神父の笑み
嘘は言っていないように思える。実際嘘は言っていないのかもしれない。
だが康太は目の前の神父に対して強い猜疑心を向けていた。
教会にはにおいが残されているのに協会の支部にはにおいがない。これはつまりこの教会から直接別の場所に飛んだのではないかと思ったのだ。
通常の魔術師では門の術式を知らないため、また知っていても操れないために行先を決定することができない。だが門を管理している魔術師ならば話は別だ。
各教会に一人ずつ存在する神父。その神父が犯行を行っていたのであればだれも被害者の姿を見ていないのも納得できる。何せ門の管理をしている魔術師は専属の魔術師と同等か、それ以上に優秀な魔術師が多いからである。
門を管理しているからこそ実力だけではなく人格も評価の対象になる。話から察するにかなりの人格者でなければ門を管理する魔術師にはなれないのだろう。実際目の前にいる神父もそれなり以上の人格者であるのかもしれない。
だが人格者であるからといって何の犯罪もしないとは限らないのだ。
康太が警戒しているということに気付いたからか、神父は苦笑しながら少し心配そうに康太のほうを見ている。
「そんなに身構えなくても・・・私は特に何もするつもりはありませんよ?いったいどうしたというんですか」
相手には敵意も殺意もない。純粋に康太のことを心配しているようなそぶりさえある。
自分に対して警戒心を抱き、いつでも戦闘態勢に入れるだけの状態を維持している康太に対してここまで余裕があるのは単純に実力があるからか、それとも彼が神父であるからなのか。
どちらにしても康太としては目の前の神父から目を離すことはできなかった。
確信に近いものはある。だが目の前の神父を見ているとその確信が揺らぐ。
自分の犯行を暴かれそうになっている人間がここまで悠長に構えることができるだろうか?康太がもし相手の立場であれば、怪しい人間は即座に撃退する。
ぎりぎりまで粘ったとしても、康太がこうして警戒態勢に入っているというのに何の準備もせずにただ突っ立っているというのは明らかにおかしい。
攻撃されないという確信があるのか、単純に負けないと思っているのか。それとも本当に自分には何の非もなく、堂々としているのか。
今の康太には判断できない。目の前にいる神父は明らかに異質な存在であるということしか理解できなかった。
この事件に門の力を利用できる魔術師がかかわっている可能性は非常に高い。支部に飛ばず、どこか別の場所に作った門に直接飛んでいるのではと考えた。
仮にこの神父が犯人でないとして、別の場所の神父、あるいは支部側から門を管理している魔術師の仕業だとも考えた。
だがそれではこのあたりに被害が集中している理由が説明できないのだ。
今日一日歩いて分かったが、ここは特別な何かがあるような土地ではない。
マナの動きや濃度が特別というわけでも、魔術師が育ちやすかったり、あるいは多くの魔術師が拠点を置いているとかそういうわけでもない。
犯人がここを拠点に置いている理由が説明できない。だからこそこの場所を管理している神父が怪しく思える。
確証というには明らかに足りない部分が多すぎる。どちらかというと状況証拠に近い点在した情報しかないのだ。点と点が線でつながらない。つながったとしても、微妙にずれているような気さえしてしまう。
康太も自分の考えが本当に正しいのか確信を持てない。目の前の神父を見てその気持ちは強くなっている。
だが康太の中の何かが警鐘を鳴らしているのだ。警戒しろと。注意しろと。
それは小百合との訓練で、多くの実戦で培った康太の中の勘のようなものだ。理屈でもなんでもなくただの勘で康太はこの状況は危険だといっているのだ。
だからこそ目の前の神父がどのような動きをしても、どのような攻撃や別の魔術を発動しようとしてもすぐに対応できるように身構えていた。
たとえ神父が朗らかでありながら少し困ったような表情をしていても、全く戦闘の意志がないように見えても、警戒を解くことができずにいた。
それが非常に失礼なことであるというのは康太自身理解している。実際これで犯人でもなんでもなければ土下座して謝らなければいけないだろう。
そんなことを考えていると、目の前の神父は残念そうに小さくため息を吐く。
「まぁ、そうしていたいのなら私としては構いません。そのほうが話しやすいのならそれも仕方がないでしょう」
まるでいうことを聞かない子供を相手にしているような反応だ。実際康太のやっていることはそれに近いのだろう。
理屈もなくただ何となくという理由と状況証拠だけで目の前の神父に対して警戒態勢を敷いているのだから。
目の前の神父が苦笑してしまうのも無理のない話である。
「そのままでいいですから聞いてください。私はあなたと争うつもりはない。これは本心です。嘘はない」
嘘ではない。嘘を言っているトーンではない。表情も声音もしぐさもおかしなところはない。むしろ康太を落ち着かせようとしている節さえある。怪しいところがないはずなのにどうして康太はその動作が恐ろしく思えてしまうのか。それが危険であると思ってしまうのか。
「ですから、少しおとなしくしていてください。そのほうがあなたのためになる」
一瞬、ほんの一瞬だが康太は神父の声のトーンの変化に気付くことができた。攻撃が来るかもしれない、そう考えた瞬間、康太は後方へ飛びのこうと床をける。瞬間、背後から何かがまとわりつく感覚があった。それが一体何なのか、康太は理解する暇もなかった。
康太の体にまとわりついているのは、奇妙な赤い液体だった。液体でありながら固体のような性質も持っているのか、康太の体を縛るように形を変え、完全にとらえてしまう。
目の前の神父に集中しすぎていて完全に反応が遅れた。なぜこの状況で索敵の魔術を発動していなかったのかと康太は強く後悔したが、すでに遅い後悔をするよりも早くこの状況を抜け出そうと肉体強化に加えこの謎の液体に攻撃を仕掛けるべく再現の魔術を発動していた。
肉体強化によって急激に上昇した身体能力を使って液体を振り払おうとし、再現の魔術によって大量の拳を再現することで液体に衝撃を与え何とかこの状況から抜け出そうとしたのである。
だが体に絡みつく液体は流動的、しかもまるで康太がやろうとしていることが、やっていることが分かっているかのように動き、康太の体を効率的に拘束していく。
「この・・・!なんだこれ!?」
これが魔術によるものであるのは理解できていた。だが問題なのはこれが一体なんであるかということだ。
少なくとも水属性に分類するものであるというのはわかる。だがこれは決して水などではない。そして赤いからといって血でもない。いったいこれは何だと思いながら、康太は自身に絡みつく液体よりも目の前にいる神父に矛先を向けた。
間違いなくこの魔術は目の前の神父が操っているものだろう。ならば神父に対して攻撃を仕掛ければ少しはこの液体も反応が鈍るはず。
康太は再現の魔術によって槍やナイフの投擲を発動し、神父めがけて攻撃する。
だが神父もその程度のこと予想できていたのだろう。目の前に半透明な障壁を展開して康太の攻撃を簡単に防いで見せた。
「怖いですね、有無を言わさずこちらを攻撃してきましたか。状況判断も早い。場慣れしているだけはありますね」
「くっそ・・・!」
どんな言葉で飾られてもそれは相手が余裕があるからこそ言える言葉だ。康太が場慣れしているなどといったが目の前の神父のほうがずっとこういった不測の事態に慣れているのだろう。
康太を拘束すると同時に自身への防御。相手が術そのものへの対応ができないとわかれば術師へ攻撃を仕掛けるという一見すれば当たり前のように思える行動に対して冷静に一手先を読んだ行動をしている。
康太に直線的ではなく定点的に攻撃を仕掛けることができる魔術があれば、障壁の魔術はそこまで脅威ではない。
実際康太の持つ魔術の中にもそういったものはある。遠隔動作などがその魔術に分類されるが、現在進行形で体の動作を制限されている状態でははっきり言って有効とは言えない魔術なのである。
余計な手の内を見せるよりも、今は状況を整理した方がいい。
現在自分は拘束されている。この液体にどのような効果があるのかは不明だが、少なくとも人間を簡単に拘束できるだけの力があるのだ。そして液体だけではなく固体にも状態を変えることができる、そして別のものに意識を向けていたとはいえ康太が反応しきれずに拘束されてしまったその速度から考える限り最低限以上の殺傷能力を有した攻撃も持ち合わせているだろう。
つまり今康太はこの魔術にいつ殺されてもおかしくないという状況なのだ。
だがそれだけの魔術を持ちながらも拘束を最優先にしたということは、少なくとも殺すつもりはないのだろう。
それこそ康太を殺すつもりなら、液体部分を刃のように変えてから高速で突き刺せばそれだけで事は終わった。
後々面倒なことになるかもわからないが、康太という人物を殺して自分の情報を隠すだけならやる価値は十分あるように思える。
だがそれをしないということはそれだけの理由があるのだ。殺す以上に康太を生かすだけの理由が。
「俺をどうするつもりだ・・・言っとくけど、この拘束を解いたらすぐにでもあんたをたたきのめすぞ」
「そんなに怖いことを言わないでください。さっきも言いましたが私はあなたと争うつもりはありませんから」
拘束しておいてよく言う。と言いたいが、先ほどからそうだったが確かにこの神父からは敵意は感じられない。
康太を拘束し、康太に攻撃されてもなおそのあたりはまだ変わらない。いったいどういうつもりなのだろうかと康太は疑問を募らせていた。
いっそのこと明確に敵意を向けてくれたらどれだけ楽だろうか。相手が敵であると理解できた時点でこちらも完全な戦闘態勢に入れるというのに、相手に戦意がないというだけでこんなに面倒だとは思わなかった。
そういう意味では敵を作るというのは互いの立場を明確にするという意味ではいい行為なのかもしれない。
敵か味方かわからない状態よりは敵だとはっきり判断できた方がいろいろと楽なのは間違いないだろう。
かといって、この状況で敵が増えるというのは遠慮しておきたい状況ではあるが。
「争う気がないならこの拘束を外せ、そしたらこっちも行動を少しは改める」
「ん・・・それはちょっと出来かねますね。こちらとしてはいろいろお話ししたいんですけど・・・よし、少し場所を移しましょうか」
そういって神父は先ほど康太が通ってきた協会の門に近づいて何やら集中する。康太にはいったい何が起こっているのかはわからなかった。だが自分を拘束している液体が突如動き出し、康太の体を操って門を強制的に通過しようとしているのがわかると、この神父が何をしようとしているのかを理解できた。
謎の液体に強制的に歩かされて門をくぐらされると、そこは薄暗い場所だった。
床、天井、壁。すべてが打ちっぱなしのコンクリートで覆われ最低限の光源があるだけのなんとも殺風景な場所だった。
ここはいったいどこだ。そんなことを考えるよりも早く自分たちを追うように神父が門を通ってこの場所にやってきていた。
「さぁ行きましょうか。奥に話ができる場所がありますから」
「・・・さっきの質問、嘘ついたんですか?ここは教会じゃない支部でもない・・・全く別の場所だ・・・」
「嘘をついてはいけないとは言われていませんし、何より嘘ではありませんよ。ここはれっきとした教会です。場所は・・・まぁご想像にお任せします」
嘘をついてはいけないなどということはない。実際は嘘を見抜けなかった康太が間抜けなだけだ。
実際発言や行動が何か証拠になってあとで自分を苦しめるということもないのだ。自分を守るためなら嘘も方便。それを見抜けるかどうかはその人によりけりだ。
自分の師匠や兄弟子だったらあの嘘を見抜けたのだろうかと歯噛みするが、自分の師匠なら話をする前にまず殴って相手を行動不能にするだろう。自分の兄弟子なら直接神父に話をしに行くのではなく、様子をうかがって協力者を集めてから包囲し確実にとらえるだろう。
その可能性に気付き、門を使って逃げられる可能性を考えて即座に行動したのが裏目に出た。多少時間をかけてでもいいから文や倉敷とともに来るべきだったのだ。
焦ったせいで状況を悪くしてしまった。康太は歯噛みしながら勝手に動かされる手足にもどかしさを感じながら強制的に神父の後に続いていた。
どうやらこの液体はかなり力が強いらしい。康太があらがおうとしても外側から康太を操れるだけの力がある。
肉体強化をかけた状態の康太の力をものともしない。いや、康太の体にまとわりついている時点で康太自身が力を入れにくい状況にされているというのもある。
肉体強化は確かに身体能力を上げてくれるが、何も人間としての限界を超えるわけではない。
体勢的に、あるいは場所的に力を入れにくい場所というのはどうしても体のどこかしらには存在するのである。
そういう場所を的確に判断して操っている。自分より先を歩いているのにこの精度、自分よりいくつも格上の魔術師だということを再認識した。
話に聞いているだけでは理解できない部分だ。それを学習するための授業料としてはこの状況はかなり高くついている。
とにかくこの場所を少しでも把握しようと、体を動かせない分頭を動かそうと康太は索敵の魔術を発動していた。
康太が広げられる索敵の最大範囲は三十数メートル。調子がいい時でも四十メートルに届くことはまずない。それが康太の索敵の限界だ。
もっと練度を上げれば索敵範囲の形を変えたり、索敵の情報量を減らす代わりに範囲を広げたりと可能なのだろうが、まだ康太は索敵の魔術をそこまで完璧に操れているというわけではなかった。
とはいえ三十メートルだ。地下にしろ地上にしろそれなり以上の範囲であることに変わりはない。
この場所が一体どこであるのかさえ判断できればまだ対処もしようがある。
幸か不幸か、この場所が一体どこであるのかを判断するのは難しくはなかった。何せ先ほどまで自分たちがいた教会が真上にあったからである。
つまりここは先ほどまで康太たちがいた教会の地下ということになる。
階段などは少なくとも康太たちが訪れた際には見つけられなかった。康太が匂いの痕跡を探しているときも地下に降りることができるような階段は見ていない。
つまりこの場所は協会の門があって初めてたどり着ける場所であるということだ。
そして次に康太は嗅覚強化の魔術を発動する。
康太の考えが間違っていなければ、行方不明になっていた人物はこの場所にいるはずなのだ。
あの門を使ってこの神父が行方不明者をこの場所に攫ってきた。そう考えるとあらゆるつじつまは合う。
だが同時にその考えが外れていてくれればいいとも考えていた。
もしこの状況で神父が犯人だった場合、康太は間違いなく殺されるだろう。この状況が絶体絶命か、それとも行き過ぎた警戒をした康太への戒めなのか。
康太個人としては後者であってほしい。ただ自分が間抜けをしただけならそれで恥をかくだけなのだ。
だがその考えはあっさりと打ち砕かれる。康太の鼻には確実にその情報が届けられていた。
痕跡どころの話ではない。今もなお漂ってくるのだ。行方不明者のにおいが、空気中に漂っているのである。
もはや確定的だった。今回の行方不明者を生み出しているのは康太の先を歩いている神父その人なのだ。
どのような理由があるのかはわからないし、どんな事情があるのかも知らないが、どうにかしてこの情報を伝えなければと康太は考えていた。
方法がないわけではない。だがそれに気づいてくれるかどうかもわからないのに手を打つわけにはいかない。
Dの慟哭を使えば、半径百メートル以内であれば黒い瘴気を散布できる。さすがに地下深くまで埋まっているうえに、物質そのものを貫通できるかどうかは試したことがないためにこの場でそれを実験するのははばかられる。
テレパシーのように交信できる魔術の一つでも覚えておけばよかったと康太は今更ながら後悔していた。
誤字報告五回分、日曜日なので合計三回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




