その光景とやるべきこと
「それで、俺はどうすればいい?」
文が紙から手を離し結界を張り終えたのを確認すると、康太は槍を構えながら文が指示した方向に意識を向けていた。
これから自分はどう動くべきであるか、それを確認しなければいけないと思ったのである。
これが魔術師による攻撃であるならそれ相応の対応をするべきだと思っていたし、叩き潰すという事も考えには入っていた。
だがどうするかを判断するのは文の仕事だ。自分は魔術師として日が浅い。状況判断に関しては彼女の方が正しい指示を出せるという事を理解しているからこその質問だった。
「これを起こしている人間を探してきて。もし確認できたらこれがどういうつもりで行われているのかを問い詰めなさい。もし問答無用で襲ってきたら倒していいわ」
文の言葉に康太は自分の携帯を操作しながら文と通話状態にする。携帯のマイクでは本当に近くの声しか拾うことはできないだろうが、幸いにして周囲はほとんど雑音のない状況だ。少し声を大きくすれば十分に聞こえてくれるだろう。
「なんかあったらこれで指示くれ。イヤホンでお前の声は確認しておくから」
「了解よ。気を付けていってきなさい。」
康太は身をひるがえして屋上から飛び降りる。いや飛び降りるというほど格好の良いものではなかった。
可能な限り魔力を温存するために非常用はしごや途中にある足場などを利用してゆっくりと怪我をしないように地面に降り立つと文の指示した雑木林の方向へと走っていく。
まだ道があり、街灯もほんの少しある場所から徐々に光が失われていく。康太はあらかじめ持ってきていたペンライトを片手に進み続けていた。
夜の雑木林の中というのは康太が想像していたよりもずっと暗かった。手元にあるペンライトで照らせるのはほんの数メートル先まで。その先でさえも木々が邪魔になって照らせないことがほとんどだった。
徐々に目が慣れてきているおかげで木々や足元などははっきり見えるようになってきたが、周囲の景色を正確に把握することはできそうになかった。
文が感じ取れたというマナの移動。進んでいくうちに康太もそれらしいものを感じ取っていた。
魔力を操作していないというのにマナが自分に追従するように、また逃れようとするかのように動いているのだ。
文ほど正確な察知能力は自分にはまだないが、マナを感じ取る程度の感覚はどうやら身についているようだった。
そして進めば進むほどに気温が下がっていくのを康太は感じていた。先程よりもさらに寒く、冷たく、徐々にその感覚は痛みへと変化していく。
よくよく見てみれば周囲にある木々に付着した水滴が凍り付いているのに気付いた。地面にはわずかに霜も降りている。これだけの冷気を作り出しているのが自然現象であるはずがない。康太は確信を持ちながら冷気の中心ともいうべき場所に向けて走り続ける。
走っていることで体が温まるはずなのに一向に体は温かくはならなかった。周囲の冷気が康太の体から体温を奪い取っていくかのようである。手や足が冷えていくのを感じながら康太はそれでも走るのを止めなかった。
『ビー、聞こえてる?』
「聞こえてるよ、こっちはめっちゃ寒い。ところどころ霜が降りてる。明らかに異常だな」
携帯を介して会話する中、文は携帯の向こう側で唸るような声を出していた。自分のいる場所よりも康太のいる場所の方が寒いということを知って魔術的な何かの干渉が行われていることが確信に変わったこともあって少し考えを深めているようだった。
『たぶん冷気の中心に誰かいるはずよ。寒いだろうけど頑張って』
「了解、そっちも踏ん張れよ」
辛いのは自分だけではないのだ、魔力の限られている中結界を維持するだけでもかなりの負担を強いられるはずである。しかもこの寒さの中じっとしていなければいけないのだ、その負担は普段とは比べ物にならないはずである。
早く状況を終了させなければと康太は強い冷気とマナの動きからその中心部を特定しようとしていた。
魔術師は基本的に周囲の人間に見られるのを嫌う。となればこの雑木林の中にいると考えるのが自然だ。
ここからでれば人の目に触れてしまうかもしれない。だからこそ人の目の届かない、光の届かないこの場所で事を行っているはずである。
暗闇で視覚情報に頼れないという状況が、康太のマナを感じ取る感覚を鋭敏にしていた。強くなっていく冷気に加えマナの移動があるおかげで方向だけはすぐにわかる。周囲の景色で場所を把握することができない状況ではこの二つだけが康太の進行方向を決める唯一の手がかりだった。
月明かりがあればもう少し楽に進めたのだろうが、木々の葉によって月の光はほとんどが遮られてしまっている。
木の葉の隙間を縫うように僅かに降り注ぐ月の光もわずかな風で揺れる木の葉によって再び遮られてしまうようなか細いものばかりだった。
僅かな光源の中康太は進み続けると、やがて地面が凍りつつあるほどの冷気が存在していると肌で感じていた。少し風が吹くだけで肌を刺すような寒気が康太に襲い掛かる。マナの動きは一定であり、康太の目の前に向かって動き続けている。
康太はその進行方向の先に何かがいるという事を感じ取っていた。
身震いする暇もなく、康太はゆっくりと息を吐いていた。
「ベル・・・たぶんここだ・・・この場所だ・・・何かいる・・・」
『気をつけなさい、いつ攻撃されてもおかしくないわ』
康太は竹箒を握りしめながら周囲を警戒していた。いつ不意打ちを受けてもいいように身構えながらゆっくりと冷気の中心へと歩いていく。
康太が目にしたのは異様な光景だった。
雑木林の中にあるほんの少しだけできた空間。半径数メートル程の木々のない空間。そこに描かれている方陣術とその周囲を埋め尽くすように、方陣術を守るように存在している六つの氷の柱。
その柱と方陣術が周囲に大量の冷気をもたらしているとすぐに理解した康太はゆっくりと歩を進める。
方陣術の中心には一人の人間が立っていた。煌々と輝きを放つ魔法陣の上に立つその人物は康太が歩み寄る音に気付きゆっくりとこちらを振り返った。
予想していた通り、彼は仮面をつけ自分が着ているそれと似通った魔術師の外套を羽織っていた。
間違いなく術師だ。一体どのような術師かどうかはまだわからないが、氷の魔術を扱うと考えていいだろう。正直言って戦いたくはない。まずは相手の出方を把握することに勤めるべきだった。
「お前、魔術師だな。一体何をしている?」
槍の矛先を向けながら威圧するようにそう告げる。携帯の向こう側でそのやり取りを聞いている文も集中してその声に耳を傾けていた。
「実験中だ、余計な邪魔は入れないでくれ」
聞こえてきた声は男性のものだった。年の頃はどれくらいだろうか、声だけでは判断が難しいが少なくとも自分よりずっと年上の男性であるという事は理解できた。
つまり格上の魔術師という事である。これは対応を間違えるわけにはいかないなと康太は慎重に言葉を選ぶ必要があるなと内心ため息をつく。
「何をしていると聞いた、一体これは何の実験だ。周囲まで冷気が漏れ出ているぞ、場合によってはこちらも対応を変える。素直に答えてくれるとこちらとしても助かる」
こちらに戦闘の意志はまだない。そちらが何をしようとしているのかそれを知ればこちらは余計な手出しはしない。そう言う意味を込めたつもりだった。
そして目の前にいる魔術師もその言葉を康太の意図通りに受け取ったのか小さくため息をついてからゆっくりと足元にある方陣術の方に手をかざした。
「何のことはない。少々マナを集めているだけの事だ。少し思っていた結果とは違うが十分以上の結果だ・・・これなら・・・これなら・・・」
目の前の魔術師の声はまるで自分ではない誰かと話しているかのような、呟くような自問自答しているようなものだった。
これでは携帯で状況を聞いている文は彼の言葉を聞くことができないだろう。康太は文に告げるという意味も含めて目の前の魔術師に質問することにした。
「方陣術でマナを集めて何をしようとしてる?そもそもこの冷気は一体」
『ビー!そいつを止めなさい!今すぐに!』
康太が状況を告げる意味を含めて声高らかにそう聞こうとしている中、電話の向こう側から怒声が響く。
一体どういうことなのか、その意味を正しく理解するよりも早く相手の魔術師はこちらに向けて手をかざしているのに気付いた。
文の声が響いたおかげで康太は今の状況が緊急を要する事態であるという事を理解していた。その意味の半分も理解することはできなかったが今すぐあの方陣術を止めないと危険だという事はわかった。
康太はすぐに槍を構えて突進しようとするが、康太が攻撃態勢に入った瞬間に魔術師はすぐさま反応してみせた。その突き出した腕から氷の礫がいくつも発生し康太めがけて高速で襲い掛かる。
これが相手の魔術であると察した康太は槍で氷の礫を弾きながら近くにある木の陰に隠れ、携帯の向こう側にいる文に話を聞こうとしていた。
「ベル、どういうことだ?何でそんなに焦ってんだよ」
『焦るに決まってるでしょ!そいつ方陣術使ってマナを集めようとしてるんでしょ!?』
「あぁ・・・そうみたいだけど・・・」
近くにいる魔術師に聞こえないように小声で話しながら康太は木から木へと移動して相手の攻撃の的を絞らせないようにしていた。
どうも自分と文の間に危機意識の齟齬が起きているような気がしてならない。一体何をどうして焦っているのか康太には理解できなかった。
あの魔術師がマナを集めようとしている、そのこと自体に何か意味があるのか、それとも方陣術を使ってマナを集めようとするというのがどういう意味を持つのか、康太はまだその本質を理解していない。
『あんた聞いてないの?人為的にマナを集めようとした結果どうなるか!?』
「いや、俺の師匠は特にそんなことは・・・」
そこまで言いかけて康太はそう言えばと思い出すことがあった。マナを集めようとした結果どういうことになったか、確か小百合は一言だけだが言っていたような気がする。
『碌な結果にならなかったがな』
あの言葉がどのような意味を含んでいたのかは康太も知らない。だがあの時の話の流れからしてそこまで良い結果ではないのは確かだ。
それがどういう意味を持つのか、康太もなんとなく理解しつつあった。
他ならぬ小百合が碌な結果にならなかったというのだ、きっととてつもない何かが起きたのだ。それこそ康太の想像もできない何かが。
「ベル、端的に聞く。あれを止めるにはどうすればいい?」
『方陣術の陣を破壊するか術者を倒すこと。全自動で組まれていない以上それで止められるわ。前者はあんたには無理だから後者を頑張りなさい。倒したら私がそっちに行って何とかするから』
「了解、シンプルでわかりやすいな」
方陣術の陣を破壊するのは康太にはまだできない。そうなると文のいう通り術者を倒す以外に方法はないだろう。
何が起こっているのかは知らないがとにかくできることをしよう。康太はそう意気込みながら槍を構えて陣の中心にいる魔術師めがけて距離をつめようと接近していた。
誤字報告五件分受けたので二回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです