その形の意味
二月に入って文は悩み続けていた。
といってももう二月に入ってから十日も経過している。文の悩みは言うまでもない、バレンタインデーの日にどうするかという話である。
今年のバレンタインは土曜日。その日は学校もなく部活に行くもよし魔術の訓練をするもよし、どんな行動をとってもいい日なのだ。
もちろん康太を誘ってどこかに遊びに行くというのも一つの手である。
文が悩んでいるのは鐘子家のキッチン。キッチンに用意されているのはボウル、まな板、包丁、湯沸かし用のポットなど一般的な器具ばかり。
そして用意されている食材は言うまでもなくチョコ。
文は料理は一般的な技術を持っている。もちろん手作りチョコ、といっても市販の板チョコを溶かして別の形にするとかその程度だが、その程度の物であれば問題なく作ることができる。
問題なのはその形だ。
チョコを溶かして形を作るということは当然その形を決めなければならない。星形、ひし形、ハート形、あるいはもっと別の何か。
ありとあらゆる形があり得る中で、最終的に文が選んだものは二つ。
星形かハート形である。
だがこの形こそが問題なのだ。ハート形にすれば当然、それが義理などではないことはわかってしまうだろう。
というかいまどきハート形のチョコを渡すようなものがいるのだろうかと疑問に思ってしまうほどだ。
とはいっても、ここで星形に妥協していいものかと思ってしまうのもまた事実。文にとってこの選択こそ今後の人生すらも左右しかねない重要なものであるということは誰の目にも明らかだった。
文の様子を少し離れた場所から見守っている彼女の母にとっても、文の葛藤がいかなるものであるのか陰ながら見守ろうという姿勢をとっていた。
明らかにチョコを作る準備をしておきながら、溶かす準備も万端にしておきながら未だ作り出す気配はない。
湯煎で溶かす必要もなくチョコが徐々に硬度を失いつつある。我が娘はいったい何を悩んでいるのかと文の母は心配そうに文のことを眺めていた。
とはいえこのまま眺めていても仕方がない。いつまで経っても動かない、動こうとしない娘に文の母はしびれを切らし文の後ろからゆっくりと近づく。
「文、いつまでそうしてるの?」
「あ・・・母さん・・・いやその・・・形が・・・決まらなくて・・・」
文がこうして悩んでいるというか少し様子がおかしいというのは以前から何回か家でも見ていた。
きっとその関係であろうということは大まかには察していたが、文が作ろうとしているチョコの形を決める型枠を見てすべてを理解してしまった。
星形とハート形。この二つで悩むということがいったいどのようなことを意味するのか、文よりも倍近い人生を歩んできた母はすべてを理解し納得し嬉しそうに何度もうなずいて見せる。
「そう・・・そういうことね・・・相手は?誰に渡すの?前に来た康太君?」
「なんでわかるの!?」
「だってあなたあの子以外に仲のいい男子なんていないでしょう?お父さんにあげるなら形になんて悩まないものね」
なぜわかるのかなど聞くまでもない、そういっているかのような母の言葉に文は顔を赤くして顔を伏せてしまう。
以前から調子がおかしかった時があったがそれは康太が原因だったということに気付いた文の母はどうしたものかと眉を顰める。
この反応を見る限り文が康太のことを好きでいるのは間違いない。だが文はあと一歩が踏み出せずにいるらしい。
自分の娘ならもっとガンガン突き進むかと思っていたのだが、思ったより奥手だったのだなと文の母は苦笑しながら文の頭をやさしくなでる。
「大丈夫よ文、どんなものを贈ってもあの子ならおいしく食べてくれる。そういう子でしょ?」
「そうだけど・・・そうなんだけどそうじゃないのよ・・・」
「あの子に気付かれるのが怖い?」
「・・・怖いっていうか・・・そういうのじゃなくて・・・」
文が今抱えている感情は怖いとは少し違う。不安というのとも少し違う。文自身自分の感情を正確に判別できていない。
不安なのか怖いのか、それとも全く別の何かか。あるいはそれらすべてか。
未だ高校生の文にそれ以上の自己判断をしろというほうが無理な話だ。それほど文は成熟しておらず自己分析能力も長けていない。
「なんていうか・・・今は康太が気づいてないだけだけど・・・康太が気づいたときどう反応するかわからなくて・・・」
康太は良くも悪くも素直な人間だ。反応も思考も割と単純で、特定の状況を除きその思考をある程度読む程度のことは文ならば容易だ。
だがその特定の状況が今なのだ。
もし康太が文に好意を寄せられているということを知ったらどのような反応をするのか、割と長い付き合いになっている文も理解できないのだ。
嫌な顔は絶対にされないとは思う。きっと驚くだろう。そしてそのあとどんな反応をするのかが見えない。
困った顔をするだろうか、喜ぶだろうか、それとも照れるだろうか。今の文では康太のことを完全に把握することは難しかった。