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ポンコツ魔術師の凶運  作者: 池金啓太
十五話「夢にまで見るその背中」

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得られたもの、得た教訓

「・・・ふぅ・・・なかなか厄介ね・・・」


「どうだ?覚えられそうか?」


「まだ百パーセントでは扱えないわよ。でもある程度ならできると思うわ。それなりに術式の感じは覚えたから」


苦笑しながらもある程度自信はあるのか文の瞳は爛々と輝いている。どうやら何の成果も得られなかったということはなさそうだ。


「よし、んじゃ練習してみようぜ。俺索敵発動するからさ」


「随分急ね・・・まぁいいわ、何事も練習あるのみだしね」


では早速と康太が少し離れて文のいる場所が見えないように背を向けながら索敵の魔術を発動する。


こういう時に索敵の魔術を覚えてよかったのと思うが、康太の索敵には先ほどいた場所に文がしっかりと認識されていた。


「・・・あれ?失敗してるか?普通に文の居場所がわかるぞ?」


「え?発動できてるはずだけど・・・失敗したかしら・・・?」


同時に小首をかしげている康太と文に、アリスはあきれながらため息をつく。この魔術の原理を理解していながらもなぜこのような構図になるのか。いやまだ覚えたてだからというのが理由のひとつかもしれない。


ここで助け舟を出すくらいならいいかと、アリスは康太の腹を軽く叩く。


「馬鹿者、先ほど文のいた場所を集中して探せば見つけてしまうのは当然だ。言っただろう、脳の補完機能を利用するのだと。見えないようにしたい場所を注視していてはいつまでたっても見えたままだ」


「え?あぁそうか。康太は私がここにいるって知ってるから暗示の効果が出ないのね」


「ほうほう・・・そうか、思い込みをする余地もない状況になっちゃってるなら・・・よし文、ちょっと地下に行ってこい。それで一定時間したら俺が索敵して探すから」


「かくれんぼってことね。いいわよ。ところで今日神加ちゃんは?」


「下で訓練してるぞ。今日はまだつぶれてないっぽいな」


たいてい小百合が体力の限界を超えるまで修業させるために、やり終えた後神加はほぼ自動的に眠ってしまう。


そして眠った後ウィルが神加の体を上の階まで持ってくるというのが最近の恒例行事だった。


「じゃあ邪魔にならないようにステルス行動するわね。あんたの索敵の練習にもなって一石二鳥かしら?」


「よっしゃ絶対見つけてやる。審判はアリスな」


「かくれんぼに審判など必要あるのか?見つけるかどうかくらいしか判断基準ないだろうに」


「文が地下から移動したとかそういうことがないように見張っててくれればいいって。何なら一緒に隠れてもいいぞ?」


「ふむ・・・たまには童心に返るのもいいか。では手本を見せてやるか」


アリスはなんだかんだ言いながらそれなりにやる気はあるようだった。文は文で新しい魔術を試すということもあってやる気十分。これはなかなか面白いことになりそうだと康太はその場で待機しながら二人が隠れるのを待つことにした。


「そうだ、どうせなら罰ゲームとかどうだ?俺に見つかったらなんかするとか」


「ふむ、面白いが・・・私はいいとして文にその条件はいささか厳しいのではないか?先ほど覚えたばかりでは安定して使えんだろうに」


「それもそうか。ならアリスだけ、俺に見つかったら罰ゲームな」


「ちょっと・・・アリス、別にそんなの受ける必要はないわよ?」


「よい、ちょうどいい余興だ。久しぶりにコータに格の違いというものを見せつけてやろう。どのようにあがいてもお前は私を見つけられんぞ?断言しよう」


このアリスの言葉に康太はほんの少しだけ対抗心を駆り立てられたのか、ほほうと悪い笑みを浮かべながらアリスをにらみつけていた。


「いったな?じゃあもし俺が見つけたらわさびたっぷりの寿司食わせるからな?リアクションのところまでしっかり録画してやる」


「よかろう。だがそうまでいうのだ、見つけられなかったらその時はわかっているだろうな?」


「もちろん。いったい何をしてほしい?」


「そうだの・・・四十八時間耐久で私の暇つぶしに付き合ってもらおうか。その証拠として動画投稿サイトの生放送をしてもらう」


「いいぜ、やってやろうじゃんか。あとで泣いて謝っても遅いぞ?」


「笑わせるな小童が。私に勝とうなど百年早い」


百年早いという言葉をアリスが言うとここまで重みがあるのだなと文は二人が対抗心を燃やしているなか一人ため息をついていた。


冷静に考えれば康太が勝てるはずがない。相手は魔術を知り尽くし、ありとあらゆる魔術を駆使するこの世界で最高位の魔術師なのだ。


今年の二月に魔術を知った一般人に毛が生えた程度の魔術師である康太にかなう相手ではないのは誰の目から見ても明らかだ。


だがなぜだろう、文は康太が負けるというビジョンが思い浮かばなかった。


康太を信頼しているからとか、アリスが油断しているからとかそういう理由があるわけではなかった。


どこか漠然とした予感のようなものだ。こういうものを当てることができれば勘がいいといわれるようになるのだろうなと思いながら文は先ほど覚えた術式を自分の中で反芻しながら魔術の訓練のかくれんぼに備えていた。



「隠れていいのは地下倉庫内のみ。お前たちが移動してから一分経過したら俺がお前たちを探し出す。見つかったら俺の勝ち、見つけられなかったらお前たちの勝ち。制限時間は俺が動き始めてから十分間。何か異論は?」


「ないぞ。コータの悔しがる顔が今から目に浮かぶ」


「なめんなよ、絶対見つけてやるからな。涙をふくハンカチを用意しときな、わさびはきついぜ?」


二人の間で火花散っている様子を傍目に文はあきれながらため息をついてしまっていた。


訓練とはいえやる気を出さなければ意味がないのは理解できる。文だって全力で隠れるつもりだし、早くこの魔術をマスターするにはこうした訓練が必要だというのも理解できるし納得している。


だがあの二人のあのやる気には納得したくなかった。


「あんたら妙にやる気ね・・・ていうかアリス、あんたわさび食べたことあるの?」


「あるぞ。サユリの昼飯にソバがでたことがあっての。風味づけとして楽しませてもらった。子供はわさびが苦手だと聞いたが私は違うぞ?あの風味はなかなか面白かった」


それを罰ゲームにするとはコータも甘い男よとアリスは笑っているが、康太が食べさせようとしているそれが彼女の想像の通りのものであるということはないだろう。


まず間違いなく大量に用意されたわさびチューブをアリスに直接叩き込むつもりだろう。涙を流してのたうち回る可能性は高い。


「あんたもあんたじゃないの?暇つぶしに付き合えだなんて・・・二日ってのも結構気を使ったの?」


「それは当たり前だろう。お前たちは二人とも基本的に学校があるからの。土曜日曜でなければできないようなことをやらせようというだけだ。金曜日の放課後から日曜日の夕方まで、みっちりと付き合ってもらうつもりだ。気が向いたらフミもゲストとしてやってくるといい」


動画投稿サイトなどでよくある生放送を使って証拠として残すということを言っているが、長年生きている魔術師としてその対応はどうなのだろうかと疑問符を飛ばしてしまう。


映像に残るといろいろ厄介だと思うのだが、そのあたりは彼女はもう気にしないということだろうか。

生放送であれば動画のデータが残るのは一定期間だけだが、誰かが保管しないとも限らない。


同じ魔術師としてはここは止めるべきなのだろうなと文は思いながらもそこまで心配はしていないのだ。


「まぁあれね・・・あんまり気を抜かないほうがいいんじゃない?相手は康太なんだし」


「何を言うか。コータの索敵能力はフミ以下だろうに。その程度の実力であれば見つかることなどありえん」


「・・・何でもいいけどね。一応言っておくけど私の訓練でもあるのよ?」


「もちろんわかっておる。だからこそコータのやる気を上げさせたのではないか。本気でやればフミの訓練にもなるだろう?」


「なんかあんたたちの楽しみのためにって感じがするけど?」


それは気のせいというものだとアリスは楽しそうに笑っている。ただの遊戯でもある程度本気でやるからこそ面白いのだ。


負けるつもりなどさらさらないアリスはすでに罰ゲームの内容を考え始めている。大丈夫だろうかと文は少し心配になっていた。


客観的に見れば康太が勝てる要素はほぼゼロだ。索敵という項目において康太のそれはまだまだ未熟の一言である。


そんな未熟な索敵で優秀を絵にかいたような魔術師であるアリスが本気で隠れたとき、康太が見つけられるだけの理由を探すほうが難しい。


というか、アリスが本気で隠れたら文だって見つけられるか怪しいところなのだ。康太はずいぶんと無謀な戦いを挑んだものだと思いながらも、康太が負けると思えないのが不思議なところである。


「よっしゃさっさといけ。一分たったら俺も動くからな」


「はいはい。あんまり早く見つけないでよ?自信なくなるから」


「それはお前の実力次第だ。さあさあ天国か地獄かの境目だぞ」


「ふふ、約束された天国とは何とも皮肉なものだ。申し訳ないなコータよ、確定した敗北を与えてしまうことを許してくれ」


「言ってろ。そのどや顔泣きっ面に変えてやる」


互いに挑発しあう中、文は集中しながら魔術の発動の準備をしていた。何度か発動したとはいえまだ発動率そのものがあまり良くないのだ。そんな状態で未熟とはいえ康太の索敵から逃れられるか微妙なところだった。


「さてとさっさと隠れるとするか。それではフミよ、私は一足先に隠れさせてもらうぞ?」


そういってアリスは文の目の前から文字通り姿を消した。光属性の魔術を使ってその姿までも隠すつもりのようだった。


確かに魔術師用の暗示の魔術以外を使ってはいけないと康太は言っていなかった。どうやらアリスはそれなりに本気で隠れるつもりのようだなと文は本当に消えたように見えるアリスの技量の高さに感嘆しながらも自分の隠れ場所を探していた。


光属性の魔術を使えば意図的に暗闇を作ることはできるが、その程度の隠れ方では間違いなく見つかってしまうだろう。


それならばいっそ何もせずに見つからない場所を探したほうが確実かもしれないと文は地下にある場所の中で隠れられそうな場所を探し始めた。


勝手知ったる他人の家。小百合の店に何度も来たことがある文からすれば雑多な地下に隠れることくらい容易なのである。


「・・・さて、行くか・・・!」


二人が地下に向かってから一分が経過し、康太は地下へと移動しながら索敵の魔術を発動していた。


康太が使える索敵の最大効果範囲は三十メートル強。索敵魔術の中では広いとは言えない索敵範囲だが、小百合の地下倉庫を十分間探索するには十分すぎる性能を有していた。


索敵を発動してすぐに康太はその違和感に気付くことができる。何か妙であると。


まんべんなく索敵しているはずなのに、なぜか索敵があいまいな場所があるのだ。その場所に靄がかかったように感じられるといえばいいだろうか、今まで索敵してきてこのようなことはなかったために、それが文たちが発動している魔術の効果であると気付くのに時間は必要なかった。


康太がその場所に向かうと、そこは荷物の積み上げてある倉庫の一角。そして積みあがったその荷物の隙間に入り込むように文が隠れていた。


「うげ・・・何よ、もう見つけたわけ?」


「まさか本当にいるとは・・・お前の姿は索敵できなかったけど、妙に靄がかかってる感じだったぞ。違和感を与えてる時点でうまく発動できてないな」


「康太に言われるとなんかすごいむかつくわね・・・まぁいいわ・・・あと残り時間どれくらい?」


「まだ九分残ってるな。余裕で探し出してやるぜ」


「っていうけど・・・アリスの姿、私の索敵でも見つけられないんだけど・・・本当に探し出せるわけ?」


康太は知らないがアリスは索敵回避の魔術だけではなく光属性の魔術を併用してその姿までも消しているのだ。


この地下の中をしらみつぶしに探したところでそう簡単に見つけられるものではないだろう。


特に康太の未熟な索敵ではどうしても限度がある。康太は自信満々のようだがいったいどうするのか気になるところだった。


「なぁに、俺は見つければいいんだからそこまで困ることはない。とりあえず残り時間五分までは頑張って索敵で探してみるか」


「本当に大丈夫なの・・・?」


残り時間五分、それがいったい何を意味しているのかは分からないが康太は悠長に歩きながら索敵し続けアリスがどこにいるのかを探し続けていた。


アリスがその姿も消しているということを教えるべきかどうか迷ったが、今のところ二人の間だけでの勝負なのだ、文が口出しをするのもどうかと思えてあえて口にしなかった。


康太は地下倉庫を探し回りアリスを見つけようとしたが、索敵にも康太の肉眼にもアリスの姿が映ることはなかった。


そろそろ康太の言っていた残り五分だなどと考えていると、康太は片目を閉じて魔術を発動する。


康太が発動したのはまず物理解析の魔術だった。片目で見える範囲の物体の構造を把握するための魔術で、地下倉庫の中にある物品をとことん解析していく。


探すときに索敵の魔術だけを使うとは康太は言っていない。アリスがルールの抜け穴を突いたように、康太もまたルールの隙間を縫うように探し始めている。


とはいえ地下倉庫の中を大まかにみるということをしたせいであまりの情報量の多さに康太自身頭痛を覚えているが、アリスを見つけるという目的の前にはどうでもいいことのようだった。


物理解析で見つけられないことを悟ると、次は嗅覚強化の魔術を発動する。この地下倉庫の中に残されているアリスのにおいを追跡しようとしているのだ。


この場所はもともとアリスもよく出入りする場所だ。あちこちにアリスのにおいの痕跡が残されているがその匂いの強弱でアリスがいったいどこにいるのかは大まかだが追跡できる。


康太はにやりと笑うと、迷うことなく進み始めた。今康太にはアリスのにおいの痕跡がまるで道のように見えているだろう。


嗅覚なのに見えているとはおかしな表現かもしれないが、康太からすればそのように感じ取れているのである。


「ふっふっふ、文、今日の晩飯は寿司で決定だぞ。おなかをすかせて待ってろよ?」


「また卑怯なことを・・・そんなのいいわけ?」


「あいつだって姿消してるだろ?これだけ動いて見つからないってことは隠れてるんじゃなくて姿消してるってことだ・・・さぁて・・・それじゃ正解発表と行こうか?」


目に見えない何かに肉薄すると、康太はそれをつかんだ。その瞬間、康太の手が触れた部分から透明化が解けていく。


そこにはまごうことなくアリスの姿があった。その表情は悔しそうで、同時に情けないと思っているのだろうかため息までついてしまっている。


「まさか索敵以外の方法で探してくるとは・・・全く卑怯だぞコータ」


「先に姿を消したのはそっちだろ?それに索敵だけで探すとは言ってない」


「くそ・・・においも一緒に消しておくべきだった・・・いや、それだと逆に目立つか・・・地味に厄介だな嗅覚強化の魔術は」


アリスの言うように、仮にアリスが自分のにおいを消したとしてもこの地下倉庫にはありとあらゆる場所にアリスのにおいがついているのだ。それなのに一部アリスのにおいがついていない場所があれば不自然になるだろう。


消したからこそわかりやすくなる痕跡というのもある。康太の嗅覚強化はそういった特殊な探索において多大な効果を発揮するのである。


「さて、それでは罰ゲームを受けてもらおうじゃないか・・・!アリス!」


「・・・仕方あるまい。まあわさび程度なら私は気にせん。特上寿司をとってやろうじゃないか、今日は存分に食べるとよいぞ」













アリスの堂々たる宣言から数時間。小百合の店の居間とでもいえる場所のいつものちゃぶ台の上には特上寿司が並んでいた。


その場には小百合と神加の姿もあり、久しぶりの寿司という料理を前に少し目を丸くしている。


当然といえば当然だろう。何せこの二人は今回の事情を何も知らないのだから。修業しているとき康太たちが何かやっていたことを小百合は勘付いていたようだったが、その詳細までは把握していなかったらしく目の前に並ぶ特上寿司と康太たちを見比べながら眉をひそめている。


「・・・とりあえずなんだ、何か祝い事でもあるのか?」


「いやいやそういうんじゃないですよ。ちょっとアリスと賭けをしましてね。その賭けに勝ったんです」


「・・・ほう?さっきやってたことがそれか」


「そうです。アリスが油断しててくれて助かりましたよ」


康太は全員分の茶を淹れると箸に手を伸ばす。全員がいただきますの唱和をしたところでそれぞれが目の前にある寿司に箸を伸ばしていった。


「それで?いったい何をしたんだ?お前がこいつに勝つなんてあまり想像できんのだが・・・」


「さっきはかくれんぼしてましてね。アリスは隠れる、俺は見つける。ただそれだけの話ですよ」


「・・・なるほど、お前の力量を見誤ったか」


「というか、処理を間違えたというべきだな。コータが嗅覚強化の魔術をここまで扱えるようになっているとは思わなんだ」


康太が嗅覚強化の魔術を覚えてもうだいぶ日がたつが、アリスはここまで康太が嗅覚強化の魔術を扱えるようになるとは思っていなかったのだ。


もとより康太と知覚系魔術の相性がいいことは把握していたが、それにしても普段の生活で残っているにおいと現在その場にいるにおいをかぎ分けられるレベルにまで達していたことは完全に予想外だったのである。


「それで寿司をおごらされたというわけか・・・なんともバカらしい。相手を甘く見るからこうなる」


「ふむ、これは教訓だな。コータだからこそその実力は把握しきっているかと思っていたが、なかなかどうして。男子三日会わざればという奴か」


「実際は毎日会ってるんだけどな」


余計な茶々入れないのと文は康太の脇を小突きながら自分が食べている寿司のネタをめくってその中にワサビがないことを確認すると小首をかしげる。


「ていうかさび抜きで頼んだの?」


「あぁ、神加もいるからな。せっかく寿司頼んだのに食べられないんじゃあれだろ?」


「そっか・・・神加ちゃんわさび入ってると食べられないか・・・」


文が視線を向けた先には口の中いっぱいに寿司をため込んだリスのような表情をしている神加の姿がある。


どうやら神加は寿司が好きなようで、ほんのわずかではあるが笑みを浮かべているのがわかる。


少しずつ彼女の感情が戻ってきているのであれば何よりだ。あの写真の笑みを浮かべられるようになるまでいったいどれほどの時間がかかるかわからないが、少しずつ状態は良くなっていると思いたい。


「それで?問題のワサビ寿司はどうするのよ?さび抜き頼んでおいて」


「せっかく頼んだんだからまずはおいしくいただこうぜ。ちゃんとアリス用に別途で注文して確保してあるから大丈夫だよ。冷蔵庫にワサビも買っておいたしな」


「変なところで用意周到ね・・・ていうか本当にやるの?せっかくおいしいお寿司なのに」


今回アリスの金で注文した特上寿司は出前で確保できる中ではかなりの上物だった。少なくとも一般家庭では何か祝い事でもない限り手が出ないようなものばかりだ。いや、もしかしたら特別な日でも確保しないかもしれないだけの値段がつくものである。


小百合の店の食卓、というかちゃぶ台の上にこんなものがあるというのは非常にミスマッチだ。


この場に真理がいないのが申し訳なく思うほどに。


「だからこそ今おいしくいただいてるんじゃないか。安心しろ、さっき買ってきたわさびは生わさびだ。ちゃんとすりおろす用の道具も買ってきたぞ。上物と上物のハーモニーを味わっていただこうじゃないか」


「片方の量によっては上物と上物の殴り合いになりそうだけど・・・そのあたりはどうするわけ?」


「そうだな・・・じゃあ最初は適量入っているのを食べてもらって、あとから本気の一撃をお見舞いしようか」


「・・・食べ物で遊ぶのはあまり感心しないんだけど・・・お願いだから今回だけにしておきなさいよ?」


「おうよ。俺だって食べ物を粗末にしようとは思わないって」


康太も文も食べ物を粗末にするような趣味はない。少なくともせっかくおいしく食べられるものをダメにしようとは思わないのだ。


今回はあくまで罰ゲーム。泣き叫ぶような一撃を秘めたわさび入り寿司は一つ程度にしようと考えていた。


実際それくらいのほうがアリスへのダメージとしては強烈になるだろう。文唯一の懸念としてはテレビ番組などである種のプロが用意する大量わさびと、康太のような素人が用意する大量わさびがどれほどの違いがあるのかという点である。



「さぁアリス。まずはこれを食べてくれ。たぶんおいしいわさび入り寿司だ」


「たぶんというところに若干の恐ろしさを覚えるのだが・・・」


その場にいた全員で一通り特上寿司を楽しんだ後、康太は用意してあった寿司にほんの少量のワサビを入れてアリスに差し出す。


彼女は康太の物言いにほんのわずかではあるが警戒し醤油をつけてからそれを口に運ぶと何度か咀嚼した後に満足げに何度か頷いて見せる。


「ふむ・・・あぁ、なかなかいいぞ。こういった感じか・・・ソバの時とはまた違った風味になるのだな」


「今回は生わさびを使ってるってのもあるかもな。ここの冷蔵庫にあるのって基本チューブだし」


「安物と高級品とでは違うということか」


買ってきたわさびもそこまで高級品というわけではないんだけどなと康太は目をそらしながら次の寿司の準備を始めた。


皿の上に並べられた寿司は五つ。それぞれネタは違うものだが康太の表情から文はこの中のどれかに仕込んでいるのだなと理解していた。


「さぁここからが本番だ。この中に一つだけ自分でもちょっとやりすぎたかなって引くレベルでわさびを注入した寿司がある。さぁ食ってくれ。若手芸人のような派手なリアクションを期待する」


「妙にハードルを上げてくるな・・・第一ワサビ寿司なんてテレビのリアクションでやっているところを見たことがないのだが・・・」


「最近は食べ物を粗末にするなとかいろいろ言ってくる団体が多いからな。テレビも番組作りに苦労してるってことだ・・・ってそんなことはいいんだよ。さぁ食ってくれ」


テレビの裏事情などはさておいて、アリスは自分の前に並べられている五つの寿司を凝視してゆっくりとそのうちの一つをとる。


醤油をつけてそのまま口の中に運ぶと数秒後には和やかな笑みがこぼれていた。


どうやらわさび大量発生の寿司ではなかったようだ。安堵すると同時にアリスは口の中にある寿司をしっかりと味わっていた。


「そういえばアリスって外国人なのに生魚平気なの?結構外国の人って生魚って嫌うものだと思ってたわ」


「確かに私は日本人ではないが、昔日本に住んでいたこともあるといっただろう?といっても相当昔の話だがな」


「あぁ・・・そういえばそんなこと言ってたっけ」


「第一こいつにそういう偏食っていうか苦手なものってあんまりないぞ?卵かけごはんも平気で食べるし納豆とかむしろ好物だし」


「金髪の女の子が卵かけごはんと納豆かぁ・・・なんか優雅なイメージが一気に瓦解していくわね」


海外の人間は基本的に生卵や生魚を食べる文化がない。衛生的な問題もそうだし、その食感が苦手というものが多いのだ。


そして日本が誇る保存食の納豆、これは海外でもかなり好みがわかれる食材の一つだ。


好きな人間は好きらしいのだが苦手な人間はにおいをかぐだけでもかなりの嫌悪感を示すのだ。


だがアリスはそういったことは全くないらしく、基本的に日本食のすべてをおいしくいただけるらしい。


「ていうかそっか・・・考えてみればアリスって世界中いろんなところに行ってたのよね・・・世界中でなんか珍しい食べ物とかなかったの?」


「珍しい・・・と言われてもな。お前たちから見て珍しいものでも現地では当たり前のように食べられているようなものだぞ?珍しさの基準がわからん」


「んー・・・珍味とかは?なんかある?」


「珍味・・・か・・・そういわれてもな・・・動物の臓器関係は割と有名だろう?味付けでも差が出るとは思えんし・・・」


動物の臓器などは確かに有名だ。それこそ焼き肉などの日本ではメジャーな料理でもよく出てくる。


だが臓器といえど様々なのだ。康太たちが想像している動物の臓器とアリスが想像している動物の臓器は全く違うものなのだか、そのあたりは言わぬが花というものだろうか。


「虫を食べる文化というのも日本にはあるのだろう?というか日本はほかの国に比べていろいろと食べる文化が・・・っ!?」


先ほどから話をしている間もずっと寿司を口に放り込んでいたアリスが急に言葉を止めて口元に手を当てる。


思い切り顔をしかめ、机に手をついてうつむき始めてしまった。


「あ、当たったみたいだな」


「生まれて初めてのわさびの洗礼を受けたのね・・・ていうか昔日本に住んでた時にわさびって食べなかったのかしら?」


「どうだろうな?わさびってそんなに昔からあったっけ?」


悲鳴のようなうめきを上げているアリスをよそに、康太と文はわさびの歴史について考察を始める。


アリスの表情はひどいものだ。涙を流し鼻水が出て必死になにか飲み物をもらおうと手を伸ばしている。


さすがにこのままではかわいそうだと考えた康太が先ほど淹れた茶を差し出すとアリスはそれを一気飲みする。


だがその茶が思ったよりも熱かったのか、思い切り吹き出してしまう。ここまできれいにコンボが決まるとなかなか面白いなと考えながら康太はとりあえず机をふくための布巾をとりに台所へと向かった。






「あー・・・!あー・・・!死ぬかと思ったぞ・・・!」


お茶と水を勢いよく流し込みながらなんとか口がきけるまでに回復したアリスだったが、思った以上にダメージが大きかったのかその瞳からはまだ涙が流れ、鼻水がわずかに口まで滴っていた。


適量を越したわさびは長年生きた魔術師の体にも問題なく効果を及ぼしたのだ。これは日本が誇る薬味の偉大な勝利といっていいだろう。


「ふふふ、これぞジャパニーズスシ。日本における外国人への洗礼の一つよ・・・貴様はようやく日本の深淵に一歩足を踏み入れたのだ」


「いったいなんて悪役キャラよ・・・そもそもアリスは私たちよりも長く日本に住んでたかもしれないのよ?そんな人に日本を語るか」


「馬鹿言うな文、歴史の授業で出てきた日本と今の日本を比べてみろ、一致してるところを探すほうが難しいぞ。変わってないのは形くらいで中の文化は全くと言っていいほど変わってるんだよ。だからこそのジャパニーズ洗礼なんだ」


「あんたジャパニーズ何々って言いたいだけでしょ。ちなみに他には何があるの?」


「ジャパニーズテンプラ、ジャパニーズニンジャ、ジャパニーズカラテなどなど、様々な状況に対応できるラインナップをご用意いたします。今なら家族で一緒に楽しめるプランも選択いただけます!後楽園で僕と握手!」


「はいはいそのあたりにしておきなさい、収拾がつかなくなってきたわ」


冗談はこの辺りにしておいて、康太がいったいどれほどのわさびを仕込んだのかはアリスのこの惨状を見れば想像に難くない。


基本的に彼女が表情を崩すということそのものが珍しいのに、あそこまで体裁も何もなくもがき苦しんだのは実はものすごくレアだったのではないかと思えてしまう。


それだけ日本のわさびが持つ破壊力はものすごかったのだ。特に今回の場合アリスが適量の寿司を食べ『なんだこの程度か』と思ってしまったのが大きな原因の一つといっていいだろう。


辛いといってもこの程度、それならば恐るるに足りずといわんばかりにひょいひょいと寿司を口の中に運んでいたせいもあって完全に警戒心が彼女の中からなくなってしまっていたのである。


その結果があの惨状だ。さすがのアリスもこれほどの醜態をさらすとは思っていなかったのか、恨めしそうに康太のほうを見ている。


「くそぅ・・・コータめ・・・この恨みいつか晴らすからな・・・!」


「罰ゲームだからな、お前も納得したことだから仕方ないよな。俺悪くないし。負けた君が悪いのだよワトソン君」


「ならまたゲームをしようじゃないか。今度負けたら同じ罰ゲームを受けてもらうぞ」


「おやおや、また同じ目にあいたいというだなんてどうしたんだアリス、実はわさび寿司気に入ったのか?わざわざ負けるために勝負を挑むだなんて正気の沙汰とは思えないぞ?」


康太の挑発にアリスは完全にむきになってしまったのか、康太とまた戦うためのゲームをその場においてあるゲーム機の中から選別し始めていた。


本当にやるつもりなのかと文は辟易していたが、ふとアリスが途中で食べるのをやめた寿司に目が行く。


「アリス、寿司はもういいの?まだちょっと残ってるけど?」


「ん・・・あぁそうか、あとの寿司はすべて美味い奴だったか・・・いやだがしかし・・・コータのことだからな・・・」


「安心しろ、悪ふざけしたのはさっきの一つだけであとは少量しか入ってないから。さっきのに比べれば何も感じないレベルだよ。食わないなら俺がもらうぞ」


「・・・せっかく作ってもらったのに残すのも癪だ。私が食べよう」


いったんゲームの選別をやめ寿司を食べることに戻ったアリスだったが、寿司を口に含む前に必ずネタとシャリの間にあるわさびの量を確認していた。


ネタとシャリの間にほんのわずかにわさびがついていることを確認すると口の中に放り込もうとして一瞬躊躇する。そして意を決するように目をつぶってから口の中に寿司を入れると数秒後に和やかな表情へと変わっていった。


「どうするのよ康太、あんたアリスに完全にトラウマ作ったわよ?」


「いやはやここまで効果てきめんとは・・・ていうか味覚のシャットアウトとかできないのか?いやこの場合痛覚なのか?」


基本的に舌で感じることのできる辛さというのは痛覚によるものであるといわれている。わさびによる被害が痛覚関係によって引き起こされているかはわからないが、人間の感覚などをシャットアウトするような魔術はないのだろうかと康太は疑問符を浮かべていた。もしあるのであればかなりの状況で役に立つだろうにと思ったのだ。


「感覚の遮断か・・・できなくはない。だがそれはあくまで感覚を遮断しているだけで肉体の反射は強制的に起きてしまう。さっきの私で言えば涙と鼻水が止まらなくなってしゃべれなくなる状態だな」


「あぁそうか・・・なら体の代謝とかも全部オフにはできないのか?お前そういうの得意なんだろ?」


「・・・できなくはないがやりたくないな・・・いいかコータよ、人間の痛覚もそうだが感覚や代謝というのは人間が必要な反応なのだ。それがなくなれば当然不具合がいくつも起きる」


いや正確には不具合が起きたことに気づけないといったほうがいいかとアリスは口元に手を当てて口の中に入っている咀嚼済みの寿司が見えないように隠しながら康太に説明していた。


アリスの言葉に確かにそうかもねと文も同意していた。痛覚がなくなれば戦い続けられるだろうにと思ったことは何度もある。


具体的には小百合との訓練で思い切り重い一撃を体に受けたとき、痛みで足が動かなくなることがあるのだ。あれがなければまだ戦えたのにと思うことはたびたびある。だがそれはいけないのだとアリスと文は言っていた。


「コータよ、お前は腹が痛くなったことはあるか?」


「もちろんあるぞ。敬虔な俺が神に祈るものすごく珍しい時間だな」


「・・・世の敬虔な信者たちが聞いたら何というだろうな・・・まぁそれはさておき、その腹痛、痛みがなくなったらどうなると思う?」


腹痛の理由は様々ある。ただ単純に胃腸の調子が悪い時もあればまったく別の原因であることもある。


ストレスが原因かもしれないし、特別な病気かもしれない。何か悪いものを食べたのかもしれないし、場合によっては気のせいということもあり得るだろう。


そんな腹痛の痛みの部分だけが消えるのならどれだけいいだろうかと、康太はしみじみと思ってしまっていた。


康太が神に祈る数少ない機会、それが腹痛だ。トイレの個室に入って神様に祈りながら早く治ってくださいとただ祈りながら排便する。出すことしかできることがない康太にとってほかにできるのは祈ることくらいなのだ。


だがその痛みがなくなれば神に祈る必要がなくなるなと、ますます痛みがなくなったほうがいいのではないかと思えてしまう。


「痛みがなくなったら俺もハッピーみんなもハッピー、いいことだらけだと思うぞ」


「ふむ、では痛みがなくなったらどうなるか、フミはこたえられるかの?」


「たぶんだけど結構な惨事になるんじゃない?手遅れになる人とかたくさん出そうだし、もしかしたら電車の中で脱糞する人とか出てくるかも」


「よい指摘だ。確かにその通りなのだ。人間の痛覚とはいわば危険信号。これ以上はまずいということを知らしめる絶対的に必要不可欠な感覚の一つといえるだろう」


「・・・手遅れってのはまだわかるけどなんで脱糞?」


いくら鈍い康太だって痛みがないことによって手遅れになるというのはわかる。体に起きる不調は時折痛みとなって知らされる。


それは前兆でもあり、また不調そのものでもあったりする。その兆候があるからこそ人間は病院などに行ってそれらを見つけ治療することができるのだ。


だが痛みがなければその兆候が見つけられず、最終的に悪化させるまで何も気づかずに死に至る可能性だってある。


だが痛みがないから脱糞するというのはあり得るのだろうかと思えてしまう。


「腹痛、特に下痢をしてる時って痛みが上腹部から下腹部にかけていろいろと出るでしょ?そして最終的には下腹部よりもさらに下の部分に移っていく。この痛みの移動や部位、そして一緒にやってくる感覚で便意を図ってるわけだけど・・・これで痛覚だけがなくなったらどうなるか」


「・・・あー・・・なんか昔を思い出すな・・・風邪気味の時におならしたらちょっとだけ湿り気のあるものが・・・」


「・・・そういうことは食事をしている人間の前ではやめてほしいものだがつまりはそういうことだ。人間の痛覚や感覚などは本人の不調を知らしめるもの。それがなければ状態の正確な判断などできるはずもない。探索においても戦闘においても痛覚を遮断するというのは非常に愚かな行為だといえるだろうな」


「・・・さっきのわさび寿司でも?」


「もちろんだ。もし仮に私がわさびの効果をあらかじめ知っていたとしても痛覚は切らなかっただろうな。そうしないと自分の状態が正常なのか異常なのか、耐えられるのか耐えられないのかもわからん」


「あぁそうか・・・そういう考え方か」


耐えられるか否か。その言葉に何となくだが康太は納得してしまっていた。


普段の小百合との訓練でよく攻撃を受ける康太は、その痛みで大体の自分の限界を測っている。


これくらいのダメージならば問題なく動けるだとか、このダメージは少々危険だとか、普段小百合から軽傷から重傷重体までありとあらゆる攻撃を受け続けている康太からすれば確かに痛みというのは重要な知覚の一つだ。


これがあるかないかで今後の方針が変わるといってもいい。


「ようやく康太も話を結び付けられたみたいね。相変わらず戦いに関しては頭の回転速いんだから」


「そんなに褒めんなって。でもわかったわ。確かに痛みがないとこれ以上はまずいとか、まだ戦えるとかそういう判断はできないよな」


「そういうことだ。日常においてもその判断は大きい。もしかしたら人間が持つ機能の一つとして、自動的に痛覚がシャットアウトされることもあるかもしれんが・・・それはもう手遅れのサインだとでも思っておけ」


「そんな状況にならないといいけどね・・・なったらおしまいじゃない」


なったらおしまい。文のその言葉を聞きながら康太はその状態に覚えがあった。


実際に康太が経験したわけではない。あれは康太の体験ではないのだ。かつて死に続けたあの人々の中に、寒さも痛みも何も感じないような人もいた。


ただ眠くなり、体の中の感覚が徐々になくなっていく。そんな感覚を味わったことがあっただけにアリスの手遅れという言葉の重さをよく理解できていた。


そして康太のその表情を見て、また何か余計なことを考えているなと勘付いた文は近くにあった寿司の一つをつかんで康太の口に放り込む。


「ほら、感覚なくしたらこういうのをおいしいとも感じられないのよ?そんなの損でしょ?だからあったほうがいいのよ」


「・・・んんん・・・確かにそうかもな」


「勝手に人の寿司を食わせよって・・・」


勝手に取られたことにアリスは少しだけ憤慨しているようだったが、文が康太の何かしらを感じ取って気を利かせた行動だと理解した故にそれ以上言及はしなかった。


良いコンビだと思う反面、どこかいびつな、ずれた関係のようにも見えてしまうのはアリスの気のせいではないだろう。













「さてと・・・これから忙しくなるわね・・・」


用意された資料を前に文はため息をついてしまっていた。支部長に以前頼んでいた資料が完成したために文のもとに届けられたのである。


用意されているのは件の地区でどのような争いが起きたのか、そしてそれにかかわった魔術師は誰であるか、またその区域に拠点を置いている魔術師の数とその時期である。


それだけというのは簡単だが、一つ一つの項目で数がかなりあるために確認するだけでもかなりの時間を要するのは想像に難くない。


「資料だけでこれだけの量か・・・一つ一つは大したことない内容っぽいけど・・・まとまってくるとすごいなこりゃ」


「そうね。ただの町でこれだけのことが起きるのはちょっと異常かも・・・アリスに初見の観察をお願いしてよかったかもしれないわ」


文の中で考えていたよりもずっと件数も人数も多いことに少し驚きながらも、自分の采配が決して間違っていなかったことを理解して少しだけ文は安堵していた。


少なくとも状況を少しではあるが絞り込める。それがどのような結果を呼ぶかはわからないが前へと一歩進めるのは間違いない。


「にしてもみんな普通の魔術師ばかりだな。それに争いの理由も大概が縄張り関係のものだし・・・」


「争い自体が問題じゃないのよ。問題なのはなんでそんなところに大量に人が集まってるのかって話。普通に考えたら魔術師がそこまで集まるとは思えないもの」


「前のマナの過疎地帯よりか?」


「あぁいうところみたいな特殊な状況さえもないのよ。本当に普通の条件。書類上は可もなく不可もない場所なのよ。なのに人が集まる。おかしいと思わない?」


「住宅的に言えば交通の便も流通もそこにある仕事も普通なのに高層マンションガンガン建ってて人がどんどん集まってるような感じか・・・確かにおかしいよな」


「そのたとえはどうかと思うけどそういうことよ。一見して理由がわからないなら、その場に行くことでしか得られない特典があるか、あるいは誰かが作為的にそうなるようにしているかの二択ね」


「特典目当てかステマってやつだな。あくどい商売のにおいがするぜ」


そのたとえもどうかと文は眉をひそめたが、実際似たようなものなのだ。


その場に魔術師が集まるということは何かしらの利点があるからに他ならない。それが土地的な理由なのかほかの何かなのかは文にもまだわからない。


得や利点があるのであればそれはそれで構わないが、一応支部のほうに報告しなければならない。


特定の地域だけに魔術師が増えると問題が多く発生してしまう。そのあたりはきちんと協会に管理してもらわなければならないだろう。


だがこの可能性は文はほとんど除外していた。一応支部の人間もある程度調べているだろうから目に見える形、あるいはわかりやすい形での特典、ないし利点があるとは思えなかったのである。


そしてこれが何者かの思惑によって引き起こされたことならばそれはそれで支部に報告しなければならない。


その目的をはっきりさせるために調査をする必要があるし、何かを企んでいるのであればそれを阻止しなければならない。


康太の言う特典目当てか誰かのステマかというのはわかりにくいようで実は的確に今回の状況を表したものなのだ。


引き寄せられている本人たちにもわからないように操っている可能性があるため、ある意味ステルス的な要素を持っている。マーケティング的な意味合いは存在しないが陰で操ろうとしているという意味では間違ってはいない。もちろん正しくもないが。


「康太はどうなの?今回のこれ、どんな背景があると思う?」


「んー・・・支部の人間も見つけられてないなら、ある程度条件を絞れるんじゃないのか?資料を見る限り特別徒党を組んでるやつらも少なそうだし・・・正直どっちとも言い難いけど、誰かが意図的にいくように仕向けたにしては法則がなさすぎる気がする」


「というと?」


「この前のウィルの時なんかがそうだったけどさ、何かをしようとして人を集めるならある程度法則があると思うんだよ。何の共通点もないっていうのも法則の一つだしな。でも今回は集まってる魔術師が本当にバラバラ、かと思えば似たようなタイプもいる。本当の意味で適当に選んでるって感じだな」


「似てても似てなくても、関わりがあってもなくても構わないからとにかく連れてこようって感じ・・・そういいたいの?」


「あぁ。これが何を目的にしてるのか本当にわからないな。ていうかこれ目的があるのか怪しいぞ?」


康太の言葉に文は眉を顰める。行動に対して目的がないというのはおかしい。何か目的があるからこそ行動するのであって目的なく行動するのは明らかに矛盾する。


行先なく歩く散歩などとは違うのだ。魔術師の行動には必ず目的が存在する。しなければ魔術師としての行動や活動などできたものではない。


だからこそ康太の言葉に文は疑問符を飛ばしてしまっていた。


「どういうこと?人が集まってるんだからなんか目的があるんじゃないの?」


「あー・・・なんていえばいいんだろうな・・・集まってる人たちには目的があるかもしれないけど、集めてる人間には目的がないみたいな」


「・・・集めてるのに目的がないっておかしくない?じゃあなんで集めてるのよ」


「・・・集めることそのものが目的とか?」


何の気もなしに言った康太の言葉は、文の中では深く突き刺さるものになっていた。


もしこの状況を意図的に作り出したのだとして、それは魔術師にも通用する暗示、行動誘導に近い事柄となる。


人を集めるだけならば別に苦労はしない。だが魔術師の行動を操ることができるとなるとまた話は変わってくる。


土地や状況に特別な何かや一身上の理由などがないのに拠点を移したとなれば第三者の介入や干渉を疑うのは当然だ。


そうして移動させることができるかどうかを試しているのだとしたら。それはそれで厄介な事象なのではないかと思えてならなかった。


「なるほど・・・特定の場所に魔術師を集めるか・・・簡単にできることではないと思うけど・・・」


「そうなのか?でも文だって人の進行方向をずらしたりできるじゃんか」


康太が言っているのが文がよく使う一般人用の結界のことを指していることはすぐに理解できた。


特定の場所に近づかないように相手の無意識に干渉して通る道を変えさせるというものだ。あれはあれで便利だが今回のこれとははっきり言って次元が違う。


「あれは一般人用だし、何よりあれは目的地を変えるものじゃないわ。あくまで別のルートを通るように誘導してるだけよ。目的地を変えるとなるとそれこそ直接会って暗示でもかけないと難しいわよ」


「それでもできないわけじゃないんだな」


「まぁ直接会ってしっかり話をできればね・・・それを魔術師相手にできるかって聞かれると微妙なところだけど」


人間の無意識に干渉する範囲型の結界と、人間の思い込みを利用する暗示ではそれによって得られる効果は大きく異なる。


範囲型であるがゆえに一人一人魔術をかける必要のない誘導結界は、得られる効果自体も少なく場合によってはうまく作用しないこともある。もちろん目的地を変えるだけの力はないために使いどころが限られている魔術だといえるだろう。


一方対面やある程度話ができるような状態でなければ通じないのが暗示の魔術だ。一人一人、あるいは術者と術を掛けられるものとがしっかりと互いを認識するか、その内容を理解していないと発動しないがその分得られる効果は高い。


それこそその気になれば目的地を変えることもできるだろう。


何かを目的にして行動していた人間に対して『これはやらなくてもいいことだ』とか『こちらのほうを優先してやらなければ』と思い込ませることによって強引に目的地を変更させるのだ。


当然うまく誘導しないと相手に思い込ませることはできないし、高い効果を発揮したとしても思わぬきっかけで暗示が解ける可能性もある。先ほどのたとえで言えば第三者の人間などから少し助言や疑問を投げかけられるとその思い込みが解ける可能性があるのだ。


当然高い技術を有した魔術師がかけた暗示はその分解けにくく、思い込みの激しい人間がかかればその分効果が長続きすることもあるがそこはもはや個人差のレベルの話になってくる。


文の言うように暗示を使えば人の目的地を変えることができるかもしれない。魔術師にも有効かどうかは使用する術者にもよるだろうが、拠点を移動させるだけの効力を持つ暗示を使えるものがいるかと聞かれると思い当たる人物はいなかった。


可能性としてゼロとは言えないし、もしそれがあった場合かなり危険なことをしているかもしれないが、文としてはこのケースはないなと考えていた。


「一応頭の隅には入れておきましょう、そういう可能性もあるってこと。でも正直現実的じゃないわね」


「どうして?今回のがなんかの準備だった可能性だってあり得るだろ?」


「あり得るわ。でもだからこそ深く考えないようにしておくのよ。どこの誰がこれをやってるのか知らないし何が原因なのかも知らないけど、仮にあんたの言ってたようなことをしてる人がいるなら干渉してくる可能性があるわ」


「まぁそうだな・・・あぁそういうことか。仮にあっても変に警戒とかあんまりしないようにってことか?」


「簡単に言えばそういうことね。もし仮に向こうが暗示を使ってきて私たちが拠点を移すなんて言い出したらその時はきっとアリスや小百合さんたちが止めるわ。そういう状況になったら確定的。もし身近にそういう状況の人間がいたらそれも確定的」


「なるほど、あえて餌になろうということだな」


ただ拠点を移させてるだけなら警戒する必要もなさそうだしねと文は口にしながらもその危険性に十分気が付いている。


ただ拠点を移させているといえば聞こえはいいが、魔術師を集めているという点ではやっていることはかなりの高等技術だ。


時間も手間もかかるようなことをして何をしているのか全く分からない。もっとも魔術師の仕業だと断定できたわけではないのだ。考えすぎないようにするという意味では康太の言った警戒しすぎないようにするというのも間違いではない。


可能性を論じるのは悪いことではないが、可能性を考えすぎると一歩も進めなくなってしまう。


特にまだ調査は始まったばかりなのだ。現地の状況を少しでも把握してから話を前に進めても遅くはない。


「ただ一応メモみたいなものを残しておきましょう。私たちの身近な人間にこんなことを言い出したら危ないみたいな感じの」


「遺書みたいだな・・・この文章を読んでいるとき、私はもういないでしょう・・・みたいな?」


「縁起でもないこと言わないでよ・・・最悪そうなるかもしれないんだから・・・まぁそれはさておき、書いておく必要があるってことはわかるわよね?」


「おう。とりあえず師匠と姉さんあてに書いておくことにする。文は春奈さんか?」


「そうね、あとは私の両親かしら」


「親が魔術師だとこういう時いいよな。ちょっとしたことに気付いてくれるかもだし」


「・・・気づいてくれるかしら・・・?」


文としては親が自分の変化に気付いてくれるか不安なようだったが、そこは親なのだから気づいてくれるだろうと思いたい。


断言できないところが何とも切ないところである。














九州地方大分県。日本の中でも南方に位置し九州地方の北東に位置し、四国地方とも近くフェリーなどを用いての交通が知られている。


有名な名産品としてはマツタケやカボス。フグ料理などが有名である。だが大分県と聞かれてこれが有名だと知っている人間は意外と少ないのではないだろうか。


そしてこのことを全く知らない康太と文は週末の土曜日、生まれて初めて大分の地を踏みしめていた。


「はい、というわけで到着したわけなんだけども」


「何の感動もなく着いたわね。まぁいつも通りなんだけどさ」


協会の門を利用しての移動では基本的に最寄りにある教会から協会の日本支部を経由して現地にある門を有した教会へと向かうことになる。


そのため必要な時間は門を開くために必要な分だけなので飛行機や電車などを駆使して移動するよりも格段に早く、旅行などでの楽しみの一つである移動時間というものに思いをはせることもない。


それが地球の反対側だろうと、一度も行ったことのない場所だろうとそこに門があるのであれば問題なく時間もかけずにその場に行くことができる。


特に準備をする必要もなく、ただその場に行けばいいだけの話であるためにせっかくの初九州地方だというのに康太たちは全く感動もなくその場所にやってきていたのだった。


すでに康太たちがいるのは支部長から指定を受けた魔術師人口密度が妙に上がっている地区である。


場所的には港町なのだが、特にこれといって特徴があるわけでもないただの民家の立ち並ぶ町のように見える。


漁業がおこなわれているということもあって比較的食事処が多いような印象を受けるが、それ以外の特徴があるかと聞かれると特に思いつかない。事前にある程度調べてきたが交通の便が特筆するレベルでいいというわけでもないし、ほかの地区や地方に比べて秀でているところがあるわけでもない。


この町にも教会が設置されているが、別の町にも門を有した教会は存在している。この町を意図的に選ぶだけの理由は感じられない。


「というわけでゲストのアリスさんこの場所に何か特別なものは感じますか?」


康太と文に続いて教会から出てきた金髪の少女アリスを見ながらそういう康太に対し、彼女は少しあきれたように周囲を見渡していた。


「雑な紹介ありがとうよ・・・とりあえず今のところ特別な何かは感じない。まだこの町を数歩しか歩いていないから何とも言えんが」


「少し観察を含めて調べたほうがいいかもしれないわね。まだ日も高いし魔術師は主に活動しないでしょうから」


「確かに。昼間のうちは比較的安全か・・・いやまぁたくさん魔術師がいるなら昼間に接触して来ようとするやつがいても不思議はないけど」


土曜日ということもあって昼間に社会人がうろついていても不思議はない。もちろん康太たちのような学生がいても不思議はないためにどこでどのような魔術師と接触して来たとしてもおかしくはないのだ。


準備をしておいたほうがいいかとも思ったが、あらかじめ戦闘準備をしているとこちらが何かをしに来たと判断されかねないために不用意な戦闘準備はできなかったのである。


そのため今康太たちにあるのは自分の体のみ。最低限持ってきているのは魔術師装束くらいのものだ。康太の場合はそれに加えてウィルをギターケース状に変形させて持ち歩いているが逆に言えばその程度の装備しかないということになる。


普段ならまず間違いなく持ち歩いている槍でさえ持ってきていないのだ。今の康太はほぼ無防備に近い形なのである。


もっとも近くにアリスがいるということもあって無防備といえるのかは微妙なところだが、少なくとも命の危険にさらされることはまずないといってもいいだろう。


「ちなみに現時点では何も感じないの?なんか違和感がないとか本当にないわけ?」


「ないな。マナの状態も安定しているしそこまで妙なところがあるとは思えん。まだこの辺りのことしか観察できてはいないが・・・夜に何かあるとかそういう可能性もまだあるのだぞ?」


「あぁそうか、日中は何もなくても夜に何かある可能性も残ってるのか・・・じゃああたりを観光しながら夜になるのを待つか」


「大分の観光かぁ・・・正直そういうこと調べるつもりなかったから全然知らないわよ?」


「そこはお前フィーリングよ。ここよさそうだなとかそういうのでうろうろするんだよ。特に有名なところならまだしもこの辺りってほとんど住宅街じゃんか」


ある程度事前に調べてはあったものの、この辺りに有名な店やら観光スポットなどは存在しない。


あるのは住宅街と漁港、そしてよくとおるバスとちょっとした商店街くらいのものだ。


康太たちの地元でもあるような個人中華料理屋、そして肉屋の名物ともいえるコロッケなどが置いてあるような店など、ちょっと寄れる場所はいくらでもあるがショッピングモールやゲームセンターなど遊ぶところがあるとは思えなかった。


康太たちのような高校生だとどうしてもカラオケやボウリング、ゲームセンターなど遊ぶことを優先して考えてしまうために何か見て回るものというとどうしてもそう言った方向に思考が向いてしまうのである。


もう少し歳を重ね、旅行などを純粋に楽しむことができるようになればまた違うのかもしれないが、まだ人間的に成熟していない康太たちにそういったものを求めるのは酷というものだろう。


康太たちはとりあえずこの辺りを散策しながらアリスの意見を聞くことにした。魔術師が集まっているという原因が土地そのものになければいいのだがと思いながら散策していく。


初めての九州にしては非常に地味なスタートになってしまったなと二人は思いながらゆっくりと町中を歩いていく。


誤字報告45件分受けたので十回分投稿


誤字が・・・誤字が襲ってくるよ・・・


これからもお楽しみいただければ幸いです

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