートフォンの画面を見て、送ろうとしていたメッセージを少し消した。
自分に正直に、かあ。難しいなあ。
ぱっ
「!」
返事はまだ送っていないが、野崎からメッセージが来た。
『って、もしかして俺出身地間違えてたりした?(`ェ´;)
だとしたら俺、篠山さんのわからないことめっちゃ語ってて恥ずかしいな!笑』
「野崎さん、ふふ」
篠山はちょっと笑った。
『出身地、合ってますよ!平気です!笑』
篠山はそう打ち込んで、送信した。
野崎さん、優しいなぁ…サッカーのことはやっぱりよくわからないや。
画面を見て、にこにこしている篠山は、続きを打ち、送ることにした。
「はい。それじゃあ、次は僕。大林洋也のおすすめの2曲目にうつりますね。」