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他人の心は他人のもの

なんでこんなことになっているの?篠山えりかの脳内にはそれしかなかった。


隣にはおそらく記憶がないであろう年上の男。


そして、いつの間にか連れてこられた個室居酒屋。


どうしてこんな展開になっているのか、全然わからない。


「…帰ります」


ドンッ


「帰んなよ」


篠山が立ち上がろうとすると、この男が壁ドンで遮ってくる。さっきからずっとこの調子だ。

恐怖のあまり、篠山えりかはガチガチに固まる。


「また帰るって言ってみろ…」


しかし、ここからはさっきまでの様子とは違った。

男はじりじりと篠山に迫り、


「俺、泣いちゃうんだからな…」


と、耳元で囁いた。


男から香る強いアルコールの匂いに、篠山は彼から目をそらし、思わず顔をしかめた。


男は顔が嫌に白く、その割に頬は赤く火照っており、目の焦点が微妙にずれている。


花金の電車に乗ることはあっても、個人からこんなに強力なアルコール臭を感じたことはない。


この男は相当酒を飲んできたらしい。だから、間違いなく彼に今の記憶はないであろう。


(泣いちゃうんだからなって…)


「…あの!」


篠山は覚悟を決め、声を張り上げた。


「帰ります。私、明日早いから」


言い切ろうとした時に、男の虚ろな目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。


(え、えぇ〜…)


この出来事に、驚きと呆れと申しわけなさと恐怖が篠山の心の中に渦巻く。


(本当に泣いてるこの人)


男のメガネがずれ、声も出さずに彼は涙を流す。篠山は目を伏せた。


…私の前で、『清川瑞樹』が泣いている。


「うっうっ」


しばらくすると、静かに涙を流していた男は嗚咽(おえつ)を漏らしはじめた。


篠山はちらっと目の前の涙する男を見つめる。


一瞬、どきんと心臓が高鳴った。


「あの…泣かないでください」


「その、困るんで」


篠山えりかは男に詰め寄られたのとは反対の、左手側に置かれていたおしぼりを手に取り、差し出した。


男は震える手で篠山の手ごとおしぼりを握りしめ、小さい声でごめん、と言ってから受け取った。


彼は涙を拭い、鼻水をすすり、顔面を拭いた。


あ、顔拭いちゃうんだ…と、篠山は一瞬冷静になった。


「俺さ、振られたんだ」


「!?」


急に男が語り出したことと、顔をおしぼりで拭いていた彼と彼の暴露の振り幅に、篠山えりかは色々な意味で衝撃を受けた。


「振られたって…」


「めっちゃ好きだった」


食い気味で男は言った。絞り出すように。優しい声で。


「いつですか」


「今日の昼」


「うわぁ…」


しんと静まり返り、篠山は気まずさを味わって、


「…何で振られたんですか」


何となくかわいそうだとは思ったが、彼女は質問をしていた。


「女々しいから」


涙を浮かべながら、男はそう言った。


「別れようって切り出されたのが悔しすぎて、辛すぎて、これでもかってくらい飲んだ。」


「は、はぁ…」


篠山はいたたまれない気持ちになる。


「俺がどんだけ女々しいかはさ、よく知ってるでしょ?」


彼はそう言いながらおしぼりで涙を拭いた。


「俺、『清川瑞樹(きよかわみずき)』だから」


彼からその名前が出てくるとは。篠山は反射で顔を下に向けた。


「俺らの曲、よく聴いてくれてるんでしょ?」


「……………」


顔を下に向けたまま、上げられない。


どうなってるの、これは。


何で清川瑞樹が目の前にいるの。


何で清川瑞樹とこんなところにいるの。


清川瑞樹は何で泣いているの。


てか彼女いたの。


別れたってなに。


何で私にそんなこと言ってるのこの人。


なんで、なんでなんでよりによって私に。


こんなにボロボロの、酔っ払いの、振られた女に未練タラタラの、かっこ悪いうざったい(ひと)が…


私を元気付けてくれた憧れの人が…


「聞いて…ます」


「あなたたちがメジャーデビューする前から」


なんで私なんかと話をしているの。


目の前にいる清川瑞樹という男は、他でもない、high estのボーカル兼ギターの、まぎれもない有名人。まぎれもないアーティスト。


まぎれもない…篠山えりかの人生のバイブルと言っても過言ではない歌を世に送り出したその人。辛い時も、嬉しい時も、歌を通して自分を助けてくれた人。


篠山えりかの、憧れの人だ。


「はは、うれしいな。」


「そんな前からの人がいてくれたんだな。」


清川瑞樹は優しい声で、少年のようにけたけた笑った。


「最近さ、俺ら明るい歌しかなかったじゃん」


清川は白い歯を見せ、


「まあそれは、まあ…彼女いて幸せだったからだけど」


自嘲し、


「今はもう無理だ。明るい歌なんて作れねえし歌えねえし聞きたくない。」


次第に笑顔が消え、


「爆発しろとまでは言わない。彼氏彼女のいる奴らは俺の見えないところに行ってくれ。」


そして絶望した。


「かっこわりい。」


そう言いながら表情をコロコロ変えた清川瑞樹は、もう一度涙を流した。それを見て、篠山はため息をついて、


「…もう、いい大人でしょう、みずっ…き…よかわさん…」


と微妙に言い間違えながら言葉を吐き出した。


「そんなの大したことない。本当に運命だったらそんなしょうもない理由で別れたりしない。時間が経てば忘れちゃうんだから。」


「…………」


「また、歌書けばいいじゃない…そうしたら…私とか…絶対買いますし…」


「彼女だってまた出来ますよ…」


ああ、何テキトーなこと言ってるんだろ。


清川瑞樹の目は相変わらず虚ろであった。


なんとなく恥ずかしくなり、そして篠山は最後にこう言うことにした。


「…あと私、まだ19歳なので。30歳の人が、居酒屋に連れ込むのは良くないと思います。」


「は????」


清川はびくっとしたリアクションをし、


「え、いや、10代には見えな…」


「!!!」


「ひどい」


老け顔がコンプレックスの篠山えりかは清川が言い終わる前に一瞬にして傷付き、勢い任せに


「さすがに帰ります」


と吐き捨て、清川瑞樹を振り払い、走って居酒屋を脱した。


「あっ…」


清川はなんとなくしょんぼりとした表情をしてから、足元に落ちているカードの存在に気がつき、拾い上げた。


『学生証 篠山えりか』


大学名学部学科生年月日顔写真住所まで載っている、学生証だった。


清川は篠山の出て行った方を見たが、当然走って出て行った篠山はもうここにはいない。


清川はふらふらしながら壁に寄りかかった。


「あの子、本当に10代だったのか…」


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