三つ目の魔術
このままであれば康太の方に分がある。なにせ相手は負傷しているのだ。
負傷箇所からは血を流し、このままいけば失血死するだろう。その前に助けに入るつもりではあるが、このまま籠城しているだけなら康太の勝ちは揺るがない。
氷の防壁は随分厚く作られているらしく、康太の持つ槍では傷はつけられても砕くことはできそうになかった。
しかも傷をつけたところですぐに修復されてしまっている。これを破壊するには強力な一撃を与えなければいけないだろう。
康太は舌打ちしながらドームの向こう側にいる魔術師を見る。氷を使う魔術師、相手が一体何をしようとしていたのかは知らないが康太は別に殺すつもりはなかったのだ。このまま氷の防壁を張られ続けているというのはあまり良い気はしない。
殺さないように場所を選んで攻撃したのが無駄になってしまう。康太は氷のドームを叩きながら出てくるように促そうとした。
「おら出てこい!殺しはしない!さっさとその傷塞がないと失血死するぞ!」
聞こえているかどうかは定かではない。だがとりあえず言う事はいわなければ完全にこちらが悪役になってしまう。
何よりこの歳で人殺しになるのはまっぴらごめんだった。
目の前に張られている氷のドームはガラスと見間違えるほどの透明度を誇っている。何とかジェスチャーも含めて出てくるように指示しているのだが相手は全く聞く耳持たないようだった。
どうしたものかと悩んでいると康太はあることに気付く。魔術師に与えた傷の部分に何かがあるのだ。
固体のようだが一体何が付着しているのかよく見えない。魔術師の傷に意識を向けると康太はさらにもう一つの事に気が付いた。
相手の血が少なすぎるような気がしたのだ。
確かに康太が与えた傷はそこまで深い傷ではない。だがこの短期間で治るほどの傷ではないし何より三カ所も同時に攻撃したのだ。止血するような動作も見られなかった、あれだけの傷を負っていながら血が流れていないというのはおかしい。
普通なら服に血のシミが広がっていくはずだ。だが一向に血のシミはあの魔術師の服に広がらなかった。
さらによく注視していると、傷の部分の固体が硬質であることがわかる。ここまで確認して康太は眉をひそめた。
傷を凍らせて止血している。
そのことに気付いたのはドームを作られてから数分経過した時だった。つまり相手は持久戦目的でこのドームを作り出したのだ。傷の手当てを含め、康太がこの防壁を破壊できないことを理解したうえでこの状況を作った。
康太の攻撃の脆弱さを理解したうえでの行動の早さ、そして対応の的確さ。さすがに方陣術を使い続けて余裕がなくなっているとはいえ自分より長く魔術師をしているだけはあるなと康太は相手の評価を大きく改めていた。
元より方陣術を扱いながらも魔術を使用していることから自分よりずっと技術のある魔術師であるとは思っていたが、この対応の早さと康太の魔術に対する見極めの早さ、これらを加味するとかなり経験を積んだ魔術師であるということがわかる。
康太が槍を持っている事、そして攻撃するのにわざわざ近づいてきたことからそこまで高い攻撃性能と射程距離を持っていないと考えたのだろう。実際その考えはほぼ正しい。
一手二手見せただけでこちらの手の内を把握されているかのような感覚に康太は内心舌打ちするが、まだやれることはあるのだ。
康太は槍を手に持ち小さく息を吐いて魔術を発動する。
それは現在習得中の三つめの魔術だった。こういう集中できるような状態で発動できること自体幸運と言えるだろう。実戦でどれだけ役に立つかまだわかっていないという意味ではこうして試し撃ちできるというのは非常にありがたい。
「最後にもう一回言っとくぞ。とっととここから出てこい。そうすれば命だけは助けてやる。無視した場合命は保証しないからな」
最後通告、忠告よりも警告といったほうが正しい内容だ。もっともこの言葉がドームの向こう側まで届いているかは康太にはわからないことだ。
康太はゆっくりと息を吐いてから意識を集中する。
今試そうとしている三つめの魔術はまだ修得段階だ。ある程度集中していないと正しく発動できないという意味では実戦投入は時期尚早というべきものである。
だが相手がこうして引きこもってくれているというのならそれはそれでやりようがある。
あの方陣術を発動され続けるというのはあまり良い結果を引き寄せないだろうことは康太も理解できていた。
文があれだけ狼狽したのだ、可能な限り早くあの方陣術を止めなければならない。となればこのままひきこもらせているのは正直良い状況とは言えない。
目の前にある分厚い氷の壁、これを破るための方法は単純。一撃でこの氷を破壊できるだけの威力を有した攻撃を放てばいいのだ。
もちろん現在の康太の手持ちにそれだけの威力を有したものはない。槍もそうだが数珠もお手玉もはっきり言って威力自体は低い。
だからこそ、前準備ではなく今ここで魔術を使用しなければいけなくなったのだ。
康太は思い切り振りかぶって氷のドームを蹴りつける。
音もなく衝撃もなく、康太の蹴りは氷に吸い込まれた。無論氷は全く破壊されていない。この攻撃で破ることができないのは康太にもわかっていた。
だからこそ康太は何度も何度も同じところを蹴り続けた。全力で同じところを徹底的に蹴り続ける。
ドームの中の魔術師には康太が滑稽に見えただろう。全く歯が立たないからやけになっているように見えただろう。
だが康太が行っているそれが、彼にとって最良の行動であることを気づくことができなかった。それこそが彼の最大の失態と言ってもいい。
康太が氷のドームを蹴り始めて数分。何十発何百発と叩き込まれた蹴りは展開されている氷のドームに対してまったく効果を表していなかった。
槍での斬撃ならばまだ傷をつけることができただろうに、康太はあくまで蹴りを打ち込み続けた。
蹴りの放ち方を変えることはあろうとも、その打ちこむ場所は全く同じ。寸分たがわぬとまではいわないが、必ず一点をめがけて撃ちこまれるように蹴りを放っていた。
康太自身もはや何発蹴りを打ち当てたかわからないほどにその動作を繰り返していた。
このままなら十分に時間稼ぎができる、ドームの中の魔術師がそう考え始めた時、康太は僅かに笑みを浮かべていた。
そろそろいいかなと、そう考えたのである。
康太は槍を構えた状態で左手に数珠を手にしながら思い切り拳を振りかぶった。
蹴りでダメなら拳で。そんなことを考える程康太はバカではない。
康太の拳が直撃する瞬間、康太は魔術を発動していた。いや正確には康太は先程からずっと魔術を発動していた。
その対象は目の前にある氷のドーム。そしてその効果はいたって単純なものだった。
氷に康太の拳が直撃する瞬間、その効果は表れた。まるでダイナマイトでも仕込んだのではないかという衝撃が氷のドームを粉砕し巨大な穴をあけていた。
当然そこにあった氷の破片は魔術師に向かって直進し、体のいたる箇所に直撃していた。自ら作り出した魔術によってダメージを受けるというのは魔術師にとってかなりの屈辱だろう。
だがそれ以上に氷のドームを破られたことがこの魔術師にとっては意外なものだった。
「だから言っただろうが、無視した場合命の保証はしないって」
康太が発動した魔術の効果は簡単に言えば物理的なエネルギーを保存することである。
対象を決定し、そこに加えた人為的な物理的エネルギーを保存することができるというものである。
その保存したエネルギーを解放することで一発にその衝撃を与えることができ、結果的に多大な威力を得る。これが康太の覚えた三つめの魔術『蓄積』である。
例えば一撃では殴っても砕けない岩でも、何発も何十発も殴り、その衝撃を蓄積し続けることにより、その力を解放することで岩を砕くことができるという事だ。
この魔術はエネルギーを蓄積する対象を決定し発動し、その対象に与えた衝撃などの時間によって魔力を消費する。瞬間的な衝撃であればあるほどにその消費魔力は少なくなる。なお魔術の発動中に与えた衝撃は完全に無効化状態となっているために、これは使いようによっては防御にも応用できる。もっとも正確な発動ができなければ難しいために、康太の練度ではそれはまだ難しいが。
もちろん蓄積するのに手間がかかるために即効性があるかと言われれば首をかしげてしまうが単発の威力の低い康太からすればこれほどありがたいものはない。
氷のドームの中に入り込んで槍を構える康太を前に、魔術師はふらつきながらもこの場から脱出するべく氷のドームを解除していた。
その行為が逃げようとするものであると察すると康太はすぐに追い打ちをかけようと接近を試みる。
相手は負傷している。槍で与えた傷に加えて先程康太が粉砕した氷の塊が直撃したことでところどころ打撲のような症状を受けていることだろう。逃げるのもおぼつかないような状態で康太が逃がすつもりは毛頭ない。
それにこの場から逃がすとどうなるかわからないのだ。
今はこの方陣術が光を放っていることと、この方陣術が目印になったおかげでこの場所を見つけることができたが、もしこれでこの魔術師を逃したらどうなるかわかったものではない。
この暗闇の中追跡するのは難しいだろう。それならせめてこの場で拘束位しておかなければこの旅行中康太は安心して眠ることさえできなくなってしまう。
槍を構えて突進すると、魔術師は康太めがけて氷の礫をぶつけてくる。今さらそんなもので康太が止まらないことはわかっているだろうにそれをするという事はだいぶ余裕がなくなってきているのだろう。
方陣術を放棄しようとする動きを見せているところを見ると、恐らくもはや方陣術の維持よりも自らの保身に走る段階になっているのだ。それだけ康太に追い詰められているという事でもある。
だが康太はこの時思い出す。今まで康太がこの魔術師に対して拮抗できていたのは相手が方陣術を維持しようと考えていたからこそなのだ。
そして次の瞬間、康太に強烈な寒気が走る。
背筋が凍るような悪寒を感じ、康太はほぼ無意識に後方に跳躍する。追わなければいけないと感じたのに、逃がしてはいけないと考えていたはずなのに康太の体はなぜかバックステップしていた。
瞬間、目の前の空間が凍り付いた。
氷の礫を弾こうとしていた槍がその氷に飲み込まれ完全に動かせない状態になってしまっていた。それほどまでに瞬間的な冷凍、いや氷結というべきだろう。
空間ごと凍らせるという一撃を前に康太は僅かに目を見開いていた。
あのまま進んでいたら自分が氷の中に埋まっていただろう。そんな想像をする中で康太は逃げようとしていた魔術師の影を探す。
どこに逃げたのか、視線を上下左右に動かすが暗闇の中でその姿は完全に見えなくなってしまっていた。
「・・・あぁ・・・くそ・・・やらかした・・・」
あそこまで追い詰めることができていたのに、そう思いながら康太は悪態をつく。これは厄介なことになったかもしれないと康太は大きく項垂れていた。
誤字報告を五件分受けたので二回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです