早朝の思考
「・・・あれ、もう起きてたの?」
「あ・・・おはよう、目が覚めちゃってさ」
康太がネットで事件のことを眺めていると康太の母が寝室からやってくる。いつの間にか時刻は六時半、もう日も昇っている時間だ。
ここで康太はふと思い出す、今自分の舌には妙な紋様ができてしまっているのだ。もしこれを見られようものなら言及されるのは間違いないだろう。何とかして口元を隠さなければならない。
口を隠せるものと言ったらマスクだろう、適当にマスクを探して装備しておいた方がいいかもしれない。
「母さん、うちってマスク何処にあったっけ?」
「ん?マスクはそこの棚にあるけど、なに?風邪気味?」
「ちょっと喉痛いかも・・・そう言えば昨日夜に俺の部屋はいった?」
入ってないわよと言ってくる母をよそに康太は棚からマスクを取り出して装着する。昨日の夜にあの魔術師を名乗る女性が入ってきたのは間違いない。部屋に寒気が入り込んできたという事は窓から入った可能性が高い。
そうなると誰かが窓を閉めなければいけないのだが今朝起きた時には窓の鍵は閉まっていた。家族の中で一番自分の部屋に入る可能性の高い母がそれをしていないとなるとあの女性が何らかの手段を用いて窓の鍵を閉めたということになる。
密室殺人のトリックを考えているようだと康太は呆れながらパソコンに向き直る。先日の事件のことに関してさらに調べようとも思ったのだが、それよりも早く家を出たほうがいいかもしれない。
この舌の紋様を見られるのはまずい。自分だけが巻き込まれるならまだいいがもし家族が魔術関係に巻き込まれたらそれこそ殺されかねないだろう。
腕などであれば落書き程度で誤魔化せたかもしれないが舌への細工となると落書きなどでは誤魔化せない。
何か聞かれたりする前に適当な嘘をついて早目に家を出たほうがいい。
「母さん、今日ちょっと早めに出るわ」
「え?なんかあるの?こんな朝早くに・・・まだゆっくりしてればいいのに」
恐らく昨日の事故に関してあまり刺激しないように気を使っているのだろう。妙に言葉を選んでいるようだった。
だがそんな気遣いも今はスルーするほかない、自分の現状を家族に教えるわけにはいかないのだ。
「まぁちょっといろいろ・・・んじゃ行ってくる」
もしかしたら昨日の事件の事で何か用事ができたのだろうかとそこまで言及はしてこなかった。康太にとって事件ももちろん衝撃的だったがそれ以上に衝撃的なことが今自分の身に襲い掛かってきているのだ。
幸いにして受験の関係から今日は午前授業、給食でマスクを外す心配もない。部活もとうに引退している。放課後は何をしようが自由だ。そうなってしまえば件の住所に向かうだけの時間がある。
康太はカバンを持って早々に家を出ることにした。
まだ日が昇ってあまり時間が経っていないためかやはり冷え込む。マフラーを首に巻き付けているものの学校の制服だけではこの寒気を乗り越えるのは厳しいだろう。
登校ルートを見てみると何人か同じ中学の生徒の姿が見受けられる。恐らくは一、二年だろう。まだ部活をやっている下級生たちはこの時間に登校しても何ら不思議はないのだ。
朝練に行ったのもいつ以来だろうなと康太は下級生を眺めながら学校へと向かう。
いつも通っている道のはずなのにいつもと違うような感じがあるのだ。
自分が変わってしまったとかそう言う事ではない。どこか違う、自分がいるべき場所がここではないようなそんな感覚に陥ってしまうのだ。
学校に到着して朝練を行っている生徒たちを眺めても思う事は同じ。どこかずれているような気がしてしまう。自分だけ本来立つべき場所にいないようなそんな感覚だ。
たかが事故に巻き込まれて魔術師なんて情報を与えられただけでこの体たらく。我ながらメンタルが弱いなと思いながら康太は上履きに履き替えて早々に教室に向かうことにした。
朝早くに登校するような人間がやることと言えば部活くらいのものである。当然教室には誰もいなかった。当たり前だろう、今は受験シーズン真っただ中だ。自分は運よく推薦を貰えたためにあっさりと受験が終了してしまったが、一般受験の生徒たちは今が追い込みをかける時期。意味もなく学校に早くやってくるなどあり得ないのである。
大変なことになったものだと康太はカバンを置いて机に突っ伏す。
魔術師。漫画や小説、ゲームなどでは当たり前のように出てくる魔法や魔術を操る存在で超常的な現象を起こすことができる。
もちろん現実に魔術師がいるとは信じられない。もしかしたらそう言ったことを出汁にして信者を集める新興宗教の可能性もある。
だが昨日の事件。車の衝突とフェンスの柱の落下。どちらも偶然にしては自分への悪意と殺意で満ちていた。
魔術師という存在を確認するためにも、自分の身の安全を確保するためにも今日魔術師の下に向かう方がいいだろう。
警察に相談することも考えたのだが、この舌に刻まれた紋様がもし呪いの類だったとしたら、もし本当に魔術があったとしたら自分はそれを話そうとした瞬間に死ぬことになる。
仮に警察にそのことを伝えられたとしても一笑に付される可能性が高いのだ。助かる保証もないのにそれはリスクが高すぎる。
弟子になると告げた以上、あの女性が悪意を持って自分をだまそうとしていない限り自分の身の安全は保障されていると思いたい。
稽古をつけてやるという言葉。あの言葉が嘘ではないのなら康太に何らかの期待を持っているということかもしれない。だとしても妙な話だが今日件の住所に行く以外に康太ができる手段はないのである。