理屈と事実
「フミよ、まぁお前の言い分もわからなくはない。だがな、私からすれば好きになるということにそもそも理屈を含めようとするのがナンセンスなのだ」
その考えが間違っているとは言わないが、アリスからすれば文の言っている言葉はあくまで理屈だ。
確かに人を好きになるというのは少々特殊な状況が必要かもしれない。あるいは何か劇的な出来事が起きるか、特にその個人の好みに合っているかといった一種の特殊性が必要なのかもしれない。
その理屈はわかる。アリスだってそういうことが恋に落ちる時に多々起きているということは理解している。
「もし人の心がすべて理屈で片が付くのであれば、お前の言うように康太を好きになるには少々理由が足りないように思う。お前たちは日々一緒にいすぎたからな。だが人の心というものは理屈だけで説明できるわけではない。そうだろう?」
「それは・・・そうだけど・・・」
「もし人の心をすべて理屈で説明できるのなら、世の中の機械はもっと発達していただろうよ・・・つまりはそういうことだ。フミ自身、自分の心の状態も自分で説明しきれていないのになぜコータを好きになったということだけを否定できる?それこそ理屈に合わん」
アリスの言葉に文は反論する余地もないのか苦虫をかみつぶしたような顔をして何やらうめいている。
それほど康太を好きになったということを認めたくないのだろうか、それとも気づいていてもそれを否定していたいのか。
どちらかはわからないが文の思春期の乙女の部分が康太が好きであるという事実を拒否し続けているようだった。
なぜそこまで頑なになるのかとアリスは不思議だったが、文自身が認めないといつまでたっても話が先に進まない。
ここは荒療治に出るしかないなとアリスは小さくため息をつく。
「少し待っていろ。お前に徹底的に叩き込んでやろう。否定しても否定しきれないだけの材料を用意すれば納得せざるを得ないだろうて」
「いったい何するのよ・・・」
「まぁまぁいいから少し待っておれ。その間に・・・ほれ、これのやすりがけでもしていてくれ。どうせ暇だろう?」
アリスは立ち上がりながら文にプラモデルのパーツと紙やすりを渡すとそそくさとどこかへ行ってしまった。
いったいどこへ行ったのか文は気になったが、今は追っても仕方がないなと渡されたパーツのやすりがけを開始していた。
小さなパーツを紙やすりでこする、ただそれだけの作業だ。いつまでたっても終わりが見えない、というかどの段階で終わらせればいいのかわからない作業に文はただ手でこするだけの動作を繰り返していた。
そしてやがてその手が止まる。
自分は今いったい何をしているのだろうという疑問と、自分の気持ちがわからなくなって呆然としてしまっていた。
アリスの言う通り、自分の状況さえも正確に把握できていないというのになぜ康太が好きという事実だけを否定しようとするのか。
文は自分自身がわからなくなってしまっていた。康太のことが嫌いというわけでもなく、頼りになると思っていたはずなのに、なぜ好意だけを強く否定してしまっているのか。
少なくとも単純な好感度で示せば、康太は文の知る男子の中では最も高い数値を持っている。
少し抜けているところがあるが頼りになるし、変に気を使う必要もない、隣にいて楽しいし何より楽なのだ。
だというのになぜ好きという感情だけを強く否定しようとしているのか。
自分で自分の心がわからない。否定の言葉を口にすればするほど、自分の中で何かがずれていくような気がした。
心と思考が切り離されているような気がするのだ。理屈で考えようとする頭と、感情で考えようとする心。
頭は康太のことを好きになるはずがないと思っている。それは康太を異性としてみることができないということではなく、好きになるためのプロセスを無視していると感じているからこそそう思うのだ。
だが心は全くそうは思っていないようだった。おそらく体のほうは心の影響を強く受けているのだろう。いや思考そのものも心の影響を受けているといったほうがいい。
その影響が強すぎるからいろいろと集中できなかったりしているのだ。
「・・・私が・・・康太を・・・好き・・・?」
文は誰に言うでもなくそう小さくつぶやいた。そして自嘲気味に笑う。やはりあり得ないと思いながらも、言葉にしてみると顔が少しずつ熱を持っていくのがわかる。
再び康太の背中を思い出す。あの時の大きな背中と自分を抱えたときの体温を思い出す。あの時自分のすぐ近くにあった康太のにおいを思い出す。
何度思い出しても色あせることのないその記憶、もしこれを恋というのならまるで呪いのようだなと思いながら文は自分の手の中にある小さなパーツを見て目を細めた。
このやすりがけにいったいどれだけの意味があるのだろう。そう思いながら再び手を動かしているとアリスが小走りで戻ってくる。
どうやら文に認めさせるだけの何かを持ってきたようだった。
その手に持っているのはタオルだった。普通にどこにでもあるようなタオルで特に変わったところはないように見える。
あれがいったい何なのだろうかと思っているとアリスはにやりと不敵に笑って見せた。




