待ち伏せと急襲
康太の予想はおおよそ当たっていた。康太から離れる事三十メートルほどの地点に方陣術はあった。そしてそのほぼ中心に先日康太と対峙した氷の魔術師は仁王立ちしていた。
周囲に展開しているのは氷の索敵とでもいうべき張り巡らされた氷のフィールド。少し歩みを進めるだけで氷が割れ砕け音を響かせる。少しの風程度では音は出ず、誰かがやってくるという限定された条件のみに音を発するというものだった。
当然康太が近づいてくる音も聞こえていた。こんな夜中に雑木林の中にやってくる人間なんて数少ない。それが先日戦った槍を持った魔術師、康太であることはすでに理解できていた。
だからこそ術式をくみ上げ、いつでも迎撃できる準備を整えていた。その態勢をとったのは正しい。方向も分かっている、音によってタイミングもつかめる。相手がこちらに近づくまでに十分強い魔術を使うことができるだろう。
先日の戦いから康太の実力はほぼ正確に把握されていた。康太があの時使用した魔術は二つ。『再現』と『蓄積』である。
槍を一振りしかしていないにもかかわらず、その体を三度傷つけたその攻撃は魔術であり、恐らくは動作を複製、否傷口の形状が異なることから複製とは似て非なるものであると考えていた。
そして次に使用した蓄積。この魔術を使用したのは康太が氷の壁を突破するときだった。
一撃で破壊できるだけの威力を持っているなら最初からそうしたはず。それをしなかったという事は『できなかった』可能性が高い。恐らくは前準備が必要な類の魔術であることは容易に想像できた。
破壊を一点に集中、あるいは一度に集約できる魔術であるという認識を持っている魔術師の考えはほぼ正解だと思っていいだろう。
だがこの時魔術師は一つだけ見落としていた点がある。そう、康太が槍で自分を攻撃した際に自分の頭上を飛び越えた時のことだ。
魔術師はあの動作を肉体強化の一環であると判断していた。
実際康太は肉体強化の魔術を修得中ではあるが、それはまだ実戦に耐えうるものではない。練度も精度も低く、とても実戦で扱えるようなものではないのである。
だが頭上を飛び越えたという事、そして康太が槍を持ち肉弾戦を仕掛けてきたという一連の動作があの行動を肉体強化のものであると錯覚してしまったのである。
魔術師にとって肉体強化というのはそこまで難しい魔術ではない。それなりに魔術を学んでいるものであれば大抵誰でも修得できるようなものであるために珍しさなどもほとんどないに等しい。
難易度が低いというのはそれだけ効果も薄いという事でもある。肉体強化の場合特に魔術師において必須の魔術ではないうえに効果もそこまで高いものではないためにそれほどの脅威とはならないのである。
だからこそそれを主に使っている康太の魔術師としての評価をかなり低く見積もっていた。肉体強化を主軸に置いた魔術師などは大したことはない。その考えは間違ってはいないだろう。
事実康太の魔術師としてのランクはかなり低い。それも思っている以上に。
康太の魔術が肉体強化と動作の複製に近い何かと衝撃の集約であるとにらんだ考えは的確な思考だった。だからこそ康太の跳躍が『再現』の魔術によって成り立っているものであるという考えに至らなかったのが最大の失態だったと言えるだろう。
肉体強化による跳躍と再現による跳躍は全くその意味を変えるものなのである。
魔術師にとっての肉体強化は基本人間の限界を超えることはできないものだ。全力で身体能力を高めたからと言って数十メートル飛び上れるというものでもないし、ましてや空を飛ぶことなどできない。
どんなに頑張ったところで数メートル以上の距離を跳ぶことはできないし、それだけ高く跳び上がることもできないのだ。
だが再現によって起こる跳躍は人間の限界というものを簡単に超えることができる。より正確に表すのであれば超常的な歩行が可能になると言ったほうがいいだろう。
空中に疑似的な足場を作り出すことで数メートルどころか数十メートル、魔力と事前準備の余裕さえあれば延々と何もない空中を歩き続けることだってできるのだ。
その考えに至らなかったが故に、康太が地面を歩いて、あるいは走ってこちらにやってくるという事が当たり前だと思ってしまったのだ。
それ故にこの魔術師は音のする方角、特に地面の方に意識を向け続けていた。
音のする方角から康太は動いていない、そう錯覚していたのである。
徐々に近くなっていく音を聞いて魔術師は攻撃態勢に入っていた。いつ現れても術を発動できるように、返り討ちにしてやろうという気持ちが強く表れておりその空気はほぼ素人同然の康太でさえも警戒の色を強くするほどだった。
康太への警戒と油断、自らが昨夜傷を負わされたのも不意を打たれたからだと信じて疑わないこの姿勢が康太にとっては良い方向へと作用していた。
唐突に先程まで聞こえていた音が消える。小高い丘になっているが故にここにやってくるには歩いてくるほかないはず。
もしや一度足を止めたのだろうかと訝しんでいる中、康太はすでに行動に移っていた。
否、すでに攻撃態勢に入っていたという方が正しい。
次の瞬間聞こえてきた音は、魔術師の真上、僅かに木々の葉が茂る場所から、枝を折りながら葉を揺らしながらやってくる何か。
それを確認しようと頭上を見上げた瞬間、真上から襲い掛かる康太の槍がその体へと放たれていた。
とっさに先程まで準備していた魔術を発動するが、本来攻撃用、しかも先程まで別方向で発動しようとしていたものを急に変更できるはずもない。
魔術自体は発動したが、顕現した氷は康太の槍を防ぐにとどまり、氷の盾の隙間を縫うように放たれた再現の魔術を防ぐことはできず、その体に再び複数箇所血をあふれさせた。
足元の地面を凍らせて音によって索敵しているという事を確認した後、走り出すと同時に康太は再現の魔術を使って徐々に高度を取っていた。
凍り付いた地面を飛び越え、周囲にある木々よりも高く位置することによって音による感知を不可能にしたのである。
氷を踏む足音を聞き取られてしまうのであれば空中を歩けばいいという単純な考えから導き出された、いたって簡単な対処法ではあったが相手の情報整理の過ちと油断がこの戦術を成功へと導いた。
魔術師の頭上までやってきた康太は落下しても問題ない高度まで下がると一気に落下、魔術師めがけて槍を振り、同時に再現の魔術で相手へと攻撃していた。
攻撃は半分成功半分失敗といったところだ。相手を負傷させること自体は成功したのだが、康太が目的としていたのは足への攻撃だ。
逃げられないように足を潰すつもりだったのだがそれはどうやら防がれてしまったようである。
槍での攻撃を終えた瞬間両足と片手を使って着地し、転がるように受け身をとって体への負担を軽減しようとしたが、それでも木と同じくらいの高さから飛び降りたという事もあって手足に鈍い痛みを覚える。
くじいたわけではなさそうだが僅かな痺れと痛みが康太の手足に残っていた。
とはいえ先手を打った、懐にも入った。ここが勝機であると康太は槍を構え痺れを覚えたままの手足に活を入れ強引に接近しようとする。
対して魔術師は真上から現れるというのが予想外だったのか、大きく動揺しながらも康太から離れようと動き出していた。近接戦を仕掛けようとしている者に対して距離を置こうとするのは当然の動きだろう。
康太もそれを読んで急いで槍を構えて魔術師めがけて突進するが、そう易々と近づかせてくれるはずもなかった。
康太が着地している間に槍の射程距離からは離れられてしまった。とはいえまだ十分接近できるだけの距離にいる。
相手は負傷したこともあってまだ十分に体勢を立て直すことができていない。ここを逃せばまた面倒なことになる。
康太が槍を構えて突進する中、魔術師もその両の手から氷の礫を放っていた。少しでも距離を置くための牽制、だがそれほどのダメージにならないのであれば脅威ではない。相手もそれをわかっているだろう。
この状況で礫を放ったのは少しでも通常の魔術戦を行うために精神を落ち着かせるというのが一つ、そしてもう一つは康太の意識を上へと向けさせるためだった。
礫を対処するために康太は意識を魔術師の方へと向けざるを得ない。その隙に足元にもう一つ魔術を発動していた。
足元に形成されつつあるつらら、昨夜のつららの刃を作り出すためのものだった。これだけ接近していると氷の礫は防ぎきれない。ある程度攻撃を受ければ当然注意は散漫になっていくだろう。
故に足元への攻撃が有効だと考えた。そしてその考えは正しい。なにせ康太でさえも予想できるだけの内容だったのだから。
つららの刃が発動するその数瞬前、康太はその予兆を感じ取り後方へと跳躍していた。
接近しなければ攻撃できないような状況であるのは明白にもかかわらず自ら距離を取る。回避するだけなら頭上を飛び越えるだけで十分なはず。それにもかかわらず康太があえて距離をとったのにはわけがある。
後方へ跳躍した康太を追いかけるようにつららの刃が形成され、康太と魔術師の間につららの刃による壁が作り出されてしまう。
この状態では接近するのは難しいだろう。飛び越えでもしない限りは相手の下に近づくのは容易ではない。
しかも飛び越えようものなら相手の攻撃が待っている。だからこそ康太はもう動くつもりはなかった。
康太はすでに先手を打った。相手の頭上からの急襲だけが康太の策ではない。康太は自分が通ってきた木々から少し離れた枝に鉄の数珠を一つひっかけてきたのだ。
そしてその数珠は今つららの刃の向こう側にある。それがどういう意味を持つのかこの場では康太しか理解していない。
康太は自らが初めて覚えた分解の魔術を発動する。
標的は枝に引っかかったままの数珠の紐についている接合パーツ。数珠を四分割するように繋がれているそれが分解されることで、紐によって繋がれていた鉄の弾はゆっくりと落下し紐から外れていく。
それが魔術師の頭上に迫った瞬間、康太は魔術を発動した。
発動する魔術は蓄積。発動したというよりは解放したという方が正しいだろう。
康太が有しているあの数珠にはある力を蓄積させてある。
それは一点にのみかけられた加圧。印をつけた場所をひたすら金槌で叩き続け、その力を蓄積させてある。
その蓄積された力が解放されればどうなるか。ボールをバットで打てば飛んでいくのと同じように、小さな鉄球も当然のように飛んでいく。
ただし何回も何回も金槌で叩きつけられるという力を一度に加えられたことで、その速度は目視も難しい程の速度になっている。
康太がなぜわざと距離をとったのか、その理由はここにある。
この数珠は鉄球を周囲にまき散らす。ほぼ円形に広がるように放たれるそれはほぼ完全な無差別攻撃。近距離で使えば自分も被害を被ってしまうのである。
そこで康太はつららの刃を盾代わりに使用したのだ。
もくろみ通り、放たれた鉄球は地面や木々、魔術師やつららの刃などに命中していく。
その威力は弾丸のそれにも引けを取らないだろう。康太の第二の攻撃手段、炸裂鉄球とでもいうべき武器だった。
誤字報告を五件分受けたので二回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです