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ポンコツ魔術師の凶運  作者: 池金啓太
四話「未熟な二人と試練」
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彼と彼女は

人間というのは人によって色々な役割を持つものである。その役割は名称となり、多くの人に知られることでその人物が一体なんであるかを比較的分かりやすく、そしてあるカテゴリーに振り分けるために存在する。


八篠康太は高校生である。


今年の四月から高校に入学し、比較的充実した高校生活を送っている。友人もでき、部活でも授業でもそれなりに楽しんで、退屈して、記憶に残りそうで残らない毎日を送っている。


そして彼にはもう一つ、与えられた、否、掴みとった、掴みとってしまった、掴みとらされた名称がある。


八篠康太は魔術師である。


二月の初めに魔術師に出会ったことがきっかけで半ば無理矢理に魔術師としての道を歩んできたが、そこは男子、魔術という不可思議な現象を学び自分のものにできるという事が楽しくもあった。


素質自体は平均以下、魔術の修得速度は人並み以上だという事はなんとなく自覚している。だがもちろんそれだけで一人前になれるはずがない。圧倒的に魔術師として過ごした時間が短すぎる。


多少人格に問題があるが優秀?な師匠にも恵まれ、人格に問題のある師匠とは比べ物にならないほど常識人な兄弟子にも恵まれ、駆け出しのポンコツとは言え魔術師としてそれなりに楽しくやっていた。


日々学校で授業や部活をして過ごし、放課後や休日は魔術の修業をする。平日は自分の師匠の下で、土日は文と交互に修業を見学し合う。それが康太の生活のサイクルだった。


そして同学年の鐘子文、彼女もまた魔術師である。


十年以上魔術師として修業してきた魔術師であり、康太のような駆け出しのポンコツと違い実力的にも素質的にも一人前に限りなく近い魔術師であると言えるだろう。


彼女の素質は康太のそれよりも格段に上、それこそ比較することすらおこがましいレベルだが、康太は彼女になぜか勝利してしまった。


そしてその結果、彼女は康太から実戦において何が必要かを学ぼうと互いの修業風景を見学するように互いの師匠に頭を下げて願った。


これが普通の師匠同士であるなら『なんと向上心のある弟子なのだろうか。その意気やよし』などと言ってくれるかもしれないが何の因果かこの二人の師匠はそれぞれ互いを反目し合うレベルで仲が悪かった。


いい大人なのだからもう少し落ち着いてほしいと思うばかりなのだが、こればかりは彼女たちの問題、他人が口出しできるようなものでもない。


いろいろひやひやすることはあってもとりあえず互いの修業風景を見せてもらえることになり、それぞれ向上心を持って互いの修業風景を目の当たりにするのだが、それぞれが目を疑っていた。


「何でそんなことやってるの?」


それが互いが互いの修業を見た時の感想である。


簡単にそれぞれの魔術師がどのような魔術の修業を行っているかを説明していこう。


康太の行う修業は大きく分けて二つ。まずは新しい魔術の習得。これは小百合が康太の体を使って擬似的に魔術を発動させ、その術式を感覚的に理解させることから始まる。


普通の魔術師であれば紙などを媒介にして記された術式を視覚的に読み取ることができるのだが、康太はまだ五感が魔術師のそれではないために『魔術的な要素』を五感によって知覚することができないのだ。


これ自体は魔術師であれば誰でも通る道であり、魔術師として経験を積めば自然と身につくものであるためにそう変な話ではない。


そして新しい魔術の習得はさらに二つの段階に分けられる。


まず魔術の術式を覚え発動できるようになること。この時康太が気を付けている点は、自らが『見る』ことができる光景に近づけるようにしていた。


魔術を発動する際に脳裏に浮かぶ光景、詳しいことは小百合も真理も分からないそうだったが、何かしらの意味があり、なおかつ高い精度で魔術を発動するとより鮮明にその映像や状況を五感で感じることができる。それが康太の魔術師としての特性の一つではないかと両名は結論付けていた。


故に康太は魔術を発動する際、徹底的にその光景を鮮明にするように心がけている。


分解の魔術であれば車輪を外す光景が、再現の魔術であれば斧を使って木を伐り倒す光景がそれぞれ脳裏に浮かぶ。


術式の完成度が高くなると時として視覚的なものだけではなく音なども聞こえてくる。これに一体何の意味があるのかはわからないが、魔術の精度を測るという意味ではある意味丁度いい指標と言えるだろう。


そして次の段階は小百合にゲームで勝利しながら魔術を発動できるようになること。


これは魔力の操作の時もそうだったが、他に意識を向けながらしっかりと発動できるようにするという事である。


ゲームの内容はその時々によって異なる。魔力の時はレーシング、分解の時は格闘、再現の時はスポーツと基本的にゲームの内容で統一されているのは唯一対戦できるものに限られる。


そしてこれをクリアするともう一つの修業に移ることができるのである。


それは限りなく実戦に近い形で行われる訓練だ。殴り合いや魔術の打ち合い、いっそのこと殺し合いと示唆したほうが正確かもしれないほどの全力での戦闘。これをすることにより緊急時での魔術発動や、どのように魔術を発動することで相手を攻撃するか、また相手の攻撃に対処するかというのを身に着けるのである。


相手の攻撃を見て、それを体で受けて、常に恐怖との戦いを強いられる。


怪我をするかもしれない、直撃したら痛い、最悪死ぬかもしれない。


そう言った精神的圧迫感はいきなり克服できるものではない。徐々に慣れさせ少しでもその中でも行動できるように訓練する。本当の実戦にも耐えられるように『恐怖慣れ』させるのだ。


康太と小百合がやっているのは常にこれだった。もちろん小百合は最低限の手加減をしている。康太が死なないように、あるいは致命的な傷を負わないようにいざという時は寸止めなどをして康太の安全を守っている。


だがそれでも康太は小百合に一度も勝てたことがない。純粋な格闘戦でも魔術を混ぜた戦いでも、康太は小百合に一度も勝てなかった。


さすがは我が師匠と言いたくなるが、小百合の戦い方ははっきり言って魔術師のそれではない。どちらかというと戦士のそれだ。


魔術を使っての肉弾戦、そして相手が少しでも離れようとすれば魔術で追い詰めながら再び肉弾戦。もっとも康太の戦い方に合わせている節はあるが、少なくとも傍から見ている文からすればこれのどこが魔術の修業なのかと問いただしたくなるようなものばかりだった。


そして実際に小百合と訓練をさせてもらったとき、文はほとんど何もすることができなかった。


気がついたら天井を見上げており、自分が気絶していたことを知り激しく自己嫌悪したものである。


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