康太は迷いに迷い
「・・・ん・・・あ・・・やば・・・もうこんな時間・・・?」
「おや、目が覚めましたか文さん。よく眠っていましたよ」
文が目を覚ましたのは十七時を過ぎようという頃だった。すでに日は傾き、異国の街並みが一斉に色合いを変え始めたころまどろみから抜け出すために文は自分の瞼を両手でこする。
体調は悪くない。むしろ真理のおかげでだいぶ良くなっていた。このあと少し運動でもすれば問題なくベストコンディションに戻すことができるだろう。
そんな中文は部屋の中を見渡して疑問を抱く。この場に康太がいないのだ。
「あの・・・康太の奴何処に行ったんですか?トイレですか?」
「あぁいえ・・・どうやら街に散歩に行ったようですよ。メッセージと・・・あと抜き出したお金の金額が記されたメモが残されていまして」
真理が提示するその紙きれには確かに康太の筆跡で『ちょっと散歩行ってきます。万が一のためにいくらかお金を持っていくのであしからず』と書かれ、康太が抜き取った金額が下の方に小さく記載されていた。
「あいつ・・・勝手に動いて何考えてるんだか」
「まぁまぁ、まともに海外に来てきっとテンションが上がっているんでしょう。それに康太君ならそこまで遠くには行きませんよ」
真理の信頼をよそに、康太は完全に迷子になっていた。しかも康太自身そこまで遠くに行くつもりはなかったのにもかかわらずだ。真理のいうようにテンションが上がってしまっていたからかもしれない。
ここで康太なら大丈夫かも知れないという考えが頭に過ってしまったために、二人はわざわざ探そうという考えに至らなかった。
「・・・まぁそうかもしれませんけど・・・あいつ言葉も何も通じないってことわかってるのかしら・・・」
「最低限のコミュニケーションは取れるでしょう。それに何かお土産も期待できるかもしれませんよ?」
「あいつのお土産っていうと食べ物関係が思いつきますね。イギリスの料理ってあんまりおいしくないって噂がありますけど・・・」
「それは食べてみてのお楽しみですよ。思っているよりずっと美味しいかもしれませんよ?」
既に会話の内容は康太がどこにいるのかというものから康太の持ち帰る可能性のある土産、そしてこの国の食べ物の方へと移ってしまっている。
この状態では仮にホテルの近くで康太が魔力を放出しても気づくことができないかもしれない。
油断というわけではないが信頼が目を曇らせているという良い例だ。康太にとっては悪い状況なのだがそんなことをこの二人が知る由もない。
「んが・・・あ・・・寝ちゃってたか・・・」
二人がイギリスの料理の話に花を咲かせていると体を小さく跳ねさせてから倉敷がゆっくりと体を起こす。
「おはよう倉敷。体調はどう?」
「あー・・・ぼちぼちだな・・・あと少しして本眠入れれば何とかなると思う」
真理の体調調整のおかげか倉敷もそこまで体調が悪いというわけではなさそうだった。
今日の残り数時間で体調をさらに整え、明日に備えてしっかりと眠れば問題なく万全の状態にすることができるだろうという読みだった。
体調管理などに関しては部活動などをやっているために慣れているのだろう。少なくともこの状態を維持できればそこまでマイナスの体調になることはないはずだ。
「・・・あれ?八篠がいねえな・・・?」
「あいつなら散歩よ。そろそろ帰ってくると思うけど・・・っていうか何時頃からいなくなったのかしら?」
「さぁ?私が起きた時にはもうすでにいませんでした・・・かれこれ一時間は経っているかと思います」
真理が起きた時間から現在に至るまでの時間を考えれば何もおかしくないのだが、実際はもっと時間が経過している。
体調を調整するために真理自身も寝ていたのがあだとなり、そこまで長く散歩をしているとは考えが及ばなかったのである。
何より康太は基本的に慎重な人間だ。もちろん時と場合によっては大胆になるが、大抵は考えなしに動くことはなく、ある程度考えを巡らせたうえで、なおかつ自分のできることをしようとする人間だ。
自分にできそうもないこと、そして不確定要素の多い状況で無理な行動をするタイプではないという信頼がこの場にいる全員の目を曇らせた。
まさかお土産探しに夢中になっていていつの間にか迷子になっていたとは毛ほどにも思っていないのである。
「あー・・・俺も散歩行ってこようかな・・・せっかくこういう場所に来てるわけだし・・・ちょっと体も動かしたいし」
「やめときなさい、ただでさえ単独行動してる奴がいるんだからバラバラになるのは面倒よ。あいつが戻ったらこれも言うつもりだけど可能な限り単独行動はしないように。ただでさえいろいろ面倒なんだから」
もし単独行動していて面倒に遭遇した時一人では対応しきれなくなる可能性がある。そう言う時に誰か一人でもいれば思考をある程度安定させ突破口を見出すことができる。
人一人で考えられることには限界がある。文のいうように異国であることに加え依頼などの状況からただでさえ面倒な状況なのだ。普段通りの冷静な行動ができるかどうか怪しいものである。
そしてその言葉を数時間早く康太に言うべきだったのだ。もはや後の祭りではあるが。
元の場所に戻ろうとすればするほど康太は道を間違え続けていた。
見たことがあるような建物を見つけては『あぁそう言えばこっちに行くんだった』などと自分の中で安堵し、その度に記憶違いを起こして道を間違える。
そんなことを繰り返してどれくらい時間が経過しただろうか。一向に康太が泊まっていたホテル近辺にはたどり着くことはできなかった。
誰かに道を聞くことができればよかったのだろう。だが康太はそもそもどうやってそのことを伝えればいいのかすらわからなかった。
第一に『迷子』という英単語が思いつかなかったのだ。康太はお世辞にも英語が得意とは言えない。日本が教えるお粗末な英語でさえ苦戦するような人間が本場イギリスで相手に伝わるような英単語が使えるはずがなかった。
次に自分が宿泊しているホテルの名前がわからなかった。ホテルに案内してもらったときにしっかりとその名前を覚えておけばよかったと心底後悔している。せめてホテルの名前がわかれば拙い英語でもこのホテルに行きたいのですが道を教えてください程度は言える。
発音に少々難があるかもしれないが、そこは身振り手振りを含めて何とかするしかない。手あたり次第に話しかけて困っていることを伝えれば誰かしらが助けてくれる可能性はある。
だが自分がどこに行きたいのかすらわからない状況でそんなことを聞けば非常に怪しまれるのは間違いない。
ただでさえ偽装した身分証明書などもっている状況で警察の世話になるのは非常にまずい。万が一この件が露見した場合相当面倒なことになる。
康太の扱う暗示の魔術はある程度の練度にはなってきている。一般人に使えばある程度は誤魔化すことができるだろう。
だが暗示の魔術はあくまで意識と認識の誘導にある。日常的に『あり得る』と思わせることで錯覚を起こしたり物事の判断基準や当人の判断力を操作する魔術だ。
ここは日本ではない。相手に対して暗示をかけるなら英語で話せることが大前提になるだろう。『これはこういう事なのだ』という事を伝え、相手に認識させることができなければ暗示はうまく発動しない。
康太の暗示の魔術の練度がもっと高ければ言葉が通じなくてもある程度は誤魔化せるのかもしれないのだが生憎康太は暗示の魔術はそこまで得意ではない。
幸い金は持っている。タクシーなどを使うことも考えたのだが行先がわからなければ使うことはできない。
携帯も使えない、居場所も分からない。
いっそのこと建物の上に登って強引にでも現在位置を確認しようかとも思った。この辺りは高い建物が多い、高い場所に登れば現在位置を確認しやすくなるとも考えた。
だが幸か不幸かこの辺りはまだ人通りが多い。こんな所で急に高いところに登れば注目を集めてしまうだろう。
どこか裏路地に入って上ることも考えたのだが、大抵こういう町には監視カメラが取り付けられている。その姿を記録に残すわけにはいかない。
建物の中に入って内側から登ることも可能なのだろうが、当然大抵の建物の中には会社やら事務所やらが入っている。勝手に入って通報でもされたらそれこそ終わりだ。
八方ふさがりとはこのことだろう。もはや康太にできることは虱潰しに歩くことくらいだ。
徐々に空腹が押し寄せる中、本格的に絶望していると康太の後ろから声が聞こえてくる。
「Hey boy,Are you okey?」
それは流暢な英語だった。イギリス訛りの独特の発音だが非常に単純な文章であったために康太にも十分理解できるような内容だった。
康太が振り返ると康太の視線の高さには声の主はいなかった。
「Hey here」
自分の視界よりも下から声がしたことで康太が下を見ると、そこには身長百三十センチ後半くらいの小さな女の子がいた。
金髪に青い目をした可愛らしい女の子だ。明らかに自分よりも年下のように思えたが、こんな子供にボーイ扱いされたのかと思うと少し情けなく思えてくる。だがせっかく話しかけてくれたのだ。無碍にするのも申し訳ない。何やら心配してくれているのはわかる。もっともその表情からこちらを心配しているというよりも警戒しているという感情の方が強いのは明かだ。
当然だろう。康太は日本人だ。そしてここはイギリス。日本人がイギリスにいる事自体は今となってはそこまで珍しいことではないだろうが、康太のような子供が一人でここにいるとなれば話は別だ。十分に怪しむ理由にはなる。
「あー・・・どういやいいんだ・・・?アイム・・・トラベラー。アイムロスト・・・えっと・・・」
「・・・ひょっとして日本人か?」
唐突に日本語が聞こえたことに康太は目を見開く。そしてその日本語を目の前の少女が話したということにさらに驚きを禁じ得なかった。
「え?に、日本語・・・分かる・・・?」
「わかるぞ。少しではあるが住んでいたことがあるからの」
少女にしては随分と強い言葉だったが、そんなことは気にならないくらいに康太は安堵し、目の前の少女の両手を握っていた。
「よかった・・・よかった・・・!話が通じる奴がいた・・・!」
康太はこれ程神に感謝したことはなかった。もともと無宗教であったことに加えそこまで神という存在も信じていなかったのもあるのだが、この時ほど神に感謝していいと思った日はなかった。
今度教会に寄った時に軽くお布施をしておこうと心底思うほどに、目の前の少女にめぐり合わせてくれたことを康太は感謝していた。
「・・・何やら訳ありのようだの・・・とりあえず落ち着け・・・周りの視線が痛い」
自分と比べて非常に落ち着きながらも呆れている少女に諭され、康太は何度も頷いているが、その後康太が落ち着いて事情を話せるようになるまで十数分を要したのは仕方のないことだろう。
誤字報告を五件分受けたので二回分投稿
5月21日まで予約投稿しましたので反応が遅れるかもしれませんがどうかご容赦ください
これからもお楽しみいただければ幸いです




