歴史に触れ
「はっきり言って、体一つでそれをやるのは難しいだろうね・・・私もこういった儀式はしっかり条件を整えなきゃ発動できない。集中できない、ましてや戦闘中ともなれば自分の身を守るので精いっぱいだ・・・」
「確かに・・・でもできないわけじゃないんですね?」
体一つでは難しいという治久の言葉を康太は好意的にとらえることにした。実際何か道具があれば不可能ではないと考えたのだ。
実際その考えは正しい。多少無差別な形にならなくもないが、そういった技術を戦闘に流用するのは不可能ではないのだ。
「例えば、さっき言った技術で言うのなら、映像を投影、あるいは音楽を流すだけでもいい、そういうので相手にそれらが聞こえていれば間違いなくそういった魔術をかけることは可能だ・・・けど」
「けど?」
「さっきも言ったけどこういうのは組み合わせが大事なんだ。外的要因が少しでも入れば発動しない可能性が高いから、不可能ではないけれどほぼ実現は難しいと思ってくれていいよ」
音楽などを再生できる機材があり、その中に儀式系の発動を促す音声が入っていたとしてもほかの大きな音などに阻害されてしまうと正しく術が発動しないこともあり得るのだという。
儀式系の発動はかなりデメリットが多いらしい。とはいえそのデメリットを許容して然るべき効果を期待できるのも事実だ。
ダメでもともと程度の気持ちで発動を期待するのもいいかもしれないなと、康太は考え始めていた。
「というか・・・やっぱりというかさすがというか・・・君はこういうことをまず戦闘に流用しようとするんだね」
「え?あぁ・・・まぁ師匠が師匠ですからね。実際これを使えるようになったらかなり有用だと思いますし・・・」
視覚や聴覚は戦闘においてかなり重要な知覚だ。索敵という状況がわかる魔術があるとはいえ、魔術師のほとんどは戦闘において索敵を使っていない。
どこにだれがいるのか、敵が近くにいるかいないか、あるいは何かを探すとき程度にしか索敵を使わない。
そういった魔術師に対して視覚、あるいは聴覚を利用して相手に強制的に魔術を発動させられるというのはかなりのアドバンテージになる。
相手の魔力を強制消費させることもできるし、何より相手に不利益な効果を与えることも可能だ。
そのあたりは本当に呪いのように思えるかもしれないが、それだってかなりの強みだ。
そういう意味では康太が扱っているDの慟哭も儀式系の呪いの一種のように思えなくもない。
相手に強制的に魔術を発動させて魔力を吸い取る。この魔術の場合は少々特殊な条件が加わるためにだれもが使用するのは難しいが、通常の儀式的な魔術であればやり方さえ覚えれば誰でも使えることになる。
「ちなみに相手の身体能力を弱体化させたり、感覚を鈍らせたりする魔術を儀式で扱おうと思ったらどうなりますか?」
「また難しいことを聞くね・・・私だってすべての魔術を儀式に変換できるわけではないんだよ?そもそも術式を解析して現象に含まれた術式を組み合わせて作らなきゃいけないんだから・・・」
それもそうかと康太は少し残念そうにしながらも将来的にそういった手段の行動もとりたいなと考えていた。
「土御門が保有している儀式魔術の発動技術に関してはこんなところかな・・・必要なら解析の方法とかも教えようか?」
「そこまでしてくれるんですか?その分俺が教えるものが増えそうな・・・」
「まぁそうなるよね。でもどうする?聞く限りできるかどうかを知りたかったみたいだし、ここで止めておいてもいいよ?」
康太と文は互いにどうしようかと考えてしまっていた。
正直に言えば、術式の解析に加え、現象に含まれた術式の解析方法は知りたい。だがそこまで教えてもらっても康太たちが教えられるものがほとんどないのだ。
文はまだ応用の方法などを教えられるかもしれないが、残念ながら康太には代価として差し出せるものがほとんどない。
ここでやめておいたほうがいいだろうと康太は残念そうにため息をついた。
「ここまでにしておきます。これ以上教わっても多分お返しできないと思いますから」
「そうかい、ライリーベルはどうする?」
「私も同じくですね。何より儀式系の魔術は利点が少なそうですから。それなら私は別の魔術を模索します」
儀式と呼ばれる新しい魔術の発動方式の発見は康太たちからしてもかなり有益な情報だった。
いや、新しいというよりはすべての術の原型とでもいうべきものだろう。まだ魔法陣すら存在していなかった時代にいつの間にか発動していたようなそんな形での発動方式。
偶然が重なって起きたそんな奇跡の発動方式を知ることができたのはある意味僥倖だったと言わざるを得ない。
とはいえ、今回の土御門との接触で得られたものと言えば今回の件は自分たちには手に負えないという確信だけだ。
だがこの確信こそが今回の件をさらに先に進ませることができる。少なくとも足踏みをしている今よりはずっと。




