食事と記憶
「よし、では今日の訓練はここまでにするか」
それから夕方まで、康太たちは徹底的に奏にしごかれていた。奏の号令がかかるとすでに動けないレベルまで体を酷使した状態で、ようやく終わったかと二人同時にため息をついてしまう始末である。
「神加、二人にタオルを持ってきてあげなさい。だいぶ汗をかいているようだ。あの棚の中に入っているから」
「うん」
奏の言葉に逆らうことなく、神加は部屋の奥にある棚へと向かっていった。
時折二人とも気絶しているとき奏は神加の指導に当たっていたようで、それなりに神加とも仲良くなることができたようだった。
もとより奏は面倒見が良い方だ。それに昔から小百合という弟弟子を持っていたこともあり小さな子供相手の対応は慣れているのだろう、指導をするときと神加を相手にするときでは全く印象が違う。
康太と文がウィルに補助してもらって立ち上がると奏は二人の様子を見て少しだけ喜んでいるようだった。
「二人ともなかなかどうして、少しはましになったものだ。特に康太、そろそろ肉弾戦に関しては私では訓練にならんかもしれんぞ?」
「何言ってるんですか・・・まだぼっこぼこにやられるってのに」
「よい訓練というのは圧倒的な相手とやることで高い効果が得られる。次からは幸彦に頼んでみるといい。あいつも時間があれば手伝ってくれるだろう」
小百合をはじめとする三兄弟の中でそれぞれ得意分野が異なるが、奏は武器全般の扱いが、幸彦は徒手空拳が、小百合は全体的な戦闘がそれぞれ得意分野となっている。
そろそろ康太の肉弾戦の技術は奏相手では圧倒的な力量差を見せつけることができなくなってきているらしい。
とはいえまったく勝てる相手ではないのは間違いないのだが。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、はい」
「おぉ、ありがとな。あとそろそろウィル返すな」
康太は何とか自分の足で立てるようにすると、自分の歩行補助をしていたウィルを神加に返す。それと同調して文の歩行補助をしていたウィルの体の一部も同じように神加の足元に集まって再び彼女の乗り物代わりになっていった。
「こうしてみると本当に妙な感じね・・・大福とかクッションの上に乗ってるみたいに見えるわ」
「まぁほとんど形としては一緒だしな。やっぱ神加はこうしてる姿が一番似合うな」
いつも通りウィルの上に座って移動を始める神加を見て康太は微笑みながらもらったタオルで汗をぬぐっていた。
あのような形で動いていることに文は若干の疑問を抱かざるを得なかったが、今は気にすることでもないと思ったのか同じようにタオルで汗をぬぐっていく。
「そういえば奏さん、この後どうするんですか?また仕事ですか?」
「いや、せっかくだから今日は食事にでも行こう。久しぶりに時間もとれそうだし、何よりそろそろちょうどいい時間だ」
食事という言葉に康太と文はほんのわずかではあるが眉をひそめてしまった。
もちろん嬉しい、奏に食事に誘ってもらえるのは素直に嬉しいし、いろいろと魔術という括りなしで話しておきたいこともあるのだ。
だが奏の連れていく店はどこもかしこも高級店ばかり。学生身分ではいろいろと目立つ上に肩身が狭い思いをしてしまうのだ。
これもまた贅沢な悩みであるということは自覚しているが、こればかりはどうしようもない。
「神加、今日はみんなで一緒に食事に行くが、夕食は何が食べたい?」
「・・・晩御飯・・・?」
奏に聞かれた神加だが、自分が決めていいものか迷っているのだろう。康太に意見を求めるべく少し困った表情で康太の方を見てきた。
「神加の好きなものでいいぞ。何が食べたい?」
「・・・えと・・・んと・・・は、ハンバーグ・・・」
神加の返答に康太と文は内心グッジョブ!と親指を立てていた。寿司や天ぷら、中華料理やフレンチ、イタリアンなどと異なりハンバーグという料理の性質上高級な店というのはあまりないように思えたからだ。
簡単なファミレスなどでも用意できる料理であるために、今日はそこまで肩身の狭い思いはしなくて済むかもしれないなと二人は考えたのである。
「ふむ、ハンバーグか・・・わかった。それならあの店にするか。私は少し電話しているから少し休んでいなさい。特に二人はシャワーでも浴びておくといい」
さすがに汗だくの状態で外食をするのははばかられるのか、奏は奥の方にあるシャワールームに視線を向けるとデスクにある電話からどこかへと話を通しているようだった。
部下に話をしているのかそれとも店の予約か。どちらにせよ今日の夕食は肉を食べることができるということで男子高校生の康太は少しテンションが上がっていた。
「じゃあ文、先にシャワー浴びて来いよ。俺はその間に準備しとくから」
「はいはい。なんかあんたにそのセリフ言われると妙な気分ね」
「なんだ?ちょっと期待でもするのか?」
「馬鹿言わないの・・・ったく」
軽口を言い合ってから文は自分の荷物をもってシャワーを浴びに行く。
康太はその間に自分の荷物をまとめ、神加の魔術の修業に付き合ってやることにした。
彼女の防御魔術は必要なものだ。軽く性能を確認しておいて損はないだろう。
「さて・・・遠慮せずになんでも頼みなさい」
「・・・あ、あはは・・・ありがとうございます」
「えと・・・どれにしようかな・・・」
「・・・ハンバーグ!」
康太たちは奏に引き連れられて神加の所望通りハンバーグのある店にやってきていた。
これが康太たちの想像したようなちょっと有名程度の店ならばどれほどよかったか。康太と文はそういう店に来ることを想定していたためにこの店の雰囲気に完全に押しつぶされそうになってしまっていた。
高層ビルの上層階に位置するステーキなどを扱う専門店。いわゆる百万ドルの夜景を一望できる位置での食事ということで学生が容易に立ち入れる場所ではないということは容易に二人にも想像できた。
まだ神加のことを気遣ってか個室を用意してくれたあたり有情というべきだろう。他の客や店員の視線が気にならないだけありがたかった。
奏も比較的ラフな格好になっているがそれでも康太たち高校生の私服とは全く違う。いわゆる大人の女性という印象の強い服装だ。この店の雰囲気にも決して負けていない。
やはりできる人間は私服からして違うのだなと実感しながらも、康太は適当なサイズのステーキを、文は神加と同じハンバーグを注文していた。
「康太、店の方は問題ないか?何やら人が増えているようではあるが」
「若干人間じゃないのも増えてますけど・・・今のところは問題ありませんよ。頻繁に俺や姉さんが行ってますし・・・」
「ふむ、生活の方は問題ないか・・・では仕事の方はどうだ?小百合のことだからだいぶ適当に済ませているんじゃないか?」
「商品の管理はほとんど俺と姉さんがやってますから。でもそういえば最近大きな商談がないですね・・・大体小物とかを買ってく人はいますけど」
最後に大きな仕事があったのは京都に足を運んだ時だ。しかもあの時も商品の売買ではなく仕入れである。それ以降の注文は基本的に協会での受け渡しで十分な小さなものばかり。
以前のような大量購入というのは最近ないため遠出をする必要がないというのが康太たちには地味にありがたかった。
「受ける仕事を選んでいるということか・・・いや、そんなことができるほど器用ではないだろうし・・・」
今の店内の状況で遠出ができるほど人員は足りていない。あと一人か二人でも店に人がいることができれば問題なかったのかもしれないが、神加を置いて遠くでの商談ができるはずもない。
逆に神加を連れて商談に行くとなるとそれはそれで問題がある。ようやく少しずつ回復に向かっているというのにどこか別の場所に連れまわすというのはあまり良くない。
何より康太たちが信頼する魔術師以外に神加を接触させるというのがそもそもあまり良くないように感じられるのだ。
神加の状態、精霊を大量に宿しているというのは注視すればすぐにわかる。神加の存在そのものを隠しておきたい今となっては彼女は店にいたほうがいい。だが置いていくというのはあまりにも不憫だ。
アリスも一緒に留守番をして神加を守ってもらうように言うのもいいかもしれないが、そもそもアリスは割と勝手に動くタイプの人間だ。
約束したからといってその通りに動いてくれる保証はないうえに、康太たちの身内の問題を引き受けてもらうというのも気が引ける話である。
文のところに預けるという手もあるのだろうが、それも同様の理由で避けたいところだった。
だからこそ、今のように小さな依頼が重なっているような状態は康太たちからすると好ましい状況だといえるだろう。
「むしろありがたいですよ。売上的にはちょっとあれかもしれませんけど、少なくとも店を空っぽにしなくて済みますから」
「それはそうかもしれんがな・・・まぁ小百合の生活に関してはむしろ余裕がある方だから問題ないのかもしれんが・・・」
奏としては店の売り上げが小百合の、ひいては神加の生活に直結すると一瞬考えていたようだが、小百合は普段からして店の売り上げに依存した生活はしていない。
彼女の生活の基盤は主に株取引などで得た収入だ。その収入だけで貯金額が奏以上であるという時点で相当稼いでいるということがうかがえる。
店の売り上げがどこにしまってあるのかなど康太は知らないが、少なくとも向こう十年小百合が生活に困るということはないだろう。
「奏さん的にはあの店は儲かってほしいんですか?」
「それはそうだろう。何せあそこはもともと師匠の店だからな。小百合が継いだとはいえやはりあそこは魔術師にとって重要な場所であってほしい」
「・・・あー・・・そう・・・ですね」
小百合という魔術師があそこに居座っているせいで基本的に魔術師の出入りそのものは少なくなったのだが、そのあたりは言わないほうがいいだろうかと康太と文はわずかに視線を逸らせていた。
実際注文は来るが、直接店に魔術師がやってくるということはほとんどないのだ。小百合が店長をやっているという時点で小百合と敵対している魔術師が来ることはない。
そうなると自然に小百合を敵視していないどれほどいるかもわからない魔術師しかやってこないことになる。
奏もおそらくそのあたりは知っているだろう。ここでその話題を出したということは康太たちに何とかしてほしいと暗に頼んでいるのだろうかと康太と文は彼女の言葉を深読みしてしまっていた。
奏からすれば本当にただの世間話のつもりだったのだか、そのあたりのことを二人は理解できずにいた。
「ふぅ、やはり若いと食べる量はかなりのものだったな。見ていてこっちが腹が膨れる勢いだったぞ」
「あはは・・・今日もごちそうさまでした。すいません毎回ごちそうになってしまって」
「子供が気にすることじゃない。それに私もこうして息抜きができたしな」
食事を終えた後、奏は康太たちを会社近くの教会前まで送り届けていた。さすがに夜遅くまで子供だけで移動させるのはまずいと思ったのだろう。こういった気遣いがさすがだなと康太と文は素直に奏の人格面を再評価していた。
「神加、奏さんにお礼言ったか?」
「あ・・・ありがとうございました・・・」
「あぁ、ハンバーグはおいしかったか?」
「・・・」
奏の問いかけに神加は何も答えようとしなかった。文も神加と同じものを食べたが、素直においしいと思えるだけのハンバーグだったのを覚えている。
肉汁が中から染み出し、肉そのものの味に加え独特のソースが肉の味を引き立てる良い味付けだった。子供にそれだけのものを理解しろというのは難しいかもしれないがここで言いよどむ意味が文には分からなかったのである。
だが、康太と奏はその意味に気付いていた。その可能性と、この危険性に。
「おいしかった・・・けど・・・思ってたのと違って・・・その・・・」
神加が何かを考えながらさらに言葉を続けようとした瞬間、奏は優しく頭を撫で視線が合うように身をかがめて神加の顔をよく見る。
「ありがとう、今日はもう休みなさい」
奏がそういうと神加はゆっくりと瞼を落としていきそのまま寝息を立て始めた。それが奏の魔術が原因であるということを康太も文も理解できていた。
「どうしたんですか奏さん?神加ちゃんが何か失礼でも・・・?」
「・・・いや、ここは眠らせておいた方がいいと思ってな・・・そうだろう康太」
「はい・・・助かりました。俺じゃ眠らせることはできなかったので」
眠ってしまった神加を抱きかかえ、康太はその寝顔を見ながら少しだけつらそうな表情をしていた。
文はこの一連の行動の意味が分からなかったが、奏が神加の顔を覗き込みながらその頬をなでる仕草を見てこの場でそれを言及するのは避けたほうがいいだろうと、のどまで出かかっている疑問の言葉を必死に飲み込んだ。
「目が覚めた時のこの子の動向に気を付けるといい。私ではこれ以上のことはできん。あとは任せたぞ」
「わかりました。今日はありがとうございました」
「気をつけて帰るんだぞ。それではな」
奏がその場から離れ背中を見せ歩き去っていく中、文は神加を抱えたままの康太の脇をつついて小声で話し掛ける。
「どういうこと?どうして奏さんは神加ちゃんを眠らせたの?」
「・・・正直、俺も確信があるわけじゃないんだけどさ・・・神加がハンバーグが食べたいっていった時ヤバイかなって思ったんだ」
「・・・なんで?どうしてヤバイの?」
ハンバーグが食べたいといった神加の発言は特に変なところはなかったように思えた。少なくとも打算的な何かがあったというわけでも、気を使ったということがあるわけでもないように文は感じていた。
だが康太と奏は何かを感じ取ったのだ。それがなんであるか、文には理解できなかった。
「文ってさ、普段ハンバーグ食べるか?」
「そりゃ・・・普通に晩御飯で出てくることもあるし、私もハンバーグ好きだし」
「そのハンバーグって外食か?」
「そんなわけないでしょ。うちの親が作った・・・あ・・・」
そこまで言って文はその可能性に気付いた。今まで当たり前すぎて気づくことができなかったその事実に。
そう、世間一般の子供にとってハンバーグというのは親しまれている料理だ。ひき肉や玉ねぎを練って作った肉の塊。肉が好きな子供にとってこれほど食べごたえのある料理もそうないだろう。
そして、その料理は作ることが容易なことから一般家庭でも割と頻繁に食卓に登場することだろう。
そして食卓で料理をするのは主に子供たちの親だ。その子供の親が作る料理を子供達は食べる。それが当たり前のことだ。
当たり前だと思えることが幸せであると、文はこの時にようやく理解した。
「・・・神加ちゃんは・・・ハンバーグが食べたいっていったけど・・・お母さんが作ったハンバーグが食べたいって思ってた・・・ってこと?」
「・・・そのあたりも確証はない。けど最後に神加は言いよどんだだろ?ハンバーグには違いなかったけど、神加が食べたかったハンバーグじゃなかったって感じだった。ほんの些細なことかもしれないけど、神加が思い出そうとしてまた不安定になるよりは・・・」
「・・・一度眠らせたほうがいいと思ったのね・・・なるほど・・・ようやく状況を理解できたわ・・・」
たかが料理の感想、少し違うだけのハンバーグの味。そこまで危惧するようなことではなかったのかもしれないがその小さな違和感が彼女の精神状態に悪影響を及ぼさないとも限らない。
特に彼女がハンバーグなどの料理のちょっとした味付けの違いから、両親が一体どこにいるのかという疑問を覚えないとも限らないのだ。
「・・・普段のこの子の食べる食事はどうしてるの?」
「主に師匠が作ってるな。俺らがいるときは俺か姉さんが作ってる。今回のことでちょっと考えさせられたな・・・」
日常生活に最も近い食事、ここから神加の精神への影響も考えられるためこれから少しずつそのあたりを改善していかなければならないだろう。
子供の世話は大変だなと康太と文はため息をつきながらその腕の中で眠る神加の寝顔を眺め苦笑してしまっていた。
後日、康太は文に呼び出されて彼女の修業場を訪れていた。
「珍しいな、お前が俺を呼び出すなんて、明日は雨でも降るかもな」
「たまには私があんたを振り回すのもいいでしょ?今回は私と師匠のほうから頼みがあるのよ」
文からの呼び出しで文が何か用事があるというのであれば別段気にすることもなくいつも通り接するところだが、そこに彼女の師匠であるエアリスこと春奈がかかわってくるとなれば話は別だ。
春奈にはいろいろと世話になった。この場所を提供してくれていることもそうだが容易に魔導書を見ることができる環境を手に入れることができたのは彼女のおかげといっても過言ではない。
そんな彼女が何か頼みごとをするというのであれば康太としても断る理由はなかった。
「文からの呼び出しは珍しいけど、春奈さんからの頼みはさらに珍しいな。いったい何事だ?」
「さぁね・・・私も詳しくは聞いていないのよ。ただ主に私に、あんたには補助という形で依頼を受けてほしいんだと思うわ」
「なるほど、いつもの逆ってわけだな?いつも文には迷惑かけてるからな、たまには恩返しするぞ?」
「そうね、与えた以上にたくさん恩を返してくれると嬉しいわ。しっかり私の盾になって頂戴ね」
「・・・あれ?盾になるのは確定なんですかね?」
康太としては普通に協力し合うつもりだったのだが、どうやら文の中で康太の役割は盾役という認識だけのようだ。
だが実際調査系の依頼では康太はほとんど役立たずだ。においをかいで探索ができなくもないが、それなら文が広範囲を索敵したほうがずっと早いし確実である。
そう考えると康太が一緒に行動する理由と利点は戦闘における立ち回りだけということになる。
康太自身納得しているとはいえ最初から盾扱いしかされないとなかなか寂しいものがある。
「ていうかその春奈さんはどこにいるんだ?まだ仕事中?」
「私たち学生みたいに暇じゃないのよ。一応社会人なんだから」
「うちの師匠みたいに基本暇してれば話は早かったんだろうけどなぁ・・・さすがにあの人の性格上それは無理か」
「無理ね、師匠に小百合さんみたいな生活をしろってのは酷な話よ」
自堕落と向こう見ずを絵にかいたような性格と生活をしている小百合とは対照的に、春奈は節制と堅実を絵にかいたような生き方をしている。日々働いてなおかつ魔術師としても一般人としても未来を見据えた生き方をしている。
その生き方に無駄はなく、一つ一つの行動が計算の上に成り立っている。小百合と馬が合わないのも当然かもしれない。
利害や損得によって動く春奈と、気分と感情によって動く小百合。この両者の意見が交わることはほとんどないのだ。
意図的に小百合が合わせていないそぶりもあるが、とことん対極にある二人が仲良しこよしで行動しているところなど想像もつかない。
そんな二人の弟子である康太と文がほぼ常に行動を共にしているというのも妙な話ではあるが。
「そういえば話は変わるけどさ、ずっと前に春奈さんに預けることになったあの結晶はどうなったんだ?結局あの後音沙汰ないけど」
「結晶・・・?あぁ、長野での一件ね。随分前のことなのによく覚えてたわね」
「ん・・・神加のことがあってから精霊に関していろいろ考えててな、あの時も確か精霊が関係してたんだろ?」
長野の一件。それは康太と文が一緒に行動し、初めて二人だけの力で解決した事件の話である。
魔力の源となるマナの濃度が薄い地域で起きたマナ収集術式の発動と、その副作用で発生した異常気象。そしてその結果、いや副産物として生まれたマナの結晶体。
まだ今年のことだというのにもう何年も前の話のような気がしてならない。だが康太はその結晶体のことを覚えていた。
あの時文が妙に機嫌が悪かったのも覚えている。そしてそれが精霊たちによって引き起こされていたものだったということも。
そしてあの結晶体の発生原因が精霊なのではないかという話になったのも覚えていた。
「結局あのあと師匠もいろいろと調査してるみたいよ?でもやっぱり貴重な素材だからかなり慎重にやってるみたい。下手なことして消滅したらもったいないからね」
「あぁそういえばそんなこと言ってたな・・・まだ一応残ってるんだろ?」
「一応ね。保管場所までは知らないけど」
「それってさ、アリスに見せるのダメかな?あいつならいろいろと知ってるかもしれないじゃんか」
アリスの名前が出てきたことで文はそうねと口元に手を当てて考え始めてしまう。実際いい案だと思っている。それは康太も文も変わらない。
だが問題なのは文の師匠である春奈がどのような反応を見せるかということだ。
そもそもあの結晶の調査は春奈が担当している。それを実力があるからという理由でアリスに頼るのもどうかと思うのだ。
もちろんアリスなら頼めば調べてくれるかもしれない。だが彼女自身もそんな風に頼られてうれしくないということは容易に想像できた。
「それは本当の最終手段にしておいたほうがいいと思うのよ。師匠は師匠なりの考えで今動いてるわけだし、それが全部空振りしてからでも遅くはないんじゃないかしら」
「ん・・・まぁ急ぐわけでもないしな。そのあたりはお前の裁量に任せるよ。春奈さんよりはお前のほうがアリスとコンタクト取りやすいだろうし」
「そうするわ。とりあえず師匠にそういう選択肢もあるってことだけ伝えておく。あんまりいい顔はしないだろうけどね」
「まぁそれはそうかもな・・・話半分程度でいいよ、アリスも今は忙しそうだし」
「忙しいってそれ趣味にでしょ?」
まぁそうなんだけどさと康太は苦笑してしまう。実際アリスは趣味に没頭して忙しい。毎日が充実していると別に運動しているわけでも働いているわけでもないのにさわやかな汗をかいているのが印象的だった。それが無性に腹立たしいのもいつも通りの光景となってしまっているのである。
「すまない、待たせてしまったかな」
そんな話をしながら魔術の訓練をしていると隠し扉をくぐってこの空間の主であるエアリスこと春奈が姿を現した。
康太と文は彼女が現れたのを認識すると即座に魔術の訓練を中止し、彼女のほうに歩み寄った。
「お疲れ様です。お邪魔してます」
「すまないな康太君、こちらから呼び出しておいて待たせることになってしまうとは」
「気にしないでください。こっちはこっちでいろいろここでやりたいこともありましたから」
この場所でしかできない訓練方法というのもある。特に文と一緒に魔術の微細なコントロールをできるようにするのはこの場所でしかできない。
正確には小百合の修業場だとどうしても体を動かしてしまうというのがある。空間の持つ力というのは不思議なものだ。先入観といってもいいかもしれないが、小百合の修業場は体を動かす場所、春奈の修業場は頭を動かす場所というのが二人の中にはあるのだ。
小百合の修業場ほど頻繁に来ることができないためにこういった場所で訓練するというのは康太にとって非常に貴重だった。
「さて・・・では早速話をさせてもらおう。文からどの程度話を聞いている?」
「なんか文に依頼を出したくて、俺にその補助をしてほしいということくらいしか。でも俺が手伝いに行って役に立てるものですかね?俺探索系はほとんどダメダメですよ?」
文に頼もうとしている依頼がどのようなものであるのかは康太も文自身もまだ把握していないのだが、康太が役に立てる状況というのは戦闘があるという条件があることが前提となっている。
戦闘があるのであれば康太も多少は役に立てるだろうが、そういったことがないのであれば康太は雑用係以上の役割を担える気がしなかった。
「そのあたりはおそらく問題ないはずだ。たぶんだがある程度他の魔術師とのいざこざはあると思っていい・・・多少面倒な事情があってね」
「・・・面倒な事情っていうと・・・敵組織があったりする感じですか?正面切っての戦闘・・・?それとも殲滅戦ですか?」
「・・・しばらく会わない間に随分と過激な考えをするようになったね・・・そういった戦争や抗争のようなことはないよ。まぁ概要ばかり話しても先に進まないから依頼の本筋を説明していこうか」
春奈はそういって机の引き出しの中から依頼書と思われる書類を取り出す。おそらくすでに依頼者から正式に依頼は受けているのだろう。その詳細をすでに入手しているということはつまりそういうことだ。
依頼主がどこの誰なのかはわからないが、春奈を指名するということはそれなりに確実性を求めている相手であることがわかる。
「師匠、依頼主は誰ですか?まずそのあたりからお願いします」
「うむ、依頼主は魔術協会日本支部。今回は支部長が直接持ってきた依頼だ。緊急性はそこまで高くないが確実な成功を望んでいる節があったな」
「支部長が・・・いったいどんな内容ですか?」
「そうせかさないでくれ。今回問題になっているのはとある地点で魔術師の活動が活発になっているということだ。今回文にはその調査をしてもらう」
魔術師の活動が活発になっているからそれを調査しろ。またなんとも抽象的な調査系の依頼だ。
具体的にだれを調査しろだとかそういうことではなく、そのあたりで魔術師の活動がなぜ活発化しているかを調べろというものだ。
正直どのあたりから手を出せばいいのか全く分からない。抽象的すぎる依頼というのも困ったものである。
「その活発になっているっていうのは具体的にどんな活動をしているんですか?魔術の実験とかそういうことですか?」
「いや、そういった類の報告はあまり上がってきていないらしい。その地点で活動する魔術師の数がとてつもない数になっているらしい。当然魔術師同士の小競り合いも頻繁に発生している」
「協会の専属魔術師たちはその調査はしたんですか?直接見たとかそういうことは」
「専属魔術師たちはまだ介入はしていないようだ。というか実際介入するほど大きな事件も起きていない。あくまで小競り合いレベルなんだ」
協会の専属魔術師が動くのは実際に大きな事件が起きた後の話だ。それが事件を収束させるためでもあり、あるいは事件を解決させるためであるために事件が起きなければ彼らが動くことは基本的にはない。
警察のような存在ではあるのだが、こういう時には微妙に役に立たない存在なのだ。何せまだ何も事件は起きていないのだから。
「・・・小競り合いレベルのことがその地点で大量に起きている・・・と・・・その土地は何か魔術的に特別な要因があるとかは?」
「そういうこともないらしい。マナの濃度も動きも特にほかの土地と比べて特別なものがあるというわけではない。だがなぜか多くの魔術師たちがその場で活動している」
「交通の便がいいとか、拠点にしやすい場所が多いとかそういうことは?」
「むしろ拠点にできそうな場所は少ないそうだ。だからこそ小競り合いが多く起きているのだろうが、そこがまた妙な話でな・・・」
魔術師たちが求めるような条件を満たしているわけでもなく、魅力的な何かがあるというわけでもなく過ごしやすいわけでもないのになぜか魔術師たちが多く行動している。
確かに妙だ。調査するだけの理由にはなるかもしれない。少なくとも何かの予兆であるのは間違いないだろう。
康太のいやな予感センサーもしっかりと反応してしまっていた。
誤字報告を20件分受けたので五回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




