康太の相手
「資料については依頼を受けてくれたらすぐにでもそちらに渡そう。戦力については・・・ベティテア、どうだ?」
本部長は後者の頼みについては聞いてくれるようだったが、専属魔術師を実際に統括している身としては康太の質問には答えにくかっただろうか。
少しの沈黙の後にベティテアが僅かに笑っていることに康太は気付ける。
康太の言葉の中に含まれた思惑を理解したうえでの笑みだという事は明らかだった。そしてそれが先程の自分の言葉に対するちょっとした意趣返しのつもりであるという事も彼は理解できているようだった。
「なるほどいいだろう。俺が管理している魔術師の行動に関してはすべて伝えよう。臨機応変に対処する場合もあるがその時も連絡員を通じてそちらに即座に伝えられるように態勢を整えることを約束する。なんならまだ他の場所を疑っても構わんぞ?」
歯に衣着せず、そちらを疑っているという事を隠そうともせずそう告げるベティテアに対して康太も僅かに笑ってしまう。
こういう人物と話をしているのは面白い。そう思ってしまっている。ここが緊張するべき場所であり警戒するべき場所であるということがわかっていても笑みを止めることができない。
互いに仮面をつけて互いの顔が見えていないにもかかわらず、互いの笑みが見えているようだった。
そしてそれは康太の傍らにいる小百合も同じだった。
「もちろんまだまだ疑わせてもらうつもりだ。本部の魔術師が一体何を考え企んでいるのかただの魔術師の俺としては恐ろしい限りなんだ。疑い尽くしてもまだ足りないさ」
先程までの丁寧語や敬語は必要ないと判断して康太は楽しそうに、そして僅かに威圧すら含めてそう言い放つ。
康太の言葉をそのまま理解するのではなく通訳を介しての会話では互いにその声の本質や意味を捉えることはできないかもしれないが、先程と声音を変え口調すら変え、その圧力すら変えた康太のその対応を相手は正確に感じ取っていた。
言葉ではなくそう言った機微によっても相手との対話ができるのだなと康太はこの時実感していた。
傍から見ていた本部の魔術師からは呆れられている様子だったが、康太の本音を引き出したのが少しだけ優位に立てる点だと思ったのか康太の方を見て何やら思案しているようだった。
康太が本部を恐ろしく思っていること、そして康太が本部の魔術師を疑っていること。
この二点から康太が危惧しているのが今回の相手だけではなく本部そのものであるという事も理解しただろう。
思わぬところで情報を出すことになったが、相手としても康太との対応を慎重にせざるを得ない状況になったわけだ。
ただでさえ扱いにくい相手がこちらを警戒して危険視しているとなれば対応を慎重にしなければどのような手を使おうにも逃れられる可能性がある。
そう言う意味では康太にこの言葉を引き出させたベティテアはファインプレーをしたと言えるだろう。
「ではブライトビー、話を戻そう。これで君の提示する条件は以上かな?」
「正確にはまだありますが・・・これは依頼をうける話をしてからの方が提示しやすいと思っています。なのでまずは依頼の詳細を教えていただいてもよろしいでしょうか?」
まだ作戦行動の具体的な内容と作戦のタイミングを康太に合わせるという事を告げていないが、まだ話も聞いていない状況ではそんなことを言ってもまずは依頼の話を聞いてからという話の流れになるだろう。
康太からすれば依頼の前提条件は満たすことができている。これ以上話を先延ばしにすると相手の方からしびれを切らしかねない。
「それはつまり、今回の依頼を正式に受けてくれるととっても?」
「・・・あいまいな表現は嫌いなので明言しておきましょう。俺ブライトビーは今回の協会本部からの依頼を受けさせていただきます。ただまだ条件を出させていただく可能性があることは留意しておいていただきたい」
康太が依頼を受けると明言したことで本部長は小さく息を吐く。ようやくこの言葉を言わせたと安堵しているのだろうか。
どちらにせよ、もう康太は後に引けなくなったことになる。そしてそれは両脇にいる師匠である小百合と兄弟子である真理も同様だった。
これから先本部の魔術師からどのような生物を相手にさせられるのか、正直かなり戦々恐々としている。
自分で言っておいてなんだが先程の言葉を撤回したいと心の底から康太は後悔している。
もっとも今さら撤回などできようはずもない。もうあとは流れに任せてただ巻き込まれるしかないのだ。
「では依頼を受けてくれると言ってくれたことだ。こちらも今回の依頼に付いて話をしよう。今回君に無力化してほしいのは・・・封印指定だ」
本部長の言葉に康太も小百合も真理も「まぁそうだろうな」と内心思っていた。
本部が総出になってもかなわない相手となると封印指定以外には考えられない。というかその程度の想定はできていた。今さら封印指定を相手にしろと言われても別に驚きはしない。
「そしてその中で君に相手にしてもらうのは・・・封印指定二十八号だ」
二十八という番号を聞いて康太は眉を顰める。以前聞いた話では封印指定は魔術協会が設立されてから順に刻んでいった数字だ。つまりその数字が小さければ小さい程昔に封印対象に指定されたことになる。
康太の持つDの慟哭でさえ百七十二号だったというのに、さらに小さい二十八という番号でつけられているとなると魔術協会設立からどれ程も経っていない頃に指定されたものということになる。
康太は封印指定二十八号という新しい証言が出たことでさりげなく小百合と真理の方に視線をやるが、二人とも二十八号についての知識はないようで小さく首を振って見せた。
まだ得られる情報はこれだけ。突っ込んで聞いてみなければわからない。もっとも突っ込まなくても相手が話してくれるのだろうが話し合いという体である以上聞きたいことはしっかりと聞くべきだ。
「・・・一応確認しておきたいんですけど・・・今回の相手は『生物』ですよね?二十八号についてはよく知りませんが・・・そんなに昔から存在している生物なんているんですか?」
魔術協会の設立がどれほどなのか康太も正確には把握していないが少なくとも数百年。もしかしたら千年近いかもしれないのだ。
それだけ長い間生きている生物など考えられない。もしかしたら形を変え続け生き続けているタイプかとも思ったが、それでもレベルの高い魔術師たちを擁する本部がそこまで苦戦するとは思えなかった。
康太たちが疑問視するのももっともだという反応を本部の魔術師はしていた。恐らくほとんどの魔術師が疑問を持つだろう。
それだけ今回の問題は根が深い。事実を知るものが本当にごく一部であるという事なのだから。
「まず前提から話しておこう。この封印指定二十八号は協会の中でも極秘事項だ。ほとんどのものが知ることすらできない。その理由の一つは単純で、それが個人情報だからだ」
「・・・個人情報・・・?」
個人情報という言葉に康太はひどく違和感を覚える。今までただの生物であるように言っていたのに今度はまるで人間のような言い回しをしている。
個人情報という事はもしかしたらプライバシーの侵害とかそう言う事を考えているのだろうかとか康太は思いついたが、さすがに協会設立あたりから生き続けている人間などあり得るはずがないと康太はその考えを打ち捨てる。
だがもしかしたら。その考えを否定できるだけの材料が康太の中にある『常識』という枠組みしかないという事実。すでに自分は人ではない、人の残滓のようなものを内包してしまっているのだ。今さら常識によって決められるようなあり得るあり得ないを論じるつもりは毛頭なかった。
だからこそ聞かなければならなかった。この話の根源たる部分を。
「・・・あの・・・間違ってたらごめんなさい。その封印指定二十八号は・・・人間なんですか?」
康太の質問にその場の全員が息をのむ。そして全員の視線がゆっくりと本部長の下に注がれていた。
この問いを答えるのは本部長以外にはあり得ない。答える義務が彼にはある。そしてそれを聞く権利が康太にはある。
今さら止まることはできないのだ。それを重々理解しているからこそ本部長は口を開く。
「私はあれを人間だとは思っていない。いや人間であるはずがないと思っている」
この状況において客観性のない主観にまみれた抽象的な表現に康太は確信する。今回の相手は人間、あるいは人間に近しい存在なのだと。
現在進行形で人ではない何かを内包しているのだ、今さら人間ではない何かの生物が出てきても驚きはしない。
もしかしたら妖怪や悪魔の類かも知れないなと思いながらも康太はひとつ思いつく。
それだけ長く生きていて、本部の魔術師が大勢でかかっても足止めできない理由。
「その二十八号は魔術師ですか?」
魔術師とは身体能力に関わらずその精神によって魔術を扱うものだ。肉体が衰えようと魔術を鍛錬し続ければその実力はどんどんと向上していく。
康太が一年もかからずにある程度の実力を手に入れているように、何百年もかけて研鑽し続けたとすればどれ程の実力になっているのか想像することも難しい。
可能ならばこの可能性は否定してほしかった。だが本部長は小さくため息をついて見せる。
「・・・そうだ。二十八号は魔術師だ」
魔術師。しかも本部長自体はそれを人間ではないと捉えている。
人外の魔術師。そんなものがあっていいのかと康太は頭を抱えたくなった。
ただでさえ薄い勝ち目がもっと薄くなったような感覚と、本当に依頼なんて受けるんじゃなかったという後悔がのしかかってくる。
もう今さらだし何より後悔しても遅いのだが、これ以上そのことに触れても仕方がないというものだろう。
だがまだ話をすべて聞いていない。何より今回本部長たちはその生物、その魔術師を無力化しろとは言ったが『殺せ』とは言っていない。
言えないわけでもあるのか、それとも言いたくないのか。どちらにせよそのあたりに突破口がありそうな気がしてならない。
だが今までの想定が一気に崩れてしまった。ただの生き物であったならば急所を一撃で貫けばなんとか勝つことも可能だったかもしれないが、何百年も生きてきた魔術師、しかも人外の可能性があるような相手に対して不意打ちができるとも思えない。
もし仮に正面切っての戦いになった場合も、総力戦、あるいは総合戦になったら勝てるはずもない。
康太は妙な魔術をその身に収めただけであって実力自体はまだ下の下なのだ。客観的に見れば下の上くらいはあるかもしれないがそれでもまともにやって勝てる気はしなかった。
だがここでようやく今まで何故本部の魔術師たちが康太を求めていたのか理解した。
相手が魔術師だからこそ、魔力を吸い上げる魔術が必要だったのだ。
その気になれば康太に魔力を吸わせて全力で押しつぶすこともいとわない。そう言う考えの下本部は動いているのだろう。
康太がそんなことを考えていると本部長は淡々と今回相手をする『生物』に付いて話し始めた。
日曜日なので二回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




