康太と文の関係と望み
アリスに相談をした後、文は学校で自分の周りの環境を踏まえて自分の感情をもう一度整理していた。
自分が康太のことをどう思っているのか。整理していけば自分が康太のことをどう思っているのかわかる気がしたのだ。
授業を受けている間、文は康太のことを考えていた。康太がどんな人間で、どんなことを考え、どんな生活をしているのか。
ひとまず文は索敵で康太の一日を追うことにした。一日をかけて康太がどのような生活を送っているのか、どのような行動を起こしているのかどのような日常を過ごしているのか。確認してみればただそれだけの話なのだが何となく調べずにはいられなかった。
はたから見ればストーカーのように思われるかもしれないが文は真剣に悩み考えた結果このような行動に出ている。
何もやりたくてやっているわけではない。むしろやりたくないとさえ思っているほどだ。
文の索敵の精度はそれなりに高い。調べようと思えばこの学校すべての人間の行動を把握できるだろう。
だがそんなことをしたらプライバシーも何もなくなってしまう。文は魔術師として長く生きてきたからこそそういった線引きはしっかりしたかった。
それゆえに康太のプライバシーを侵害することにもなるが、そこは康太も当事者なのだから仕方がない。
それに文は康太ならば許してくれるだろうという確信があった。その考えは間違っていないだろう。仮に康太にばれたとしても「なんでそんなことしてんだ?」と言われて終わりそうな気がする。
もっとも康太の場合見られているということを把握する術がない。感覚的にみられているかもしれないということを察するだけの勘があるかもしれないがそれだけの超感覚が康太にあるか、文は疑問だった。
実際以前遠視の魔術で見られていた時康太は真理の指摘でその方向に気付くことができていたという話を文は聞いたことがある。見られている、人に見られているという感覚は康太は意識すれば知覚することができるのだ。
もっともそれは小百合が身に着けているような動物的な感覚だ。魔術でもなければ素質でもない。長い戦闘訓練によって後天的に身につけられたものであって確実性はまだない。何より集中状態と警戒状態を維持していないと把握できない程度のものだ。
このように日常の中にいる間は康太は索敵によって知覚されているということは認識できないだろう。
康太の一日を追っていると、康太が何の変哲もないただの高校生であるというのが強く印象に残る。
魔術師の時点で普通の高校生とはいいがたいのだが、友人やクラスメートと話している姿は一般人と相違ない。
これで康太に魔力がなければ文は康太のことをただの一般人だと思ってしまうだろう。それほど康太の私生活は平凡に満ちたものだった。
授業中も、休み時間も、食事中も、トイレに行く時も特に変わったところもない。調べれば調べるほど自分がやっている行為がまったくの無駄なのではないかと思えて仕方がなかった。
なんで自分はこんなことをしているのだろうかと自問自答しながら調べていると、康太は友人たちと別れて文のいる教室までやってきていた。
いったい何の用だろうかと思いながらも、文はとりあえず気づかないふりをしたまま次の授業の準備をしながら友人と話をしていた。
「悪い、鐘子いるか?」
「あ、八篠君だ。鐘子さん、八篠君だよ」
康太が呼んでいるということをクラスメートの言葉でさも気づいたかのようにふるまうと、文は友人との会話を切り上げて立ち上がり康太のほうへと向かう。
「どうしたの?あんたがこっち来るなんて珍しいわね」
「いやちょっとな・・・気になることがあって」
「どうしたの?教科書なら貸さないわよ?」
「違うっての・・・」
否定しながら康太は近くに誰かが聞いているということがないのを確認してから声を小さくし一瞬目を鋭くした。
「なんか今日一日誰かに監視されてるみたいな感じがするんだよ・・・見られてる感じがする・・・」
康太のその言葉に文は目を丸くしていた。実際見ていたのは自分なのだがどうしたものかと文が内心焦る中、表面上は何でもないようにふるまおうとしていた。
「見られてるって、誰に?魔術師の誰か?」
「それがわかれば苦労はないって。一応お前にも話通しておいたほうがいいと思ってさ」
まさか気づかれているとは思わなかった。
なるほど、京都に行った時からまた成長しているらしいと思いながら文は小さくため息をつく。
「今日一日ちょっと警戒しておいて。もしそれが明日も続くようならまた話し合いましょう。私のほうで周りを索敵しておくから」
「了解。頼んだぞ」
康太は文の言葉を疑うこともなく笑顔を作ってそのまま去っていった。
文が見ているのだということを疑いもしない。それだけ文のことを信じてくれているのだろう。
うれしい反面少し後ろめたかった。
康太を一日観察してわかったことは、康太がどのような人間であるか、そして康太がどのような行動をとるか、そして自分が康太のことをどう思っているかの三点だった。
とはいえ好きであるということを自覚したわけではない。康太のことを嫌いではなく、頼もしいとさえ思っているということ。そしてあの時ほんのわずかに、文にだけ見せたあの表情。
刃物のように鋭く、それでいて自分にはその視線の矛先を突きつけていないどこか不思議なあの目。あの目を文は忘れられなかった。
忘れられないことがまた一つ増えてしまったではないかと自分の行動の粗末さをあきれながらも、文はどうしたものかと再び悩んでしまっていた。
アリスは文が自分の周りにある環境が原因で、自分の感情を無意識のうちに押しとどめているのではないかといっていた。
今日一日観察してそうなのかもしれないと思ったことが少しだけだがある。
それは康太がほかの人と話しているときだ。特に女子と楽しそうに話しているときその感情は強くなっていた。
何というか、体の奥が軋むような感覚がするのだ。体を使ったというわけでもなく、筋肉痛というわけでもなく体調が悪いというわけでもないのだが、体の奥から妙な感覚が広がっていく。
文は何となくだがその感覚の正体を知っていた。
嫉妬。
好きかどうかも判断できないのに、文はほかの女子に嫉妬しているのだ。康太が楽しそうに話しているのを見て嫉妬してしまったのだ。
馬鹿らしいと思いながら、それでも康太が誰かと楽しそうに話しているとえもしれぬ感覚が襲い掛かる。
今までも似たような感覚はあった。康太が誰かにやさしくしていたりすると少し複雑な気分になったりすることはあった。
そして普段康太が見せない表情を自分にだけ見せてくれるとそれだけで自慢しそうになったし満足だった。
これが好きになるということなのだろうかと頭をひねりながらその日も文は走っていた。相変わらず集中することはできず、体力を戻すという名目でとにかく走りずっと考え事をしている。
康太は今日はランニングではなく短距離走の練習を行っているらしい。グラウンドの一角でとにかくスタートの練習をしていた。
常に索敵で康太のことを調べている文は自分の息が荒くなるのを感じながらそれでも索敵をやめなかった。
酸素が足りなくなってもはっきりと周囲の状況が理解できる。体に負荷をかけた状態での魔術の発動がこんなにも容易に行えるようになったのも小百合たちが行う無茶な訓練のおかげといえるだろう。
自分も昔よりは成長したのだなと思いながら康太の様子を確認し続ける。
康太は集中してスタートの練習をしているが、やはりみられていると気になるのか、時折どこかに視線を向けながら眉をひそめていた。
気になると集中を乱されるのか、康太は短距離走のスタートの練習をやめ、柔軟を行ってからタイムを測ることにしたようだった。
何度も何度もタイムを測り、自分の体力の限界まで追い込んでいるように見える。
もともと陸上の運動は走ることの繰り返しだ。何度も何度も繰り返して走ることで体力を向上させ、より良いタイムを出せるようにする。
特に康太は短距離と中距離を得意種目としているためある程度体力が必要なのだろう。
何度も何度も測っては少し呼吸を整えるの繰り返しをしていた。
そこまで確認していると、文のほうの体力の限界が訪れた。もうこれ以上走ることができないというところまで来ると文は一度そこで立ち止まる。
そんな時、ふと康太がこちらを見ているような気がした。そしてそれは気のせいではなかった。
走っていた場所が場所だったからか、康太のいるグラウンドから見える位置で立ち止まったせいか、康太は文のほうを見ると近くにいた部員に一声かけてから駆け寄ってくる。
「おい文、大丈夫か?」
「・・・だい・・・じょうぶ・・・よ・・・ちょっと・・・疲れただけ・・・」
「今日も限界まで走るつもりか?あんまり追い込みすぎるなよ?」
そういって康太はいつの間にか持っていた飲み物を文に差し出してくる。そういえば水を全然飲んでいなかったなと今更ながらに思い出した文はペットボトルを一気に飲み干すと再び荒く息をつき始める。
「・・・わかって・・・るわ・・・」
康太の気遣いがありがたく、そして申し訳なかった。後ろめたさがあるというのもあるがそれ以上に康太が気を使ってくれるというのがありがたかった。
文が悩んでいるということを知っていつも以上に気遣ってくれているのだろう。その気遣いは素直にうれしい。
いつの間にか自分は又こんなに汗をかいていたのかと気づきながら、近くにある壁に寄りかかるようにして一度休憩をとることにした。
「少しは休んだほうがいいぞ?体力戻すのも大事だけどな」
「そうね・・・でも今は動いてたほうがすっきりするのよ・・・そのほうが・・・いろいろと・・・楽だし・・・」
なぜ楽なのか、なぜすっきりするのか文はあえて口にしなかった。だが康太はそれが悩みからくるものなのだということを察していた。それゆえにそれ以上何も言わず、また何も聞こうとはしなかった。
アリスに言われたように本人から切り出されるのを待つべきだと思ったのだ。その言いつけを守るためには、ただ気を遣うしかできない。歯がゆいものだなと思いながら康太は文の頭に自分のタオルを乗せていた。
自分の頭に乗せられたタオルからわずかに漂う康太のにおいをかぎながら、文は聞いてみようと思った。それは何気ない質問だった。純粋に気になったことだった。
「そういえばさ康太、あんた最近茜とはどうなの?」
「茜・・・?あぁ森田のことか?どうって言われても、相変わらず話する程度だぞ?ちょくちょく休み時間とかに話に来るな」
「なんか進展とかないわけ?ほら、買い物に行ったとか、どこかに遊びに行ったとか・・・」
そんなことがあればきっと文の耳にも入るだろう。何より康太と文は最近ほとんど放課後は一緒にいるのだ。はっきり言ってそんなことをしている余裕はない。ないのだが聞かずにはいられなかった。
そんなことはないといってほしかったのか、ないことを確認したかったのか。どちらにせよ文は顔も上げずに、康太の顔を見ることなくそんなことを聞いていた。
文のその様子に、康太はただ話をそらせたいのだと文が思っているのだなというように感じ、その話にあえて乗ることにした。
無理に話を悩みや体調のほうに持っていく必要もないだろうと考えたのだ。なるべく本人に話をさせるというアリスの指示を簡単に破るわけにもいかない。
「進展も何も向こうもただ雑談しかしてこないしな・・・そもそもそういうことが目的なのか?」
「・・・さぁ、そこまではわからないけど・・・ほかのクラスなのに結構話してるじゃない?そういう風になってもおかしくないんじゃないの?」
「んー・・・なんていうかな・・・そういう目では見れないな。本人にはちょっと悪いけど・・・っていうかなんで俺がふってるみたいになってるんだよ」
そんなことを言いながら康太は笑っている。俺今リア充みたいなこと言ったなと笑っているが、文はその笑みを見ることなく大きく安堵の息を吐いていた。だがそれは同時に自分の友人の失恋を意味する。
そもそもちょっといいかも程度の認識だっただろうが、ある程度早めにその事実は伝えておいたほうがいいのかもしれない。
話がややこしくなる前に伝えておいたほうが彼女のためだなと言い聞かせながら、文は自分自身が少し焦っているということに気付いていなかった。
「そういう文はどうなんだよ、なんかないのか?浮いた話。テニス部の中で結構いるんじゃないのか?かっこいいやつとかさ」
「うちの部活女子テニスなんだけど」
「え?でも男子テニスと一緒にやったりするんじゃないのか?」
「それは本当にうまい人限定よ。私は頑張ってはいるけど普通くらいだからそこまではしないわ・・・うまい人たちならそういう恋愛模様もあったかもしれないけどね」
「なんだよつまらないな。せっかく高校一年なのにそういう恋愛話一切なしか。お互いつまらん青春だな」
そんなことを話している康太に若干あきれてしまう。実際は文が悩んでいるのはその恋愛話なのだが、康太はそんなことは一切気づいていないのだろう。
何というかタイミングがいいのか悪いのかよくわからない。勘付いているのではないかと思えてしまったほどだ。もっとも今回は文から話を振ったためただの偶然の可能性のほうが高いが。
「うちの学校内ではいないみたいだけど、あんたはほかにも女の人たくさんいるじゃない?ていうかあんたの周り女の人だらけじゃない。そのあたりどうなのよ」
「それを聞くか?わかってるくせして・・・師匠は論外として、姉さんは頼りになりすぎて恋愛って感じにはならないんだよな・・・なんていうかこう・・・いいたとえが思い浮かばないけどさ」
康太が言いたいことは何となく伝わる。康太は真理に対して強い信頼感と尊敬を抱いている。
恋愛というのは相手を対等、あるいは自分と近しい存在であるように考えることが第一だ。年齢の違いなどでの恋愛があまりないのはそういったことが原因ともいえる。
ここで問題なのは康太が真理のことを自分とは別格だと思ってしまっている点である。
小百合のように論外な性格をしている人種はさておき、真理は頼りになるし信頼できる女性だが、そういった感情が強すぎるせいで好きになるという感情が女性としてではなく別のものになってしまうのだろう。
「まぁ真理さんはいいわ。それじゃあアリスは?」
「アリスなんてさらに無理だろ。あれを好きになる奴がいたらロリコンだぞ?外見的な意味で」
「でも実際はすごく長く生きてるわけじゃない?ロリではないんじゃないの?」
「その定義に関してはちょっと議論が必要だからちょっと待とうか。とにかくアリスもないな。頼りにはなるけど・・・好きになるとは・・・」
アリスが聞いたらどう思うだろうかとそんなことを考えながら文はほんの少し視線を動かして康太の顔を見ようとする。
声音から言って嘘を言っているような感じはない。おそらく素直に話しているだろう。うそを言う理由もなく、何より康太が自分に嘘を言うだけの理由もないように思える。
いや、ないと思いたかった。康太が自分に嘘をつくなど文は思いたくなかった。
「じゃあ神加ちゃんは?あの子は将来有望でしょ」
「いやいや、あいつを恋愛対象にしたらそれこそロリコンだ。議論する必要もなくロリコンだ。俺はロリコンじゃないからな。守る対象ではあるけども」
神加も恋愛対象にはならない。あと残っている女性はわずかしかいない。この流れなら聞くのが自然だ。
文は自分の顔に血が集まっていくのを感じながら、そして平静を装いながら、声が上ずるのを抑えながらその言葉を口に出した。
「じゃあ、私は?」
そのセリフを口に出した瞬間、文はそのことを後悔していた。
話の流れからしてこの質問をしても不思議ではない状況だったのは文自身理解できる。だがそれでも、なぜこのタイミングで聞いてしまったのかと、口にした後で気づいてしまったのだ。
心の準備も何もできていない、その上康太はおそらくただの世間話程度で話をしているだろうこの状況で自分から切り出してしまった核心部分。
文は強く後悔しながら康太の顔を見ることができなかった。
「文からそういうことを聞かれるとは思ってなかったな。実は結構脈ありなのか?ええんやで文さん、俺ならいつでもお相手するぜ?」
茶化すように笑っている康太。おそらく本気で言ってはいないだろう。悩みを抱えた状態の文を少しでも明るくさせようとふるまっているのが動揺している文でもわかる。
ここは下手に真剣になって話を蒸し返すよりもこのまま話の流れに乗ったほうがいいだろうと判断して小さくため息をついていた。
「はいはい・・・ありがとね。ていうか私別に彼氏がほしいってわけじゃないから」
「なんだよ、男に飢えてるとかそういうことないのか・・・」
「男に飢えてるって何その表現・・・妙に生々しくて嫌なんだけど」
「文さんアラサー疑惑。そろそろ婚活も必死になり始める時期ですか?」
「学生結婚するつもりはないわ。それに普通に大学まで行きたいし・・・ていうか何なのよそのノリは」
「いや、今はこういう流れかなと」
康太がいい具合にふざけてくれたおかげで文は何とかいつもの調子を取り戻すことができていた。
そういう意味では康太がこの調子で素直に助かったと思うべきだろう。康太の本心を聞くことができなかったのは少し残念ではあるが、今ここで変に関係をこじらせるよりかはずっとましだなと文は考えていた。
そして同時に、そんな考えがよぎったことで気づいていた。自分は康太の本心が聞きたかったのかと。
自分を好きかどうか。そんなことは聞かなくてもわかる、きっと康太なら普通に文のことを好きだと答えるだろう。
だが文が聞きたかったのは友人として好きや人間として好きということではない。女性として文のことが好きかどうかということだったのだ。
それは文にとってこれ以上ないほど重要だった。聞いてから初めて、そして聞くことができなくて初めて、文はそのことに気付いてしまった。
康太の本心が気になる。康太にどう思われているかが気になる。康太に異性として見られているかが気になる。
自分からどう思っているかという考えに対しては否定の言葉が浮かんでくるのだが、康太が自分に対してどういう感情を抱いているのか気になるということに関しては何の否定の言葉も浮かんでこなかった。
むしろ全面的に興味津々だった。可能ならばすぐにでも確認したいほどに。
先ほどまでは失言だと思っていたあのセリフも、今となってはファインプレーだったのではないかと思えてしまう。
あの一言で話の流れは康太からの文への見方へと変化し、それを聞けなかったことで文の心の状態は変化した。
康太のことを知りたい。その気持ちは文の中で強くなっていく。
そういうことなのだろうか、これが人を好きになることなのだろうかと文は康太から借りたタオルで自分の頬を伝う汗をぬぐい、礼を言いながらタオルを康太に返した。
もう体力は十分回復している。これならもう一度ランニングくらいはできるだろう。
ついでに今の会話から気づいたことに対してもう一度考えを巡らせておくべきであると考えていた。
「康太・・・ありがと、気がまぎれたわ。もうひとっ走り行ってくる」
文のその言葉に、先ほどまで茶化していた康太は一瞬目を丸くしてから小さくため息をつく。
多少演技臭かったかもしれないが少なくとも文の気持ちを和らげることができたということに安心しているようだった。
「・・・そっか。走りすぎて倒れるなよ?」
「誰に言ってるわけ?それじゃね」
文はそういって走り出す。康太はその背中を見送ってから再び陸上部の練習に戻っていた。
ゆっくりと走る文は先ほどのことを再び考えていた。自分は康太のことを知りたい。常に一緒にいるからたいていのことを知っているかと思ったが、文が知りたいのは康太の心の部分、そしてもっと深いところなのだ。
康太が何を思い、何を考え、何を感じ、何を求めるのか。
心とでもいえばいいだろうか、康太が表層に出さない部分、表情などには出せてもそれを表に出すことができない部分。文はそれが知りたかった。
その感情を抱いている時点で、それは康太のことを好きになっているということなのだろうか。
他人のことを知りたい、ただの知識的な欲求ではないのだろうか。人と関わりたいというただの孤独を紛らわせるための手段ではないのだろうか。
考えれば考えるほどまるで言いわけのようにそんな考えが頭によぎる中、文は今日もう一度アリスに相談してみようとそう思いつく。
自分だけではどうしてもそういう考えしか思いつかないが、他人の意見を聞けばまた何かが変わるような気がしたのだ。
「ということがあったんだけど・・・どう思う?」
その日の放課後、部活が終わってから文は康太と一緒に小百合の店にやってきていた。そして文は康太が真理や小百合と訓練をしている間にアリスのもとを訪れ先ほどのことを相談していた。
「そこまで考えが至っていながらまだ疑うか・・・いや、まだ確信に至っていないというべきか・・・?」
「どっちでもいいわよ・・・それで、どうなの?客観的に見て」
「・・・私の返答は変わらん。むしろさらに確信をもって言える。フミはコータに惚れているのだ。あとはお前が認めるだけの話なのだ」
いい加減楽になってしまえとアリスは吐き捨てるように言うが、文はそうなのだろうかと頭を悩ませてしまっていた。
いったい何を悩んでいるのかとアリス自身不思議だったようだが、その疑問は文の言葉によって解消されることになる。
「・・・本当にこれが好きって気持ちなのかな・・・?」
「・・・ん?どういうことだ?」
「いやね・・・康太のことを知りたいとは思うのよ。本心を知りたいって思うし、一緒にいたいとも思うんだけど・・・本当にこれが好きって感情なのか・・・わからないのよね」
「・・・あー・・・なるほど、そういうことになっているのか」
文はまだ二十年も生きていない。自分の感情をすべてコントロールできるわけではないうえに、その感情がどのようなものか理解もできていないのだ。
今文が康太に対して抱いている感情が、本当に好きという感情なのか文自身確信が持てないのだ。
アリスは長年生きてきたからそれらをわかることができてしまうが、今この状況になってようやく思い出す。目の前にいるのは高々十数年しか生きていないただの少女なのだということを。
自分の感情を自分の中で消化しきれなくても無理はなく、その感情を分析しきれなくても無理はない。
どうやらそのあたりから話をしてやらねばならないようだとアリスは唸りながら文に向き合ってその目を見る。
「ならばフミよ、単純だがわかりやすい方法でお前に答えを出させてやろう。とりあえず深く考えず直感で考えるのだぞ?」
「わかったわ。心理テストか何か?」
「そんなに分かりにくいものではない。もっと直線的だ。お前はコータと握手できるか?」
「何をいまさら・・・そんなのずっと前にやったわよ」
康太と文が同盟を組むとき、確か握手をしたなと文は思い出す。握手などというものは普通にできる。ただ今になって握手をする必要がないためどちらかを起き上がらせる時以外その手を握るということはない。
思えば康太の手を握った回数自体は案外少ないかもしれないなと思いながら文は康太の手の感触を思い出していた。
「なら次だ。お前はコータに髪を触らせてやれるか?」
「あー・・・あいつ地味に髪に触りたがるのよね。別に触らせるくらいなんでもないけど・・・それが何なのよ?」
文の回答にアリスはふむふむとつぶやきながら頷いて見せる。いったいこの問いに何の意味があるのか文は不思議だったが、さらにアリスは問いを続けた。
「では、お前はコータの体にどこまで触れられる?」
「どこまでって・・・あいつは知らないけど私あいつの股間にも触ったことあるのよ?それどころかその・・・便にまで関わったし」
「おっと・・・それは予想外だ・・・というかなんでそんなことを?」
「デビットの一件であいつが気絶してた時に世話してたのが私なのよ・・・まぁその時にいろいろ見ちゃったから・・・康太には内緒よ?さすがにあいつの尊厳的なものもあるし」
デビットの一件で康太が三日間ほど気を失っていた時に世話をしていたのが文ということもあり、康太の排泄関係で汚れる部分はたいてい文は触れてしまっているし見てしまっている。
康太本人は知らないことだが、文は康太の体の隅々まで知っているといっていいのだ。本人はそこまで気にしていないが、そのことを康太が知ったらきっとふさぎ込むレベルで落ち込んでしまうだろう。
男子高校生のガラスの心を打ち砕くような真似は文はしたくはなかった。
「ならば逆の問いだ。お前はコータにどこまでなら触らせていい?」
「どこまでって・・・難しいわね・・・普通に体・・・肩とか背中とかは全然いいけど・・・さすがに胸とかお尻とかは恥ずかしいかも・・・っていうかそんなことしたらセクハラよ。一発でお縄になるわよ?」
「ではもしコータがフミに『胸を触らせてくれ!』と頼み込んできたらどうする?」
「・・・理由を聞くわね。もしその理由がきちんとしたものなら怒る程度で済ませてやるわ。きちんとしてなかったら思い切り殴る」
文の回答を一通り聞いたアリスはため息をつきながらなるほどなるほどとつぶやいている。いったいどのような意味があったのか文は理解していないが、アリスはもはやこれは確定的、あとはどのように伝えるかだなと小さく独り言を言った後で文に向き直る。
「さてフミよ、今の質問にどのような意味があったか分かるかの?」
「私と康太の距離感みたいなものを調べてたみたいに思うわね・・・ちょっと予想外なところがあったみたいだけど」
「うむ・・・まさか恥部まで確認済みとは思わなんだ・・・まぁそのことは置いておこう。フミよ、お前の抱いている感情は間違いなく好意に値するものだ。少なくとも先の質問でお前は康太にまったく嫌悪感や抵抗感を抱いていない」
嫌悪感や抵抗感という言葉に文は眉をひそめていた。
それを抱いていないから好意を抱いているとは直結しないのではないかと思ってしまったのだ。
「普通に考えてもみろ、仮に康太以外の人間が・・・そうだな・・・そのあたりを歩いてきた人間がいきなり胸をもませてくれと言って来たらどうする?」
「即座に警察を呼ぶわね」
「だろう?だというのにコータ相手ならお前はそれをしない」
「そりゃ・・・だってそれは・・・」
知り合いだから、何よりその程度のことで警察を呼ぼうとは思えないのだ。不審者ならば警察に連絡するのは一種の市民の義務だ。それを曲げるだけの理由があれば別に康太でなくても、倉敷相手でもボコボコにする程度で済ませるのではないかと考えていた。
「それだけではない。相手に自分の体を触らせる行為も、相手に触る行為も、ある程度親しくないと嫌悪感を抱く。特に髪などは女にとって重要なものだろうに。それを気安く触らせているという時点である程度の好感度はあるのだ」
「・・・うん、それは納得できるわ」
「ましてや恥部まで触れたことがあるとなればこれはもう確定的だろうに。少なくとも惚れる以前から恥部に触れるなど・・・最近の若者は進んでいるのだなと思ってしまったほどだ」
「あれは不可抗力だっての・・・私だって触りたくて触ったわけじゃ・・・」
「なら今はどうだ?触れたいか?」
アリスの言葉に文は思考を停止させる。実際どうなのだろうかと思ってしまったのだ。
あの時は先ほど文が言ったように不可抗力だった。そうしないと康太がいつまでも汚れたままだったからこそ仕方がなくそうしたまでのこと。
ならば今はどうなのだろうかと疑問に思ってしまった。今自分は康太の恥部に触れたいと思うのだろうか。
「ならば質問を変えよう。フミ、お前はコータとキスをしたいと思うか?」
「な!?そ、それは・・・」
キスをしたいか。その問いに文は康太と自分がキスしている光景を思い浮かべる。
康太が話すときのあの唇。あれはどんな感触がするのだろう。あるいはそれをしたときどんな気分になるのだろうかと想像を巡らせ顔が赤くなっていくのを実感していた。
「キスに関してはまぁいいだろう。ならばもっと突っ込んだことを聞こう。フミはコータの子供を産みたいと思うか?」
「ちょっ!さっきから何よ!同性でもセクハラって成り立つのよ!?」
「真剣な質問だ。答えろ。お前はコータの子を孕みたいと思うか?」
「え・・・あ・・・ぅ・・・」
康太の子供を産みたいか否か。そんなことを言われてもはっきり言って答えられないというほかない。
キスでさえ文の思考回路を鈍らせ、明確な答えが出せないというのにいきなり子供を産みたいかどうかなどと聞かれても困ってしまうのだ。
仮に答えるとすればつまり康太と結婚し、生活を共にするということだ。
文は康太と一緒に生活し、そして康太と男女の営みを行い、子をなす。
膨らんだ腹をなでる光景が思い浮かぶ。そして近くでそれを眺める康太がいて、二人で寄り添って生活する。
そんな光景を思い浮かべたところで文は自分がとんでもない妄想を抱いているということに気付いて首を思いきり横に振る。
「その様子だとまんざらでもないようだの・・・つまりはそういうことだ。好きでもない相手の子供を産みたいなどと考えてそんな表情はしない。お前は今コータの子を産むのも悪くはないと思っただろう?」
「そ・・・そんなことは・・・」
ない、と文は言い切れなかった。
自分の感情も自分の考えもまとまらない今、絶対にそんなことはないとは言い切れなかったのだ。
つい先日は康太が好きということすら簡単に口だけではあるが否定できていたのに、今はそれすらできなくなっている。
いったい自分はどうしてしまったのだろうかと文は困惑していた。
「フミよ、お前はまだ若い。自分の感情を整理できなくなることもあるだろうし自分自身のことがよくわからないということも多々あるだろう。だがな、それは別に間違っていることではないのだ、おかしいことでもない」
「・・・でも今までこんなことなかったのよ?こんな急に」
「人の心は移ろいやすい。体の成長と違って心の成長はちょっとしたことで訪れる。お前は今少女から女になろうとしているのだ」
少女から女へ。その言葉を文は重く受け止めていた。
「普通なら女というものはそこまで急激な変化はないのだがの・・・お前の場合、幼いころから魔術師として演技をし続けたのが影響しているのだろう。自分の本心と向かい合う機会が少なかったのが災いして混乱してしまっているのだ」
「・・・そうなの?」
「その可能性は高い。似たようなタイプに何度かあったことがある。魔術師として一般人を欺くことで本当の自分を見失う輩は多いのだ」
文は幼少時代から魔術師として生き、一般人とは一種の壁を作って生きてきた。それを悟られないようにはしてきたが、本心の部分をさらさないという意味で文は普通の人間とは生き方が異なるのだ。
心の成長もまたほかの人とは少し違う形になってしまっているのだろうとアリスは考えたのである。
「今すぐに結論を出す必要はない。だがお前がコータ相手にどこまで許せるのか。一度考えてみる必要があるのではないか?それは一種の物差しになるだろう」
「・・・どこまで・・・か・・・」
「そうだ。結局のところ、お前が康太に対してどのような感情を抱いているのかはそこが重要になる。一つ一つの物事をよく考えなおしてみることだ」
今まで何気ない会話やしぐさの中に含まれている物事。康太に対してどのような感情を抱いているのか、そして康太ならばどこまでの行為を許せるのか。
文の中で折り合いをつけられるポイントがどこなのかそれを把握するのはとても重要なことだ。
先ほどアリスがいったことではないが、康太の子供を産みたいとまで思うのか。文はまだ結論が出せずにいる。
こればかりは誰かに相談して決めるというわけにはいかない。これだけは文しか答えを出すことができないのだ。
「ありがとアリス。いろいろ考えてみるわ。すぐ答えが出せるかはわからないけど」
「よいよい。好きに悩み好きに答えを出せ。それこそ青春時代に許されることなのだ。大いに悩み大いに苦しむといい。その分お前が得るものは大きくなっていくだろうて」
アリスに相談したのは決して間違いではなかったなと、文はアリスに感謝しながら自分の中での考えを煮詰めていくことにした。
今後の康太との付き合い方を考えるうえで必要なものはすべてそろったように思える。
少なくとも現段階で自分が考えられるものはすべてそろえたつもりだった。そのほとんどをアリスが提示してくれたというのはなかなか切ないものがあるが、今はそれは置いておくことにしよう。
文はその場から立ち上がり、小百合と訓練を続けている康太のほうを見に行った。
槍を駆使して襲い掛かる小百合の刀を受け流し時折反撃も行えるようにしている。その姿は魔術師とはいいがたい。
あまりにも槍を使い慣れたその姿はまるで戦士のそれだ。少なくとも魔術を得意とする、闇に生きる魔術師には見えない。
あと数センチ手元が狂えば体のどこかが欠損してもおかしくない、そんなレベルの戦闘を繰り返す中、小百合の刀がのど元まで迫るのを確認すると康太は身をかがめて回避し足元を切り崩しにかかる。
だがその瞬間、小百合は蹴りを放つことで康太の槍を強引に押しとどめるとそのまま康太の顔面に回し蹴りを放つ。
とっさに腕を盾にして防御していたようだったが、小百合の蹴りの威力を殺しきれなかったのか、地面を転がりながら即座に体勢を整え小百合の追撃に備えていた。
弟子だからという加減は一切存在しない。むしろ目の前にいる男が積年の恨みの相手であるかのように小百合は攻撃を繰り返す。そして康太もその攻撃をしのぎつつ、時折訪れる反撃の機会をうかがっている。
そんな状態がどれくらい続いただろうか、康太が構えていた槍、小百合は攻撃対象を康太から槍に切り替えると数回の攻撃を康太に加えてその体勢をほんの少し崩した後に居合のような構えをしたかと思うと康太の槍をいともたやすく両断して見せた。
体勢を整えることに集中しすぎて小百合の斬撃の鋭さを見誤った。康太は自分の不甲斐なさを嘆きながらもまだあきらめていなかった。
康太の使っている竹箒改はもともといくつかのパーツを組み合わせることで槍としての形を成している武器だ。
斬られた部分を排除し、残った部分をつなぎ合わせることでまだ槍としての形を維持できる。
無論その分短くなるが、まだ負けたわけではないと康太は即座に分解と構築の魔術を連続して発動して少し短くなった槍を構えると小百合との距離をとり、一呼吸入れようとする。
だが相手の武器を一部であるとは破壊することに成功した小百合が、この好機を逃すはずもなかった。
康太の持つ射程による有利が少し少なくなったことで先ほどよりもさらに小百合が攻めやすい状況になっている。攻撃に次ぐ攻撃、斬撃に次ぐ斬撃。
康太に向けて襲い掛かる攻撃の嵐に、康太は徹底して防御に徹していた。槍の短さに加えてその重量そのものが変化したこともあり多少扱いにくくなってしまっている。
こんな状態で小百合の攻撃をすべて受けきれるはずがないと理解した康太は即座に今の戦闘スタイルを捨てる。
持っていた槍を中心部分で分解し、刃の付いている方とついていないほうをそれぞれの手に持つことで棒状の武器を二つ持っているのと同じ形にして見せた。
小百合が持っているのは一本の刀だけ。使い慣れた武器が破損したのであれば多少使いにくくても手数を増やすべきだと思ったのだ。
その対応に小百合は笑みを浮かべていた。康太があきらめるということをやめ、みっともなくもあがこうとしている。その光景を見て安心し、同時に喜んでもいたのだ。
みっともなくても醜くてもいいからとにかくあがく。そして最後には勝とうとする。それこそ自分の弟子だと小百合は考えながら康太めがけて刀を振るう。
当然の話ではあるが、いきなり二刀流の戦い方をしようとしても簡単にはいかない。まず槍との扱い方が違いすぎるために動きが粗末になってしまうだろう。
そしてそのことを最初からわかっていたかのように小百合は徹底して康太のぎこちなくなった動きをついていき、早々に康太を気絶させていた。
気絶させられるのは久しぶりだなと、小百合の一撃によって倒れこんだ康太を見ながら文は小さくため息をつく。
必死にあらがうその姿。自分はあの姿に心を奪われたのだろうかと考え、文はとりあえず康太に駆け寄る。
「ふむ・・・ようやくそういう考えを抱くようになったか・・・これはいいな。ふむ・・・そろそろ用意してやるべきか」
小百合は康太の様子を見て何かを思いついたようだったが、いったい何を思いついたのか文には理解できなかった。
何か楽しそうに考え事をしている小百合を眺めた後、文は倒れたまま何やら唸っている康太の近くによるとため息をつく。
「相変わらずすごい徹底的に攻め立てましたね・・・もう少し手加減してあげてもいいんじゃないですか?」
「こいつはこれくらいしないと学習しない。というか文、お前最近アリスと何か話しているようだが、どうせ来ているんだ、多少訓練しようとは思わんのか?」
「・・・ん・・・ちょっと体調がすぐれないので止めておきます。今やると変に大けがしそうで・・・」
「・・・以前負傷したといっていたが・・・ふむ・・・まぁいいだろう。そいつをどこかに転がしておけ。その間私は神加の様子を見る」
相変わらず弟子の扱いが雑だなと思いながら文は康太を安静にするべく自分の膝の上に頭を置いて横にさせる。
康太の体はボロボロだ、主に斬撃よりも打撃のほうを多く体で受けたのだろう。
斬撃は受けてしまうと出血によって多大なダメージを受けることになってしまうが、打撃ならばある程度防ぐことができる。後々そのダメージが蓄積されていくことは仕方がないことなのだが少なくとも即座に戦闘不能ということにはなり得ない。
文は康太に肉体強化の魔術を施してその回復を助長していく。
自分も治療用の魔術を使えればいいのだが、文が扱えるのは最低限の応急処置程度のもので真理が扱えるほど高度なものではない。
康太の体の中にある治癒能力を一時的に強化する程度しかできないためこの傷がいえるのを助けることしかできないのだ。
文がこの修業場を索敵の魔術で確認すると、小百合は言ったとおり神加の修業をつけてやるようだった。彼女は今三つ目の魔術を習得中である。本当に驚異の習得速度だ。文や康太のそれとは比べ物にならないほどの。
才能の違いか、それとも彼女の持った特殊な体質の問題か、どちらにせよ彼女は特別な何かを持っているのは間違いない。
とはいえあのまま進んでいっても少し問題がある。操ることができる魔術を増やしていってもその応用や切り替えなどがまだ粗末すぎる。
魔術一つ一つの技術を見ればそこまでひどいものではないのだが総合的に見ればまだまだ小百合の弟子とは思えない拙さだ。
さすがに魔術師になってまだ日も経っていないため仕方がないといえるだろう。
「んぐ・・・っつぅ・・・」
「あ、起きた?随分早かったわね?」
「・・・あー・・・してやられたか・・・久しぶりに気絶させられたな・・・」
康太は自分が倒れ、いつの間にか文に膝枕をしてもらっているという状況を確認して先ほどまで戦闘していた時の記憶を呼び起こし、自分が小百合にやられたのだということを正確に理解すると大きくため息をついた。
最近は気絶まではいかなくとも戦闘不能に近い状態にされることのほうが多かったためこうして気絶させられるというのはなかなかに屈辱だった。
「武器を壊されて動揺した?結構その槍大事にしてるもんね」
「んー・・・槍自体はパーツを取り換えれば問題なく扱えるからいいんだけどさ・・・やっぱ戦闘中に壊れるとどうしてもな・・・次の対応が遅れるし何より扱いにくくなる・・・この辺りが次の課題になりそうだな」
武器が破壊されたときの対応。簡単に言ってはいるがそれがどれだけ難しいことなのか文は完全に理解することはできなかった。
康太や小百合にとって武器は戦闘における生命線のようなものだ。それがなくなるということがどのような意味を持っているのかわからないほど文は鈍くはないが、文自身が武器を使って戦うことがないためにその重要性を完全に理解することができなかったのである。
先ほど康太がやったような槍を分断して二刀流のような形で戦えばいいのではないかと普通に考えてしまうのだ。
だがやはり使い慣れていない武器では戦闘能力は半減といったところだろう。そのあたりは近接戦闘における重要な点だといえる。
だからこそ普通の徒手空拳も身に着けようとしているのだが、それでも万全というには足りないらしい。
「それに今回あんた普通に蹴り倒されてたわよね?打撃への耐性をつけておいたほうがいいんじゃないの?ウィルに頼り切りってわけにもいかないでしょ?」
「・・・実はそのあたりの対策はすでにしてるんだよ」
そういって康太は腕を文の目の前まで持ってくるとわずかに握り拳を作る。するとその腕にわずかに光る白い膜のようなものが作り出されていた。
文はその魔術を見たことがあった。それを見たのは夏のことだ、プールに行った帰りに幸彦が見せてくれたエンチャントの魔術。康太が使っているのは幸彦が使っているものと全く同じタイプのものだ。
自分の肌に無属性の力を直接付与することで打撃の威力の強化に加え、わずかではあるが防護膜としての効果も発揮する。
康太はいつの間にかこういった魔術も練習していたのだなと文は目を丸くしながらその魔術によって光を帯びたような状態の康太の手を眺めていた。
文が雷属性のエンチャントの魔術を身に着けたように康太もまた無属性のエンチャントの魔術を身に着けていたのだ。
その事実に少しだけうれしくなりながらも、文はその腕にあるあざをしっかりと見つけていた。
「この防護膜を使っててもこのざまなの?あの人の攻撃力どれだけ高いのよ・・・」
「いや・・・一応最初は使ってたんだよ。体と槍の両方に・・・でも攻撃を受け続けて壊れてさ・・・そのあとまたかけなおすのが面倒で放置してたんだ」
「あぁ、やっぱり攻撃を受け続けると壊れるんだ」
「ん・・・普通の障壁と違って俺の体のすぐ近くにあるからな・・・いつ壊れるとかがわかりやすいのはいいんだけど、やっぱり師匠クラスの攻撃を何度も受けると壊れるよな・・・しかも師匠は同じところ狙ってくるから・・・」
康太自身おそらくまだこの防御膜の魔術の練度自体がそこまで高くないのは自覚しているのだろう。
もっと練習を重ねて高い練度にすることができればそれだけの防御能力を得ることができると思っているようだが、いまだ完璧とは程遠い練度であるため小百合クラスの相手をするときにはまだ本格的な実践投入はできないと考えているらしい。
障壁などの防御魔術に言えることだが、防御能力を超える攻撃を受ける場合全体的にその攻撃をちりばめられるよりも一点に集中して攻撃されたほうが破られやすい。小百合はその特性をよく理解しているようだった。
さすがは破壊を得意とする魔術師、たいていの防御魔術はもはや慣れたものなのだろう。康太が使ったようなエンチャント系の魔術の破り方も心得ているようだった。
半端な防御魔術を使っても大怪我をする元だ。防御があるからと安心しているとそれが破られた時の反応が遅れてしまう。
訓練なのだからそういった対処も必要だとは思うが、まずは小百合相手に防御なしで立ち回れるだけの実力をつけなければ意味がない。
康太はゆっくり体を起こすとまだ痛みの残る体に舌打ちしながらゆっくりと自分の体の状態を確認していた。
「悪いな、肉体強化かけてくれてたのか」
「気休め程度にしかならないけどね。その程度でもないよりはましだと思って」
「ありがたいよ。少しマシになってると思う・・・師匠は・・・神加のところか・・・」
康太も索敵の魔術で小百合の位置を確認したのだろう、軽くストレッチをしながら周囲の状況を確認して先ほど小百合に斬られた槍のパーツを遠隔動作で手元に引き寄せる。
「あーあ・・・すっぱり切ってくれちゃって・・・また自信が砕け散ったよ・・・」
「その槍ってそんなに簡単に切れるものなの?それとも練習用だから柔らかいとか?」
「いや、練習用の槍も刃をつぶしてある以外は素材的には一緒なんだ。だからあの人は普通に刀さえあればこの槍を簡単に両断できるってわけ・・・おっそろしいよなこの見事な切れ味」
康太は槍の断面を見ながら、あの戦闘の一瞬でこれだけのことをやってのけた小百合の技量に感服してしまっていた。
一度完全に斬られてからは斬られないように防御の方法もなるべく気を付けていたのだが、小百合がその気になって武器の破壊に集中した瞬間に全くの無意味となる。
小百合は単純な戦闘よりも、こういった相手の使う要素を一つ一つつぶしていく戦い方が得意なのだろう。
いわば破壊をメインにした戦い方だ。相手の攻撃手段や防御手段を一つ一つつぶしていって最終的にその技術で相手をつぶす。
言ってしまえばそれだけなのだがそれが一番厄介な戦い方なのだ。技術で優っている相手も自分が優位になるように状況を変える。破壊に特化した彼女にはそれができる。それだけの技術が彼女にはある。
こういった戦い方を訓練でもやりだしたあたり、小百合が康太の実力を認めより高いレベルの訓練をさせようとしているというのがわかる。
いずれ小百合が本気で戦う日も来るのだろうなと思いながら両断された槍を眺めていると、康太が起きたことに気付いたのか小百合が神加を連れて戻ってきた。
「ようやく起きたか。情けない奴だ」
「久しぶりにしてやられましたよ。情けない限りです」
「まったくだな。だがそれでもいろいろと思うところがあっただろう。そこで康太、これから協会に行ってきてもらう」
唐突な小百合の申し出に康太は目を丸くしていた。小百合が協会に行って来いというなどとあまりないことだ。
そもそも協会に行くといえば店として商品の受け渡しをするか、依頼を受けるときくらいのものだ。用がなければわざわざ足を運ぶことはない。
「それはいいですけど・・・どうしてまた?商品の受け渡しかなんかですか?」
「いや、そうじゃない。ついでに神加も連れて行ってやれ。いろいろと物入りになるだろうからな」
神加も一緒にという言葉に康太と文は目を丸くしていた。神加を協会に連れて行くというのは多少リスクもある。それを理解したうえでの話だろう。逆に言えばそのリスクを考慮しても協会に行かなければいけないという理由があるのだ。
「ちなみにですけど・・・いったい何をしに?お使い程度なら神加は連れて行かなくても大丈夫ですよね?」
「お使い・・・といえなくもないがな。今回のことでお前もわかったと思うが槍だけでは多くの状況に対応しきれないことがある。そこでお前の二つ目の武器を選んでこい」
二つ目の武器。
今使っている槍に加えて二つ目の主力武器を作る。それがどういうことなのか康太は理解していた。
うまくいけば対応できる状況が増える上に戦力としても役に立つ可能性がある。
ようやく近接戦でも次の段階に話を進められるのだなと康太は内心喜んでいた。
「ってことは、神加の装備も一緒に選んでこいと?」
「早い話がそういうことだ。特にこいつの場合適当に私が選んだものを与えるというわけにもいかん・・・」
「あぁ・・・なるほど・・・神加じゃ扱えない武器が多いですからね」
康太が使っている槍はもともと小百合が選出した武器だ。打撃斬撃突き投擲あらゆる攻撃ができる武器として小百合が選んだが、神加の場合小百合が勝手に選ぶというわけにもいかない。
何せ彼女はまだまだ未熟。それは実力面だけではなく身体能力が低すぎるのだ。
未だ成長途中だからというのもあるだろう。これからもっと成長していくというのにこの段階で妙な武器を持たせるわけにもいかない。
そもそも武器を持てるだけの筋力がないかもしれないのだ。
「でもそれなら別にここにあるもので選べばいいんじゃないですか?たいていのものはありますよ?」
「たいていのものがあっても神加じゃ扱いきれん。こいつ専用の武器を作らせる必要がある。そうなると支部に行く必要があるが・・・」
「なるほど、師匠はなるべく支部にはいきたくないと」
この前の一件以来あまり支部に来るなと言われているからなと小百合は少し残念そうな言葉とは裏腹に、その表情は清々したというものになっている。
こういう態度をとるから支部長に厄介者扱いされるんだよなと思いながら康太は事情をほぼ正確に理解していた。
「それじゃ武器の制作依頼はいいですけど・・・前に俺が頼んだところと一緒でいいんですか?」
「そうだな。問題はないだろう。ついでに装備など変えるなら一緒にやってしまえ。一応言っておくが神加から目を離すなよ?」
「わかってますって。支部に連れて行くだけでも結構危ないですからね」
神加の体質は魔術師としての視覚を有するものなら少し目を凝らせばわかってしまう。そのため多くの魔術師がいる支部にはあまり連れて行きたくないのだ。
だが今後神加が自分の身を自分で守るためには最低限の装備を持っていなければどうすることもできないだろう。
何せ彼女はまだ身体能力も低いうえに戦闘用の魔術も数えられる程度しか覚えていないのだ。
康太のようにある程度身体能力のある人間ならばそんな状況でもたいていは切り抜けられるかもしれない。
勝つことは難しくなるが神加の素質と精霊たちの力を借りることができればその場から離脱することくらいはできるようになるだろう。
神加でも使える武器や道具、そしてそれを扱えるだけの技術を身に着けることが今後の彼女の課題になるようだった。
「それじゃついでに文も来てくれないか?暇ならでいいけど」
「え?そりゃいいけど・・・なんで?」
「俺と一緒にいるだけだと目立つかもだろ?文がいたほうがある程度目くらましになるだろうしさ」
「・・・そっか・・・そういえばあんたも結構協会内で有名になってきてるしね」
小百合ほどではないとはいえ康太もまたその行動によって協会内で名前をよく聞くようになってきている。
それだけ派手に暴れているというわけではないのだが、どうしても小百合の弟子という前提条件が付くと印象ががらりと変わってしまうらしい。
康太が一人で神加を連れているよりも、康太と文が一緒になって神加を連れていたほうがまだ注目度が低いように思えたのだ。
文は文でいろいろと注目を集める理由になりそうだが、今回の目的は周りの注目を神加からそらせることだ。
文ならば場合によって魔術などでフォローできるため適任といえるだろう。
「ならついでに私も装備とか整えようかしら・・・そろそろちょっと武器を扱ったほうがいいように思えてきたし」
「そうしろそうしろ。何も持たないよりはなんか持ってたほうがいいって。お前の場合遠距離攻撃メインだろうけど」
文は今まで武器らしい武器を扱ってこなかった。最低限魔術で使う杭のようなものを持ってはいたが、あれを武器といっていいのかは正直微妙なところである。
文は自分の実力的に、武器を扱えるとも思えない。奏のところで近接戦闘、主に徒手空拳の訓練をしても上達が見られないことから、自分には近接戦闘の才能がないのだと半ばあきらめてはいた。
だが今でこそ近接戦闘が得意になっている康太だって最初から近接戦闘が得意だったというわけではない。
少しずつ少しずつ強くなっていったのだ。毎度毎度小百合に気絶させられるような思いをしてようやく手に入れたのである。
文は最近近接用にエンチャントの魔術を覚えたが。それを利用する形で何か武器を使うことはできないだろうかと考えたのだ。
具体的には近距離と中距離の間のような、武器としての射程が長いものを求めていた。
それならば康太のような毎度気絶するような訓練ではなく技術的な訓練で済む。それならば自分でもなんとかなるのではないかと考えたのである。
渡りに船というわけではないが、神加の武器を作りに行く、康太の二つ目の主力武器を作りに行くという話はちょうどよく思えたのだ。
「話がまとまったのならさっさといけ。武器製造の連中が常にいるとも限らんからな」
「了解です。それじゃ行くか」
「そうね。神加ちゃん、お出かけするからマントとマスク持ってきましょ」
「わかりました」
神加は自分の魔術師装束の入った袋を持ってくると、彼女用の小さなカバンの中に詰めていく。
その光景はどこかに遊びに行くかのように見えてしまう。この子が普通の子だったのなら、遠足にでも行くような光景に見えたのだろう。
「これとこれと・・・あぁ後こいつもちょっと直してもらわないと・・・」
それに引き換え、康太の準備は物々しい。どうやら今まで使ってきた槍のパーツに加えいくつかの装備にがたが来ているのだろう。
今まで使ってきた装備すべて修理に出すつもりか、康太が持っていこうとしている道具はすべて危なそうなものばかりだ。
槍、盾、装甲、ナイフその他諸々、康太が作ってもらったものすべて持っていくつもりなのだろう。
どうせ足を運ぶのだから一緒に済ませてしまえばいいという考えなのだろう。間違ってはいないのだがどこかに戦争に行くのではないかと思えるような装備の数である。
「それ全部持っていくわけ?」
「あぁ、師匠に壊されたり使ってて歪んできたりしてるのが結構あるからな・・・これを機に修理に出したほうがいいと思って」
「ぱっと見わからないけどね・・・そんなに変わるもの?」
「特にこの槍っていくつかのパーツを組み合わせて作るタイプだからさ・・・結構がたがきやすいんだよ・・・割と壊れやすいっていうか、傷みやすいっていうか・・・」
康太が持っていこうとしたパーツ一つ一つを構築の魔術でつないでみると、その言葉の意味を文は理解した。
一つ一つのパーツはまっすぐに伸びているように見えるのだが、ほかのパーツを組み合わせると槍の形がいびつに歪んでしまっているのだ。
康太がそれだけ荒い使い方をしているということなのだが、使用頻度がそれだけ高いということでもある。
パーツ一つ一つの歪みはそこまで大したものではないが、いくつものパーツを組み合わせるとどうしても歪みが大きくなってしまうのだ。
「どうせなら一本の槍を作ってもらったら?強度的にもそっちのほうが安心できるでしょ?」
「そうすると携帯性が悪くなるんだよなぁ・・・隠しておけなくなるっていうのがつらいんだよ」
「あぁそうか・・・堂々と槍を持ち歩くわけにもいかないものね・・・あれ?でもウィルに持ち運んでもらうっていうのはダメなの?いつもギターケースみたいな形で持ち歩いてるじゃない?その中に入れるのは?」
「あー・・・どうだろう・・・神加!ちょっとウィル貸してくれるか?」
「いいよ。行っておいで」
ずっとウィルの上に乗っていた神加はウィルから降りると康太のほうに向かうように指示する。
康太に呼ばれたウィルは康太の仕草でどのようにすればいいのか察したのか、組み立てられた槍を体で包み込むと、いつも康太が持ち歩いているギターケースのような形になって見せる。
だが槍の長さは普段のギターケースよりも大分長く、槍の矛先部分が露出してしまっている。
これでは持ち運びしている間に職務質問、あるいは即座に通報されてしまうだろう。
「やっぱ一本槍を持ち歩くのは結構きついな・・・もっと長く・・・するとだいぶでかくなるし・・・」
槍をすべて隠そうとなるとギターケースのサイズでは明らかに足りない。それこそもっと大きな楽器用のサイズになってしまう。
それを持ち運ぶのはだいぶ不自然だ。それなら別の形にしてもらったほうがいい。
「釣り用具とかも結局折りたたみ出来るものが多いからそこまで長くならないし・・・やっぱり組み立て式のほうが楽は楽なんだよな」
「ちなみに今までその槍を壊した人って誰かいるの?」
「今のところ師匠だけだな・・・しかもあの人接合部じゃなくて普通の場所を斬るからな・・・あの人負けず嫌いだから・・・」
「ていうかこれって斬れるの・・・?材質が何でできてるか知らないけどだいぶ硬いわよね・・・?」
「これがその実物になります。真っ二つですよ。今回のでパーツ三つダメにされてるからな・・・あの人に斬れないものってないんじゃないかな・・・?」
「これが斬れてるって時点で鉄とか石とかも斬れるってことになるものね・・・」
「前あの人トラック真っ二つに斬ってたからな・・・あの時は魔術使ったのかもしれないけども・・・」
「そればっかりはどうしようもないわよ・・・接合部で壊れたってことがないなら今の強度でもいいんじゃない?」
「まぁな・・・最悪予備のパーツ使えば壊れてもある程度何とかなるからな・・・パーツ予備がもうすぐなくなるけど」
「どれだけ使いつくしてるのよ・・・まぁあんたの場合仕方がないと思うけど」
槍をどのような状況でも使う康太からすると壊れるのは仕方がないのかもしれない。あとはどれだけ予備を用意できるかというところだろうか。
誤字報告を50件分受けたので十一回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




