肉体強化
康太はエアリスに背を預け集中していた。
彼女は康太の背に手を当てゆっくりと深呼吸している。小百合も行った他人の体を媒介にして魔術を発動するという間接発動だ。これをすることで魔術の術式を認識することができ、なおかつ自身の体で魔術を発動できる。
康太が魔術師としての五感を有していれば魔術の記された魔導書を見るだけで話が済んだのだが、そう上手くはいかないのである。
「ではいくぞ、ゆっくり息を吐きなさい」
エアリスの言う通りに康太はゆっくりと深呼吸し意識を集中していく。
魔力は体の中に満ちている。そしてエアリスが触れている部分から魔術の術式の感覚が広がっていく。
冷たい固体、氷のようなその感覚が組みあがり、康太の全身にある効果を発動させていく。
瞬間見えたのは岩だった。正確には岩でできた壁、崖というべきだろうか。下から見上げるようにして手を伸ばし、その岩肌を登ろうとしているようにも見える。
そして次の瞬間、康太の体に異常が発生する。
体が妙に軽く感じるのだ。そして薄暗いはずの周囲が妙に明るく感じる。一体どういう事だろうかと周囲を見渡すとエアリスは薄く笑みを浮かべていた。
「困惑するだろう?だがそれで正常に魔術は発動している。今君の体の機能を全体的に少し上げた状態だ」
一分ほど続くから試してみなさいと言われて康太は軽く体を動かしてみる。
確かに普段より体は軽い。今ならいつもより速く動けそうな気がする。
実際に軽く走ったり跳躍したりしてみるが、普段よりずっと軽快に動くことができていた。
いつもと違う感覚に最初は戸惑っていたものの、ここまで変わるものかと康太はその効果に驚いていた。
「肉体強化の魔術の肝は、身体能力を強化しても体重が変わらないことだ。本来なら筋力をあげればその分重くなるが、体重を変化させずに筋力だけをあげることができる」
「・・・つまり機動力がその分上がるってことですね」
その通りだとエアリスは笑いながら再び机に座る。自分の筋力の異常を察知しながらもそれがどのような意味を持つかを正確に理解している。
状況把握能力が高い、エアリスは康太の思考能力の高さとその感受性の高さにほんの少し驚いていた。
あの小百合の弟子とは思えないなと苦笑しながら再び何かを書く作業を始めるなか、康太は自分の体の感覚を確かめながら先程の魔術の術式をしっかりと記憶していた。
肉体強化
確かに自らの体を使った行動や攻撃の多くなる『再現』の魔術との相性はいい。再現するオリジナルの動作をする際に肉体強化を使っていればさらにその威力も効果も増すだろう。
今康太が修得しつつある魔術も再現との相性がいいが、これも同じくらい相性がいい。
もしやエアリスは自分の習得している魔術を知っているのではないかとさえ思えるほどである。
「師匠、よかったんですか?そんなに簡単に魔術を教えて・・・」
「構わない・・・それに彼ならいずれ自分でたどりついただろうさ。それなら少しでも自分の手柄にした方があいつの顔も曇らせることができるだろう」
相変わらず自分たちの都合なのだなと康太と文は眉を顰めながら笑みを浮かべるエアリスの方を眺めていた。
互いが相手よりも上だということを示すために弟子を利用するという意味ではあまり褒められる行為ではないかもしれないが、それでも康太にとってはありがたいものだ。
なにせ小百合曰く、自身が所有している魔術は破壊に関係しているものばかりだという。肉体強化の魔術を覚えているかは不明だったのだ。
そう言う意味ではただの魔術である肉体強化を教えられたのは非常にありがたい。
術式は覚えた。もちろんこれから精度を上げていかなければいけないが、今まで二つの魔術を覚えた過程でその精度を上げるコツもなんとなく掴んでいた。
後はそれをどれだけ自分なりに扱えるようになるかというところである。
「ちなみにさ、ベルは肉体強化って使えるのか?」
「一応使えるけど・・・正直私はあんまり得意じゃないわ・・・体がふわふわする感じがして好きじゃないのよ」
彼女の言うように肉体強化の魔術を使うと筋力は強化されるが体重自体に変わりはない。その為に奇妙な浮遊感を覚えることがある。
重いものを持った後にそれを手放した時に感じるような、独特の感覚だ。それを延々と味わうという意味では好みはわかれるかもしれない。
「それに遠くから攻撃してるならそれも必要ないしね。基本的に肉体強化って戦うためのものじゃないもの」
「なるほどな・・・確かに言われてみればそうかも」
そもそも魔術師は接近戦を好まない。ゲームなどの魔法使いなども基本的に物理技は弱かったりするがまさにその通りなのだ。
遠くから攻撃したほうが楽だし安全、そう言う考えが根底にあるからこそ肉体強化を使って戦おうとは思わないのである。
エアリスは小百合がどのように康太を育てようとしているかを察して肉体強化の魔術を体験させた。
相手のことを、小百合のことを良く知っていないとできない芸当と言えるだろう。非常に嫌いな相手だからこそ相手のことを研究する。
なんというか嫌ってはいるものの互いのことを理解しているというのは奇妙なものである。
この肉体強化の魔術はありがたく使わせてもらうことにする。なにせ自分が覚えている魔術は少ないのだ。一つ増えただけでもその戦略の幅は十分に広がっていくことに繋がる。
トレードしてよかったと心の底から思うのはこういう時だった。




