アリスの魔術
「そう聞くと簡単に聞こえるな。そう言うのが元なのか」
「とはいっても試作に実験を繰り返して丸一年以上かかったがな。植物のそれから人間のそれに変えて最適化するのにさらに一年かかった。そしてそれを完全に扱えるようになるまで大体三十年近く・・・今の私の体は大体十二歳から十四歳の体と言ったところか」
「・・・それにしては小さくないか?」
「それは言わんでくれ。どうやら私の身長はもとよりあまり伸びないものだったらしい」
アリスの肉体を形成する細胞の年齢自体はその魔術を完成させた辺りからほとんどと言っていいほど成長していない。いや劣化や老化していないと言ったほうが正確だろうか。
魔術自体の性能のせいか、完全に成長を止める、あるいは老化を防ぐということはできていないようだがそれでも彼女が長く生きる上では十分すぎる性能を有していたらしい。
元々彼女の身長はあまり伸びないタイプのものだったようだが、どちらにせよかなり小さい状態のままでいるというのは彼女としても予想外だったのだという。
成長を犠牲にして老化を食い止めたという意味ではある程度成長期の段階で止まってしまうのは想定済みだったが、まさかここまで幼いころから変わらないとは思っていなかったのである。
そして彼女のような実力を持ったものでも、完全に扱えるようになるまで三十年の月日が必要だったという。これでは普通の魔術師たちでは恐らく百年かかっても同じような練度にたどり着けるかは怪しいところである。
「でもそれって要するに細胞一つ一つに魔術をかけているようなものでしょ?そんなこと可能なの?」
「無論処理の全てを私が行っているわけではない。実際は方陣術なども使って処理を可能な限り少なくしているぞ。細胞を区分分けしてそれぞれ適切な方陣術を作って細胞に術式を書き込んでいる。魔力を通せばある程度の制御はやってくれるのだ」
もちろんそれでも相当の処理容量を必要とするがのと付け足しながらアリスは自慢げに笑って見せる。
細胞そのものに方陣術の術式を書き込むとは言ったが、それがどういう意味を持つのか康太もなんとなく理解していた。
最近ようやく方陣術の文字を書けるように訓練し始めた康太だが、それが考えている以上に難しいという事を理解していた。
習い始めてまだ数日だが、ようやく紙に方陣術に使われる技術を使って文字を書くことができるようになってきたのだが、実際それは文字とは程遠いものだった。
太いペンや筆でただ紙に線を描いたような大雑把な内容だ。はっきり言って術式を込めるなんて夢のまた夢のレベルである。
以前小百合の商売で会ったことのあるジャンジャック・コルトこと朝比奈は一枚の紙にまるで絵のような方陣術を描いて見せていた。彼はあれほど細かく繊細なものを書くまでに数秒と掛かっていなかった。
それに比べて康太は先にあげたようなものを書くのにすら数分を要する。雲泥の差とはまさにこの事だろう。
そしてアリスはそれを一枚の紙ではなく細胞一つ一つにやっている。肉体に対して方陣術を書き記すという事がどういう意味を持つのかその危険性は以前誰かから聞いたことがある。
自分の体の中で術式をくみ上げるのとは異なり、方陣術はすでに完成した術式を書き記す。その為そこに正しい魔力を通し条件がそろえば否が応でも術が発動してしまう。
魔術師の肉体というのは常に魔力を蓄えている。中には例外もいるがほとんどのものが魔力を常に体に宿している状態だ。
アリスのように実力があればいいが、もし未熟なものが体のどこか一部に方陣術を刻み込み、誤ってその場所に魔力を流してしまえば術が勝手に発動する。
いや発動すればまだいい方だ。正しい魔力を流せば正しく術式は発動するが、誤った魔力を流し込むと大抵の術式は暴走を起こす。
電化製品で言うところのショートしてしまうようなものだ。それが術式が発動しなくなる程度の物なら良いのだが、暴発すると術式を無視した状態で発動することもある。
ある程度は術式に従って暴発するのだが、自分の体に直接埋め込むとなると当然その体にも被害が及ぶことになるだろう。
まだ皮膚などであれば火傷や炎症、あるいは皮膚がはがれる程度で済むかもしれないがもしアリスのように全身に術式を張り巡らせている場合正しい魔力を流さなかったらどうなるか、それは火を見るより明らかだ。
「それって相当危ないよな?ちょっと間違った魔力が流れたらアウトだろ?」
「ほう、コータもその程度の知識はあったか。もちろん万が一がないように保険の術式をいくつか設置してある。仮にコータが今私に触れて大量に魔力を流し込んでも問題なく対処ができるというわけだの」
そのあたりは長年生きているだけあって何があっても対応できるように対策はしてあるのだろう。
だからこそ彼女の処理能力を半分以上使うような状態になっているのだろうが、逆に言えば彼女のような天才で、経験と実力を持っていなければ人間という枠を超えて生きながらえることはできないのだ。
魔術は何でもできるわけではない。アリスにだっていつかは死が訪れる。彼女がやっているのはあくまでそれを遅くしているだけの事なのだ。
しかもそれだけの事でも、ほとんどの魔術師はそれを扱う事すらできない。それだけの難易度を持っている魔術でなければ生き物としての枠は超えられない。
やはり魔術というのは世知辛いなと康太は彼女が有している技術から、彼女が今まで超えてきた時間と苦労と努力をほんのわずかではあるが感じ取りながら小さく感嘆の息をついていた。




