脅威と判断
康太はあまりこういった考えを意識していた訳ではないが、当初の目的である依頼の解決に加え康太の脅威度の低減と、手を出しにくい状況を作り出すことにほぼ成功したと言っていいだろう。
今回康太自身ははっきり言って戦闘面ではほぼ役に立たなかった。康太自身の戦闘能力や行動力に対する評価が多少落ちたかもしれない。そしてDの慟哭の実態もほぼ教えた。そう言う意味では康太の脅威度は若干ではあるが下がったと言っていいだろう。
だが封印指定二十八号ことアリシア・メリノスとの同盟関係の締結によって康太にはより一層手を出しにくい状況になった。
たとえ上下関係があれど、対等であろうと同盟関係には変わりはない。康太にもし手を出せば、あるいは不利益になるようなことをすればアリスが出てくるのと同じことなのだ。
つまり康太のバックにアリシア・メリノスという本部さえも恐れる程の魔術師がついたと同義なのだ。
依頼を完遂しつつ康太の脅威度は下げたが手を出しにくくする。当初の目的をほぼ完全にこなした結果となるだろう。
「・・・この書類に書かれている日本支部の支部長のサインは・・・これも本物か?」
「本物です。確認したいのであればどうぞ。本人に直接事情を説明してサインしてもらったものですよ」
真理がそう告げると本部長は困ったように額に手を当ててため息をついてしまった。
康太や真理たちは師匠である小百合を通じて日本支部の支部長にはそれなり以上のコネを持っている。事情を話して協力してもらったのだ。
真理の話によると支部長もだいぶ困った声を出していたようだが『問題児を一人抱えるのも二人抱えるのも同じか・・・』と諦めたように呟いてからサインしてくれたのだという。
伊達にデブリス・クラリスという最悪の問題児を抱えてなお日本支部の支部長という立場にいるわけではない。何より康太が封印指定百七十二号の問題にかかわった時からある意味こういう流れを予想していたのかもしれない。
問題児や問題ごとを抱えるのは慣れっことでもいえばいいのか、彼にとってはもはや封印指定を一つ抱えようと二つ抱えようと同じことなのだろう。
彼の胆力と土壇場に見せる頼り強さには本当に平伏するばかりである。
今度菓子折りでも持っていかなければならないなと思いながら康太はアリスの方を一瞬見てから本部長の方に視線を移す。
「それで本部長、アリシア・メリノスの転属に関して許可してもらえるんですか?」
康太の言葉に全員の視線が本部長に突き刺さる。
断れるはずがない。この場に本人がいなかったのなら難癖をつけて断ることもできたかもしれない。
目の前にアリシア・メリノスがいて、何より彼女自身がそれを望んでいて、書類自体も正式に手順を踏んだもの。何より彼ら自身がアリシア・メリノスには本部から出ていってもらいたいと思っているのだ。
これは千載一遇のチャンスでもある。だがそれと同時に生じる日本支部に危険な対象が二つもでき、何よりその二つが手を結ぶという状況を簡単に容認できるはずもなかった。
メリットとデメリットで言えば、彼ら本部側としては、上層部の人間としてはメリットの方が大きいだろう。
だが協会本部という立場と長期的に見ればこれは大きなデメリットに繋がりかねない。
今はまだ大人しくしているからいいが、今後康太とアリスが結託して本部に刃向かわないとも限らないのだ。もしそうなったとき本部の魔術師たちだけで止められるかどうか。
自分の立場とその保身を優先するか、自分の立場を無視して協会そのものの利益を尊重するか。
実際こういう判断を問われることは責任者になるとよくある。大抵の責任者は組織全体の為を思って選択できる。本来そうしたほうが巡り巡って自分の評価を高める事にもなるし保身にもつながるのだが今回の場合は話が違う。
目の前にいるアリシア・メリノスこそがすべての問題だった。正式な理由、そして正式な手順をとって提出された書類。何よりその事実を他の支部の支部長もすでに知っていて、この場に足を運んでわざわざその証明までしている。
さらに言えばここで拒否すれば本部長に、さらには本部そのものにどのような嫌がらせをされるかわかったものではない。
アリスがそのような真似をするかどうかはおいておいて、目の前にいるのは封印指定二十八号。その気になればこの本部を跡形もなく吹き飛ばすことくらい容易にできるのだ。
それをさせたくないから、万が一にも相手の懐に入りたくないから常に監視して彼女の位置を把握していたのに、康太の偶然の行動がその努力をすべて水泡に変えた。
本当ならばここは認めてはいけないところだった。仮に彼らの同盟があったとしても、所属が違えばやりようはいくらでもある。
だが目の前に脅威度最高と思える存在がいて、彼女が自分たちに迫ってくる。魔術師である本部長はその服の下から冷や汗を滝のように流しながらその手を握りしめていた。
いつ殺されてもおかしくない。いつ不要になって処分されてもおかしくない。いつこの協会が壊滅させられてもおかしくない。
彼女の機嫌を損なうようなことをしてはいけない。今まで彼女を排除しようとしてこれたのも、彼女と一定以上の距離を常に保てていたからこそ身の安全を確保し強気を保てていたからこそなのだ。
それがなくなった今、本部長並びに上層部の人間は彼女を実力で排除しようなどと思えるはずもなかった。
可能ならすぐにでもいなくなってもらいたい。そう思えてしまっているのだ。
「わかった・・・認めよう」
この返答と同時にサインをしてしまったのは半ば必然だったかもしれない。康太の唐突な提案で混乱していた中に唐突に現れたアリスの存在。頭で状況を整理する暇もなく状況が瞬時に変化していったのだ。冷静で正確な判断を下せなくなっても不思議はないのである。




