文の敗因
「・・・あ、師匠!起きましたよ」
文が目を開けるとそこには天井があった。見慣れない天井だ。薄暗く、なおかつ冷たい印象を受ける天井。
康太が自分の顔を見下ろしているのを確認して文はようやく自分の状況を理解していた。
何時の間に自分は気絶していたのだろうか、どれくらいの間気を失っていたのだろうか、思考を巡らせる前に康太は濡れたタオルで文の顔を拭っていた。
後頭部のあたりから妙な熱が感じられる中、濡れたタオルが顔の熱を冷やしていくのがわかる。
タオルに熱を奪われ冷えた肌が頭の中にも冷気を伝え、徐々に冷静な思考を取り戻していくような感覚がする中、文はゆっくりと体を起こした。
「ようやく起きたか・・・しばらく安静にしていろ、多少強く頭を打っていたからな」
「あ・・・す・・・すいません」
一体どういう風にやられたのか、よく覚えていない。
小百合と距離を取ろうととにかく逃げの一手で対応しようとしていたはずだ。相手が攻撃しようとしてくるのを避けながら、こちらの攻撃だけを当てられる間合いに移動しようとしていたはずだ。
そこまでは思い出せる。だがそこから先何をされたのかが思い出せなかった。こういうのを訳が分からないうちに倒されたというのだろう。
距離をとっていたはずなのにいつの間にかどこかからか攻撃され、どんな攻撃をされたのかを考えている間に一気に追いつめられて叩きのめされた。
正直ほとんど何もできなかったに等しい。相手がどんな魔術を使っていたのかさえも理解することができないほどに一方的だった。
これが本当に魔術の訓練なのかと思えるほどだった。
壁に背を預けながら濡れたタオルで頭を冷やし、訓練を続けている康太と小百合の様子を眺めていると、先程の自分とほぼ同じと思われる展開になりつつあった。
康太は槍を持って極力小百合を自分の懐に入れないように心がけているにもかかわらず、小百合はあっさりその懐に入って見せる。そして拳や足技などを使って康太の体勢を崩しながらも攻撃を当てようとするが、その時点で康太はすでに行動に移っていた。
相手の攻撃を見るや否や反応し、攻撃を受けつつも急所への被弾は避けている。
芯を外しているという言い方が適切だろうか、相手の攻撃を完全な直撃にするのではなく力を逃がすような動きをしてダメージを極力軽減しているのだ。
そして隙あらばふたたび距離を取ろうと槍の矛先を小百合に向ける。当然素人同然の康太の槍の扱いで振り払えるほど小百合は未熟ではない。完全に密着された時点で康太の敗北は明らかなのだ。
だが攻撃を受けながらも康太はまだやられていない。自分の時はもっと早く混乱しどうすればいいのかわからなくなっていたのに対し康太は小百合の攻撃を逐一確認しながら冷静に対処している。
ここが違うのだ、自分と康太の違いはここなのだ。
追い詰められると思考が単純化する。自分にできることの中で一番楽なものを選択しようとする。
普通はそうだ、だからこそ相手に先を読まれてしまう。だが康太は相手の動きをさらに先読みしようとしていた。普通なら思考を単純化し相手のことなど気にできないほど混乱するはずなのに相手を見て反応できるだけの余裕が康太にはまだ残されている。
それが訓練によるものであるという事を文は理解していた。
康太は毎回小百合にあのように追い詰められることで、追い詰められることに慣れているのだ。だからこそ対処できる。思考を単純化せず、相手のことを考えるだけの余裕を持つことができる。
自分にはまだできないことだ。
文は康太に負けた理由を大まかにではあるが理解しつつあった。
まず一つは康太が魔術師としての戦いをしなかったこと。
魔術師として当たり前だと思っていたやり取りを行わないことで相手の思考をかき乱す、それが康太の、いや小百合の策だったのだ。
もう一つは康太が弱者であったこと。まだまだ駆け出しである康太にとって格上へ挑むという戦いは十分危険なものであり、ある意味やけくそな思考にたどり着くには十分すぎる環境だったのだ。
その思考が魔術師が本来持つべきそれとシンクロし、一時的にではあるが彼を魔術師もどきから魔術師のそれへと変貌させた。
そして三つめの理由、これが最も大きな敗因であり、自分が改善するべきであること。
それは自分の精神的な弱さである。
自分には実力がある、それは自他ともに認める事だった。だがそれは魔術師としてのものではなく、魔術を扱うものとしてのものだ。
魔術師は魔術を扱うだけではなく、魔術を行使し自らの力を証明する者。そう言う意味では自分は魔術師として未熟すぎる。
自分の思い通りにならないと焦り、自分の狙いが外れると困惑する。相手が自分を追い詰めると動揺し、攻撃されると恐怖する。
普通の学生であれば基本的に当たり前のことかもしれないが、魔術師としてその考えや対応は間違っている。
そう言う意味では、相手が格上であるから自分が想像もしていないことをしても不思議はないと考えていた康太の方がよほど魔術師らしい思考をしていたと言えるだろう。
なまじ長い間魔術と関わっていたせいで、相手が自分の予想を超える行動をすることが想像できなかったのだ。
世の中に定石が存在するように、当然ながら例外も存在する。その例外を想定できず対応できなかったことこそ自分の敗因であると文は理解した。