現場と上の違い
「もうすでに俺のことを監視しているような連中が俺のことを知らないなんてそんなことあり得ますか?」
「あり得る。依頼を統括している連中やお前のことを直接監視している奴らはお前のことを知っているかもしれないが、少なくともあの男まではその情報は届いていない。向こうにも最低限のモラルというものがあるのかもしれないな」
あるいはただの報告のずさんさが招いた結果かもなと付け足しながら小百合は湯呑の中にあった茶を飲み干す。
仮に監視していたとしても魔術師として個人情報はかなり重要なものだ。簡単に流出しては困る。相手としても最後の情けを使ったつもりなのだろうか。
ただ単に監視をしている魔術師とそれを指示した魔術師の意識の違いという可能性もある。
あらゆる情報も欲しがる指示した側と違って、監視している魔術師はただ康太の動向を観察していればいいという風に捉えたかもしれない。
本部の連絡および命令の体系がどのような形になっているのかは不明だが、実際に交渉しに来るヘンプ・ドートのところまで正確な情報が伝わっていなくても何の不思議もないのだ。
「で、あの人に情報が入ってなかったとして、それが何なんです?」
「お前が高校生であるとわかったあたりから、妙に出してくる情報がお前にとって有利に思えるものが増えた。恐らく可能な限り穏便に話を進めたいと思ったんだろうな」
「・・・何でそんなことを?」
「さあな。そのあたりは本人に聞け。ただの子供好きか、若者が非道な目に遭うのを目にしたくなかったか・・・本部の思惑に乗るのが好ましくなかったか・・・どちらにせよ交渉する者も人間だ。そいつの考え方によって行動は変わる」
ヘンプ・ドートが何故康太に対してそのような態度をとったのかは彼自身にしかわからない。そして小百合の話を聞いてから最後に彼が告げた言葉を改めて聞いてみると、可能な限り穏便に話を進めたいから頼むからこの話を受けてくれと懇願しているようにも捉えることができる。
物は考えようとはよく言ったものだと康太は眉を顰める。
「特に私の質問に答えないことだってできた。だがそれをあえて答えたというのは状況をより正確に把握させるためもあったんだろう。わざわざあんな言い方をすればさすがに気づくと思ったんだがな」
「なるほど、向こうとしては強硬手段に出てもいいけど可能な限り話し合いで解決したいと・・・遠回しな脅しというわけですね」
「脅しにしては随分と穏便だったがな。あいつ個人の人格がうかがえる。あいつは交渉には向いていないな」
交渉に向いていないような人間をよこすのもどうかと思ったが、康太としてはありがたいと思うべきなのかもしれない。
おかげで状況をより正しく理解できたのだから。
「じゃあ師匠が依頼を受けたほうがいいって言った理由は受ける方より受けない方のデメリットが大きいと判断したからですか?」
「確かにデメリットは大きいだろう。だがここで話を一度区切ったのはお前の優位性を維持するためもある」
優位性を維持するという言葉に康太は疑問符を飛ばしてしまう。今の状況で自分がまだ優位であるとは思えなかった。
既に脅しの一歩手前にあるのだから王手詰みになりかけている状況だ。だというのに優位性も何もないように思える。
「相手が強硬手段に出ていない今なら、まだお前に選択権がある。強引な手で相手に強制的に選ばされるのと、お前の意志で選ぶのとでは意味が大きく変わる。特に正式な依頼として来ている状況ではな」
「・・・つまり、依頼を受けるという事を約束する代わりに、何かしら代価を要求するってことですか?それこそ追加報酬とか」
「まぁ間違ってはいないがな。追加報酬というよりは追加条件というべきだ。お前にとって危険が限りなく少なくなるように、お前がうまい汁を吸えるように条件を整える必要がある。そのあたりはおいおい煮詰めていくとして・・・私があの段階でお前に利があるといった理由はわかったか?」
小百合の説明で康太はおおよそではあるが彼女の思惑を理解していた。
あの状況で依頼を受けないと突っぱねていれば、本部側は強硬手段に出て康太に脅しをかけ選択権を奪っていた可能性が高い。
そうなると康太は追加で条件を出すことができるような立場ではなくただ首を縦に振る以外に選択肢が無くなってしまう。
だが今の段階であればまだ康太が依頼を受ける代わりに条件を追加したりとある程度交渉できる。小百合は話を強引にマイナスな方向に進めるよりも、プラスの方向に話を進めるようにしながらも一度話を終わらせた。
この事で本部側の動きを一時的にではあるが止めたのだ。考える時間もありなおかつ準備する時間も得られた。
相手がもともとこちらの都合に合わせると言っているのだから時間の猶予はたっぷりとあるのは確認済み。
こちらから返事を出すと言っているのだから催促される可能性も少ないだろう。
その代わりに康太から依頼を受けないという選択肢は失われたが、それでもまだ康太にとって優位な状況を作ることができるだけの猶予は残されている。
交渉としては相手の勝利だろうが、転んでもただでは起きないのが小百合だ。しっかりと相手の思惑と考えを読みとって上手く話を運んだ。こういうあたりは経験の差が出ているなと康太はこの交渉術に感心していた。これだけの考えを巡らせることができるのになぜ普段はあのように考えなしなのかと不思議でならなかったが、今はそのことは置いておいた方がいいだろう。
 




