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ポンコツ魔術師の凶運  作者: 池金啓太
二十二話「本質へと続く道標」

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痛みは自分で受けて初めて

そんなことを話していると文は書類の中からベフ・ノイの名前を発見する。


記載されている情報は所属時期と拠点の場所、仮面の特徴など基本的な情報だった。この中に記載されている拠点の場所と仮面の特徴が康太と文が知りたいと思って探していた情報である。


偽名も使わずに本当に術師名を使っているとは思わなかっただけに、ここで情報がつかめたことに康太は少しだけ眉をひそめていた。


「これで場所はわかった。とはいえここにい続けているとも限らないけど」


「まぁ現地に行ってみるしかないでしょうね。ところで叩き潰すっていうのはいいけど、どうするつもり?」


「そりゃもう叩き潰すさ。まぁ具体的にはサリーさんに手を出さないようにしてもらおうか。ちょっと頑張るかな」


ちょっと頑張る。康太の言葉の意味を文は正しく理解できずにいた。ただ戦うだけではないのだろうと思ったが、それ以上にどのように対処するのか不明だったのが不安だった。


会社同士のいさかいといえばそこまでの話だ。どこかの別の企業が別の企業に対して妨害行為を行うこと自体は不思議なことではない。


もっともそれらはわからない形でするものであり、法律にも違反しないレベルでの所謂水面下で行われるようなものだ。


どちらかといえばそれは妨害などではなく競争と呼ばれるようなものなのだろう。自社だけではなく他社とも競い合うことでよりよい会社にしようというのが根幹にある行為である。


だが今回のこれはそれらとは明らかに違う。そういった会社同士の暗黙のルールにのっとった行為ではなく、法を無視したただの犯罪によってそれをなそうとした。


だからこそ、法を無視したものには同じように法を無視した扱いをしようとしているのだ。もっとも今回の場合は相手が魔術師だからこちらも魔術師が出てくるというだけの話である。


一般人の法は魔術師には適応されない。いや、魔術師は一般人の法を意図的に無視するといったほうがいいだろうか。


そういう意味では康太も徐々に魔術師らしくなってきたというべきだろうか。


「一応サリーさんには連絡しておこう。術師名と拠点の住所。あとは俺たちがやるってことだけ伝えておけば大丈夫だろ」


「平気かしらね?まぁあの人が『やめろ』とかいう性格じゃないのはわかるけど・・・」


「あの人に出てこられるとちょっとあれだよな・・・ただでさえ疲労のピークの状態で出張られても多分いろんな意味で危ないし・・・そのあたりはベルさんよろしく」


「・・・はいはい、私が説得するわけね」


文はため息をつきながら奏に電話するべく携帯電話を取り出す。


「お疲れ様ですライリーベルです。今お時間よろしいでしょうか?」


いつものように文は淡々と情報だけを話していく。今回得た情報に加えこれから自分たちが何をしようとしているのか。


文は康太のほうを少し見ながら、何度か頷いて話を続ける。


「はいそうです、とりあえずビー曰くちょっと頑張ると。そちらに不利益が出ないように立ち回るつもりではあります・・・はい・・・いえ、サリーさんは出るまでもないかと。はい私たちだけでやります・・・はい・・・はい・・・はい、います・・・わかりました、少々お待ちください」


奏と話していた文は携帯を康太に差し出す。おそらく奏が康太と代わるように指示したのだろう。


「お電話代わりましたブライトビーです」


『ビーか、とりあえずお前の考えは大まかわかった。相手に二度とこのようなことをさせないように教育するつもりだろう?おそらくは痛みを伴って』


「・・・はい。そのつもりです」


奏は康太がやろうとしていることを文から聞いただけでほとんど正確に理解していた。それもそのはずだ、すでに似たようなことを康太の師匠である小百合がやっているのだから。


『師弟は似るというが・・・ここまでとはな。標的を私の会社よりも自分のほうに向けさせるつもりか?』


「そんなつもりはありませんよ。敵意を向けられない程度に叩くだけです」


『あの子もそんなことを言っていたよ・・・まったく・・・ベルにも聞いたが、私も出るべきではないのか?』


「いいえ、俺たちで十分です。サリーさんが出る幕ではありませんよ」


文と同様にそう言い切る康太の言葉に、奏は電話の向こう側で小さくため息をつく。あきれているのか。それとも同じようなことを言う二人にかつての小百合の面影を重ねているのか、どちらかはわからないが奏はそれ以上言及することはなかった。


『わかった。お前たちに任せる。だたそうだな・・・そいつがわざわざこんな行動を起こしたということはつまりライバル会社に勤めている可能性が強い。そいつの名刺でも何でも身分がわかるものを回収してきてくれ』


「わかりました、回収しておきます。他に何かご要望は?」


『そうだな・・・どこかに所属しているということもあっておそらくそれなりに身分のある立場だろう。派手にやりすぎると少々目立つ。そのあたりはうまくやりなさい。目立たない傷つけ方というのもある』


「了解しました。気をつけましょう。それでは失礼します」


康太はそういって通話を切る。すでに必要な情報は伝えた。奏が欲している情報も理解できたため、あとは行動するだけだ。


「目立たないようにか・・・ちょっと考えないといけないな・・・」


「ん?目立たないようにするのはいつものことじゃない?」


「あー・・・まぁそうなんだけど」


目立たないようにするのは自分たちだけではなく体につける傷そのものなのだが、そのあたりはどうしたものかと康太は悩んでいた。


今までそういうことは気にしていなかっただけに、これからは傷つける場所にも気をつけなければいけないのだなと自覚し始めていた。


さすがに時間も時間だったうえに消耗が激しくなっていたため、康太と文はその日は休み、次の日の夜、行動を開始していた。


体力も魔力も回復した状態で手に入れた情報をもとに移動し、二人はその場所にたどり着いていた。


「ここか・・・予想はしてたけど普通の家だな」


「まぁ普通に会社に勤めてて、家庭を持ってたらマンションか家になるのは当たり前だけど・・・普通の一軒家ね」


康太と文は記載されていた住所に到着すると同時に、周囲の状態を確認していた。


場所は東京の少し都心から離れた場所にある住宅街。その中の一角にある一軒家が拠点として記載されている場所だった。


こんな一軒家を持っている人間が犯罪を指示したとは考えにくいが、実際に裏を取れているだけに少しだけ疑問が残る。


「あの二人がうそをついた可能性は?」


「依頼書もチェックしたんだぞ?その場の嘘にしてはちょっと手が込んでる気がする・・・魔術師の反応は?」


「あるわね。一人だけ・・・ってことはその人だけが魔術師でご家族は一般人ってことかしら・・・ちょっとやりにくいかもね」


たいていの魔術師の家庭は文の家のように一家すべてが魔術師であることが多いのだが、今回に限ってはそういうことではないらしい。


「相手は男か?女か?」


「男ね・・・そんなこと気にしないでしょ?相手が男でも女でも」


「おうよ。世の中男女平等だ。男より強い女なんてうようよいるんだから加減なんかしたらこっちがやられる」

「あんたが言うと説得力あるわね」


康太の男女平等観念に関しては置いておいて、康太と文は離れた場所から家の様子をうかがっていた。

家の中には三人の人間がいる。一人は男性一人は女性、そして子供が一人、これは男の子のようだった。


「で、どうするの?ちょっと頑張るとか言ってたけどさ」


「んー・・・物理的に傷つけるか心理的に傷つけるか・・・家族がいるなら目には目を歯には歯を作戦でもいいと思ってたんだけどな」


「・・・ってもしかしてあの子供を攫うつもり?はっきりとはわからないけどたぶんだいぶ小さい子よ?それこそまだ小学校にも通えてレベル」


「んー・・・変なことをすれば同じような目に遭うぞって因果応報的なことを知らしめるのもいいかと思ったんだけど・・・さすがになぁ・・・なんていうかかわいそうというか・・・さすがに子供に罪はないからな」


康太としては無関係な人間を巻き込むのは気が進まないらしい。となれば子供を誘拐するのはやめておいたほうがいいだろう。


ではどのようにすればいいか、康太の頭の中に浮かんでいることを実行するには少しばかり手順を必要とする。


「とりあえず出てきてもらおうか。そうしないと話もできない」


「どうやって呼び出すの?デビットを使ったらあんたがやったってすぐばれちゃうわよ?」


「まぁやりようはいくらでもあるって・・・ほいっと」

康太はそういいながら魔術を発動し、相手の腕をつかんで見せた。魔術師でないものであれば心霊現象などであると騒ぐかもしれないが、魔術師であればこれが魔術であるということは即座に理解できただろう。


そして康太と文という魔術師二人が近くにいるということを索敵で理解したのか、魔術師はすぐにこちらのほうに視線を向けていた。


「ほらな、気づいてくれた」


「それですぐにこっちに来てくれるかしらね」


「来てくれるさ。家族を巻き込まないようにするには出てくるほかない。だって俺たちからすればあの家の中で戦ったっていいんだぜ?」


一家を守る大黒柱としては、家を戦いの場にするわけにはいかない。こちらが気を利かせて魔術師である男性にだけわかるように呼び出しているのだ。


まだ戦いの段階ではなく話し合いの余地があるということを知らしめている。であれば出ていかないわけにはいかない。


心理戦というよりは互いの心情的にあの家からは出てくるのだ。


康太の読み通り、相手はカバンを一つ持って家から出てきた。その際に家族に暗示も施したのだろう。こんな夜遅くに出ていくというのに何の疑問も文句も言わずに妻と子供はそのまま生活を送り続けている。


家を出てくると同時に周囲にだれもいないことを確認すると、康太と文がいる建物の屋根まで一気に駆け上がってくる。


やはり魔術師の動きだと納得しながら、目の前にやってくると同時に仮面を身に着けた魔術師は康太と文に向かい合う。


「何の用かな?家族団欒の時間は邪魔されたくないのだけれどね」


「あぁ、一つ二つ質問があってな、失礼だとは思いながら呼び出させてもらった。あんたにだけわかるように呼び出したことにこちらなりの礼儀があると思ってもらえたら幸いだ」


康太と文はその仮面を見て目を細める。


件の仮面だ。情報通りの形をしている仮面だ。犯罪を指示した時には特に偽の仮面などはつけていなかったのだろうか、少々詰めが甘いように思えた。


「質問とは?早く済ませてほしい」


「あなたの術師名を教えてほしい。あぁ、俺はブライトビーだ」


隠そうともせずにそう名乗った康太。ブライトビーの名前を知っていたのか、目の前の魔術師は少しだけ驚いているようだった。


「おぉ、君がそうか。名前は聞いているよ。随分若そうだな・・・っと、質問の答えだったな・・・私はベフ・ノイだ」


その名に康太と文は視線を合わせると小さくうなずいていた。


もうどうするかは確定的だが、問題はこの後だ。


「初めましてベフ・ノイ。次の質問で最後だ、正直に答えてほしい」


「何かな?」


「須藤香織を攫わせたのはお前だな?」


康太の言葉を聞き、理解した瞬間、ベフ・ノイの身が一瞬強張る。そして雰囲気が先ほどまでのそれとは一変していた。


「・・・何のことかな?すまない、どういうことだか」


「ごまかさなくてもいい。お前が依頼した魔術師たちは快く話してくれたよ。お前に依頼されたこと・・・あと依頼書まで見せてくれた。荒事をするなら次からは偽名を使うことをお勧めするよ」


誤魔化しはできない。康太の言葉にベフ・ノイは仮面の下では歯噛みしていることだろう。いったい何を考えているのかはわからないが、少なくとも康太と文を見てどうするべきかを思案しているところだろうか。


「・・・仮に、その人を攫わせたのが私だとしたら、どうするつもりなのかな?」


「決まってる。二度とふざけたことができないように徹底的に教育させてもらう。このことはすでに協会も了承済みだ」


すでにこのことが協会にも伝わっているという事実に、ベフ・ノイはわずかに握り拳を作っていた。


リアクションが素直すぎるなと、康太はこういったことを普段行ってこなかったタイプの人種であるということを理解する。


おそらくは何かしらの事情があって致し方なくこのような行動に出たのだろう。仮面の付け替えも偽の術師名も名乗ることなく真正面からこういったことを起こしたのはそういった事情があるのかもわからない。


すでに状況が詰みに近いという状況に、ベフ・ノイはどうしていいか迷っているようだった。


「・・・つまり、協会に引き渡すと?」


「それは俺のやることじゃないな。俺はふざけたことをしてくれたお前に仕返しをしに来ただけだ。お前のバカげた行為のせいで迷惑をこうむった人間がどれだけいると思ってる?」


「・・・要するに復讐しに来たのか?」


「そんなたいそうなもんじゃない。ただの仕返しだよ。やられたからやり返す、それだけだ。ちょうどあんたにはかわいい子供もいることだしな」


康太の意識が家の中にいるベフ・ノイの子供に向けられると、先ほどまでとは雰囲気がまた変わる。


子供に手を出すのであれば容赦はしない。そういう覚悟を秘めた強い目を仮面の下に秘めていた。


「子供は関係ないだろう?やったのは私だ」


「関係ない子供を巻き込んだお前が言っても説得力はないな。因果応報、自分が誰かにやった行為は自分にも返ってくるものと知れ」


康太が進もうとするとベフ・ノイは手を前にかざして魔術の攻撃態勢に入った。やる気は十分といった様子だった。


子供だけは守る、そういう決意が秘められている目だ。だからこそ康太はこの男を徹底的に痛めつけるつもりだった。


体だけではなく、心の部分を。


「子供を攫ったらどうしてやろうか、とりあえず普通の生活ができない程度に痛めつけようか、それともどこかの山中に放置して行方不明にするのもいいかもな。あるいは俺たちが誰かに依頼して、誰にも見つからないように誘拐するっていうのもいい」


「やめろ・・・」


「お前がやったように子供を返すことを条件に身代金でも要求しようか、お前がどこの誰なのかは知らないけれど、まぁ金くらいはいくらでも積めるだろう?あるいは子供だけじゃなくて母親も一緒にっていうのもいいかもな。それぞれ別々に誘拐してぼろ雑巾に」


「やめろ!」


聞くことに堪えられなかったのか、ベフ・ノイは康太めがけて氷の刃を放ってくる。康太は即座に槍をくみ上げると襲い掛かる氷の刃をすべて槍で叩き落としていく。


そしてベフ・ノイを強くにらむ。槍の矛先を向けわずかに殺気すら向けながらゆっくりとその距離を詰めていく。


「それがお前のやったことだ。協会は魔術師としてするべき魔術の隠匿を視野に入れなかったお前を非難するだろうが俺は違うぞ。お前はよそ様の子供を攫わせた。親がどれだけ不安だったか、辛かったか、お前は理解できるはずなのにそれをしなかった」


槍を構えて康太は姿勢を低くする。一緒についてきた文は自分の出る幕ではないのかもしれないと若干距離を取り始める。危険ではないがいつでも康太をフォローできる距離に。


「だから味わえ、自分の家族がどこの誰とも知らない奴にさらわれる恐怖、どうすることもできないもどかしさ、自分の無力さ、お前には全部味わってもらう。もう二度とこんなふざけたことができないように俺がお前を叩き潰す」


協会がそれを望むからではない。康太は奏にこれ以上不利益がないように、そして康太自身がこの男を矯正しなければと考えていた。


「子供は・・・関係ない・・・!これをやったのは私だけだ!なら!」


「それがどうした。そんなことは理由にならない」


ベフ・ノイの言葉はあくまで自分視点の理屈だ。子供を誘拐された須藤家の人間や、直接誘拐された須藤香織は強く恐怖を心の中に刻み込まれたことだろう。


そんなことをしておいて関係ないとはもはや言えない。いう権利を彼はすでに持っていない。


「全力でかかってこい。お前が負けたら、その時がお前の家庭崩壊の瞬間だと思え」


康太を、ブライトビーを相手にすることの意味をベフ・ノイはほぼ正確に理解していた。


戦闘特化の魔術師。その詳細までは知らなくとも、評価や実績などから康太がかなり高い戦闘能力を有していることは理解していた。


先ほど放った氷の刃をその手に持った槍だけで防ぎきったことからもその戦闘能力の片鱗は窺い知れるというもの。


勝てる見込みはゼロに近い。だが勝たなければ自分の妻子が蹂躙される。それだけは許すことができなかった。


他人にそれをやっておいて自分がやられるのはごめん被る、そんな屁理屈にもならない理屈では単なる我儘ととられても仕方がない。だがそれでも彼はそれを許容できなかった。


康太が槍を構えて突っ込むと、ベフ・ノイは氷の刃を周囲に展開させる。その刃は先ほどまでの射撃タイプの魔術ではなく、宙に浮く剣のように形成されていき、まるで誰かがその剣を握っているかのような動きで康太めがけて襲い掛かってきた。


こういう使い方をする魔術は珍しいなと康太は少しだけ目を丸くしながら襲い掛かってくる剣を回避していく。


回避しきれない剣に関しては槍で防御、あるいは受け流してどんどん彼我の距離を縮めていく。


氷の剣に加えて氷の刃をぶつけることでなんとか康太の突進を止めようとするが、康太は氷の刃を完全に見切り、その攻撃を回避し続けなおかつ近づき続けている。


止められない。自分が使う攻撃魔術ではこの魔術師を止めることができないとベフ・ノイは即座に判断していた。


だからこそ彼は止めることを早々にあきらめた。


康太の槍が目の前に迫る中、ベフ・ノイはその体に魔術を発動する。


肉体強化の魔術に加え、その体にまとうような形で氷の刃と鎧を形成する。


康太の槍をはじき、反撃しようとその腕を大きく振るう。


だが康太がそんな攻撃を受けるはずもなく、その腕を逆に蹴り上げて回し蹴りをベフ・ノイの顔面目掛けて放つ。


氷の鎧で瞬時に顔部分まで覆い、その蹴りの威力を減らしたが、衝撃までは受け止めきれずに大きく体をのけぞらせてしまう。


そして康太にこれ以上近づいたまま戦うのは危険と判断したのか、鎧から大量に氷の棘を突き出し強引に距離を作って見せた。


「ビー、大丈夫?」


「平気だ。ただ開き直りやがったな・・・あぁいうのはちょっと厄介だ」


今まで康太と戦った魔術師はたいていが射撃系魔術で距離を取ろうと必死になっていた。できないことをしようと、とにかく射撃魔術で康太を牽制し続けた結果、康太に接近されるという結果をもたらした。


だがこの男は、ベフ・ノイは射撃系、遠距離魔術では康太を押さえ続けることはできないと早々に理解し、接近戦も考慮に入れた戦術を組んできている。


できないことはあきらめてできることで対応しようとしている。康太曰く開き直っているという状態だ。

だがこの状態こそ面倒である。近距離だろうと遠距離だろうと対処しようという気概が見られる。おそらく康太が懐まで入り込んでも動揺することはないだろう。


周囲の空気を冷やしながら、空気中に含まれた水分が徐々に冷やされていき、空気中に氷の粒ができ始める。


かなり広範囲に冷気を発生させているようだった。康太の肌にもその冷気が伝わってきている。


この状態を続けられると身体能力にも影響するなと康太は目を細めていた。


もとよりこの男を長く戦わせるつもりはない。康太は意気込んで再びベフ・ノイめがけて接近していく。


康太の進む先を阻もうと、空中に浮く氷の剣が康太めがけて襲い掛かるが、康太はそれらを容易に回避して再びベフ・ノイに近づいていく。


当然ベフ・ノイも反撃しようと体の周りに大量に氷の刃を作り出して康太めがけて襲い掛からせる。


「フローウィル!」


その瞬間、康太は自分の魔術師の外套とほぼ同化していたウィルに命じ、その形を鎧に変化させる。


襲い掛かる氷の刃を防ぎながら、康太は強引にその距離を詰めると槍の一部にウィルを纏わせハンマーを作り出す。


周囲の氷をも巻き込んで作り出された歪なハンマーは康太の噴出の魔術によって加速され、ベフ・ノイの纏う氷の鎧めがけてたたきつけられた。


氷の棘を作り出してハンマーの威力を緩和させようとしていたが、質量と速度の前にはほとんど意味をなさず、叩きつけられると同時にその体は後方へと勢いよく弾き飛ばされてしまっていた。


隣の家の屋根まで吹き飛ばされたベフ・ノイを追い、康太は速攻で勝負を決めるべく襲い掛かるが、その瞬間ベフ・ノイの体が強く発光する。


その光が電撃によるものであるということを康太は即座に理解し、その体めがけて手をかざし噴出の魔術をベフ・ノイ目掛けて放つ。


その体に接近しようとしていた康太の体は噴出の魔術の推進力によって後方へと運ばれ、同時にベフ・ノイの体を炎によって焼いていく。


氷の鎧があったためにほとんどダメージにはなっていないようだったが、その鎧の形がかなり崩れている。


だが康太からすれば氷の鎧よりも相手が電撃の魔術を使ったことに少しだけ驚いていた。


おそらくあの場で近づいていたら感電させられ、動きを一瞬とはいえ止められていただろう。そしてその一瞬に反撃されていた可能性も否めない。


強かな奴だと康太は目の前にいるベフ・ノイの評価を改めていた。戦闘能力自体はそれなり、だが状況判断ととっさの胆力はなかなかのもの。実戦を何度も潜り抜けた魔術師であるというのは容易に理解できた。


相手が氷と雷の魔術を使うというのは康太からすればあまり良い情報とは言えなかった。


氷の魔術と雷の魔術は相性がいい。特に氷を伝動させて電撃を通すといった応用が可能になるために電撃そのものが避けにくくなる。


さらに物理的な攻撃、現象的な攻撃、その両方を満たすことができるそれぞれの属性であるために康太からすれば防ぎにくく避けにくいことこの上なかった。


だが同時に、康太からすれば相手が電撃の魔術を使うことができるというのは吉報でもある。


普段からして文の相手をしているのだ。今更電撃を使う魔術師が現れたところで全く驚くことはない。


体を電撃で覆う程度の行動は文がすでに行ってきているのだ。その程度で怯むほど康太は軟ではない。


「電撃か・・・ビー、私がやる?」


「必要ない。ベルはあたりの警戒を頼む。ちょっと派手に動くから」


康太は軽く準備運動しながらそう言ってのける。多少面倒な手順は踏むかもしれないが破れないことはないのだ。


康太は大きく息を吸い込むと勢いよく跳躍する。


康太の跳躍はベフ・ノイの体を容易に飛び越し、その背後へと一気に回り込んでいた。


身体能力強化に加え噴出の魔術によって高い機動力を得た康太の動きは慣れていない魔術師では目で追うことも難しい。


特に自分に向かうような形で動いている康太に対して満足に反応するのは近接戦などに特化し、高い反射神経と動体視力を持ち合わせていなければほぼ不可能である。


当然、ベフ・ノイが反応しきれるはずもなかった。


彼の目には康太が目の前から消えたように見えたことだろう。だが康太は消えてなどいないし、まして逃げてもいない。


だがベフ・ノイが康太の姿を捉えようと視線を動かし続ける中、その視線から逃れるかのように康太は徹底的に移動し続けた。


そして康太の動きに呼応するかのように動くウィルが、その体を四方八方へと伸ばしていく。


やがて張り巡らされたウィルの一部が蜘蛛の巣のように足場に広げられると、その網の方々から、康太は一斉に噴出の魔術を発動する。


その体めがけて襲い掛かる炎にベフ・ノイは大きく怯むが、康太は同時に旋風の魔術を発動し炎の出力を高め、なおかつその炎をベフ・ノイの体に収束させていた。


その体を包み込んでいた氷の鎧が徐々に融けてなくなっていく中、何とか氷の鎧を維持しようと周囲に冷気を発生させようとしていた。


だがまさに焼け石に水とでもいうかのように、彼の周りに作り出された氷の刃や壁は噴出の魔術と旋風のコンボによってほとんど形を維持することもできずに融けてなくなっていってしまう。


それでも体にまとわせた電撃だけは残そうと必死になっているようだったが氷の鎧がなくなっている時点でもう半分詰んだ状態にある。


康太は再びウィルの一部を槍の先端部分に集めると、野球のバッターのように大きく振りかぶってフルスイングした。


当然のように発動された遠隔動作の魔術はベフ・ノイの頭部に強い衝撃を加えることに成功していた。


氷の防御がなくなった今、鉄のバットで叩かれるのと同等以上の衝撃を伴って放たれた一撃は彼の体を容易に吹き飛ばした。


肉体強化のかかった状態の康太の全力の一撃を受ければこうなってしまうのも無理もない話である。


康太を相手に足を止めた時点でこうなることは目に見えていた。常に攻撃、反撃をしていないと康太は徹底的に攻勢に出る。


一度調子に乗らせてしまえばあとからその流れを取り戻すのは難しいだろう。


まだ康太は装備をほとんど使っていない。使う必要がないというのもそうだが、不必要にここで血を流してもらっても困るのだ。


これから彼がどのような結末を迎えるのかを考えると胸が痛いが、康太からすればそれは致し方ないことだろとあきらめもついている。


「もう終わりか?なら約束通り、お前の家庭は崩壊するものと思え」


康太の言葉に反応したのか、殴られ吹き飛ばされたベフ・ノイは痙攣する手足を何とか動かして立ち上がろうとしていた。


「させ・・・ない・・・!あの子に・・・あれに・・・手を出すな・・・!」


父親としての意地か、夫としての責務か、ベフ・ノイは立ち上がり康太めがけて強い敵意を向けてくる。


これだけの根性を持った男がなぜあのようなことをしたのか理解に苦しむ。だが結局そういうことなのかもしれない。


自分が殴られなければ殴られる痛みはわからない。自分自身が体験してみないとその本質を理解できない。


想像することはできても、結局のところ人間は体験することでしか本当の意味でそれを理解することはできないのだ。


だからこそ康太が今それを教えるのだ。こうなるまで理解できていなかった事柄を、今ここで彼に教える。それが康太が今ここにいる理由の一つである。


「上等だ、何度でも立ち上がれ、何度でも叩き潰してやる。お前が無力感に押しつぶされるまで、何度でも、何度でも、何度でも!」


康太が握り拳を作り、何とか立ち上がったベフ・ノイ目掛けてそう叫ぶ。もはやどちらが正しいことをしているのかわからない構図だった。


もっとも、康太は最初から正義によって立っている男ではないためそのあたりの判断は微妙かもわからない。


言葉の通り、康太はベフ・ノイが何度立ち上がっても、何度立ち向かおうとも、それらをすべて跳ねのけ、その体を痛めつけ続けた。


魔術を躱し、その体を攻撃し、やがてその精神にまで強い傷跡をつけていった。


何度でも、何度でも、何度でも。


ベフ・ノイが抗う姿勢を見せる限り、康太の攻勢が終わることはなかった。まさに徹底的に続けられるその攻撃に、傍から見ていた文でさえ、ベフ・ノイが少し気の毒に思ってしまったほどである。


彼は決して弱い魔術師ではない。康太との戦いを見ていると、今まで何度も実戦を潜り抜けてきたであろうことが行動の節々から理解できる。


だからこそ惜しいのだ。これだけの実力を持っていた魔術師なだけに、奏を敵に回してしまったことが。


そして実戦を潜り抜けていたはいいものの、康太のように戦闘特化の魔術師に今まで出会ったことがなかったのが彼の最大の不運だといえるだろう。幸運ともいえるのかもしれないが、康太と戦う前に一人でも戦闘特化の魔術師と戦っていれば結果はまた違う形になっていたかもわからない。


「ぁ・・・ぐ・・・ぐぁ・・・!」


「もう喋る力も残ってないか、だけど目はまだ死んでないな」


康太はそういってベフ・ノイの頭を軽く蹴飛ばす。何とか康太のほうを見ようと体に力を入れているがまったく力が入らないのか康太のほうを見るどころか体を起き上がらせることもできない様子だった。


これだけの状態でよくここまで康太に対する敵意を向けられるものだと文は感心してしまっていた。


同時にこのエネルギーをもっと別な場所に活かせなかったのかなと思うと情けなくさえ思えてくる。


「ビー、そろそろ弱い者いじめはその辺にしておいたら?」                                                  

「ダメだベル、まだこいつ全然あきらめてないぞ。魔力が回復したらすぐに反撃しそうな勢いだ。根本的なところであきらめてない」


未だ諦められないのはつまり、いつまでも勝負が決していないからなのだろう。とどめを刺せる状態で康太がいつまでたってもとどめを刺さないから生殺しの状態で放置され続けているのだ。


小百合がこの状況を見たら一体なんと言うだろうか。康太からすればお叱りの言葉を受けるのは間違いないだろうと確信していた。


だが敵側からすれば康太がやっていることは高等技術の応酬であり、むしろ長く勝負を続けようとしている節さえある。


そういう意味では弱い者いじめというよりは相手にチャンスを与えているように見えなくもないだろう。


そろそろ次のステップに進まなければこの男は絶望させられないだろうと、康太は視線の先にある一軒家を見る。


その先にはベフ・ノイの家族がいた。


当然ベフ・ノイは康太が家に侵入することを良しとしない。だがどうすることもできないのだ。


もはや体は限界、魔力のほとんども使い果たし、何より魔力があってもそれを動かすだけの気力がない。


朦朧とした意識の中では満足に魔術を発動することすらできないのだ。


それでもやめろと、やめてくれと懇願するその姿は一体何だろうかと康太は憤慨してしまう。


自分はあれだけのことをやっておきながら、いざそれを自分にやられるとここまで情けない姿をさらす。


何とか康太に縋り付こうとしている姿はまるで土下座をして懇願しているようにすら見えてしまう。


「・・・頼む・・・や、めてくれ・・・たのむ・・・」


「ダメだ、お前は心の底から思い知らなきゃいけない。お前がやったことの意味を。ついでに俺の身内に手を出すとどうなるかを」


康太の言葉が聞こえていないのか、ベフ・ノイはしきりに康太への懇願の言葉を放っていた。聞く耳を持つほど康太は優しくないが、ここまで懇願されて完全に無視するほど残酷でもない。


さてどうしたものかと康太が文のほうを見ると、彼女は首を横に振っていた。


具体的にこの男がどの部分に反省したのか、自分の子供を狙われているからという理由ではないのだろうか。


今さえ乗り切ればどうにかなると思っている節がないとは言い切れない。


康太は文の言葉の意味を察したのか、自分の体に鎧としてまとわりついていたウィルを動かしてこの男を捕まえるためかのように十字架の姿になって見せる。


そして否応なく自分の家の姿を見せつけられる、自分が守ろうとしたがそれができなかった家を。


愛する妻と子がいて、これからそれが蹂躙されようとしている。だがそれを止められなかったのがベフ・ノイなのだ。


「さて・・・それじゃあ俺は少しあの家に行ってくる。どうなるかは見ものだな」


康太の言葉にベフ・ノイは目を見開くが、それでも体は動かない。動かせない。


康太の攻撃を何度も何度もその体で受け止め続けたのだ。もはや彼は意識を保っているだけでも限界なのである。


極度の疲労やダメージによって一時的に体が言うことを聞かないというのはよくあることだ。

だが康太がこれからやるのはその心にもダメージを与える方法だった。


そして数分後、康太が再び文の元に戻ってくると、ウィルにはりつけにされているベフ・ノイは小さな言葉で何かをぶつぶつとつぶやきながらうつろな目をしてしまっていた。


きっと無力感からくる自責の念や、自身が行ったことを本当の意味で理解し始めたのだろう。


仮面をつけているためにその表情までは読み取れないが、少なくとも良いものではないのは容易に想像できた。


「で、何してきたわけ?」


「何も?魔力もない無関係な人間に手を出すほど落ちぶれちゃいないよ。ただポーズとしてさ、暗示はかけておいた。こいつが何か悪いことをしたってことだけな・・・大まかな内容だからあんまり意味ないかもしれないけど」


「・・・ふぅん・・・あんたにしてはなかなか寛大な措置じゃない?」


「そうはいってもな、戦闘でここまで食い下がってきたんだ、その根性も少しは認めてやらないと。とはいってもこれくらいの被害はこうむってもらわないとな」


康太の言葉通り、ベフ・ノイは満身創痍という言葉がふさわしい状態になってしまっている。


これ以上傷をつけるところがないのではないかと思えるほどの傷の量、これだけボロボロな姿では満足に動くこともできないだろう。


逆に言えば彼はこんな有様になるまでずっと康太に立ち向かい続けたのだ。康太はそれらすべてを上回り、文字通り叩き潰してしまったのである。


実力もあった。おそらく実績もあっただろう。なのにこんなことをするだけの意味があるのか、少しだけ疑問ではあった。


「ついでにこの人のこと調べておきましょうか。家の中をちょっと探させてもらいましょう」


「そうだな。相手の会社名とか分かったほうがいろいろとサリーさんのためにもなるだろ。隠れて報復とかできそうだし」


傷に塩を塗りたくるような結果になりそうではあるが、それだけのことをしたのだからこの程度の仕返しはして然るべきだ。特に会社同士の関わりではあるにせよ、奏としてはどの会社が自分の会社を疎ましく感じているかを知っておいて損はないだろう。


「この人はどうする?家に帰すか?」


「協会に引き渡しましょ。どんな形であれ警察が動いてるんだし協会としてもしっかりと裁いてもらわないと」


「こいつも踏んだり蹴ったりだな。少なくとも当分は元の生活には戻れないか・・・場合によっては協会から追放か?」


「最悪魔術そのものが使えない体にされるかもしれないわね、協会としてもこの人が野放しになっているのは危険すぎるわ。最低でも監視はつくでしょうね」


「プライバシーがなくなる程度で済むならまだましだろうな・・・でも魔術が使えないからだって・・・」


「簡単に言えば植物状態かしらね・・・事故か何かでどうしようもない状況になってもらうってことよ」


簡単に人間を植物状態にしてしまう魔術協会に康太は少し驚いていたが、文が言ったのはあくまで最悪の処置の場合だ。


人を殺したわけでも、ましてや魔術をネットなどに挙げたわけでもない以上、そこまでするだけのメリットは魔術協会にはない。


一般家庭などもある状態で突然植物状態になればそれなりに怪しまれるため、多少の執行猶予期間を設ける可能性は高い。


「ぶっちゃけこの処置だって前に聞いたあんたの師匠の行動に比べればマシでしょ。それに比べればまだ有情じゃない?」


「意識があるほうか、ないほうか・・・どっちがましなんだかな・・・」


どちらも地獄だと思いながら、康太は協会の魔術師たちが自分たちのもとに訪れるのを待っていた。


実行犯とそれを裏で指示していたものはこれで捕まえた。支部長としても支部内の不安因子がなくなってほっとしていることだろう。


問題児はまだまだいるとはいえ、少なくとも以前よりはましになったと思いたい。


「そういえばさ、魔術師が起こした事件で警察が動いただろ?警察の中にも魔術師がいるってことはわかったんだけどさ、政府とかの中にも魔術師っているのか?」


「また唐突ね・・・まぁいるんじゃないの?人の考えとかを操る暗示の魔術とかだってあるわけだし、演説とかで使えば効果抜群よ。私はそういう街頭演説って聞かないからわからないけど」


魔術を使えば少なくとも暗示などを使って人の意識を少しだけずらすことは可能だ。ならば有権者たちの考えを少しずらして政治家になるものがいても不思議はない。


「どっかの国では何人か政府の重鎮ポジションにいるみたいなことを師匠から聞いたことがあるけどね・・・どこだったかしら」


「じゃああれか、国が魔術協会を支援してるとかもあるのか」


「それは難しいんじゃないかしら?政府から堂々とどこかの組織を支援するって難しいわよ?どっちかっていうと暗黙の了解で動きやすく法律を改変するとかその程度じゃないの?」


魔術師に取って動きやすくするような法律がいったいどのようなものなのか康太にはイメージできなかったが、政府の中で何人か魔術師がいるだけでその派閥や当選率なども大きく変わってくることだろう。


だがあまり大っぴらに動きすぎればその分他の魔術師たちに気付かれる可能性も大きくなる。


混乱を招かないようにするためにはやはりある程度潜んでいることが魔術師には必要なのだと康太は解釈していた。







協会の魔術師にベフ・ノイを引き渡した康太たちは、彼の家の中を軽く捜索してから支部長へ報告を行い、その後で奏のもとへと向かっていた。


とりあえず頼まれていたことは終わった。あとは被害者である須藤家がどのように反応するかというところだが、そのあたりは警察官である長谷部に経過観察を頼むほかないだろう。


あとどの程度で奏の会社との協力関係が回復するかはさておいて、康太たちにできることはすでに終わった。ゴールデンウィークだというのに遊びもせずに魔術師としての活動に精を出したことで、康太たちは多少の疲労感を覚えていたが、二人が奏の社長室にやってくるとその疲れも吹っ飛んだ。


もう夜も遅いというのにさも当たり前のように仕事をしている奏を見てしまったせいである。


「・・・奏さん・・・寝ましょうよ・・・俺らが言うのもなんですけどもう深夜の二時ですよ?」


「お前たちが来るとわかっていたからこうして待っていたのだろう・・・仕事もかなり捗ってる・・・まぁ寝ていないのは事実だが」


康太と文が前に訪れてから奏は不眠で行動しているのだろう。良くも悪くも働きすぎる人だなと康太と文はあきれてしまっていた。


そして二人は顔を見合わせて同時にうなずくと、康太は奏の背後に回り奏を強引に持ち上げる。文は奏がやっている仕事内容を把握して手際よく仕事を開始する。


「はい、奏さんは寝ましょうね」


「ま、待て康太、まだ完成していないんだ。あともう少しでキリのいいところまで終わるから」


「そんなこと言って『まだ私は働ける』とか考えて次の仕事に取り掛かるんでしょう?もうその手は通じませんよ。休むのも仕事のうちです」


「ふ、文、康太を止めろ。私はまだ」


「康太の拘束を振り払えてない時点でだいぶ弱ってるってことですよ。あきらめて寝てください。普段の奏さんならその程度簡単に振りほどけるでしょうに」


文の言うように、基礎能力の高い普段の奏ならば康太の拘束くらい意にも介さないだろう。拘束なんてされていないと思えるほどにスムーズに逃げることもできるかもしれない。物理的に逃げ場がない状態にでもしない限り奏を押さえつけることはできないのだ。


対して今の康太は奏を持ち上げているだけである。その気になれば簡単に振りほどけるだろう。それができないということはやはり奏はだいぶ弱っているということなのだ。


「そうですね・・・八時くらいに起こしますから、それまではしっかり休んでください。眠らせる魔術でも使えればよかったんですけど、そういうのは使えないので、康太、マッサージしてあげなさい」


「アイマム、さぁ奏さん、またソファに横になりましょうね」


「くそ・・・これが介護という奴か・・・自分の体が思うように動かないとこういうことになるのか・・・」


「介護って・・・まぁ似たようなものかもしれませんけれど・・・眠かったらそのまま寝てもいいですからね」


「・・・うぅ・・・あー・・・そこ・・・!くぅ・・・!」


ソファに奏を横たわらせると、康太は背中から順にマッサージを始めていった。つい先日マッサージをしたはずなのに、奏の筋肉はまた硬くなってしまっていた。


ずっと椅子に座りっぱなしでパソコンとにらめっこしているとこういうことになるのだなと康太は少しだけ社会人になるのが恐ろしくなりながら時に強く、時にやさしく奏の全身をほぐしていく。


康太たちが来たことで安心したのか、それとも眠気には勝てなかったか、奏は文句を言いつつも康太がマッサージを始めて十分もすると目を閉じてゆっくりと寝息を立て始めてしまった。


寝息を立てている状態でも康太はマッサージを続ける。痛みを覚えるようなものではなく、穏やかにゆっくりと筋肉を刺激できるマッサージだ。寝ている人間にはこの程度でいいだろうという康太の気遣いである。


「この人は本当に休むってことを知らないわね・・・小百合さんとは大違いよ」


「年がら年中休んでるみたいな師匠と一緒にするっていうのはどうなんだろうな・・・今回のゴールデンウィークはちょっと奏さんの監視にいそしむか」


「そうね・・・放っておいたら本当に死ぬわよこの人」


一週間に一度程度の頻度で奏のもとを訪れている康太からすれば、訪れたときに奏が過労死していたなどと笑い話にもならない。


今まで世話になっているのだからこの程度の形で恩を返せるのであれば何よりであると康太と文は考えていた。


「とりあえず書類関係は片づけちゃうわ。康太はマッサージ終わったらちょっと手伝って。私たちもちゃんと仮眠取らなきゃ」


「そうだな。あと軽く朝食とかも作っておかなきゃ。この人またカロリーメイトとかだろ?ちょっとした朝ごはんでしっかりしてもらおうぜ」


「それいいわね・・・けど深夜でもやってるスーパーこの辺りにあったかしら・・・?じゃあ康太には買い物とかを任せるわ。私はこっちやっちゃう」


「オッケー。あと少ししたら買い物行ってくる。それが終わったらそっちを手伝うよ」


「お願いね・・・私本当にこの会社に就職しようかしら?大学に通いながらここでバイトしようかな・・・?」


「いいんじゃないか?もうだいぶ仕事覚えたろ」


「そうね・・・何気に結構やってるし・・・慣れって怖いわ」


奏がやっていた仕事を代わりに片づけながら文は苦笑している。康太も文も疲労がないわけではないが、奏のそれに比べれば大したことはないという感覚が二人の中にはあった。


奏を少しでも楽にしてやりたいという気持ちが今の二人を動かし続けていた。



















「・・・さん・・・奏さん、奏さん、朝ですよ」


「・・・ん・・・うぅ・・・」


康太の声がまどろみの中にいた奏の耳に届く。軽く体をゆすられたことによって意識は徐々に覚醒していき、見慣れた社長室の天井が目に入ると奏は今の状況を正確に把握しようと周囲に目を向けていた。


窓から入り込む日の光、そして部屋に漂う味噌汁のにおい。そして近くにいる康太。それらの情報を脳に取り入れ、数秒してから奏は跳び上がる。


「今何時だ!?」


「八時ですよ。とりあえずご飯できましたから食べましょう」


「待て待て待て待て、仕事は!?まだやらなければいけないことが」


「それならもう終わらせましたよ。はいこれ」


そういって朝食である白米と焼き魚、豆腐の味噌汁に味付け海苔や納豆、漬物などの含まれた本格的な朝食をトレーに乗せて持ってきた文は、一緒に分厚い書類の収められたファイルを持ってくる。


「とりあえず奏さんがやっていた仕事は終わらせてあります。それと編集中だった企画書などがありましたのでそれらもいくつか仕上げておきました。いくつか資料を見て概要は把握しておきましたが奏さんの思っていたものとは違っている可能性もありますので確認の意味も含めて目を通しておいてください」


「お・・・おぉ・・・?」


奏は目の前に広がる食事と書類に目を白黒させながらとりあえず味噌汁を片手に持って書類を眺め始める。


食事をするときくらい仕事はしないほうがいいのではないかと思ったが、おそらく本当に急いで仕上げなければいけない仕事だったのだろう。奏の目は真剣だ。片手間で誰かが作った食事を食べるような人ではないために康太と文はそれぞれ用意しておいた朝食を口に運び始める。


我ながらよくできたと文は満足そうにうなずき、康太は美味い美味いと朝食を素直に堪能していた。


「・・・文、高校を卒業したらうちに来ないか?仕事もそうだがこの企画書も素晴らしい。私が考えていたものよりもずっと良くなっている」


「ありがとうございます。ですが企画書の案を出したのは康太ですよ。私はそれを形にしただけです」


「なに・・・?そうか・・・ならば二人とも、高校を卒業したら」


「いやいや・・・せめて大学にはいかせてください。バイトくらいならいくらでもやりますから」


康太も文も、就職先を決めるにはまだ早すぎる。勧誘する奏の表情がかなり真剣であったために口をはさむことははばかられたが、大学は卒業しておきたいというのが二人の考えだった。


とはいえここまで奏に認められるというのは素直にうれしかった。前々から誘われていたことではあるが、今回はいつも以上に真に迫っているように思える。


「ふむ・・・いや・・・お前たちには今回助けられた。いろんな意味で感謝するぞ」


「なんだか依頼内容よりも休めたことのほうがずっと大事みたいな感じがしますけど・・・気のせいですかね?」


「気のせいではない。それだけ切羽詰まっていたということだ。うれしい悲鳴・・・というには少々叫びすぎたかもしれないがな、なんにせよ今回のこれは我ながら、少しやりすぎたかもな・・・」


奏自身も今回のことは反省しているようで腕を組みながら大きくため息をついている。書類に目を通して安心したからか、もう書類を見ながら食事をとるような無作法なことはせず、一つ一つの味を確かめるように文の作った朝食を口に運んでいた。


「では二人とも、今回しっかりと依頼を解決してくれたわけだが」


「といってもまだ原因を取り除いただけですよ。後ほどちゃんと報告はしますがすぐに奏さんと件の会社との協力関係が結ばれるというわけでは・・・」


「そこまでをお前たちに求めるのは筋違いというものだ。あくまでお前たちに頼んだのは原因の調査と排除、そういう意味ではお前たちは十分以上に依頼をこなした。胸を張りなさい」


奏が自分で動けない状況だったとはいえ、康太たちが今回のことを解決したのもまた事実なのだ。


謙遜する必要もなく、康太たちは今回の事件を解決に導いた。少なくとも須藤家の娘である香織はきちんと親元に届けられたことだろう。


誘拐犯から被害者を助け出した。この結果だけ見れば康太たちの功績は大きい。


「そこで、お前たちにはちゃんと報酬を与える。私がボロボロになっていたこともあってまともに報酬の話をしていなかったからな」


「あー・・・そういえばそうでしたっけ?概要しか聞いてなかったですか・・・」


康太と文も最近の奏の様子が強烈だったために本来するべき報酬の話をすっかり忘れてしまっていた。


普段であればこのようなことはないのだが、やはり身内の依頼だと多少そのあたりが雑になるのかもわからない。


「前に幸彦から聞いている。お前たちは自分たちの拠点を探しているんだろう?」


「まぁ・・・はい、一応マンションとかを探してるんですけど・・・」


「なかなかないんですよね・・・こう、ピンとくるのが」


「ふむ、フィーリングは大事だが実用性があるかも重要になってくる。ということで一つ物件をやろう。表向き名義などは私の会社の持ち物だが、今日からお前たちが自由に使ってくれていい」


そういって奏は念動力の魔術で棚に収められていたファイルを取り出すと二人の前に見せる。


その書類に記載された物件を見て康太と文は目を丸くしてしまっていた。









後日、康太と文は奏に紹介された物件を見にやってきていた。


小百合の店の近くにある駅から約一時間ほど、都市部から少し離れた場所にその建物はあった。


門のある教会から歩いて十五分ほど。同じ程度歩いた反対側には駅があり、駅前はそれなりに栄えている。


近くには商店街があるが、シャッターが閉まっているところも多少ある。中には繁盛している店もあるが、その商店街の中にある大きなスーパーがほとんどの客を吸い取ってしまっているような印象を受けた。


そしてそんな商店街から少し離れた場所にその物件はあった。最初康太と文はそれが何かの店ではないかと思ったが、そうではない。シャッターが閉められているために商店街のそれらと同じく店の一部のように思えたが実際はそうではなく、一階部分に大きなガレージのある一軒家だった。


二階建てのその建物は一階部分にガレージと玄関、そして少しの部屋があるものの、二階が主な居住スペースになっているのか、一階の部屋以上に二階の部屋は広かった。


「3LDKでも持てあますかもとか思ってたのに・・・まさかの一軒家ですよ文さん。どうしましょうか」


「どうしましょうかって言われても・・・っていうかあの人こんな物件ポンポン与えていいのかしら・・・?」


資料で間取りを見せてもらった時、康太と文はこんなものはもらえないと反対したのだが、この建物は商品として扱うには非常に中途半端なのだという。


本来この建物は別の会社がこの辺りに住もうとする人間が多くなった時期に建てられたものであるらしいのだが、つい最近までずっと買い手がつかなかったためにほとんど放置されていたのだという。


一階部分に比較的大きなガレージがあり、一階部分にももちろん居住スペースなどはあるが家族連れが住むには少々手狭なのだ。


車を持っていない家庭にとってガレージはデッドスペースになりかねないうえに使用用途も限られてくる。


二階部分が主な居住階層という間取りの悪さも理由の一つであるらしい。


事務所とするには一階部分のガレージは無駄になる。事務所に配備する車を置いておくという手もあり、二階以降を本格的な事務所使用に改築してもよかったのだろうがそれだけの大改装をしてこの場所に事務所を構えるだけの意味もなく、またこの場所を事務所として活用したいという部署も他会社も存在していなかったために今まで空き家として放置されていたのだ。


康太と文はその家の中を見てみて唸りだす。部屋自体は広い。広いリビングが一つ、和室も一部屋あり、それ以外にも小さな部屋が二つほど存在していた。


リビングの横にはダイニングとキッチンがあり、主にこの二階で生活できるように作られている。だが一階部分に風呂や洗面所などの水回り関係があり、微妙に不便さを強調している。


この建物が買い手がつかなかった理由がこの辺りに込められているなと康太と文は間取りを見ながら目を細めていた、


この家を建てたかつての設計者は何を思ってこの建物をこのような構造にしたのだろうかと、当時の事情などを想像して少しだけ不思議に思っていた。


「さて・・・まずは家具をそろえましょうか。あと康太はバイクをここに持ってきたほうがいいんじゃない?」


「それもそうだけどまずはライフライン確保しようぜ。生活するにせよ拠点にするにせよ使えるようにしないと」


一軒家とはいえ、今まで放置してあったために家具などの生活に必要なものはほとんど置かれていない。

電気、ガス、水道も契約されていないために生活に必要な環境などはこれから用意していかなければならない。


「ついでに周りの店と、あと周りにいる魔術師の調査ね。今後ご近所になるなら挨拶くらいはしておかないと」


「高校生で家持か・・・名義が違うからそういうわけでもないのか」


「似たようなものでしょ。気に入ったのなら奏さんから直接買っちゃいなさい。それくらい稼げるでしょ?」


「おっと、妻からのおうち買ってアピール辛いわー」


「だ、誰が妻だっての!まだ早いわよ!」


まだ、というあたり文もまんざらではないのか、若干ニヤニヤしながら部屋の中を物色していく。


この家が康太と文の拠点になる。拠点というにはまだまだ何もないただの家だが、今後魔術師として活動していくうえで小百合の店、春奈の修業場、奏の社長室に次ぐ一種の安らぎの場になることは間違いないだろう。


「ねぇ康太、いろいろ買うのもいいんだけどさ、ゴールデンウィーク中は奏さんの手伝いをしない?」


「ん・・・いいけど・・・いいのか?」


「うん、こんなに良くしてもらってるんだもの、恩返ししなきゃ。それにこういうのは一気にやるより少しずつやっていったほうが楽しいでしょ?」


自分と康太が住む場所を、初めて自分たちでコーディネートするということもあって、文は少しずつ、少しずつ完成させていきたいようだった。


必要なものを一緒に康太と見に行って、欲しいものを康太と話し合って、そうやって自分たちの居場所を作っていく。


初めての共同作業、というには少々趣が異なるかもしれないが、文はそういう何でもない時間を大事にしたいと考えていた。


魔術師としての自分ではなく、ただの女としての自分の時間を。










「ほほう、とうとう二人の愛の巣を手に入れたか。コータジュニアができるのも時間の問題だな」


「勝手に話を進めないでちょうだい。まだいろいろと用意してる段階なんだから・・・あ、康太、そっちの書類取って」


「はいよ。奏さん、この書類にサインお願いします」


「わかった。康太、これを頼む、優先順位は低めだ」


「了解です、暇を見て片づけます」


康太と文が奏のところに遊びに来ている、もとい仕事を手伝いに来ているということを知ったのか、アリスは奏の社長室にやってきていた。


とはいえやってきたといったところで何があるというわけでもない。康太と文が拠点を用意したというのをどこからか耳に挟んだのだろう。喜々としてちょっかいを出すだけのようなそぶりで社長室をうろうろしていた。


「だがカナデよ、いくら依頼を受けた報酬であり、長い間買い手がつかなかった物件とはいえ簡単に譲り渡したのは早計ではないのか?」


「譲り渡したわけではない。自由に使っていいといっただけの話だ。名義は私のままだから気にする必要はない」


「ならばなおのことだろう。利益が出る可能性のあった場所をただ同然で貸しているとは・・・それでも会社の社長か?」


「会社の社長だからこそだ。少なくとも私の会社が所有していても仕方がないという部分もある。それこそ事務所として使うならよかったんだがな・・・その理由も価値もないとなると・・・」


奏の言うように立地もそこまでよいというわけでもなく、間取りもそこまでよいと言えない。改装するだけの価値をその場所に見出すのであればまだ考えたが、あの家を家として扱おうとすると、どうしても利益を度外視したものになってしまうのである。


それならば康太たちに使ってもらったほうが良いと奏は判断したのだ。


駐車場などにすれば多少の利益も望めたかもわからないが、そのために行う解体改築工事だってただではない。そう考えると使わないでいるよりは誰かに提供したほうがいい。そしておあつらえ向きに物件を探している二人がいたのだ。


「この二人の暮らしはある種のモデルケースになり得る。普通に暮らすのではなく、別の用途で使おうとする人間がいた場合、今回のような中途半端な間取りの家でも十分に役に立つだろう・・・この二人はその先駆けだ」


「そういうものか・・・私にはよくわからん」


「商売をやっていくとこういうことがよくある。誰かに何の気もなしにやらせたことが大ヒットするとか、いつの間にか人気になっているとかな。全てがそうとまではいわないが、まぁ可能性があるということだ」


奏も一つの会社を束ねる長だ。康太たちが依頼を完遂してくれたから便宜を図ってくれたというだけではない。何かしらの思惑が二人にはあるのだ。


「それにだ、一軒家ならば多少騒いでも問題はないだろう?こちらも少しは気を遣ってやったというだけの話だ」


「なるほど、集合住宅ではどうしても限度というものがあるからな・・・さすがはカナデ、よくわきまえておる。これはもう覚悟を決めるしかないのではないか?」


「勝手に話を進めないでって言わなかった?私たちにはまだ早いわよ。康太だって言ってたでしょ?大学にはいきたいって」


「それはそれ、これはこれだろう。年寄りからすれば若者たちの次の世代が生まれるとそれはそれはうれしいものなのだ。若い者と話し、導き、成長していくさまを眺めるのは年寄りの特権だぞ?」


「その見た目で年寄りとか言わないでよ。いろんな意味で自信がなくなってくるわ」


アリスのように良くも悪くも若いままの人間はおそらくこの広い世界を探してもアリスだけだろう。


「それで二人でいろいろと買い揃えている最中か・・・もし完成したら私もよぶといい。軽くパーティでもしようじゃないか」


「パーティーって・・・そんな大したものは・・・」


「大したものでなくともよいのだ。まずはお前たちの新しい門出を祝う。それだけで十分だろう?スピーチくらいは任せろ、いかにもそれらしく話をしてやる」


何のスピーチであるのか気になるところではある。


だが二人から相談を受け、その具体策を講じてくれたアリスは確かに呼ぶべき人材である。


「そういうあんたはいないわけ?何百年も生きてきてずっと独り身っていうのはつらくない?」


「そうでもないぞ?私は良くも悪くも人材には恵まれた。もっとも本当の意味で危険な奴らもいたが、あれはあれで楽しかったな」


長く生きることとパートナーが一緒にい続けてくれるかというのは運しだいだ。


アリスの場合、幸いにして飼い犬に対して手をかむような魔術師ではなかったが、いろいろと無茶をするものが多かったという。


アリスの弟子らしいというべきだろう。まさか数百年近く経過したこの現代でそのようなことを思われていようとは本人たちも知らないことだろう。


「だが二人とも、冗談抜きに名前は考えておくがいい。今後のその子供の一生を左右するものだ。お前たちも師匠に術師名を考えてもらっただろう?」


「・・・あー・・・はい、まぁ、そうですね」


「その反応を見る限りあの子は適当に考えたのか・・・まぁ比較的まともなものに聞こえているから良しとするか・・・」


そういう問題ではない気がするなと康太と文は眉をひそめながら奏の仕事を手伝い続けていた。


ひと段落する頃にはすでにあたりは夜になってしまっていた。


昼前から今の時間までほぼノンストップで仕事をしていた康太たちは奏にひきつられて食事にやってきていた。


数日間どころか数週間程度働きづめだった奏からすれば久しぶりの外出となるレベルである。


「今日は好きなだけ食べてくれ。お前たちには世話になりっぱなしだったからな」


「好きなだけって・・・あの・・・奏さん、これ値段が全然かいてないんですけど」


連れてこられたのは寿司屋だった。一見様お断りのような空気を醸し出しているこの店内で康太たちは非常に浮いている。


だが康太たちと同じようにラフな格好をしているにもかかわらず奏だけはこの店にマッチしているように思われた。


「そうかそうか、私は特に世話はしていないが、カナデがご馳走してくれるというのであれば遠慮なく。大将、こはだとイカ、それにサーモン、あと大トロを頼む」


「お前遠慮しないな・・・俺えんがわ!あと中トロ!それと卵焼きと茶碗蒸し!」


「あんたも案外遠慮しないわよね・・・私エビとタコ、それとアナゴ」


さも当然のようについてきて注文し始めたアリスに続くようにそれぞれが注文をし始める。

奏はその様子を満足そうに眺めていた。


「でも奏さん、とりあえず一段落はしましたけどまだまだ仕事山積みですよね?さすがにゴールデンウィーク後も手伝うのは難しいですよ?」


寿司をほおばりながらそんなことを言う文。確かに康太たちは今学校の関係で休みであるがゆえに手伝うことができているが、これから学校が始まってしまうとこの激務を手伝うことができなくなってしまうのである。


「安心しろ連休が終わったら仕事は部下に分配させる。一つのプロジェクトとして提案するつもりだから何人も人を動かせるようになるだろう。康太の企画も使わせてもらうぞ?あれはなかなかいいアイディアだった」


「それは構いませんけど・・・大丈夫なんですか?俺みたいなのの意見使っても」


「もちろん多少修正はする。だが根本的な考え方は面白い。うちの人間である程度精査していけば十分ものになるだろう」


奏も寿司をほおばりながら満足そうにそう答えていた。奏としては康太が考えてくれたという事実が嬉しいのだろうか、その笑みは寿司を食べているだけのものではないということが康太たちにも理解できていた。


「一つ聞くがカナデよ、社長職というのは楽しいものなのか?延々と働かなければいけないということを考えるとどうしても楽しそうには思えないのだが」


社長という役職にいる奏に聞いてみたい質問ではあった。確かに康太たちが訪れる時彼女はずっと働いてばかりいる。家に帰ることもほとんどできていないようだし、せっかく稼いだ金を使うというわけでもない。


奏は何を思って魔術師をしながら、社長などという仕事をやっているのか、少し気になるところではあった。


「そうだな・・・自分自身は鍛えれば何とか強くすることはできる。だが組織そのものを強くするというのは難しい。だが難しいからこそ達成感はあるぞ。お前ならばわかるのではないか?」


「・・・ん・・・なるほどな・・・もっとも私の場合はすでに私の手を離れている。育てるというよりは、勝手に大きくなっていったというだけだ」


「そういうものか・・・完成してしまえばどうということはないということか・・・」


奏とアリスが何のことを話しているのか、康太と文は理解できていた。


それは自らが立ち上げた組織の話なのだろう。自分が考え、自分が育て、自分が大きくして言った組織というものがやがて自分の手を離れていく。


それは一種の充実感でもあり、満足感でもあり喪失感でもある。


まだまだ若輩者である康太と文はそういったことの本質までは理解できなかったが、彼女たちが今抱いている気持ちをほんの少しだけは理解できた。


「やっぱアリスとしては協会が自分の手を離れたのは少し寂しいのか?」


「ん・・・自分の手を離れたというのとは少し違うな・・・私はあくまで組織の運営に携わっていただけで、組織を率いていたのではない。必要としていたのではなく必要とされていただけだ。そういう意味では今はもう私を必要としなくなっているのだから、少し寂しくはある」


かつて協会を立ち上げた魔術師のうちの一人がアリスだ。彼女はその時代から常に協会のために動いてきたと言われている。


そして協会の運営に深くかかわっていたというが、良くも悪くも巨大化した組織は古い体制を否定しようとする。


それはかつての貢献者であっても時代の流れには逆らうことはできなかったのである。


「組織というのは常によりよくなろうとする。その中で私が邪魔だと判断されただけの話だ。少なくとも私はそれを悪いことだとは思わん。地上に出ようとする魚に尾ひれがいらないのと同じことだ。不必要な部分は切り捨てる。それが自然なことだ」


自然なことと言われても、康太たちは納得できていない。アリスの言うことは理解できる、確かに事実なのかもわからない。


だがそれはあくまで理屈であり、これまでそうであったというだけの結果にすぎない。心情的には今まで尽くしてくれたのなら不必要でもその場にいてほしいと思うのが自然な流れではないだろうかと康太と文は考えていた。


「もっとも、不必要になったからというだけではなく、単純に恐ろしくなったのと、嫉妬したのだろうよ。人間とは時として感情を爆発させる。いくつかの感情の相乗作用と、その矛先が私に向いただけの話だ」


いつの間にか寿司を大量に注文しながらアリスは少しだけ遠い目をしながら薄く笑う。


こういう表情のアリスを見るのは珍しいなと少しだけ驚きながら康太たちは美味い寿司に舌鼓を打っていた。


誤字報告を五十件分受けたので十一回分投稿


感想欄とカウントの齟齬がありますが、数え間違いを訂正するためだと思っていただければと思います


これからもお楽しみいただければ幸いです

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