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ポンコツ魔術師の凶運  作者: 池金啓太
十五話「夢にまで見るその背中」

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奏と神加

「こんにちは、草野奏と約束をしている八篠です」


「こんにちは。今確認を取りますので少々お待ちください。今日は妹さんもご一緒なんですね」


「はい、奏さんが会いたいっていうんで連れてきました。大丈夫ですか?」


「えぇ大丈夫だと思いますよ。かわいい妹さんですね」


受付の人と和やかに話す康太に対して文は慣れたものだなと少し驚きながらもあきれてしまっていた。


奏の知り合いということでほとんど顔パスでもいいと思うのだがこうした受付の人間にもそのあたりはしっかりと社長である奏の教育が行き届いているのかきちんと通すべき筋は通すつもりのようだった。


康太もそのあたりを理解しているようで決して勝手に上に上がろうとはしない。必ず受付の人を通してから上に上がるようにしている。


とはいえもはや形式的なもののようで、ほぼ顔見知りになってしまった康太は和やかに会話するだけの余裕があるようだった。


文は康太が受付と会話をしている間に神加と一緒に康太の少し後ろのところで待っている。相変わらず神加は周囲をきょろきょろと見渡してこの場所に興味津々のようだった。


見たことのない場所を確認したがるのはある意味動物的な習性ともいえるかもしれない。子供らしいと言い換えてもいいが彼女の場合自分の中の不安を少しでも取り除こうとしている節がある。


先ほどからずっと文の手を離さないことからそのことがうかがえる。子供らしいなと思いながら文は神加と目線を合わせて大丈夫よと告げながら彼女の頭をやさしくなでてあげていた。


「お姉ちゃん、本当にししょーのお姉さんはここで一番偉い人なの?」


「そうよ。ここで一番偉い人。だから一番高いところにいるの。今もお仕事中だから静かにしてなきゃだめよ?」


「うん、わかった」


神加は文の言うことを守ろうとしているのか片方の手で自分の口元を押さえていた。その仕草が子供らしくてかわいくて文は心の中で悶えてしまっていた。


自分は実は子供好きだったんだなと思いながら微笑んでいるとその様子を見ていた康太はにやにやと文の方を見る。


「・・・何よ」


「いやいや、仲よさそうで何よりだと思ってな。許可とれたから上に行くぞ」


康太がエレベーターの方に意識を向けると二人もそのほうへと移動を開始する。神加はずっと手で口元を押さえたままだ。


その様子に康太もほほえましく思ったのか少し笑みを浮かべながら一緒に最上階の奏のところに向かうことにする。


「奏さんは神加ちゃんに会うのは初めてだっけ?」


「初めて・・・っていったほうがいいのかな?前に神加が寝てるときに一度店に来たことがあるんだよ。だから顔だけは知ってる」


「そうなんだ。ちゃんと起きてるときに会いたいとかそんな感じ?」


「そうだな、特に師匠にそれ言われてたな・・・起きてるときに会えば弟子にした理由がわかるだろうって」


「・・・どういう意味?」


「あー・・・まぁ文には理解できないかも・・・」


小百合が神加のことを弟子にした理由は彼女が持つ独特の目が原因の一つなのだ。見るものが見たら一瞬硬直してしまうだろうその目は、小百合たちの師匠である智代のそれに非常に似ているというのがある。


文は智代と会ったことがないために神加の目を見ても不思議な目をする子だな程度にしか思わないのだが、智代に会ったことがあるものならだれでも同じような感想を抱くことだろう。


「それってどういう意味?もしかした私が鈍いからとかそういう理由?」


「いやいやそういうのじゃなくて・・・神加の目ってさ、師匠の師匠に似てるんだよ。なんていうか、目つきとかそういうのじゃなくて感覚的なものなんだけど」


「・・・えっと、小百合さんのお師匠様ってことね?そうなんだ、そんなにすごい目つきって感じはしないんだけどなぁ・・・」


文は神加と視線を合わせてじっとその目を見る。神加も自分が見られているということを理解して文の目をじっと見返していた。


やがてなぜ見つめ合っているのか互いにわからなくなったのか、不意に二人は笑い出す。


「そんなに似てるの?小百合さんがわざわざ言及するって結構なことよ?」


「いや最初びっくりした。なんていうかこう・・・心臓鷲掴みにされてるってこういう感じなんだなってのがわかる。いやまぁあの人に会ったことがあるからっていうのもあるのかもしれないけどさ・・・」


康太は今でも智代に会った時のことを思い出せる。ただ見られているだけなのに体の隅々まで、心の奥底まで覗かれるのではないかと思えるほどのあの瞳。


敵視されているわけでもない、怒られているわけでもないのになぜか委縮してしまう目が智代にはあった。


神加の瞳もどこか似たようなものを感じる。彼女の場合相手が一体何なのかを観察するための目といったほうがいいのかもしれない。智代のような独特の威圧感がないのはある意味仕方がないのかもしれない。


智代のあの目は今まで経験してきたあらゆるものを糧にした目だ。神加にはまだそういった経験がないためにあの目はできないだろう。


だが素質はある。だからこそ小百合は神加を弟子にしたのだ。


「奏さん、康太です」


康太が奏の部屋、というか社長室の扉をノックしながらそういうと扉の向こう側から入れという声が聞こえてくる。


声のトーンからしてそこまで疲れてはいないようだと判断しながら康太が先頭に立って部屋の中に入っていく。


「お疲れ様です奏さん。うちの末弟を連れてきました」


「あぁ、適当にかけていてくれ。あと少しできりがいいところまで終わる」


奏がそういうのに対して康太は神加を近くにあるソファに座らせてからコーヒーを淹れ始め、文は書類の簡単な整理を始める。


もはやこの場所に来た時のお決まりの流れだ。神加はこの部屋を興味深そうに観察している。少し不安そうではあるが康太たちが近くにいるというのが大きいのだろう。そこまでおびえているということはなかった。


「少しは休まないと体に悪いですよ?たまには連休とったらどうですか?コーヒーどうぞ」


「そうしたいのはやまやまだがな、一つの組織の長ともなるとそうもいかんのだ。すまんな、こうしてお前たちと話していると少しは気がまぎれる」


「必要ならいくらでもお手伝いに来ますよ?って言っても今のところ簡単な書類仕事くらいしかできませんけど・・・」


「それでもだいぶ助かっている。お前たちがもう少しこの場所に慣れたら一つか二つ仕事でも任せるつもりだ。魔術師であれば楽にこなせるような仕事だから安心しろ」


学生に仕事を任せるのもどうかと思うが、魔術師ならばこなせると考えるといろいろと不安になってしまう。


もしかして営業とかだろうか、取引先の相手に暗示の魔術でもかけろというのだろうかと康太と文がいろいろと考えている中奏はゆっくりとパソコンから目を離して自分の目元を抑える。


「一段落した・・・すまんな、せっかく来てもらったのに後回しになってしまって」


「そんなこと気にしないでください。奏さんにはいつも世話になってるんですから」


「そうですよ。ていうか本当にそろそろ休んだ方がいいんじゃ・・・」


「それこそ子供が気にするようなことではない。自分の体調管理くらいはできているつもりだ・・・さて…そろそろ本題に入ろうか」


奏がこの部屋の中を観察している神加の方に視線を向けると、神加もその視線に気が付いたのかゆっくりと奏の方を見た。


視線を交わして奏は彼女の目を見た。彼女が目を逸らすかどうかを確認するために、そして彼女がどのような人間なのかを観察するために。


そして奏はその目を見た。神加は目を逸らすこともなく動揺することもなく自分をまっすぐに見つめている。


そしてその目に見覚えがあった。数秒間悩んだ後に奏は小百合が言っていた言葉の意味をほぼ正確に理解していた。


あの目を、自分の師匠もよくしていたあの目を、今この場にいるあの幼い女の子がしているのだ。


「・・・あぁ・・・なるほど、そういうことか。よくわかった・・・」


「・・・やっぱり似てますよね?」


「お前も気づいたか。よく似ている。顔立ちとかそういうのではなく、おそらく本質的な部分だろうか・・・小百合が弟子にした意味がよく分かったよ」


見つけるのが私の方が早ければ私が弟子にしていただろうなといいながら奏は立ち上がりソファに座ったままの神加の前に移動すると視線を合わせるようにかがんでみせた。


「初めまして。私は草野奏。術師名は『サリエラ・ディコル』お前の師匠の兄弟子だ」


奏が神加の目を見たまま手を差し出すと、神加は一瞬差し出された手に視線を移してから再び奏の目を見る。


そして少し康太の方に視線を向けて不安そうな表情をして見せた。康太が微笑みながらゆっくりとうなずいて見せると意を決したのか再び奏のほうに向きなおり差し出された手をおずおずと握り口を開く。


「は、はじめまして。天野神加・・・です。えと・・・『シノ・ティアモ』です」


自分の手を握ってきた少女に対して奏は薄く笑みを返す。優しくその手を握り返すとその目を見ながら彼女の中にいる精霊たちの姿をしっかりと確認しているようだった。


「これからお前は多くの魔術師や組織に狙われるだろう。だがお前の兄弟子たちや師匠、そして私が全力でお前を守るつもりだ。だが、ただ守られるだけということがないように、お前自身も皆の力になれるように精進することだ」


「・・・?えと・・・?」


あまり難しい言葉を言っても神加はわからないだろう。とりあえず康太が神加の後ろに立って助け舟を出してやることにした。


「みんなが神加を助けてくれるから、神加もみんなを助けられるようにしようってことだよ。神加がいろいろできるようになればその分俺たちも助かるんだ」


「あ・・・はい、がんばる・・・ます」


まだきちんとした敬語を使うのは難しいかなと苦笑しながら康太はしっかりと受け答えができた神加の頭をやさしくなでてやる。


「この子は今どれくらいの魔術を扱えるんだ?」


「まだ二つ目を練習中ですよ。覚えてるのは分解の魔術です」


「相変わらずあいつは・・・初心者なのだからもう少し練習しやすい魔術を教えてやればいいものを・・・二つ目は?」


「遠隔動作ですね。こっちはまだやりやすいのではないかと」


分解の魔術はそもそも分解する対象がなければ発動することはできない。練習するためには普段プラモデルを使っているが、康太が構築の魔術を使ってプラモデルを構築して神加が分解するという行程を何度も繰り返した。


その結果練習の回数と時間に関しては問題なかっただろうが、康太か真理がいないと練習がしにくいというのが難点でもあった。


「私がオーソドックスなものを教えてやってもいいが・・・さすがにな・・・というかこの子はすでに視覚を有しているのか?」


「えぇ、たぶん生まれたころから精霊を宿してた影響でしょうね。デビットも見えてるみたいです」


「なるほど・・・術式を覚えさせるためには見せているのか?それとも入れているのか?」


「今のところまだ入れてます。まだ感覚的にそのほうがいいだろうってことで」


子供では仕方がないだろうなと奏も納得しているようだったが、今は何よりもまず先に覚えさせなければならない魔術があると考えているようだった。


奏は少し考えてからため息をついて神加の胸に手を添える。


「神加、今からお前に一つの魔術を教える。お前の身を守るための魔術だ。本当は師匠である小百合から教わるべきなのだろうが・・・あいつはこういった魔術は扱えないのでな・・・」


おそらく奏から術式が送られてきているのだろう。神加は目を閉じて集中を高めているようだった。


先ほどの握手とやり取りで奏が敵ではないということは神加自身も、そして神加の中にいる精霊たちも認識したのか、特に抵抗することもなくそれを受け入れていた。


「何を教えてるんですか?」


「単純な障壁魔術だ。私が前に使っていただろう?普通の障壁魔術をさらに防御性能を高めた私の特製魔術でな・・・」


「へぇ・・・あれって奏さんが作ったものなんですか」


「作ったというより改良したという方が正しい。魔力消費が従来のものに比べて少し高いのが難点だが、この子の素質なら問題はないだろう」


奏が使っていた防御用の魔術。確かにこれから神加が生活するうえで防御魔術はある意味必須になるかもしれない。


特に魔術師たちに狙われるようなことがあるのであれば、ある程度身を守れるようになっておいた方がいいだろう。


小百合が教えるような攻撃的な防御魔術ではなく、しっかりとした防御魔術を覚えておいて損はない。


むしろ自分も教えてほしいのだがなと思いながらも、消費魔力が多いのでは自分向きではないなと康太は自分の素質に対してあっている魔術というものがどのようなものであるか把握しているためそれ以上は何も言わなかった。


奏の補助によって発動した障壁の魔術は正六角形の半透明な障壁だった。軽く康太が殴ってみたのだが全くびくともしない。


なるほど、確かにかなりの硬度を持っているようだった。試しに康太が再現の魔術で正拳突きを再現してみても全く動じないどころかひび割れもしない。


どれほどの魔力を注ぎ込んだのかは知らないがさすが奏が性能が高いというだけあって簡単に壊れるような代物ではないようだった。


神加はゆっくりと目を開けて自分が発動したと思われる半透明の障壁を見ながら目を白黒させていた。


思えばこんな形で目に見える魔術というのは初めてだったから混乱しているのかもしれない。


分解も遠隔動作も基本的に目に見えないタイプの魔術だ。このように目に見える魔術というのは彼女にとって初めての経験だったのだろう。


「これを扱えるようになれば自分の身くらいは守れるようになるだろう。まずは自分の身の安全を最優先に動くことだ」


「この魔術を覚えるといいことあるから、しっかり練習するんだぞ」


奏の難しい言葉に対して康太が瞬時にわかりやすく子供にもわかるような言葉遣いで神加に言うと、彼女は新しい魔術を覚えたことに少しだけ喜びを感じているのか、早速練習を始めていた。


目の前に展開されるいびつな形の障壁は間違いなく彼女がこの魔術を覚えた証拠だ。もっともまだ練度が足りず、発動率も低ければその防御性能も消費魔力もおそらくかなりひどい状況になっているのだろうが、本人からすればそんなことはわかりようもない。


まずはしっかりと身を守れることを考える。そういう意味では奏のこの行動は非常に正しいものだろう。


「本当なら小百合が教えるべきことなんだが・・・こればかりは仕方がないだろうな・・・まだこれだけ幼い子だ、暗示の魔術などは教えないほうがいいだろう」


「そうですね。身を守ることができればまずは安心できますし・・・といってもそんな状況にならないのがいいんですけど」


「そのあたりは私たちが何とかすればいいだけの話だ。あんな子供を戦いの場に引きずり下ろすこと自体がまず愚行なんだ」


「ていうか奏さん、子供の扱い慣れてないですか?てっきり神加ちゃんもう少し奏さんにおびえると思ってたんですけど・・・」


文の言い方は微妙に失礼ではあるが奏もそのあたりは自覚しているのだろう。特に気にした様子もなく神加の方を向いて小さくため息を吐く。


「子供というのは理性よりも本能が勝っている生き物だ。おそらく本能的に敵ではないというのを察したんだろうな。あの子は多分だが小百合にもそこまでおびえていなかったんじゃないか?」


「あぁ、そういえば。師匠相手には特にこれといって・・・」


「あいつは敵意を向けるか否かがはっきりしているタイプだからな、子供とは良くも悪くも相性がいいんだろう。子供に対して邪な考えを抱かなければおそらく神加はおびえることはない」


神加はおそらく相手が敵意を抱いているか、邪な考えを抱いているかを感じ取るのがうまいのだろう。それが精霊を宿している故なのか今の彼女の精神状態が原因なのかは不明だが、少なくとも外見的特徴によってそれらを判別しているわけではないのは間違いなさそうだった。


本能が勝っているといわれても神加は何の事だかわからないようで目を白黒させながら康太と奏を見比べるように視線を動かした後少しだけ不安そうな表情をしていた。自分のわからない言葉でいつの間にか二人が自分のことを納得しているというのが彼女の不安を煽ってしまったのだろう。


そもそも魔術の練習をしながらもこちらの話を聞いていたということに驚いた康太は、やわらかい笑みを浮かべながら大丈夫だよと言いながら神加のほうに歩み寄る。


「神加はいい人と悪い人を見分けることができるんだって話してたんだ。きちんと人のことを見ることができてるってほめてたんだよ」


「そうなの?」


「そうだよ。だから何も心配しなくていい」


あれをほめているととらえるのはどうかとも思えたが、少なくとも今のところ彼女におけるマイナス点は数少ない。それこそ彼女が原因でマイナスになっているところなどほとんどないといっていいほどだ。


しかもそのマイナスもいずれなくなるだろう。そんな彼女がどんな魔術師になるのかこの場にいる全員が今から楽しみにしていた。


「そういえば康太、この子の起源はいったい何だった?もう見てもらったのだろう?」


「一応見てもらいましたけど・・・なんだったかな、鈍く光る鎖と赤い本だそうです。それがいったい何なのかはちょっとわからないですけど・・・」


康太のようにレンズなどであればわかりやすくていいのだが、あいにくそういうわけにもいかないようだった。


小百合と同じように無属性が得意なのかといわれると微妙にそうでもないらしい。色がついているのはそういった傾向の暗示であるらしいことから神加にも一応得意な属性があるとみるべきだろう。


もっとも彼女の場合精霊をたくさん連れていることから魔力の補給に関しては事欠かない。あとは本人のセンス次第でどの属性の魔術も扱えるようになるだろう。それがいったいいつの日かは康太もわからないが。


「鈍く光る鎖・・・光を放っていることから光属性、鎖は金属・・・つまり特殊な土属性、そして赤い本か。赤は火の暗示だが本というのは火とは対極にある木の属性を示しているな・・・統計すると適性がありそうなのは光、火、土、木となる」


「木の属性って・・・具体的にどんな魔術なんですか?今まで使った人見たことないんですけど」


「簡単に言えば生物・・・特に植物に関する魔術を総じて木の属性として扱う。植物に対しての同調や成長の促進、木そのものの操作などできることはそれなりにあるが、あまり実戦向きではない魔術が多いな。どちらかというと趣味向きのものが多い」


趣味向きのものでは見たことがないのもうなずける話だ。少なくとも漫画のようにいきなり木が大量に生えてきたりするようなことはないらしい。


だが木の成長を操れるというのはなかなかに面白そうだった。もしうまく操れば身を隠したり相手の動きを妨害したりもできるだろう。


「だが気になるのは赤い本ということだ。本などの起源をもつものはそれなりにいるらしいが、今まで赤い本というのは見られたことはなかったはず」


「あぁ、それは起源を見てくれた人も言ってました。すごく珍しいって」


神加が起源を見てもらったのは康太が見てもらったのと同じ魔術師だ。見た目老婆のその魔術師でも赤い本を起源に持つものは珍しいのだという。少なくともただの火と木の属性というわけでもないのかもしれない。


「でも色は属性の暗示っていうくらいですし、別に火と木で問題ないんじゃないですか?そこまで気にすることですかね?」


「ふむ・・・これが赤い何かと別の色の本だったらなにも気にしないんだがな。今回のを表すと火の特性を有した木、あるいは木の特性を有した火という形になる。どちらか片方というのであれば気にしなかったが両方となると少々矛盾すると思わないか?」


奏の言いたいことは何となくわかる。要するに燃える氷とか空を飛ぶ土とかそういうニュアンスの話なのだろう。


本来静止しているはずのものが蠢き、本来足元にあるものが空を舞う。これほど矛盾しているものはない。


神加の起源はそういった若干の矛盾を孕む可能性があるということなのだ。


「燃える木、あるいは木みたいに成長する火。燃える木だったらなんとなくわかりますけどね」


「木を破壊する動作の一例か・・・いや木を別の形に昇華、変化させているといったほうがいいかもしれないな・・・あぁなるほど、これは面白いかもしれない」


「なんです?何かわかったんですか?」


「あぁ、本という起源にはほかにも意味がある。木や他の生命から作り出されたもの、変質させられたもの、つまり木そのものではなく木の特性や生命を使った叡智の象徴でもある」


「・・・すいません、もうちょっとわかりやすくお願いします」


木そのものを使った属性ではなく、木を変質させた属性と言われてもはっきり言ってわからないの一言だ。


その場で話を聞いていた文はなるほどねと言いながら何やら納得しているようだったが、康太からすれば通訳が必要なレベルで何を言っているのかわからないのである。


魔術師としての知識が足りなすぎるというか、こういうことに全く興味を持たなかったために話を理解することのほうが難しいのだ。


もちろん康太だけではなく魔術の練習を続けている神加もその内容を理解していないだろう。


というか途中からほぼ理解することをあきらめているのか、それが自分の話であるということすら理解できていないのか魔術の練習にいそしんでいる始末である。


「いい?まず本にはいくつかの意味合いがあって、まずは木の属性を表すもの、そして変質を意味するものでもあるのよ。木や生き物から作られた人が作る文明の証。叡智の片鱗」


奏の説明を引き継ぐかのように文は指を立てて康太に言葉を投げかけるが、実際に理解できることはほんのわずかだ。


とりあえず康太は文の説明をかいつまんで大まかに理解することにした。


「・・・うん、まぁ理解した。要するに別のものを別の形にすることで便利にしたってことだな?」


「まぁそんなところよ。今回問題なのは本とその色。これが別の色の本だったら何の問題もなく木の属性を連想してよかったんだろうけど、今回の場合赤色を使ってるのが問題ね」


「火を暗示する色だろ?単純に火と木じゃダメなのか」


「難しいところね。赤い本って明言されてるからその二つの結びつきがすごく強いのは間違いないわ。個別で考えるよりこの二つの特徴で一つの特性を持ってるって考えたほうがいいかも」


自分の起源などかなり単純なものなのだなと康太は半ば自分の単純さに感謝しながらもあきれてしまっていた。


こう考えると小百合の起源である砕けた水晶もだいぶわかりやすいものだったのだなと思い返しながら康太は文の説明を待つことにした。


「考えられるのはさっきあんたが言った火と木の二つの属性、そしてもう一つは炎の変質に特化している可能性ね」


「・・・火の変質?」


「結構特殊なタイプと思っていいわね。特化タイプかも」


「特化タイプって、師匠みたいに破壊に特化してるとかそういうあれか?」


「印象としては最悪かもしれないけどそういうことよ。もっと具体的に言えば火が持つ特性そのものを変えられる魔術が得意になるかもね」


火の特性そのもの。そういわれても康太はうまくイメージできなかった。


康太自身も火の属性の魔術はある程度扱うが、火の魔術がどのような特性を持っているかと言われてもうまく想像できなかったのだ。


そして何よりそれを変化させられるといわれても「なんじゃそら」の一言である。


「あの、もっと具体的に説明してくれるか?火の特性を変化ってどうなるんだよ」


康太の疑問ももっともだと文は何か例えを出そうとするがどう答えていいのか迷ってしまっていた。


文自身もそういった魔術を見たことがないのだ。そもそもそういった魔術があるのかすら怪しいところである。


文が返答に迷っていると説明を引き継がせていた奏が助け舟を出そうと口を開いた。


「・・・例えば火は燃え上がるものだろう?それが逆になる。燃え下がるものになるかもしれない。火は熱いものではなく冷たいものになるかもしれない。火は蠢くものではなく静止するものになるかもしれない。火そのものが持つ特性を変えるというのはそういうことだ」


「・・・それって物理現象そのものを変えてるってことですか・・・?」


「魔術を使うものが物理現象云々を語ってどうする。だがまぁ認識としてはそういうことだ。といってもまだ可能性があるというだけだがな」


いくつかのたとえを聞いたことでなるほどと康太は何となく神加が可能になるかもしれないその魔術のイメージがつかめ始めていた。


つまり康太が今まで持っていた『火』という現象そのものの常識を変えることができるかもしれない魔術なのだ。


もしかしたら火そのものが物理的な力を持つようなこともあるかもしれない。それこそ先ほど文たちが言っていたように、何か別の形に、別の効果や使い方を見出せるようなものになるかもしれないのだ。


そう考えると魔術というのはまだまだ奥が深いのだなと感慨深くなってしまっていた。


「現象の変換というのは有名ではないにせよそれなりに数のある魔術だ。私が見たことがあるのは水の現象変換か」


「へぇ、それってどんな魔術だったんですか?」


「単純な状態変化と温度の関係性の変化だったな。水はたいていの大気の状態では百度になると沸騰し蒸発する。だがその魔術師が使う魔術だと水が一定以上の温度になると凍るんだ。熱い氷の出来上がりというわけだ」


「ってことは、冷たくすると蒸発するってことですかね?」


「私は熱したところしか見なかったから明言はできんが、つまりはそういうことなのだろうな。あれは奇妙なものだったぞ。水を展開した魔術師にはたいてい蒸発させたり電気分解させたりというのが定石だったんだが、完全に裏をかいた戦法だったと思う」


対応の仕方もよるが、たいてい相手が水の魔術を使って来たら相手が操っている水そのものを消す、あるいは操りにくくするために水を気体状に変えるか固体状にして動かせなくしてしまうのが手っ取り早い。


熱するか凍らせるか、どちらが楽かはその場所や状況にもよるが、たいていは熱するほうが楽なのだ。


そのためたいていの魔術師が蒸発させるという方法をとるのだが、その魔術師は水の特性そのものを変えていたために熱すると凍るという特殊な水を操っていたらしい。


なんとも面白い戦い方だ。その凍った部分は百度以上の熱を持っているということなのだからまた面白い。


触れさせれば簡単に相手を火傷させられるだろう。そういう使い方もあるのだなと康太は驚いていた。


「じゃあ火で言えば、温度の上下とか、炎の向かう方向とか、あとは触れるかどうかとかそういうところを変えられるってことですか」


「そこは調べてみないとわからんな・・・師匠もそういった魔術は覚えていなかった。協会に行けばそういった魔術を調べられるかもしれんが、少なくとも私は調べたことはないな」


自分が得意ではない魔術を覚えなければならない時もあるが、何も苦手な魔術を必ず覚えなければならないわけではない。


可能な限り自分の得意を伸ばしていくのが普通の魔術師だ。得意以外の部門を積極的に調べるということは奏もしてこなかったらしい。


「文のところだとどうだ?結構あそこも魔導書あるけど」


「んー・・・私もあそこにある魔導書全部覚えてるわけじゃないからなぁ・・・火の属性で関係しそうな魔術は探してみるけど・・・」


「話を進めるのはいいが、実際それが得意かどうかもわからないんだ。まずは基本を覚えさせることが先決だろう」


康太たちが好奇心を優先させている中、奏の言葉は確かに正論だった。特にまだ基本を覚えきれていない康太からすると耳の痛い話である。


まだ魔術師の基本的な魔術を覚えられているとはいいがたい康太からすると、神加への教育は同時に自分への教育にもなるということを何となく情けなく思っていた。


「さて・・・とりあえず顔合わせは済んだ。康太、始めるぞ」


「はい。でも奏さん大丈夫なんですか?仕事の感じ的に結構詰め込んでるイメージありますけど」


「それはいつものことだ。部下からもそろそろ休めと言われていてな・・・労基署が動くかもしれんから今度休みを取る予定だ」


それがいいですねと言いながら康太は軽く準備運動をしながら奏との訓練に備え始める。しっかりと準備を整えておかないとケガをしかねない訓練であるために油断はできないのだ。


文は奏との訓練が始まる前に神加を安全な場所に移動させるべく、その背中を押す形で部屋からそそくさと退出していった。


「最近腕が鈍っているらしいからな、最初は軽めで行くか?」


「そうしてくれるとありがたいですね。まずは軽くお話しでもしながらにしましょうか」


話をしながら、それは本当に準備運動の組手レベルである。戦闘とは違うただ相手の攻撃をさばきながらこちらも攻撃を返すくらいの訓練だ。


そうかそうかと奏は小さくつぶやいてから康太めがけて勢いよく蹴りを放つ。寸でのところで蹴りを躱した康太は軽くバックステップしてからしっかりと構えると奏を迎え撃つことにした。


「時に小百合はあの子に対してどのように接しているんだ?過保護になっているとも考えにくいが」


「正直修業以外のところでかかわってるところを見たことがなくて・・・たいてい師匠は神加がつぶれるまで修業させるので・・・」


「・・・余計なことを考えさせないためか・・・止めてやりたいところだが正しいだけに止められんな」


小百合がなぜ神加の体力の限界まで追い詰めるような修業を強いているのか、奏はその理由をすでに理解しているようだった。


さすがは兄弟子というべきか、それともさすが奏というべきか、どちらにせよ彼女の洞察力はなかなかのものである。


「奏さんから見て神加の今の状況はどう見えますか?」


「少なくとも良くはないだろうな。どこか大切なものが抜け落ちているように見えた。思考力が足りていないというか反応が足りていないというか・・・普通の子供がするべき反応をしていない」


精神に異常をきたしているんだろうなと言いながら奏はすでにその原因をほとんど把握している。


康太からある程度の事情は聞き及んでいるが、それがどれほど神加の人格面に影響を与えるかは奏自身わかっていない。だが彼女を成熟した人間ではなくただの子供としてみた場合、彼女が今どのような状態であるかはある程度想像できる。


つらい目にあったとき子供は逃げ道を作る。それは時に新たな人格であり、記憶の消去であり、精神の崩壊である。


それは時間経過などで少しずつ治っていくものかもしれないが、治りきるには神加は時間が足りていないのだ。


「あの子は店でもあんな感じか?」


「大体はあんな感じです。多少俺や姉さんには心を開いてくれてると思います」


「小百合はさておいて、アリスはどうだ?あれは中身はともかく見た目は幼いだろう?同い歳・・・には見えんが近い歳として認識できるのではないのか?」


「いえ、なんか神加はアリスにはあんまり近づきたがらないみたいです。何が理由なのかはわかりませんけど」


「・・・ふむ・・・子供なりに何かしら把握しているのかもしれんな・・・いや子供だからこそというべきか」


こうして話をしている間も、康太と奏は拳や足を交えながら組み手を続けている。そこまで速くはないとはいえ互いの一撃が直撃すればどちらかが倒れる可能性は十分にある。だが二人の技量を加味すれば直撃するということは万が一にもあり得なかった。


康太は時折危ないそぶりを見せるが、奏はこのまま目をつむっても問題なく行動できそうなくらいの余裕があるように見える。


さすがに技量差は歴然だなと康太は感心しながらも攻撃の手を止めるつもりはなかった。


「文はどうだ?あの子に対してどのように接している?」


「いいお姉さんしてますよ。もともとあいつ世話焼きなところがありますからね、結構頻繁にうちの店にも来ますしそれなりに懐いてると思います」


「そうか。とりあえず味方が増えているのは良いことか・・・」


「最初っから敵だらけみたいな感じですからね・・・俺の時よりさらにひどい」


康太が小百合の弟子になったときはまだ敵になる可能性が多いというだけで明確に敵がいたわけではなかった。だが神加の場合すでに敵ができてしまっている。これがどれだけ不運なことか神加自身はわかっていないだろう。


「さぁおしゃべりはここまでだ、そろそろ気合を入れていくぞ」


このおしゃべりがずっと続けばいいのにと思っていた康太の願いはかなわず、次の瞬間奏の拳が先ほどの倍以上の速度で襲い掛かる。


もうおしゃべりはできそうにないなと康太は目の前にいる最強の人物を前に立ち回ろうと意を決していた。




「お姉ちゃん、お兄ちゃんと・・・か・・・かなで?さんは何してるの?」


康太と奏が訓練を始めている間、文と神加は部屋を出てエレベーターホールの手前にある待機用の椅子に腰かけながら魔術の練習をしていた。


神加はとにかく障壁の魔術を発動し、文は自分の扱える魔術をより微細なコントロールができるように訓練していく。


そんな中神加が部屋の中の康太と奏のほうに意識を向けたのだ。さすがに康太が中に残っている状態を不安に思ったのかもしれない。


神加にとって康太は素直に頼れる数少ない人物なのだ。その人物が目の前から消えたというだけで彼女のストレスは少しずつ溜まっていることだろう。


「いま二人は一生懸命訓練してるのよ。私たちがいると邪魔になっちゃうからここで待ってましょうね」


神加がいないのであれば普通に文も部屋の中に入って訓練の様子を眺めているのだが、神加に奏との訓練は少々刺激が強いように思えたのだ。


小百合のそれとほとんど同じなのだが、奏の訓練ははっきり言って一方的すぎる。小百合との訓練であれば何とか逃げきれる康太でも、奏相手だと逃げ切ることは難しい。


いつかつかまって気絶させられるまで徹底的にいたぶられるだろう。いくら康太が慣れているからといってかわいい弟弟子にそんな情けない状況を見せるのは酷ではないかと思えたのだ。


それに神加を実際に見て奏と康太はいろいろ話すことがあるだろう。そういう意味も込めて文は退室した。結果的に二人からすればこの気遣いはありがたいものだったのだがそれは文も神加も知りようがない。


「お姉ちゃんは訓練しなくていいの?」


「私もするわよ。でも奏さんは一人しかいないからね、一人ずつ順番に訓練していくのよ」


まるで処刑台に並ぶような気分だと内心ため息をつきながら文は自分の掌の上に小さな竜巻を作り出して見せる。


奏との訓練を始めていったいどれくらい経過しただろう。奏に言わせるとだいぶまともになったとのことなのだが、残念ながら文からすればそういった変化があるようには感じられないのだ。


何せ結果的に気絶させられることに変わりがない。最終的な結果が変わればまだ自分の成長を信じられるのだろうが、自分の成長を信じられるだけの材料がまだ得られていない以上実感の湧きようがない。


「あれ?そういえば神加ちゃん、今日ウィルは一緒じゃないの?」


普段小百合の店にいる時は、ほとんどといっていいほどに神加はウィルの上に乗っている。それこそスライムナイトのように乗りこなし毎日を過ごしているといってもいいほどだ。


康太がその場にいる時に限られるが、神加はウィルのことがたいそう気に入っているようでよく一緒にいる光景を見かけることができる。


康太が今一緒にいるというのに神加の近くにいないというのが、文には不思議だったのだ。


「うん、今日はお兄ちゃんと一緒にいるんだって」


「そうなんだ・・・寂しい?」


「うん、でも大丈夫。今はお姉ちゃんがいるから」


そういって自分の服の裾を握る神加の姿に、文は何と言ったらいいのかわからない何か独特な感覚を覚えていた。


なんと甲斐甲斐しい子だろうかと抱きしめたくなる衝動をこらえながら、同時に本当に良かったとも思ってしまっていた。


文は初めて会った時の神加の状態を知っている。起きているのか、こちらを認識しているかどうかも怪しかった神加が今はこうして見知った相手であれば普通に話すこともできるようになってきている。


それだけ彼女が心を開いてくれているということでもあり、彼女の心が少しずつ回復に向かっているということを表していた。


このまま彼女がまともな、あの写真のような笑みを浮かべられるようになればいいのだがと文は祈らずにはいられなかった。


「それにしても・・・康太のやつなんでウィルを・・・?奏さんにはもう会わせてたと思ったけど・・・」


ウィルが仲間になって少ししてすでに奏にはウィルのことを見せに来ている。そのため別に顔合わせというわけでもないだろう。


ならばなぜウィルを連れているのか疑問でしょうがなかった。何かやるつもりなのだろうかと少し不安になりながら、文は手のひらで風を操り続けていた。


神加がその掌で舞う風に時折手を当てているのが気になるが、この程度で乱れるほど文の集中は甘くない。


むしろ集中を乱すのは神加のかわいらしい仕草のほうだ。その仕草に悶えそうになってしまうが、それでもまだ彼女の集中を乱すには至らない。


「ほら神加ちゃん、魔術の練習はまだ続いてるわよ?集中集中」


「はい」


まだ言葉の意味の半分もわかっていないだろう。だが自分が今やるべきことはわかっているようで、神加は文の膝の上に陣取ると魔術を発動して障壁の魔術を展開していく。


まだいびつで障壁の厚さにもムラがあり、おそらく強度自体もそこまで高くはないだろうがとりあえず集中すれば発動できるところまでは達したようだった。


自分の膝の上にいる幼い魔術師にほほえましくなりながら、文は自分も魔術の練習を続けることにした。


こうしてほほえましい光景が続いている扉一つ向こう側で、一瞬の隙が命取りになってしまうような殺伐とした訓練が行われていることは言うまでもない。


そのことを知らないのは文の膝の上で魔術の練習をしている神加だけだった。











「・・・なるほど、それがお前の奥の手か」


「まだまだ練習が足りませんけど、結構いい線いってますよね?」


「ふむ・・・お前の戦い方からすれば相手を混乱させるには十分な手だな」


奏との訓練の間に、康太は今まで奏に見せていなかった戦い方を披露していた。それはウィルに協力してもらった二人がかりでの肉弾戦である。


ウィルに人の形を模倣させ、康太の動きをトレースさせることで肉弾戦を可能にしたいわばもう一人の康太だ。


毎日の訓練の動作を学習させることで多少ましになった肉弾戦を奏にぶつけてみたところなかなか好印象のようだった。


とはいえまだまだ康太の動きには程遠いが、奏はこの戦い方には意味があると確信しているようだった。


「お前があの黒い霧を使って相手の視覚をつぶせば、当然相手は索敵を使ってお前の位置を把握しようとしてくるだろう。そのタイミングでこれを出せば相手を混乱させられるだろうな」


それは以前康太が試しにやってみたことでもある。三人相手の戦いだったために少しでもこちらへの意識をそらしたかった時に苦し紛れのような形でやってみたのが思ったより功を奏したのだ。


康太の使うDの慟哭によって魔術師の視覚を利用し相手に状況を視認できないようにしてからのウィルの登場。これは相手にとって大きな驚きだろう。


ウィルの体を形成しているのは魔術ではあるがあくまで物理的なものだ。比較的簡単に扱える物理索敵にも引っかかるために人の形をしていれば一瞬惑わされるのも道理である。


むろん体温や内包している魔力、そして細部などはかなり生身の人間とは異なっているために詳細な索敵をすればすぐにばれてしまうが、肉弾戦を行おうとしている康太とウィルに対してそれだけ悠長に調べることができるかは微妙なところである。


「あとはもう少し俺っぽい動きをしてくれればいいんですけどね・・・どうにも人型になるのはこいつ自身難しいのかあんまり長時間維持できないんですよ」


もともと人間から抽出された意志が込められているのだから人型になるのは得意なのではないかと思っていたのだが、どうやらウィルは人の形を維持するのがあまり得意ではないらしい。


少しずつ維持できる時間が延びてはいるとはいえ、一日中人型でいられるわけではない。どうやら軟体状態でいるほうが彼らは楽であるらしくほぼ液体状でいるといっても過言ではない。


「だがさっきやったような体にまとわせての戦い方はなかなか器用にこなしているように思えたぞ。全身でなければある程度はこなせるのではないか?」


「そういえばそうですね・・・あとは連携をうまくすればもっと早く楽に動けると思いますけど」


全身の形を形成するのは苦手でも、部分的な形状形成に関しては比較的楽にできるのだろう。康太の拳を覆うようにして巨大な拳を作り出すということも問題なくできている。


これもまた一つ康太の新しい戦い方だった。


ウィルをまとった状態でウィルの体を攻撃や防御に振り分けて戦う。拳や刃の形に変えることで変幻自在な戦いをすることができるだろう。


この戦法は康太の扱う再現、遠隔動作、動作拡大などの魔術との相性が良い。それぞれの使い道が異なるとはいえ自分が行う動作にプラスされるのだから。


とはいえウィルそのものが動く動作は先にあげた魔術の対象外だ。あくまで康太自身が動作の原動力とならなければいけないためそのあたりに注意が必要となるだろう。


そのため、ウィルとのより精密な連携を行うことで康太の肉弾戦の速度にも対応できるようになっていくだろう。


今はまだ一種の予備動作がなければ行使できないが、そのうち予備動作なしのジャブ感覚でウィルとの連携攻撃をお見舞いできるかもしれない。


「そいつの名前はもうあるのか?せっかく出てきてくれるのだから何か名称をつけてやってもいいんじゃないか?」


「あれ?前に紹介しませんでしたっけ?こいつはウィルっていうんですよ?」


「違う、そいつ本体ではなくそいつがお前の体にまとった状態で戦うのと、お前の分身のような形で戦うその戦法に名前はないのかといっているんだ。そのゼリーはお前が操作しているわけではないんだろう?意思疎通を容易にするためにも名前は必要だ」


そういえばと康太は自分の体にまとわりついているウィルのほうを見る。デビットに関しては魔術としてDの慟哭という名を与えられたが、ウィルのこの戦い方や動作に対しては名前というものを付けていなかった。


康太が自分で操っているのであればそのような名前は自己暗示に近い呪文のような意味合いしか持たなかっただろうが、ウィルやデビットのようにある程度意志を持ち最低限勝手に活動している魔術に対しては合図という意味でも名前を付けておいたほうがいいのかもわからない。


「とはいっても・・・ぱっと言われても思いつきませんよ」


「・・・そうだな・・・分身に関しては簡単だ、お前の名前を捩ればいい。例えばそうだな・・・お前の術師名がブライトビーだから・・・アナザービー、レッドビー、ビーレプリカ・・・こんなものでいいと思うぞ?」


「あぁそういう感じで・・・おぉ、なんかかっこいいですね」


康太の中でブライトビーというのは今まで自分のことを指す名前だったが、それを利用した名前を使うというのは今まで考えてこなかった。


使われているのがビーという部分だけなのが少々気になるが、必要とあればこれから考えていけばいいだけの話である。


技名というわけではないが、こういう名前を考えているときが一番楽しいように思えてしまう。


康太も高校一年生の男の子だ。こういった技名を考えるということにテンションが上がってしまうのも仕方のない話だろう。


「んじゃいくぞウィル、シャドウビー!」


康太の叫びとともにウィルは魔術師装束をまとった状態の康太の姿を模倣して見せる。そこには仮面をつけ、外套を羽織った状態で槍を手にした康太の姿がある。


シャドウビー。康太が命名したウィルと康太の連携技の一つ。ウィルに康太の分身になってもらい戦うスタイルだ。叫んだ瞬間にウィルが反応するというのはなかなかどうして気持ちの良いものだ。


康太の影から作り出された分身のように演出すればさらにそれっぽさが増すことだろう。もしかしたら相手に何か特殊な魔術を扱っているのではないかと誤認させることもできるかもしれない。


やはり技名は叫んでこそだなと実感しながら今度は肉弾戦の構えをとる。


「フローウィル!」


康太の叫びと同時にウィルが康太の体にまとわりつきその体を守る鎧となっていく。そして康太が拳を突き出す動きに合わせてその体を拳に集中させて拳を巨大化させるなどの動作をして見せた。


シャドウビーとフローウィル。康太とウィルがこれから戦っていくうえで頻繁に使う可能性のある技二つだ。


叫びながら使うかどうかはわからないが、少なくとも思ったように動いてくれるウィルに康太は感動しているようだった。


どちらかというとここまでできるようになったウィルの成長に感動しているのではなく、技名を叫んだと同時に動いてくれるということに感動しているようではある。


魔術は別に叫びながら使うということがないために漫画やアニメのように技名を叫びながら攻撃するということがない。


以前は発動を容易にするという意味で呪文を口ずさんだりもしていたが、それも口にしているだけで叫んでいるわけではなかった。


やはりこうやって叫んで技を出すというのは男の子としては憧れがあるのだ。


「・・・名前が決まったのはいいが、別に叫ぶ必要はないんじゃないのか?相手にもばれやすくなるだけだぞ」


やはり奏は女性だからか、それともいい大人だからか、技名を叫ぶことに関してのロマンを理解できないようだった。


男の子ならば一生のうちに一度は経験したことがあるであろう技名を叫ぶということに対する強烈な渇望。それが小学生の頃か中学生の頃かはわからないが、今まで魔術の世知辛さを味わってきた康太からすればこれほどうれしいこともなかった。


「違うんですよ奏さん、こういうのは叫んでこそ意味があるんです。いや最初は叫んで、慣れてきたり、かっこつける時はつぶやくように言うのがいいんです。そういうメリハリをつけることでいい演出ができるんですよ」


「・・・戦いに演出も何もあるか・・・?」


「あるんですよ!男の子には譲れないものってのがあるんです!」


「・・・そういえば昔幸彦も似たようなことを言っていたな・・・男というのは皆そうなのだろうか・・・?」


奏の言葉に幸彦にも似たような時代があったのだなと思い返しながら、今度これを見せてやろうと康太は固く決心していた。


もうすでに卒業している年齢かもしれないが、やはり男の子に生まれたからには技名を叫びたいという気持ちがあるだろう。


その典型的な例、というわけではないがこうして技名を叫んで展開できるスタイルが見つかったのだ。自慢しても損はないだろう。


「まぁ叫ぶか叫ばないかはお前に任せよう。分身の場合は叫ばないほうがいいと思うが、体にまとうほうに関しては叫んでも問題はないように思えるしな。相手への牽制にもなるかもしれん」


「ふふん・・・次に戦う奴が楽しみだ・・・!絶対叫んでやる・・・!」


一種の興奮状態にあるのか、無駄にテンションが上がっているために今ならば何か面倒ごとがやってきても満面の笑みでいられる自信があると康太は確信していた。


そんな康太の様子を見て奏はあきれ交じりにため息をついてしまう。かつての弟弟子を見ているようだと苦笑せざるを得ないが、康太の年齢を考えると別段珍しいことではないのかもわからない。


世代が違うとはいえ康太も男だ。まだまだはしゃぎたい年ごろなのだからこうした気分になってしまうのもまた仕方がないといえるだろう。


「それはそれとして、実戦で扱えるかは別問題だぞ?特に単純に肉弾戦をするわけにはいかなくなったわけだからな」


「もちろんわかってます。何度も何度も練習しますよ。というわけで」


康太は満面の笑みを浮かべた状態で構えをとる。康太のその様子に奏は困ったような笑みを浮かべていた。


「なんだ、まだまだ動き足りないか?」


「もちろんです。いますっごくテンション上がってますから徹底的にやりますよ!ウィルがいれば百人力ですし」


ウィルと一緒に戦う時の利点は、ウィル自身が攻撃を防ぐ鎧になること、そして攻撃そのものも威力や性質が変わること、そして最後にウィル自身の制御のために自分のキャパシティを必要としないということだ。


ウィルは勝手に動いてくれる魔術であるために多少の攻撃や防御は勝手にやってくれる。そして康太の攻撃の動作に合わせて適した動きをしてくれるために非常に動作が楽になる。


といってもまだまだ康太の動きを把握しきれていないためにぎこちないが、今後の訓練でもっともっと反応速度が上がっていくことだろう。


自信満々な康太を前に、奏は少しだけうれしくなりながらも目を細めてゆっくりと拳を構えた。


「それでは私も徹底的にやってやろう。簡単に音を上げてくれるなよ?」


















「あーあ・・・やっぱりこうなってたか・・・」


奏の笑みが康太に向けられてから数分後、文と神加が部屋の中から呼ばれるとそこには完全に気を失っている康太の姿があった。


せめて首を傷めないための配慮だろうかウィルが康太の体へと潜り込み枕のようになって快適に気絶できるようにしていた。


その様子に神加はかなり不安になったようだが、近くにいる文も奏も特に気にした様子がなかったために心配することではないのかもしれないと少しだけ困惑しているようだった。


少なくともこのように完全に気絶してしまっている康太を見るのが初めてである神加にとってこの光景は多少衝撃的だったかもしれない。


「今回はずいぶんともったほうですか?結構時間かかってましたけど」


「どうだかな。今回はおしゃべりを少し長めにしていたから何とも言えん。だが面白いものは見せてもらった」


奏の言葉に文は興味深そうに康太のほうを見るが、康太がいったい何をやったのか、何をやらかしたのか少なくとも今の時点では把握できなかった。


どうせなら索敵でも張っておくんだったと後悔しながらも、ウィルに指示して康太の体を安全圏まで運ばせると、先ほどまでとは打って変わってゆっくりと準備運動を始める。


康太が倒れた今、今度は自分の番であると理解しているのだ。


文が準備運動を始めたことで、神加もこれから何かが始まるということを察したのだろう。少しでも不安を和らげるためか気絶したままの康太のそばへ小走りで移動していく。もしかしたら康太ではなくウィルのほうにかけて行ったのかもしれないが、そのあたりは些細な違いである。


「さてと・・・康太はなかなか面白いものを見せてくれたが、お前はどうだ?少しは歯ごたえができてきたか?」


「肉弾戦は私の本分じゃないんですけど・・・でもこれでも少しはましになったと思いますよ?」


少なくとも最初の頃よりはと付け足しながら文は苦笑しつつゆっくりと深呼吸をして体中に酸素をいきわたらせていく。


奏ほどの相手と戦うのであれば、文の上達などあってないようなものだ。十の力が百になったところで一万の力を持つ者には絶対にかなわない。


だが文の言うように少しはましになってきているのだ。康太と頻繁に組み手を行っているが、少しずつ康太の攻撃を的確に防御できるようになってきているのだから。


「それはそうと・・・いいんですか?あの子に見せるのは」


「問題ないだろう。康太との訓練は多少ショッキングかもしれんが、この訓練ならそこまで衝撃を受けることもない」


「・・・それは私の実力が低いからですか?」


「それもある。だがそれだけではないな」


奏が次の言葉を継げるために息を吸った瞬間、その足が文めがけて襲い掛かる。


ほんのわずかに予兆を感じ取ることができた文は、顔をのけぞらせることでぎりぎりその蹴りを回避することができた。


移動しきれずにその場に残った髪の毛が奏の足に弾き飛ばされるのを見ながら、文は驚きと同時にあきれてしまっていた。


ほぼ不意打ちに近かったのによくよけられたものだという驚きと、この人は相変わらずこういうのが好きだなというあきれ。本当に小百合の兄弟子らしいと思いながらバックステップをしようとすると、今度は奏にしては珍しく文の腕をつかんで組み技に移行しようとしていた。


今までほとんどが打撃ばかりだったのに急に組み技に移行したことで文は若干その身を強張らせたが、奏の口が文の耳元に近づくとその行動の意図を察することができた。


「康太はあの子の精神的な支柱になっている。その康太が徹底的に攻撃される光景は見ていて面白いものではないだろう。それに比べれば・・・」


神加には聞こえないように耳元で小さく話す奏に、文はくすぐったさを感じながら視線をほんの一瞬ではあるが安全圏に避難している康太と神加のほうに向けた。


確かに神加にとって、おそらく康太の存在は大きなものになっているだろう。きっかけが何なのかはあえて聞かないが、小さな子供に懐かれたというただそれだけのことではないのだ。


精神的に不安定な神加には支えが必要なのである。それが今康太が担っているものでもある。


「・・・私は神加ちゃんにとってあまり重要な存在ではない・・・と?」


「重要ではないとまで言うつもりはないが、康太に比べると多少は落ちる。それに気にすることはない。今日の様子を見る限り、あの子にそれなり以上に信頼されているように見えるぞ?」


それなり以上、その評価を喜んでいいものか正直微妙なところだった。


四六時中一緒にいるわけではないとはいえ、康太に比べるとあまり頼られてはいないように思えたのだ。


そこまでむきになって競う必要もないように思えるが、やはりこうして比べられると悔しいものである。

そんなことを一瞬考えたかと思えば、文の体はいつの間にか宙を舞っていた。


地面をしっかり踏んでいたはずの足は、瞬きほどの時間で天井を仰ぎ、すぐ横に奏がいたのを目で、耳で、そして体温で感じていたはずなのにその奏は体勢と体にかけている力を変え、軽々と文を投げて見せた。


いつ投げられたのか、正直に言えば一瞬視界が反転し妙な浮遊感が生まれ床にたたきつけられるまで投げられたということを実感することもできなかった。


「こうしておしゃべりをしていたら、多少気がまぎれるだろう?こういう訓練もたまにはいいだろう?」


「・・・なんだか無茶苦茶悔しいですねこれ・・・!」


自分と同じように話をしていたはずなのにこの違いだ。奏にとってはまだ話ながらでもできる作業。だが文はその作業にすら全力を注がなければ今のような状況になるのである。


自分との実力差をまざまざと見せつけられているようで、自分の中のやる気がみなぎるのを文は感じていた。











「お姉ちゃん・・・大丈夫?」


「・・・あー・・・大丈夫よ・・・アタタ・・・思い切り手加減されてあれかぁ・・・」


数分後、康太が戦っていた時間よりもずっと早く文の体は動かなくなっていた。


その場にうつ伏せになるような形で倒れ、指一本動かすことができずにいる。だが意識だけははっきりしているし五感も正常だ。そのせいで妙に体の痛みを実感できるのがつらいところだった。


体力の限界ではなく、奏の一撃によって体の自由が利かなくなっているのである。


見事なまでの蹴りの一撃。見えていたのだが体が反応できなかった。自分のあごの先をかすめるような一撃は、簡単に文の脳と肉体の伝達状況をかき乱し、意識はあるのに体は動かないという奇妙な状況を作り出していた。


これだけ精密な打撃を繰り出せるのにもかかわらず、これがまだ話をしながらの手加減状態だったというのだから恐ろしい話である。


しかも文だって攻撃を受けないようにしっかりと動いていたのだ。まだまだ文のような素人の動きでは奏の洞察力からは逃れられないということだろう。


「神加、覚えておきなさい。魔術師となったからといってすべてを魔術で解決できるわけではない。時として自分の肉体で何とかしなければならないこともあるだろう。そういう時のためにしっかりと鍛錬に励むことだ」


「・・・?・・・」


奏は今とても良いことを言っているのだが、言葉一つ一つが子供には理解できないものが多く、返事をすることもできずにいた。


せっかく奏がためになる助言をくれたのに、それを理解できないなんてなぁと文はどうにか神加にもわかるように説明しようとしたが、子供にもわかるような言葉を選ぶのに時間がかかってしまう。


「要するに、たくさん運動して元気に生きましょうってことだよ」


妙な沈黙が流れる中、聞こえてきた声に神加がいち早く反応しその声の主のほうを向くとそこには寝たままの状態でウィルに運ばれている康太の姿がある。


まだ体を起こすのはウィルの補助があってもつらいのか、ウィルに乗ったままゆっくりとこちらに移動してきている。


「もう目が覚めたのね、案外早かったじゃない」


「あれ?でも文がノックアウトされたくらいに目覚ましたぞ?結構時間たってたんじゃないのか?」


「ほんの数分よ。悪かったわねさっさと決着がついちゃって」


康太が気絶してから文が戦闘をはじめて今に至るまで、ものの十分も経過していないのである。


「ていうかノックアウトされるところなんて見ないでよ、恥ずかしいじゃない」


「しょうがないじゃんか見えたんだから。でもあれはしょうがないって。見事な上段蹴りだったからな。俺でも避けられたか怪しいところだ」


十分もたたずに気絶から回復するというのもなかなか恐ろしいが、目が覚めてすぐに文が戦闘不能にさせられるだけの一撃を見切る康太の眼力も恐ろしいものがある。


相手が攻撃しているという特定条件に反応して瞬時に見極めができるようになってしまっているのだろう。日々の訓練が生んだ悲しい性というべきか、それとも努力の結晶というべきか、文は判断に迷っていた。


「二人とも寝転んでいては訓練にならんな。しばらくの間そうしているといい。たまには私がコーヒーを淹れてやろう」


「そんな、悪いですって。今何とかして動きますから」


「無茶をするな。特に文、脳を揺らした後は動かないほうがいい、脳震盪とまではいわないが多少なりとも影響がないともいえん」


「・・・じゃあここはさっそく俺らの必殺技の出番ですね。シャドウビー!」


康太の叫びとともに、康太の下でその体を支えていたウィルが人の形へと変化していく。同時に康太が床に落とされることになるが康太は気にしていないようだった。


「・・・え?何よ康太、いきなり叫んで。それ技名なの?」


うつ伏せになっている状態のせいでウィルがどうなっているのか見えていない文からすれば、康太がいきなり叫んだようにしか見えなかったのだ。いや実際はほとんど何も見えていないわけだが。


「ふふふ、文にはあとで見せてやろう。普段うちの店でいろいろと雑用を押し付けられているウィルならコーヒーの一つや二つ朝飯前ですよ。頼むぞウィル、奏さんのお気に召すようなコーヒーを淹れるんだ!」


「え?ウィルにコーヒー淹れさせるつもりなの!?」


見えていないために状況を理解できない文はここでようやく索敵の魔術を発動する。視認できなくとも確認するすべはいくらでもある。文は人型になっているウィルを確認してなるほどと感心してしまっていた。


「人型になれるのは知ってたけど、結構しっかりしたものね・・・これなら雑な索敵じゃ判断できないかもしれないわ」


「だろ?だろ?分身を練習するのも結構時間かかってるんだぞ?さぁウィル、お前の力を見せてやれ」


「・・・見せるのがコーヒーを淹れる実力ってのが何とも情けない限りね・・・」


本当ならば戦闘などでその実力を見せてほしかったのだが、初披露がまさかコーヒーを淹れるだけになるとは、なんとも情けない技の初使用である。


日頃小百合にこき使われているのがこんなところで役に立つとはと康太は満足しているようだったが、文としてはこういう使い方でウィルは満足しているのだろうかと不安になってしまっていた。


あの中にいる人々の意志が康太に反旗の意を唱えなければいいのだがと一抹の不安を覚えつつ、少しでも早く起き上がれるようになろうと、文は静かに肉体強化の魔術を発動していた。


「で?さっきの分身・・・シャドウビーだっけ?なんであんな技名にしたのよ・・・ていうかなんで叫ぶのよ」


ようやく起き上がれるまでに回復した文はソファに座りながらウィルが淹れてくれたコーヒーを口に含んでいた。


魔術そのものが淹れたとは思えない出来栄えである。自分が淹れるよりむしろうまいのではないかと思えるその風味と味わいに文は若干の敗北感を感じながら同じようにコーヒーを飲んでいる康太の方に視線を向けた。


「お前もそんなことを言うのか。技名は叫んでこそだろ?長年続いた少年漫画然り、アニメやゲーム然り、技名っていうのは叫ぶことに意味があるんだよ」


「・・・こんなこと言ってますけど、奏さんとしてはいいんですか?なんか変な方向に走りだそうとしてますけど」


「本人が叫びたいといっているんだ、私からどうこう言ったところで無駄だろう。もし本当にまずかったら小百合が止めるだろうしな。それに幸彦も昔似たようなことを言っていたからな・・・男というのはこういう生き物なのだろうさ」


そういうものなのかと文は眉をひそめて康太とその横にいるウィルの方を向いてため息を吐く。


康太とウィルの関係は大まかながら把握している。だが詳細がどのような形であるかを正確に把握しているのは康太だけだ。操作系統が通常の魔術とは異なるという意味ではこのような合図を明確にしておくのはいいことなのかもしれない。だがそれにしたって叫ぶ理由がわからなかった。そのあたりは男にしかわからないロマンというものなのだろうかと文は勝手に解釈していた。


「それに分身だけじゃなくてもう一つ技があるんだぞ。行くぞ、フローウィル!」


康太の掛け声とともにウィルが反応して康太の体にまとわりつきその形を鎧のように変質させていく。一見すれば変身したように見えなくもないその姿に文はなるほどねとその全身を観察していた。


今までも康太の体に魔術師装束としてまとわりついていたウィルだが、あの形はまだ流動している部分があったために防御性能としてはいまいちだったが、この形はほぼ全身を鎧のように硬質化した部位で覆うことで防御能力をかなり高めたものであるらしい。


しかも康太の動きに合わせてウィルの体が微妙に動いている。防御する場所や攻撃する場所に体積を集めて攻撃や防御の性能を上げることができるようだった。


「その形状ってさ、物理攻撃には結構耐性ありそうだけど、電撃とかにはどうなの?あんまり効果ないんじゃない?」


「それを言ってくれるなよ・・・ていうか炎とかも隙間ができれば普通に通すと思うぞ?その場合はちょっと形変えるけどさ・・・ていうかウィルが電気を通すかどうかとか考えたこともなかったわ」


導電性というのは物質によって変わるために電気を良く通すか否かはやってみないことにはわからない。


そこで文は手の内にそこまで威力の高くない電撃の塊を作り出すと鎧をまとった状態の康太に投げて見せた。


その攻撃に即座に気付いた康太は左腕にウィルを集め、巨大な盾のような形へと変えていく。文の電撃がウィルに直撃する寸前にウィルと自分の体を切り離すことに成功しその被害は受けなかったものの、盾となったウィルは電撃をもろに受け止めてしまっていた。


電撃が一瞬ウィルの体に巡ったかと思うとすぐに床に流れてしまう。ウィルも全く問題なく動けているようで特に影響はないようだった。


「おい文、やるならやるって言ってくれよ。反射的に逃げちゃったじゃんか」


「反射的にしては随分と適切な対処ね・・・まぁ頻繁に私と訓練してるんだから当たり前か・・・」


文が小百合の店にやってくるときには康太と文が互いに訓練をすることもある。その場合肉弾戦だけではなく魔術を使った総合戦闘をする場合もあるのだが、文のメインの攻撃方法が電撃であるために電撃に対しての防御対応がほぼ反射的に行えるようになってしまったのだ。


これもなんとも悲しい性というべきか。


「でも今の感じだとウィルを迂回して電気が通ることはあるかもだけど、貫通はしなさそうかもね・・・ちょっと康太、あんたウィルを着てみなさいよ。隙間ない感じで」


「ウィルを着るって表現すごい違和感あるんだけど・・・まぁいいや・・・」


とりあえず電撃に対する耐性があるかないかだけ試してみて損はない。康太は渋々ウィルを纏うと、その全身を外気に触れないように完全に密閉してしまう。


あまり長い時間密閉すると呼吸ができなくなるため、文は早々に魔術を発動した。


静電気レベルの電撃をウィルに向かって放つと、ウィルの中にいる康太の悲鳴が聞こえてくる。


どうやらこのウィルの体は電気を通さないようにはできていないようだ。絶縁性能自体はほとんどなく、導電性もそれなりにあるようで静電気程度の電気でも普通に通ってしまうらしい。


「なるほどね、鎧状態だと電撃の攻撃が弱点になるってことか。あんた気をつけなさいよ?これから何でもかんでもそれで防御してると痛い目見るわよ?」


「わ・・・わかってるよ・・・さすがに何でもかんでも防げるほど甘くはないか・・・」


ウィルの鎧は物理攻撃や炎や風、氷などの攻撃は防いでくれるが雷属性の魔術は防ぐことができないようだった。


だが幸か不幸か康太の近くには電撃の専門家といってもいい文がいるのだ。防御方法に関してはいろいろと対策も練ってある。今のままでも十分に立ち回ることができるだろう。


ウィルを使っての戦闘はかなり有用なものになる。当然弱点もあるがそれも利点に比べれば大したことはないのだ。


誤字報告を55件分受けたので12回分投稿


やっぱ魔王様が来ると誤字が大量になってしまいますね。なんとかして誤字少なくしなきゃ


これからもお楽しみいただければ幸いです

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