狂気の沙汰
康太もよく死んだふりならぬ気絶したふりを訓練で行っている。完全に気を失っている状態を作るのは意識のある状態では実は結構難しいのだ。
完全な脱力状態もそうだが、気絶しているということは魔力を動かしてもいけない。魔術を発動してもいけない。
それは意識を失っているふりをするうえで重要なことなのだが、戦いの場においてはなかなかできることではない。
ほとんどの状況で気を失うということは目を閉じている状態だ。普通の人間は目を閉じたらほとんどの情報を得ることができなくなる。
音などで判断しようにもうまくいかないことがほとんどだ。だからこそ索敵などの魔術を発動して状況把握に努めたいところだが、そうすれば警戒している相手にはすぐにばれてしまう。
内蔵している魔力の量を調べてしまえば魔力が変動していることがわかってしまうからだ。
康太たちのように寝ていても自動的に魔力の補充だけはできるように訓練しているような人間ならばそれが勝手に起こっても不思議ではないが、普通の魔術師はそこまで魔力コントロールに力を入れない。
さらに言えば苦しみ方、そして気絶した後の脱力状態も気を付けるところの一つだ。少しでも力が入れば妙な体勢になる。かといって完全な脱力状態だとつらい体勢になる可能性もあるのだ。
何度も気絶したまま放置されていたことのある康太からすれば、気絶の体勢が少なくとも心地いいものではないことだけは知っている。
康太に気絶したふりが通用しないということを察したのか、目の前の魔術師はこちらの様子をうかがっているようだった。
攻撃をするか、それとも体勢を立て直すことに専念するか。
どちらかというと後者の方がいいのだろう、康太はまだ距離を置いたままだ。いつでも攻撃できるように、そしていつでも対処できるような距離を保っている。無理に倒そうと攻撃したところで回避、反撃されるのがおちだ。
ならば自身の体勢を立て直せるように相手を遠ざけ、なおかつ体勢を立て直せるだけの状況を作り出すことの方が優先されるべきである。
伏せたままの状態で魔術を発動し、康太めがけて当てるつもりはなくとも遠ざけることができるように大量の炎を発生させて飽和攻撃を行う。よけることができないほどの大量の炎を前に、予想通り康太はその攻撃をよけるために遠ざかって見せた。
これだけ距離ができれば問題ないだろうと立ち上がろうとしたが、その瞬間魔術師の首と腰に不意に妙な力がかかる。
力を込めて立ち上がろうとしても、完全に地面に伏せてしまっているため体にうまく力が入らず起き上がることができずにいた。
それが康太の使っている魔術であると気づくのに時間はかからなかった。
康太はこのタイミングで遠隔動作の魔術を使用したのである。相手が体勢を崩している状況こそ一気に畳み込む好機。この機を逃す手はないと考えたのだ。
康太は相手の体勢が整う前に一気に決めるつもりだった。
飽和攻撃が続いているとしても抜け道はある。
目の前に広がり、うねりを上げている炎を前に、康太は鉄球の収められたお手玉をいくつか地面に設置してから再現の魔術を使って疑似的に足場を作り出すと上空へと飛び上がった。
両腕を遠隔動作で使用しているために槍を構えることはできていないが、その代わりにウィルが槍を携えてくれていた。
地上にはうねりを上げる炎、だが校舎のそばには炎は全く存在していない。当たり前だろう、今校舎の近くには術者である魔術師がいるのだから。
自分の炎で焼かれたとあっては他の魔術師から馬鹿にされてしまう。自身の力で自分がケガしてしまっては情けないとしか言いようがない。
跳躍している間、康太は順次お手玉の中に収められている鉄球を炸裂させていた。
対人用の鉄球は周囲にまき散らされるが、そのほとんどは収束の魔術によって魔術師めがけて襲い掛かっていた。
相手も攻撃が来ていると索敵でわかったのだろう、防御用の水でできた防壁の魔術を発動すると同時に康太が宙にいることに気付いたのか、炎の方向を急激に変更していく。
これ以上近づけない、それほどの熱量を持った炎を前に康太はさらに上空へと跳躍していく。
この状態ならば相手との距離を取り続けることができると少し安堵した瞬間、上空に飛び上がっていた康太が体勢を変えた。
先ほどまで頭を上にしていたというのに、今度は頭を下にしている。
いったい何を、そう思った瞬間に康太は魔術師めがけて一直線に落下し始めた。
肉体強化を自らの体に施し、再現の魔術によって疑似的に作り出した足場を蹴り、通常落下するよりも早く、普段の移動速度より何倍も速く、康太は目の前の炎の壁めがけて突進していた。
気でも違ったのか。そう思えるほどの無謀な突進だった。
目の前には燃え盛る炎、高速で突っ切ればそこまで被害はないと判断したとしても明らかに無茶苦茶な手法だ。
普通の人間なら考えられない。炎に自ら突っ込むなど常人の思考能力では不可能だ。
できるはずがない、おそらく炎を直前にして回避するつもりだと魔術師は考えていた。これは何かのブラフで、康太はそのタイミングで何かを仕掛けてくるのではないかと考えたのである。
だが康太は止まらない、止まるはずがない。今対峙している魔術師は今までの戦いで学習するべきだったのだ。
康太は、ブライトビーはデブリス・クラリスの弟子であるということを。
落下していく中、康太は自分の体をウィルで覆い隠していた。仮面を覆い隠し、外套にもしていた状態からまるで鎧のように形を変えて隙間なく康太の体をコーティングしていき炎から身を守ったのである。
ウィルの防御性能は大方把握している。数十秒間ならば炎の中でも問題なく活動することは可能だ。
ただ密閉状態であるため息は吸えず、ある程度の熱量になると熱が伝達して危険域に達してしまうために長くても一分が限度だった。
だが今回の突進ではそこまで時間はかけずにすむ。長くとも数秒だ。そして康太が炎の中に突っ込んだことで魔術師は驚愕を隠せなかった。
索敵には特にこれといって防御手段を講じたということもないように見受けられた。炎の中にほぼ生身の状態で突っ込んだように見えたのだ。
いくら康太でも危険だと思ったのか、魔術師は展開していた炎を一部解除してしまった。いくら戦っているとしても殺すつもりはない。殺したくないからこそ炎を解除して康太を助けようとしてしまった。
それこそが誤りだった。炎を解除した瞬間、もうすでに康太は魔術師の眼前へと迫っていた。
その身にまとった鎧のような形の赤黒い何か、そして着地する瞬間に暴風が吹き荒れ康太の落下する速度をほんのわずかに減衰させる。
そして康太は落下していながら体勢を変えると落下する速度をそのままに倒れたままの魔術師の背中を思いきり踏みつけた。いや魔術師の体の上に着地したといったほうが正確だろうか。
人間の体が落ちてくるという強い衝撃を受け、魔術師は完全に動くことができなくなってしまっていた。
痛みに加えて強い衝撃がかかったことで体が大きく揺さぶられ、地面に頭をたたきつけてしまったことで軽い脳震盪を起こしているのである。
体にわずかについている炎を手で払って消しながら、康太は大きくため息をついてウィルの鎧状態を解除していた。
密閉状態であるとはいえ、炎の中を突っ切るというのはあまりやりたいことではない。
康太ならあの状況で炎を解除したりはしない。むしろ突っ込んでくることを予想して反撃、あるいは防御の態勢を整えただろう。
それなのに目の前の魔術師は炎を解除して康太を救い出すことを優先してしまった。康太があの状態で死ぬのではないかと予想しての行動だったのだろう。
人としては正しい行動だ。炎に突っ込んだ人がいたら、何とかしてその人を助けたいと思うのは人としては褒められるだけの考えだろう。
だが魔術師として、しかも今は戦っている最中だというのに相手の安否を必要以上に気にするのは正しいとは言えない。
むろん殺すのがまずいことだというのはわかる。だがだからといって相手が少し危険な行動をとっただけで自分から攻撃の手を緩めてはかえって付け込まれるだけだ。
そういう意味ではまだこの魔術師は戦闘経験が足りていない。
相手の行動にも毅然として、まずは相手を戦闘不能にすることを優先するべきだったのである。
救出活動や救護活動はそのあとでいい。少なくとも大量出血などでない限り、やけど程度では瞬時に死亡ということはまずない。それこそ一瞬で消し炭になるほどの火力を出していたのであれば、あの対処も間違ったものではないかもしれない。
だが本人もそこまで火力を出していたそぶりはなかったのだ。何よりそれほどの火力を出していたら周囲の気温はもっと急上昇しているだろう。
その程度の火力であれば数秒程度であれば生身だって軽度のやけどで済むかもしれない。康太の場合はさらにウィルの鎧を身に着けていたためにほとんど無傷に近い状態といえるだろう。
使える魔術の質も、そしておそらく練度も先輩魔術師のほうが上なのだろう。唯一康太が勝っていたのは戦闘経験のみ。
もしこれで先輩たちが戦闘経験豊富な魔術師であったのなら、康太たちの勝率はもっと低くなっていたことだろう。
魔術師として非情になり切れない。相手のことを考えてしまう。容赦のなさというある意味必要不可欠な要素を備えられていない。
魔術師として教えることはできない、技術とはまた別の、魔術とも別の身に着けるべき素養の一つだ。
康太は日々の訓練と度重なる実戦によってそれを身に着けていた。
それは康太自身がもともと持っていた素質というよりも『相手を倒さなければ自分がやられてしまう』という強迫観念に基づいたものだ。
自身の実力がいまだ未熟であると理解しているからこそ、自分より上手の魔術師に対してしっかりと戦闘不能状態まで追い込むことができる。それは自然と容赦のなさ、油断のなさへと変貌していったのである。
魔術師の意識がもうろうとしている中、康太は相手にDの慟哭を発動してその魔力を吸い取っていく。
安定した意識ではないためか相手は魔力の補充ができていないようだった。魔力をどんどんと吸い取っていき、完全に魔力を吸い取ったところで康太は相手の体を手持ちの道具の中にあったワイヤーで縛っていく。
炎で焼き切ることも不可能ではないが、そうすれば自分の体も大きく損傷することだろう。
脳震盪を起こしかけている状態でさらに頭部にダメージを与えるのは得策ではない。
もしかしたら意識を失ったまま二度と目覚めないなどということも考えられる。
この場は体の自由を奪うだけにとどめ、康太は文のフォローに向かうことにした。
文は康太と別れた後、屋上でもう一人の魔術師と戦闘を続けていた。
相手が使ってくる魔術は砂と磁力、そしておそらくだがある程度の無属性の魔術も扱えると考えるべきだ。
そこで文は相手を屋上に閉じ込めることにしたのである。砂を扱う魔術といってもその場に砂を作り出すことができるわけではない。あくまでその場にあった砂を操るだけの魔術なのだ。ならば砂がないような屋上に追い詰めてしまえばいくらでも優位な状況は作り出せる。
相手が使う磁力、つまり雷属性の魔術はそれこそそこまで強力なものではない。文が作り出すような強力な電撃を発生させることもできなければ、それをメインにして戦えるだけのものではないのだ。
だが文の攻撃である電撃を防ぐ、もといその流れを変えるための道を作る程度の電撃は発生させることができるようで、文の電撃による攻撃はほぼ無効化されているといっていいだろう。
それこそ先ほどのように足元や周囲に大量の水を散布でもしない限り、ほとんどの電撃はそのあたりの地面などに流し込まれてしまう。
相手もそれを警戒しているのだろう。文が水属性の魔術を発動するのではないかと常に文の動向に気を配っているように見えた。
文がその気になれば周囲に水を散布する程度のことは不可能ではない。気づかれないように霧状にして周囲にまき散らすことだってできるだろう。
だがそれは同時に文自身の身も危険にさらすことになる。
自分が電撃を作り出せるように、相手だって電撃を作り出せるのだ。文ほど強力ではないとはいえ相手も電撃による攻撃を行える。
周囲を水浸しにするということはつまり相手にも攻撃するチャンスを与えるということでもあるのだ。
雷属性の魔術において恐ろしいのはその威力だけはない。たとえ威力が低いとしても相手の肉体的な行動を一瞬ではあるが止めることができるのだ。
動きを止めた相手に攻撃を当てるのはそこまで難しいことではない。たとえ砂の魔術を封じたとはいえ奥の手の一つくらい持っているだろう。相手に攻撃のチャンスをむざむざ与える必要はないのだ。
万全を期すのであれば、相手には攻撃する機会を与えず一方的に、なおかつ徹底的に攻撃したいところである。
幸い文には電撃以外にも攻撃手段はある。あまり多くは見せたくないために、文はとりあえず一つの魔術で対応することにした。
それは電撃ではなく、磁力を用いて放つ物体を飛ばして攻撃する、先日の戦いで見せたコイルガンの技術と同じ力を使っている攻撃だった。
あらかじめ必要な弾丸は大量に持ってきている。康太の使っているような鉄球タイプのものから弾丸に似た円錐状のもの、射程距離は短くとも相手に切り傷を与えることのできる手裏剣に近い形のものまでより取り見取りだ。
康太の蓄積の魔術のそれと違って文の攻撃は威力や相手への軌道などもコントロールできる。
もちろん完全にコントロールできるわけではない。速度が上がればその分コントロールはしにくくなるし、距離が遠くなればその分操れなくなっていく。
そのため相手との距離を一定に保ちながらほんの少しだけ当てるための軌道を設定する程度の操作しか行っていない。
あとは殺さないように最低限の威力を持たせているだけだ。
そんな攻撃でも相手は必死に防御してくる。康太が使ってきた攻撃と同質のものであると思っているのだろう。一つ一つが高い威力を持っており、当たれば流血は免れない程度の威力は持っていると勘違いしているのかもしれない。
文の攻撃から妙にオーバーアクションで回避している。
完全に軌道を外れた攻撃にもしっかりと障壁による防御を展開している。あれでは消耗が激しすぎてすぐに行動不能になってしまうのではないかと思えるほどだ。
いや、だがこの反応も仕方のないことなのかもわからない。
何せ似たような攻撃で相手はすでに負傷しているのだ。その時は幸運にも足も重要な部位も攻撃を受けることがなかったが、相手にとって鉄球、ないし物体が飛んでくる魔術は異常に警戒するだけに足る魔術に見えているのである。
特に文はそれを連発している。今まで康太がそれをしてきたように文もそうすることで相手に確実にダメージを与えるタイプの魔術師だとみられているのかもしれない。
特に先日の戦いを見ているものからすれば、この魔術は遠距離からでも確実に相手を攻撃できるだけの精度と威力を持ったものであるということがわかる。
文が放った攻撃のほとんどは明後日の方向に飛んで行ったり、地面にめり込んだり転がったりしている。あれを利用されたら面倒だが相手にそれだけの実力があるのかも不明だった。
何せ文の攻撃を避けるために緊急回避として使った魔術が磁力のそれだったのだ。しかも緊急回避ということもあってかなり雑、力技で逃げ出したという感じだった。
おそらく文ほど精密に磁力を操ることはできないのだろう。少なくとも小さなものを狙ったところに正確に飛ばすような精度はないと文は考えていた。
相手はこちらの攻撃に対して防戦一方。だが同時に反撃の機会を狙っている。だが文が攻撃し続けるために、防御に徹するしかない。
事前に情報を与えていたことが功を奏したかと、文はわずかながらに状況がよくなっていることに感謝しながら自分の周囲に電撃を展開していく。
相手の準備が整うまで待つ必要などない。文は自らの電撃を操りながら周囲に電撃の塊を作り出していった。
文が使っている魔術は今まで頻繁に使っていた電撃の球体とも、雷雲の魔術とも違うタイプのものだった。
文を中心に展開する電撃は輪を作るように形を変え、地面すれすれのところに移動すると勢い良く広がっていく。
輪の形をしていた電撃は波打つように広がり、地面を這うように一気に屋上を駆け巡っていく。
二年生の魔術師としてもあれが攻撃であるとすぐに理解できたのか、念動力の魔術か何かを併用して強引に高く跳躍しその電撃をかわしたが、文はこの魔術によって相手を戦闘不能にすることが目的ではなかった。
電撃は地面に転がっていた先ほどまで文が打ち出した鉄製の弾丸や球体にまとわりつき、宙に浮かせていた。
宙に浮く鉄球は電撃をまとったまま動かない。いったいどういう魔術なのか相手が図りかねていると文は再び自身の周りに電撃を発生させていく。
今度はいったい何をするつもりなのか、文の動向を相手が警戒していると彼女は自らの掌に電撃の球体、いや弾丸のようなものを二つ作り出していく。
普通に考えればあれをぶつけるつもりだろう。だが今まで物理的な攻撃をしてきたのは文の電撃による攻撃が相手の電撃によってその軌道を逸らされてきたのが原因だ。
同じ電撃を扱うものでは、電撃そのものは決定打にならない。それを理解しているからこそ物理的な攻撃に切り替えていたのではないかと思いながらも、いつでも攻撃をいなせるように文と同じように自らの体の周りに電撃をまとわせる魔術師。
たとえ攻撃が来たとしても、すぐに電撃によって道を作り、その攻撃を受け流すだけの準備はすでにできていた。
だが文だって何度も同じようなことをして魔力と時間を無駄に浪費するつもりは毛頭なかった。
さっさと追いついてこいなどと康太にはいったものの、康太の助けを待つつもりも文にはなかった。
康太が来る前に終わらせる。そのくらいのつもりで今戦っているのである。
文が地面を思いきり足で叩くと、その衝撃を合図にしたかのように先ほどまでほんの少しだけ宙に浮いていた電撃を帯びた鉄球たちが宙に飛び上がる。
だがその飛び上がりもそこまで高いものではない。せいぜい地面から一メートル程度のものだ。
しかもそれぞれの高さには微妙にではあるがずれがある。中には三十センチ程度しか飛び上がっていないものや、二メートル近く飛び上がっているものもある。
そして鉄球はそれぞれの高さを維持したまま再び先ほどのように宙に浮き続けている。そしてそれらが高さを持ったことで、二年生の魔術師は自分の置かれた状況をようやく理解できていた。
完全に囲まれてしまっているのだ。
不規則な高さを維持しながら浮いている鉄球は文が放ち続けただけあって、そして二年生の魔術師がよけ続け、防ぎ続けただけあってこの屋上にまんべんなくちりばめられるような形で配置されていたのである。
電撃を有した球体。それが一体何を表すのかはわからないが少なくともあまり良い状況ではないのはすぐに理解できていた。
今すぐここから離れなければ危険である。そのように自分の中の何かが警鐘を鳴らしているのに周りは電撃を帯びた球体に囲まれ逃げることができない。
ならばこの鉄球、あるいは文自身を攻撃して現状を打開するしかないと、二年生魔術師は今まで隠していた奥の手を使うことにしていた。
本当ならば相手を崩してから使いたがったが、このままではどうしようもなくなってしまうだろう。
このまま負けるよりは攻撃して打開のための隙を作ることが優先であると判断したのか集中しながら自らの体を中心に空気が震えだす。
文も相手が何か仕掛けてくるということを察知したのか、攻撃態勢を維持したまま対応できるように身構えていた。
相手が警戒しているということは百も承知で攻撃を仕掛ける。それだけ自信のある攻撃なのだろうかと文が構えていると、目の前の魔術師の周りに妙な空間が生まれ始めている。
透明な、まるで極薄のガラスか何かを作り出しているかのようだった。
凝視しなければ視認することも難しいその何か。文は索敵によってその物体を認識することができていた。
刃のように鋭く、そして長く形成されていくそれが明らかに攻撃の意図をもって作り出されたのは疑いようもなかった。
しかもそれは一つだけではない。すでに二つ目が作り出されようとしている。文が索敵の魔術を常に発動していなければ気づけなかったであろう程に見えにくく、認識しにくい魔術だ。油断していたらあの攻撃をもろに受けていたかもしれないが、認識できているのならばやりようはある。
文は自分の手の内に作り出されている電撃のうちの一つを勢いよくその透明な刃めがけて放った。
相手もその電撃の弾丸の軌道によって自身の攻撃がすでに認識されているということに気が付いたのだろう。半ば自棄になりながらもその透明な刃を文にめがけて放ってきた。
電撃と斬撃。どちらが上かなど比べようがないようなその二つの攻撃のどちらが勝つのか、その結果はすぐに明らかになる。
文の電撃によって作られた弾丸は透明な刃に直撃すると同時に、その刃に浸透していき、刃を覆うような形で帯電し刃そのものを破壊することはなかった。
自身の魔術が破壊されなかったことに二年生の魔術師は安堵しているようだったが、安堵するには少し早いということに気付けていなかった。
文の放った電撃の弾丸が透明な刃に吸い込まれると同時に、周囲に浮いていた鉄球の群れが一斉に反応し始めた。
完全な停止状態から一転、先ほど文が放っていたよりも速く、電撃をまとったまま透明な刃に向けて一直線に、吸い寄せられるように一斉に集まってくる。
いや、集まってくるという表現は正確ではないだろう。まるで狙いを定めたように襲い掛かってくるといったほうがいい。
透明な刃めがけて襲い掛かった電撃をまとった鉄球は、魔術によって作られた刃に直撃し、その刃を徹底的に破壊していく。
透明かつ薄く鋭く形成された刃はその分耐久力がなかったのか、数発鉄球の直撃を受けただけで砕けてしまっていた。
康太が使う炸裂障壁のそれと同質のものだろうか、砕けた刃がさらに鋭く分散し周囲に散らされていく。
康太の炸裂障壁が防御とカウンターを目的にしているのに対し、この魔術はとにかく攻撃を目的としている魔術のようだった。
文の放った電撃によって吸い寄せられるように移動した電撃を帯びたままの鉄球は地面にぶつかるものや宙に投げ出されるものとそれぞれバラバラだったが、電撃を帯びた透明な刃が破壊されたことで再び動かなくなる。中には最初から反応しなかったものもある。そのせいもあってかいまだ鉄球は相手の魔術師を取り囲んだままである。
文のこの魔術、一回目の電撃で飛翔させる対象に電撃をまとわせ、二回目の電撃の弾丸によって襲い掛からせる対象を指定することができる魔術であると相手も理解していた。
自分の体が電撃をまとえば、おそらく周囲にある鉄球が勢いよく襲い掛かってくるのだろう。
先ほどよりも高い威力で襲い掛かってくるその攻撃を受けたら体中が穴だらけになってしまうことは避けられない。
まず間違いなく死ぬだろうと魔術師は戦々恐々していた。
戦うことなどもはや頭の中にはない。この場から何とかして逃げなければという強迫観念に突き動かされていた。
文が放つ電撃さえ防ぐことができればいいのだ。あの攻撃さえよけられれば何とかこの場から脱出することはできる。
近くにある鉄球に多少触れるかもしれないが、一つや二つ触れたところで致命傷になることはない。
情けないかもしれないが死ぬよりはずっとましだ。文のあの電撃の弾丸に気を付けながらなんとか屋上から降りる手段を考えなければこのままいたぶられるだけである。
二年生の魔術師は頭の中で何か方法はないだろうかととにかく周囲の状況を確認する。
周りには電撃をまとった鉄球が大量に展開されている。
それ以外に文が発動したと思われる魔術は今のところはない。いつ攻撃してくるか全くわからないが、文はこちらの様子を確認しているように見えた。
先ほどの攻撃を連発すれば多少は隙が生まれるだろうか。一度見せてしまった以上隠しておく必要はない。
あの電撃の弾丸がどれほどの数を打ち込めるのか確認するうえでももう一発は放っても損はないかもしれない。
だが文がこのままただ見ているだけでいるはずがなかった。
相手がこちらへの敵意を弱め、とにかくこの場から脱出しようとしているのを見て文は先手を打った。
相手が逃げようとしているのならば逃げられないようにする。逃げられないようにしたのなら次は動けないようにする。
行うことはシンプルだ。相手をこの場に釘づけにしてしまえばいい。
自分の手の内は必要以上に見せるつもりはない。文は自分の掌に作り出していた電撃の弾丸を自分の周囲に展開し、懐から鉄でできた杭を取り出すと磁力によって浮かせいつでも発射できるようにしていた。
完全な攻撃態勢。それを見て相手はなりふり構わず逃げようとしていた。激しく動くたびに周囲にあった鉄球に体が当たる。その度に電撃がその体に走るが鉄球に収められていた電撃はそこまで強いものではないため、戦闘不能になることはない。
だが弱い電撃でも、その体の動きをほんの一瞬止めてしまう。走っていた状態でそんなものを体にいくつも受けては相手が転ぶのは時間の問題だった。
相手が転んだ瞬間、文は体の周りに浮いていた杭を放ち、相手めがけて打ち付けていく。
服を地面に縫い付ける形で放たれた杭はその動きのほとんどを制限することに成功していた。
この場に康太がいたのなら間違いなく足に直撃させていたのだろう。文も最初はそうするつもりだったがさすがにこれ以上攻撃するというのは弱い者いじめなのではないかという気がしてきたのである。
文がほしいのは勝利という形だけだ。何も相手をいたぶることを楽しみ、恐怖を植え付けることを目的としているわけではない。
これ以上は無意味な行動だと文は思い、周囲に電撃の弾丸を漂わせながら口を開いた。
「先輩、もう降参してくれませんか?これ以上はやっても無駄でしょうし」
何の嫌味も油断もない。客観的に見てもこれ以上戦っても勝敗はわかり切ってしまっている。
もはや二年生に勝機はない。魔術師として完全に敗北を喫したのである。
先日戦った魔術師のようにしっかりと準備をしていればまた結果は違ったのかもしれない。相手が方陣術などの準備をしていなかったのは康太が言うところの『負けた時の言い訳がほしかった』からなのかもわからなかった。
降参しろという文の宣告に、二年生の魔術師はほとんど同意するつもりだった。何せこの状況をひっくりかえすのはほとんど無理だと思ったからである。
体勢も悪い、相手はすでに攻撃の準備を整えている。対してこちらができる攻撃はかなり限定されてしまっている。
砂を操る魔術が使えればまだ逆転の目もあったが、この屋上にある砂など微々たるもの。操ってどうこうなるものではない。
雷属性の魔術を使って攻撃することも考えたが、文との実力差は明確に出てしまっている。雷属性の魔術に関しては完全に文のほうが上手だ。
たとえ攻撃をしたところで難なく防がれ、一気に攻撃されて終わりだろう。
無属性の魔術を使っての攻撃も考えた。刃を使って攻撃すれば一矢報いることはできるかもしれない。
だが先ほどの透明な刃も文は気づいていた。完全に警戒状態にある文を欺くには明らかに技量が足りなすぎる。
もはや万に一つも勝ち目はない。だがこのまま負けていいとも思えなかった。
降参して潔く負けを認めるよりも、せめて傷の一つでも目の前にいる一年生につけなければ二年生の面目は丸つぶれだ。
攻撃魔術を体の中で構成していき、目の前にいる文めがけて放つだけ。後は野となれ山となれ、もはや自棄に近いような精神状態にいる魔術師に対して文は仮面の下で悲痛な表情を浮かべていた。
もはやどうしようもないか。そう思った瞬間、魔術を発動しようとしていた魔術師の体に一つの影が落ちる。
一体なんだ、魔術を発動しかけていた魔術師が上を見上げた瞬間、それは落ちてきた。
わずかに体にひねりを加えながら思い切り足を腹部めがけて叩きつけてくるその人物、それが文の相方である康太であると気づくのに時間はかからなかった。
だが康太がやってきたのだと気づくと同時に腹部に強打を受け、魔術師は自分の意識を完全に手放していた。
「意識がある限り攻撃してくる可能性がある。もう忘れたのかよベル。降参しろだなんて随分と余裕あるな」
魔術師の戦いにおいて肉体の傷の有無よりも重要なのは相手の意識の有無だ。相手の意識がある限り魔術による攻撃の可能性はある。だからこそ完全に相手を気絶させるまで油断はできない。
文が相手を気絶させたわけでもないのに悠長に話しているのを見て康太は苦笑してしまっていた。
「あんたが来てるってわかったから降参してって勧めたんじゃないの・・・結局無駄になったけど・・・ていうかあんた下の人殺してないでしょうね?」
「当たり前だろ。この歳で前科持ちにはなりたくないからな。っていうかこれなんだ?ちょっとびりびりしたけど」
そういいながら康太は落下してくるときに当たった電撃を帯びた鉄球のうちの一つを手に取る。
一度体に当たったためか、込められていた電撃はすでになく、手の中にはただの鉄球だけが残されていた。
「相手への牽制目的の魔術よ。威力はある程度出せるけど下準備が面倒なのよね・・・次からはもうちょっと違う使い方するわ」
文が使った魔術は電撃誘導と呼ばれる魔術である。特定の物体に電撃をまとわせ、相手に目印となる電撃の弾丸を当てることで追尾する物質を作り出す魔術である。
速度などを調整することができるが、相手に攻撃するまでに手順が必要であるために少々面倒な魔術だった。
単純な使い方では相手に当てることは難しく、これから応用するにあたってうまく相手に当てる方法を考えなければならないだろう。
「まぁいいや。この人たちどうするよ?一応起きるまで待ってるか?」
「その必要はないんじゃない?ほら、下に三年生の先輩来てるし」
文が視線を屋上の下に移すと、そこには先ほど康太が倒した二年生を介抱している三年生の魔術師を見つけることができる。
康太たちが見ていることに気付くと、三年生の魔術師の片割れが大きく跳躍し屋上までやってくる。
どのような魔術を使ったかはわからないが、かなりの高さまで一度の跳躍で跳びあがってきたところを見るとただの肉体強化ではなさそうだ。
「やっぱりこういう結果になったね。これで実力差ははっきりと示されてしまった・・・彼らも派閥の統一に納得してくれるだろうさ」
「そうだといいんですけどね・・・まさかとは思いますけど今度は三人同時で戦えとか言いませんよね?さすがにそうなるときついんですけど」
「そこまではしないさ。それは君たちと彼らが敵対した時のお楽しみということにしておいてくれるかな」
「全く楽しみじゃないですね。それで、あとは任せてもいいんですか?こっちはそこまで派手にやったつもりはありませんけど・・・ビーの方は・・・」
「俺の方もそこまで壊してないよ。今日はとてもおとなしく戦ったからな」
あんたが言っても説得力ないんだけどと内心ため息をつきながら文は康太の方を見る。
きっと何かを壊したんだろうなと思いながらも、実際康太は今日の戦いにおいては物をほとんど壊していない。
屋外で戦ったのが功を奏したのだろう、器物破損はほとんどといっていいほどなかった。
「こちらは任せてくれていい。二年生の説得に関してもこちらからのほうが素直に聞きやすいだろう。君たちはもう休んでくれ」
三年生の申し出に康太たちは小さくため息をつきその言葉に甘えることにした。二日連続で戦うことになったのは久しぶりだ。命を懸けるとまではいわないものの、戦闘をしたという事実は残る。それだけ体に疲れは蓄積されているのである。
土曜日、そして誤字報告20件分受けたので六回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




