趣味と今後の話
「お兄ちゃん、そういえばアリスは?」
アリスの話題が出たことで今この場に当のアリスがいないことに気が付いたのか、神加は康太の裾を握った状態で周囲を見渡す。
「ん?あぁ、あいつならいつも通りあっちにいるぞ。今は漫画の全巻読破しようとしてるんだったか?」
「山積みになってる本が崩れそうで怖いんですよね・・・いつの間に買って来たのでしょうか・・・?」
康太と真理の意識した方向には、康太と真理が口にした通り大量の漫画に囲まれて黙々と読破を目指して読書し続けているアリスの姿がある。
各漫画雑誌の長寿漫画すべてを読破してみたいなと何気なく言った言葉を現実にするべくとにかく本を読み続けているのだ。
本棚に収まりきらないほどの漫画の量に康太と真理は少々辟易してしまっていたが、中には読んだことがある漫画もあったためにあまり強く指摘することはできなかった。
あの中の何種類かはぜひとも神加にも読んでもらいたいところである。
「相変わらずあいつは暇人だな・・・少しは家主のために貢献しようとは思わんのか・・・居候のくせに」
「そうは言いますけど師匠、別にあいつのことだから根無し草でどっかに居候になることだってできるわけですし、何よりちゃんと土地代として金は払ってるんですから」
「そうですよ。別に私たちに迷惑をかけているわけでもないですし。最近は神加さんも仲良くなってきているようですし」
真理に同意を求められた神加は小さく首を縦に振っている。アリスのことを変な子呼ばわりしていた神加だが、時折アリスと話すことでその性格や特徴を徐々に把握しつつあるのか、少なくとも以前のように少し距離をとるということはなくなっていた。
一応見た目的に年齢が近く見えるということもあってか最近は比較的頻繁に話すようになっているのをよく見かける。
「まぁあいつに常識的な行動を求めるほうが無理というものか・・・にしてもあんなに漫画を買っては置き場に困るだろうに・・・」
師匠に常識的云々言われたくないだろうなと康太と真理は眉をひそめてしまっていた。
だがそれを口にしたらきっと殴られるだろうなと、のど元まで出かかっているその言葉をぐっと押しとどめて話を別の方向に向けようとしていた。
「ひょっとしたら置き場の拡大の申請が来るかもしれませんね。その場合はそれはそれじゃないですか。あるいは上に置くのかも」
「あそこなら居住スペースですし師匠も読めますよ?せっかくですからいろいろ読んでみてはいかがですか?」
「いくつかは私も読んだことがある。他のものは読んだことはないが、長すぎて読む気が起きないものばかりだ。それなら金稼ぎをしていたほうがいささか有意義だな」
漫画を読むことよりも金を稼ぐことのほうが有意義とは何ともまともなことを言うものだと康太と真理は目を丸くしていた。
思えば康太は小百合の趣味というものを知らないのだ。普段からしてパソコンに食らいついて煎餅をかじりながら何かしているのを見るが、それ以外は誰かの修業をしているところくらいしか思い出せない。
思えば小百合のプライベートはいったいどのようなものなのだろうかと、半年以上一緒にいるが何気に一度も考えたことがなかったなと康太は首をかしげていた。
「姉さん、師匠って何か趣味とかないんですか?」
「趣味・・・ですか・・・そういわれると・・・もう師匠とは結構長い付き合いですけど・・・趣味らしい趣味はないような・・・」
真理は幼いころから小百合を師匠として修業し続けている。修業初期においては小百合の指導の至らなさでいろいろとあったらしいが、最近になってようやくまともになり始めたのか比較的問題なく魔術師として活動している。
そんな中で小百合の私生活というものに対して興味を全く持たなかった。日々修業をして迷惑をかけられて、そんな生活を送っていたせいで師匠である小百合に目がいかなかったのだ。
「師匠、師匠の趣味って何ですか?」
「・・・聞いてどうする?」
「興味本位です。もし変なものだったら思いっきり笑おうかと」
「そんなことを言われていうと思っているのか・・・?まぁいい・・・とりあえず私の趣味は貯金と昼寝だ」
貯金と昼寝。何という趣味だろうかと康太と真理は愕然としてしまっていた。
先ほどまで育成のために必要な趣味に関しての教育がどうのこうのといっていた人物とは思えないほどである。
貯金がだめだというわけではない。貯金は生きていくうえで大事なことだし、それができない人間というのは将来に不安を持つ。だが趣味にするものなのだろうかと思えてしまう。
そして昼寝。これも悪いとは言わないが、趣味として公言するのはいかがなものかと思えてしまった。
趣味といえば料理や読書、スポーツなど挙げられるものは山ほどあるだろうになぜそこで貯金と昼寝をあげたのか。
あるいは本当にそれしか趣味がないのか。康太と真理は自分の師匠の人間的魅力がどんどん失われていくのを感じながら互いに顔を見合わせて情けない顔をしてしまっていた。
絶対に悪いとは言えないのだが、その二つだけが趣味ではあまりにも切なすぎる。何かほかにもあるだろうと必死に小百合の普段の生活を思い出しながら考えを巡らせていた。
「えっと・・・それ以外にも何かありますよね?ほら、師匠って武器扱うじゃないですか?剣道とかのスポーツは」
「あんな頭部と胴と腕に竹刀を当てないと勝ちにならないようなスポーツ何の役に立つ。私ならまず足を狙うが」
スポーツはそういうものじゃないんだよと康太は突っ込みたくなるが何とか突っ込みをこらえてほかに何かないか思考を巡らせていた。
自分の師匠が貯金と昼寝が趣味ではあまりにも寂しい。何かないだろうかと気を配った康太の気配りを完全に無に帰すような小百合の返答に若干苛立ちすら感じながらも康太は普段の小百合の生活から本人も自覚していない趣味があるのではないかと考え自分の頭の中に残っている小百合の生活を思い返していた。
「なら師匠、お茶はどうですか?師匠結構お茶飲むじゃないですか。そういうのを自分で淹れたりは」
「あんなものパックで十分だ。私の師匠が茶が好きだったから仕方なく淹れていただけで別に私は水でもいい」
「じゃあ料理は?師匠何気に料理するじゃないですか」
「一人暮らししていれば料理ができるようになるものだ。生きるために仕方なくしているだけで別にしなくていいのであれば一切しないぞ」
「・・・でもいろいろ作ってるじゃないですか、レパートリーも結構あるでしょ?」
「当たり前だ。毎日毎日カレーやパスタだけでは飽きるだろう。最低限ローテーションできるように覚えただけの話だ」
この人は本当に最低限のことしか身に着けないのだなと康太と真理は頭を抱えていた。これが人間的に教育しなければいけないのだといっていた人物だと思うと頭が痛くなってくる。
というか小百合こそ趣味などを新しく見つけるべきなのではないかと弟子二人は思い始めていた。
末っ子の神加もそうだが、師匠である小百合にも何か新しい趣味を見つけてもらったほうが良いのではないかと考えてしまう。
少なくともこのまま貯金と昼寝が趣味というのでは、奏や幸彦から何を言われるのかわかったものではない。
というかあの二人は小百合のこの状態に対して何も言わなかったのだろうかと康太は疑問に思う。
「あの、奏さんや幸彦さんの趣味ってわかりますか?」
「なんだ突然・・・奏姉さんはあれでピアノが弾けるぞ。割とうまい。幸彦兄さんは運転が趣味だ。ドライブなどによく連れて行ってもらった記憶がある」
小百合の兄弟弟子二人の趣味らしい趣味に、なぜ小百合だけこんなに侘しい趣味になってしまったのだろうかと首をかしげてしまう。
別に趣味にどうこう言うつもりはないが、ふつう誰かの趣味に影響を受けたりするはずなのだ。だというのに趣味が金稼ぎと昼寝以外全くないというのはどうなのだろうかと思えてならなかった。
「そういうお前たちはどうなんだ。人にどうこう言う前に自分をどうにかしたほうがいいんじゃないのか?」
「え?俺は走るのと筋トレ、あとはゲームとか漫画が趣味ですけど・・・あと最近は空を飛ぶのが楽しいですね。パラグライダーとかやってみたいし、バイクで動き回るのも楽しいですよ?」
「私は料理と、最近は絵を描いたりしています。あとは家庭菜園くらいですかね?」
小百合は自分の弟子たちが思ったよりも趣味が多かったことに驚きながら、そんなものがあっても全く意味がないと先ほど自分が言っていた教育論を完全に無視するような考えを浮かべていた。
小百合の脳裏にはこれをやってみろあれをやってみろといろいろと勧めてくる兄弟子二人の顔が思い浮かぶ。
あれやこれやと小百合に興味を持ってもらおうといろいろなものを持ってきたものだ。そして勧められれば勧められるほど興味が失せていったのを小百合は覚えている。
なんとも不思議なもので、誰かから強く勧められると何故か興味が失せてしまうのだ。そのせいもあって、良くも悪くも小百合は誰かに干渉されない物事にのみ興味を持つようになってしまった。
師匠である智代にも若干心配されたこともあった。まさか今度は弟子にまで心配されるとは思っていなかったが。
「よし、それじゃこれから神加の趣味を探すのと一緒に師匠の趣味も探しましょうか。このままだと将来師匠ぼけますよ?」
「勝手に人の将来を決めるな・・・というかなぜボケと関係がある」
「趣味がない人とか、人と関わりを持たなかったりするとぼけやすいらしいですね・・・ボケって怖いですよ?」
「・・・その時は潔く自害しよう。周りの人間に世話をかけようとは思わん」
「あれ?てっきり俺らに面倒を見させるもんだと・・・ていうか師匠結婚とかしないんですか?もう結構いい歳でしょうに」
「おあいにく様、私のような人格破綻者を嫁にもらうような奇特な人間は少ないだろうよ。というかわかっていっているだろう?」
小百合の言葉に康太は苦笑いをしてしまう。
こういっては何だが小百合が結婚をするという未来はどうやってもイメージできなかった。
そもそも小百合のことを好きになる人間がいるのかも怪しいところである。
そろそろ将来を心配した兄弟子二人が見合いでも持ってくるのではないかと考えているのだが、本当にそうなるかは定かではない。
「というわけでさ、文の趣味ってなんだ?」
「何がどういうわけなのよ・・・」
趣味の話が出たところで、康太は翌日、部活動中に文を呼び出しいつも通り購買部の近くのベンチで話をしていた。
今日も先日までと同じように文はテニス部なのにテニスをせず、とにかく走り続けていたために途中で捕まえたのだ。
文はどうやらまだいろいろ手につかない状態が続いているのだろう。そこで康太は気を利かせて話をすることで何とか気を紛らわせられないかと考えたのである。
もっとも悩みの原因である康太が話を積極的にしたところで文の悩みが解消するとは考えにくいが、本人がそのことを知らないのだから仕方のない話だろう。
「神加に趣味を紹介するときに自分のやってるものを紹介したいだろ?そこで趣味の話になったんだよ。うちの師匠は金稼ぎと昼寝という悲しい趣味だったからさ、文もなんか趣味を提示してくれ」
「趣味を提示しろって意味が分からないわね・・・まぁいいけど・・・そうね・・・趣味・・・趣味かぁ・・・」
「なんだ?もしかしてお前も無趣味という無味乾燥な青春を現在進行形で送っているとは言うまいな?」
「どんだけ無趣味をバカにしてんのよあんたは・・・とはいえ・・・趣味かぁ・・・昔から魔術師としてずっと暮らしてきたからなぁ・・・趣味らしい趣味って言ったら・・・」
文は今までの生活の中で自分の趣味といえるようなものを探し始めていた。といっても日常生活で趣味らしいものといえば魔術関係のものになってしまいがちだ。
それ以外となると本当に些細なものになってしまう。
こんなものでいいのだろうかと、文は思いついた一つの事柄を上げてみる。
「趣味って言っていいのかわからないけど、歌を歌うのは好きよ?カラオケに行ったりして思いっきり声を出すのが好きね」
「いいじゃんいいじゃんそういうのだよ。そういう何でもないことでいいんだよ。ていうかそういえばお前と一緒に行動し始めてもう半年余裕で過ぎたけど、そういえばカラオケって一緒に行ったことないな・・・」
「・・・そういえば・・・そうね・・・」
魔術師として一緒に過ごして、四月から考えて八カ月を越えようというのに、康太と文はいまだ一度も一緒にカラオケに行ったことがないということを思い出す。
一緒に行動するときはたいてい一緒に訓練をする時だ。プライベートで遊ぶという時はたいていほかにも誰かが一緒にいたために、二人だけで遊ぶというのはあまりなかったのである。
「よっしゃ、んじゃ今度の休みにでも二人でカラオケ行こうぜ。お前の歌がどんな感じか聞いてみたいわ」
「・・・ふ!?か!?」
唐突な康太の誘いに文は思考能力の限界を突破したのか、完全に不意を突かれたのか言語になっていない声を出してしまう。
こんな文は珍しいなと思いつつも、悩んでいる思春期の女子はこんなものなのだろうと康太は半ば強制的に納得していた。
「え?なんだ今週末は忙しいか?なら別の日でも」
「だ、大丈夫、大丈夫よ。別に予定とか全然ないから。超暇だから」
「お、そうか。なら今度の休みは久しぶりに訓練も休んで騒ぐか。思えば最近休みってなかったような気がするからな・・・」
魔術師としての訓練に依頼、そして部活動に日々の勉強や学校など、康太たちの生活サイクルは案外とても忙しい。
平日はもちろん土曜日も日曜日も何かしらの予定が入っているために休みという休みはあまりないのだ。
そんな中で久しぶりに何もない休みにして遊ぼうなどと言い出したのにはもちろんわけがある。
康太は文に悩まないで楽しんでほしかったのだ。いつまでもぐるぐると悩んでいては気持ちがつかれてしまう。
たまには何も考えずに素直に楽しめる一日があってもいいだろう。そんな遠回しな、そしてさりげない気づかいを見せたのだ。
自分もなかなか気づかいができるようになってきたではないかと、内心どや顔をしている康太だが、文の悩みの根本が自分自身にあることに気付いていない。
せっかくいいところで気遣いができているというのに肝心なところで抜けてしまっている。この場にアリスがいたらなんと残念な男なのだと悪態をついたところだろう。
「で、でもいいわけ?神加ちゃんとか、小百合さんとか心配じゃないの?」
「その二人だと心配の意味が真逆になるけど・・・まぁ大丈夫だろ。たまには羽を伸ばさせてもらうさ。しばらくは神加の修業が忙しそうだし・・・それが一区切りしたら今度は神加を遊園地にでも連れて行ってやりたいんだよ」
魔術の訓練を徹底的に行っている間は小百合も定期的に神加の様子を見なければならない。康太たちのようにある程度成熟したものならば放っておいても勝手に覚えるのだろうが、神加のような幼子だと定期的に目を向けないと何をするかわからないため危険なのだ。
アリスや真理が近くにいるとはいえ、やはり師匠としては自分で見ていたほうがいいと思っているのだろう。
あれで結構師匠らしいところをしているのだなと文は少しだけ意外そうにしてしまっていた。
だがそんなささやかな驚きよりも、今は康太と二人で遊びに行けるということに文は内心狂喜乱舞していた。
そして自分自身が喜んでいるということに気付いて何とか平静を保とうとすぐに咳払いをする。
この場にアリスがいたらなんとも面倒くさい女だとあきれるところだろう。本人がいないのがせめてもの救いだろうか。
「ていうか康太ってカラオケで何歌うのよ。なんかイメージできないんだけど」
「別に普通の曲だぞ?ラップも歌うしJポップも歌うし、一部洋楽も歌えるし・・・基本テンポの速い曲が得意かな」
康太は別に歌や曲に対して特定のこだわりがあるというわけではない。曲調が好きならばどんなグループの誰の曲だろうと好んで聴く。
そのため康太の持っている音楽再生器の中身は全くと言っていいほどに統一性がない。
本当に好きなものを好きなタイミングで聞くという感じなのである。
「そういう文は?どんなの歌うんだ?」
「そうね・・・基本的に静かな曲かしら・・・」
「なんだよアイドルの曲とか歌わないのか?こう振り付けしてさ」
「そんなの私が歌うと思う?あぁいうのは好みとは違うわね・・・」
「いやいや、今歌えるようにしておけば神加の前でいつか歌ってやれるだろ?その練習ってことでさ」
「そんな理由?ていうかあの子アイドルとか好きなの?」
「たまにテレビで流れてるのを見てるぞ。好きかどうかは知らん」
神加ほどの歳の子ならばとにかくテレビに出ている有名人の真似をしたがるものだ。
特にアイドル系グループならばその魅力で神加にはとても強く印象に残るだろう。アイドルグループが歌って踊るその姿にあこがれても不思議はない。
男性アイドルグループもあこがれの対象になるだろうが、フリフリの服を着た女性アイドルグループに特にあこがれるのかもしれない。
自分もあんなふうになりたいと思いながら同じような振り付けと歌を自然と口ずさんでもなにも不思議はない。
「ていうか神加ちゃんが見てるってことは小百合さんも見てるのよね?そのアイドル系の歌を」
「見てるだろうな。あの人基本テレビに興味ないから流れてるのをただぼーっと見てるって感じだけど」
「アイドルグループの歌とか踊りを見てる小百合さんってなんかシュールね・・・いや別におかしなことじゃないのかもしれないけどさ・・・」
文が言いたいことは康太にも理解できる。いつも煎餅をかじってだらっとしている小百合がアイドル系の番組を見ているところなど想像ができない。
神加がやってきてそういうものを見る頻度が上がっているのは単純に神加がそういうものを見ているからなのだろう。
これを機に小百合がアイドルに目覚めたら。そんなことを考えて康太はありえないなと自分の中で生まれた考えを即刻否定する。
天地がひっくり返っても小百合がアイドルにあこがれを持つなどということはないだろう。もしそんなことが起きたらきっと真理もあまりの驚きに失神してしまうかもしれない。
「あ、そういえばアイドルで思い出した。前に依頼で会ったアイドル覚えてるか?アイドルっていうかアイドルもどき?」
「それを言うなら歌手もどきじゃない?えっと確か・・・森本なおだっけ・・・?」
「そうそうそれそれ。この前歌番組に出ててさ、神加はあの人がお気に入りみたいだぞ?歌を口ずさんでた」
「へぇ・・・なら奏さんのコネでまた会わせてあげれば?あるいはコンサート?いやライブ?にでも連れて行ってあげればいいじゃない」
「そうだな・・・その時は一緒に行こうぜ」
「なんで私も?」
「だってお前あの人の熱狂的なファンの演技してたじゃんか。俺がいるのにお前がいないのは不自然だろ」
別に依頼でもないんだからそんな設定を気にすることはないだろうにと文は思ったが、これも康太と一緒に遊びに行く口実になるだろうとそれ以上反論することはしなかった。
実際依頼の中で彼女の熱狂的なファンであるように演技をしたのは事実だ。文もそのことを忘れたわけではないしよく覚えている。
握手をしてもらったことも覚えているし、とても快く対応してくれたのを覚えている。
今度は依頼などでの護衛ではなく、本当にただの客としてライブを楽しむことができるかもしれない。
そんなことを考えながら康太と一緒に遊びに行く計画が増えていくのを感じて文は少しうれしくなっていた。
「なんか遊びに行くついでに神加ちゃんにいろんなものを見せようとしているみたいね。本当にいいお兄さんじゃない」
「こういう風に遊びの計画を練って、それで神加に趣味が増えて、人間的に成長してくれたら俺はすごくうれしいと思ってるんだ。ただでさえいろいろあったからな・・・」
康太がほんの一瞬目を細めたのを文は見逃さなかった。何度も何度も見た表情だ。今更どうにもならないことを考えているときの表情だ。
文は康太の頭を軽く叩こうとして手を挙げるが、振り下ろすのをやめて康太の頭にゆっくりとその手を乗せて少し硬い髪をやさしくなで始める。
「・・・なんだよ」
「なんでもないわよ・・・もう何度も言ったことだからもう言わないわ」
「・・・変な奴だな」
「お互い様よ。むしろあんたのほうがずっと変」
変なのはお前のほうだろと言いかけて、康太はその言葉を瞬時に飲み込む。
文が今おかしいのは自他ともに認めるところだ。変に刺激をするよりはこのまま流してしまったほうがいいと思ったのである。
変なところで気遣いができる反面、気を使いすぎてしまう時もある。康太は良くも悪くも普通に近い高校生なのだ。魔術を使えること以外は基本的に高校生以上の感性を持ち合わせていないのが欠点でもある。
週末に康太と文が遊ぼうと約束をした後、その康太と文は支部長に呼び出されていた。
いったいなんだと眉をひそめている中、二人は何となく何を言われるのかを察してしまっていた。
「実は君たちに頼みたいことがあってね・・・また依頼を受けてほしいんだけれど・・・お願いできるかな?」
支部長の少し申し訳なさそうな声を聞きながら康太と文は同時にため息をついてしまう。普段世話になっているだけに断ることなどできるはずもない。というか断ったら一体支部長にどれだけのストレスがかかるか分かったものではない。
支部長の胃と頭皮を守るためにも康太たちがここで首を縦に振る以外に選択肢はないのである。
「一応内容を確認させてほしいんですけど・・・概要でも構わないので」
「うん、受けるかどうかはそれを判断した後でかまわないよ。発生したのはある物品の盗難。君たちにはその物品の奪還と、盗んだ魔術師の討伐をしてほしい」
何かが盗まれ、そしてそれを取り返してほしいという依頼。いったい何が盗まれたのかはわからないが今回の依頼だと確実に戦闘があることだろう。
となれば康太の出番があるのは間違いない。そして盗難されたものの調査や追跡などで文の出番ももちろんある。
二人に頼むのは別に不思議な点はないが、なぜ康太と文に依頼を持ってきたのかというところが気がかりである。
今の依頼内容をそのまま取れば別に二人に頼むような理由はないのだ。盗難されたものがただの物品だったのであれば、適当な魔術師、具体的に言えば支部の専属魔術師でも使って対応させればいいのではないかと思えてしまう。
逆に言えば、康太と文に頼むだけの理由があるのだ。それがいったい何なのか康太と文は何となく理解できていた。
「その盗まれたものがちょっと特殊で、信頼できる魔術師に頼みたかった、だから私たちに話を持ってきたんですか?」
盗まれたものが貴重な何かだった場合、それを取り返す者には信頼できる人間を当てなければかえって危険が増すこともある。
盗んだものを取り返した過程でその価値に気付き、紛失した、あるいは取り返せなかったなどといって自分の懐に入れてしまう可能性もある。
そういう理由があるから康太たちに依頼を持ってきている。そしてその考えは見事に的中していた。
「話が早いね・・・つまりはそういうことなんだよ」
「でもそれなら専属の魔術師を使えばいいんじゃないですか?支部からなにかものが盗まれたならそれって結構重大なことじゃ・・・専属魔術師を使う理由としては十分じゃないですか?」
「んー・・・まぁ君たちならここから先を言っても大丈夫か・・・今回の依頼はぶっちゃけると支部から出てるものじゃないんだよ」
「・・・ってことは・・・支部としてはあまり干渉できないような特殊な事情がある・・・と?」
「そういうこと。依頼主はあくまで一つのグループでしかない。自分たちでどうしようもないから僕のところに話を持ってきたのさ。個人的には協力してあげたいんだけど・・・」
「支部としては立場上ただのグループのいざこざに専属魔術師を出すわけにはいかない・・・だからせめて俺らみたいなのに声をかけた・・・ってことですか」
支部というのはあくまでそれぞれの国や地域を統括するためだけの組織だ。日本支部で言えば日本の協会所属の魔術師の統括と支援が目的になる。
組織として魔術師全体に支援を巡らせなければならないうえにその支援はなるべく平等でなければならない。
特定の魔術師グループが困っているからといって支部の専属魔術師を派遣して問題を解決するなどということは平等とはかけ離れた、ひどく私的な組織利用になってしまう。
おそらくそのグループは支部長とも浅からぬつながりがあるのだろう。個人的に力を貸したいと思いつつも支部長という立場からそれが難しいことを理解している支部長は康太と文に協力を要請したのだ。
「ん・・・どうだろう、受けてくれるかい?受けてくれると僕としては非常にありがたいんだけども」
「・・・だってさ。ベル、どうする?」
「私はいいわよ。盗まれたものっていうのも気になるし。それだけのことをしてるグループならそれなりにすごい人たちがいるだろうし、ここで顔をつないでおくのもいい機会だと思うわ」
依頼の難易度は決して低くはない。だがそれ以上にメリットがあると文は考えているようだった。
魔術師として交友関係を広げることにもなり、実戦経験を積むための一種の訓練にもなる。
何より支部長の頼みを断るというのは申し訳ない。日々世話になっているのだからこういう時に返さなければ薄情者と後ろ指さされてしまうだろう。
「オッケー。俺はいいですよ。ベルもいいって言ってるし。依頼受けさせてもらいます」
「そういってくれると助かるよ。これでこっちも肩の荷が下りた・・・」
「早速ですけど本題に入らせてもらえますか?いったい今回の件は何を盗まれたんです?」
依頼を受けるとなったからには今回の問題の情報を可能な限り仕入れておく必要がある。さっそく依頼を受ける状態になったなと康太は文の不安定な精神状態はここでは発揮されないようだと安心しながら支部長の言葉に耳を傾けていた。
「うん、今回盗まれたのは魔導書なんだ。盗まれたグループは魔導書図書館を作ってる有名なグループでね・・・」
誤字報告を20件受けたので五回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




