パズルのピース
忘れないようにしなきゃじゃないわ。
花の女子大生篠山えりかは、自分の通う大学の図書館にいた。
耳に挿したままのイヤホンから音楽が頭の中へ通り抜ける。
彼女は昨日アルバイトをしていたわけだが、アルバイト先のアパレルで行われた、メンバーズカード限定プレセールの影響なのか平日のくせに見事に混み、休憩では見事にへたり込み、勤務が終わってからすぐに帰った。
篠山えりかの大学の図書館は、学生証を持つものしか入場できない。学生証が磁気カードになっており、それを読み込ませることで改札のようになっている図書館に入場できる。
そして彼女は学生証をどこかでなくしていた。
今、図書館に入場できずに呆然と立ち尽くしている、というわけである。
(あああああああ)
篠山の頭の中は自分に対する怒りと焦りと、恥ずかしさと、なにより今日提出のレポートを昨日のアルバイト終わりにやらなかった後悔でいっぱいだった。
自分の学部棟以外行かないから、学生証の申請とかよく知らないしパソコンが図書館以外にあるのかも知らないし、てか友達いないし!
あああああああ
レポートのタイムリミットまであと2時間弱。
最悪手書きで許してもらえるだろうか…
あっ…レポート用紙も忘れた、あーあー……
篠山えりかがため息をつき、前を見ると、それと同時に横を通り抜けた男が何かに気がついたのか、不自然に振り返り、こちらに向かってきている気がした。
あっ、入り口の扉、1箇所しか開かないんだった。私邪魔かな。出よう。
篠山えりかはくるりと振り返り、図書館の自動ドアを出た。
(このまま学部棟向かっちゃお…)
図書館からそのまま学部棟まで、塗り固められたコンクリートの道を歩く。
(さっきの人も忘れ物したのかな)
などとぼんやり考えていると、
イヤホンの外から、何か聞こえるような気がする。
「篠山えりか!」
「の"ッ!?」
いきなり後ろからイヤホンを外され、それと同時に耳元で若干大きめの声で名前を呼ばれた。
一瞬固まって後ろを振り返った。
グレー地にチャコールの線が入ったカーディガンを着て、ジーパンではない丈の合ったパンツをロールアップして履き、靴はチャラついていないような革靴。
アイテム自体がすごくイケているというわけではないが、合わせ方がうまく、自分に何が似合うのかがわかっている印象だった。
髪型は黒髪だが不潔感を感じない程度にパーマがかっている。そしてその人は、洒落すぎていない伊達メガネをかけた男であった。
わずか0.2秒程度で篠山えりかはこれを目視し、
(センスいい)
と頭の中で打ち出した。職業病か。
篠山えりかは、そのセンスのいい男の顔をまじまじと見た。
目があった。
「そんな、舐め回すように見なくても」
そして、吹き出した。
「何さっきの声」
ケタケタと笑っている。
篠山えりかは、なんとも言えない、花の女子大生とは思えない声を上げたことを思い出した。知らない人の前で。
急に顔の温度が上がるのを感じた。恥ずかしすぎる。
男は笑い終わると、思い出したように
「はい」
と手元のものを差し出した。
学生証 篠山えりか
「え?」
「さっきの建物の中で見かけたけどやっぱそうだったんだね。よかった人違いしてなくて。」
「ああ、はい、えっと…」
篠山はコロコロと変わる展開に困惑しながら、
「ありがとう…ございます…」
と両手で自分の学生証を受け取った。
「はっ!?」
再び篠山は声を上げた。
渡したと同時に去ろうとしていた男はビクッとして振り返った。
「清川瑞樹!?」
篠山えりかはその名を発した。
清川瑞樹は迷惑そうにつかつかと篠山えりかの前まで歩いてきて、
「しぃーっ!」
と言いながら彼の口元で人差し指を立てた。
「あっすいませ…」
篠山は周りをキョロキョロと見回し、
「今授業中なので…人そんなにいないので…大丈夫です。でもすいませんでした。」
と言った。
清川瑞樹は自分の髪をちょっと触って、
「まあ俺なんて1人でいてもなかなか気がつかれないと思うけど。」
「正直グループ名言われてたらやばかったから、まだ…ね。」
「しかもこんな郊外の大学のキャンパスにいるなんて思われないだろうし。」
さりげなくバカにされた気がしたが、篠山えりかが言葉にする前に清川瑞樹が口を開いた。
「おとといくそほど飲んだのは覚えてるんだけど。」
「何で俺は女子大生と居酒屋行った?」
「君と俺で何した?」
「何で学生証置いてった?」
目がマジだった。
「えっ」
いや、そんなの私が聞きたい…
「俺ら、失恋ソングばっかり歌ってるから、世間的にそういうイメージないだろうし、週刊誌とかに張られてないだろうけど」
「逆に失恋ソングばっかり出してるから誤って熱愛報道とか出たらマズイんだよ。」
「信頼を失う可能性がある。」
ん?
いや、なに言ってるのこの人…
まあ確かにそうかもしれないが、なんか釈然としないというか…引っかかるというか…
おととい、この人は振られたから死ぬほど飲んだと言っていなかったか?
そして振られた女に未練タラタラ泣いていなかったか?
正直ファンとしては…まあ裏切られた感はあったけども…
そういえば話題に上ったことなかったな、high estのメンバーの熱愛報道…
今までうまく隠してたのか。
篠山えりかは、ごちゃごちゃする頭の中で、冷静になれと唱えた。一息つき、口を開く。
「…居酒屋に行ったのは」
「正直よくわかりません。」
そこまでで清川が口を挟んでくる。
「いやわからないって何で」
「本当にわかりません。」
「まさか俺が奢るからやらせろとか言ってないよね?俺。」
躊躇なく言った清川に対して、篠山は恥ずかしさ全開で口籠った声を出した。
「いっ…言われてません。本当に、何であそこに行くことになったのかわかりません。」
「え?じゃあ俺、セックスしてないんだ!」
心の底から安心したような声色で清川は言った。篠山は激しく羞恥を感じた。
「や、やめてください。」
「あー、こんなお日様の下でな、ごめん。」
「ほんとですよ…」
篠山はふっと、少し息を吐いて、
「少し、かわいそうだと思ってしまったのかもしれません。」
そう言ってから、篠山えりかは、清川に対して失礼だったかもしれないと少し後悔した。
「あっ、ごめんなさい」
清川は興味深そうに篠山を見つめた。
「えっと…かわいそうとは少し違うかもしれません…」
そして彼は、ふふ、と笑った。
「違ったらなに?」
「えっと…」
(どうしよう、よくわからないな。言葉が見つからない。)
篠山は、心拍数が上がっていた。どうにも、普段よりも脳まで酸素が届いていないのか、頭がなかなか働かない。
清川に失礼な態度を取ってしまったのではないかという不安感と、正しい答えを出さなければという焦りと、何より直接会うことさえ困難で、人生の中で認識してもらうことすら不可能に近いはずの憧れの人と会話をしているという事実…
「ほっとけないというか…目が離せなくて。」
「ただの、ほかの酔っ払いだったら間違いなくシカトしただろうし…」
「わたしがhigh estが好きで、清川さんが好きで、だからなのかもしれないけど、どうしても目が離せなくて、私じゃなきゃダメな気がして」
「って、あはは、何言ってるんですかね私。私じゃなきゃダメとか…」
篠山はやっちまったなと思いながら恐る恐る清川を見たら、無表情で篠山えりかを見つめ、
「あっ…ごめんなさい気持ち悪いですよね。」
清川はその声にはっとして、はははと笑った。
「健気なんだな。」
「けっ…」
けなげ??篠山えりかは顔の温度が上がっている気がした。
いやいやいや、馬鹿正直だなって意味だから…褒められてないから…
篠山は自らを落ち着かせようとそんなことを脳内で唱えたが、
「バンドマンにそんなこと言っちゃいけないよ。」
清川はケタケタ笑いながら篠山の頭に触れ、篠山えりかの髪の毛を櫛で通すように撫でて、
「19歳の子に告白されるとか、俺もまだ捨てたもんじゃないね。」
と捨て台詞。
スタスタと歩いて行ってしまった。




