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ポンコツ魔術師の凶運  作者: 池金啓太
十話「古き西のしきたり」

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康太の内面

平日とはいえ夏休み、今回向かったプールはやはりというか当然というかかなり人は多かった。


元々それなり以上の知名度を持ったプールであるために、家族連れや康太たちのような学生たちまで幅広く気軽に利用できるというのが大きな理由の一つなのかもしれない。


康太たちはロッカーの中にそれぞれの荷物を放り込むと同時に水着に着替え、プールへと向かっていた。


「いやぁ・・・人多いな。マジで」


「これはぐれたら大変だね・・・あらかじめ集合場所決めておこうか」


「そうね、じゃあはぐれたらあのフードコートのかき氷屋の前で集合でどう?」


これだけの人数の中でもしはぐれたら見つけるのに苦労してしまう。もし迷子になってしまったときの集合場所を決めている間に康太と文、そして幸彦は小さな声で話し合っていた。


「二人とも、僕は適当に流れたりしてるから何か用があったら魔力放出して教えて。そしたらその場所に行くから」


「わかりました。すいません、送ってもらったのに何もできず」


「構わないよ。のんびり流れるだけなら面倒も起きないだろうから。それじゃあね。お昼には合流するから」


そんな爽やかなやり取りを康太と幸彦がしているのを横目に、文は魔力を放出するのはもしこの場に魔術師が他にいた場合危険ではないのかという考えが浮かんだが、さすがにこれだけの人数の中で面倒を起こせるとも思えない。


ただの集合の合図としていることも相手にはわかるはずだと言い聞かせて自分たちのクラスメートの元に戻ることにする。


「あれ?八篠、お前の親戚の人は?」


「あの人は適当に流れてるってさ。連れまわすのも迷惑になるだろうから俺らは俺らで遊ぼうぜ」


「いいの?一緒の方がよくない?」


「大人には大人の楽しみ方があるってことだろ?昼には合流するって言ってたからさ。とりあえず遊ぼうや」


青山と島村は幸彦の姿を探そうとするがすでに幸彦は流れ始めているのか康太たちの居るプールの縁からは発見することはできなかった。


流れるのが好きというのもなんというか妙な趣味だなと思われただろうが、日々労働に追われ疲れ切っている社会人には時としてただ流れるだけの穏やかな時間も必要なのだろうと全員が納得することにした。


「女子たちはいつ来るんだ?」


「男と違って時間がかかるんだよ、とりあえずちょっと待っとこうぜ」


康太たちのように裸になってパンツをはくだけで済む男たちと違って女性はいろいろと準備があるのだ。時間がかかってしまうのは仕方のないことだろう。


康太たちがロッカー付近で待っていると康太はその視界の隅で文の姿を見つけていた。


「あ、いたいた。康太、こっちよ!」


「お、女性陣のお出ましだ」


康太たちが視線を向けるとそこにはそれぞれ水着を着た女子たちがいた。


文はその自慢の肉体をしっかりと主張させるビキニタイプの水着を着ていた。色は赤色。なかなかに主張の激しい水着だなと思っていると、文はその視線に気づいたのか得意げな表情をして見せる。


「どう?今回のプールに合わせて新調したの。似合ってる?」


「あぁ、すごくよく似合ってるぞ。なんていうか文らしい」


「・・・褒めてると思っていいのかしらね・・・?」


康太は首をかしげている文だけではなく他の女性陣の水着にも目を向け始める。


ワンピースタイプや文と同じようなビキニタイプもあれば、セパレートタイプの水着とそれぞれだった。


全員テニス部という事もあり体は引き締まっており、しっかりと出るところは出た魅力ある姿となっている。


特に周囲から向けられる視線を集めているのは文だった。その容姿に加えて主張の激しい胸部など、男たちだけではなく同性の女性にも視線を向けられていた。


それを迎える康太たちも陸上部という事もあり体に余計な肉はなく、筋肉がしっかりと浮き出ている。


全員が細身であるために水着を着るとその体のラインがしっかりと出ていた。


「んじゃ適当に回ってみるか。流れるプールとかウォータースライダーとかあるし」


「そうね、あ、あっちの方流れ早い!」


一人が駆けだすのに乗じて全員が移動を始める。せっかく友人同士で来ているのだ、一緒に行動しなければ一緒に来た意味もないというもの。


康太たちはそれぞれ軽く準備運動を終えてからプールの中に入ることにした。


人数がそれなり以上にいるせいか水自体はだいぶぬるくなっている。だがこの夏の日差しの下水に浸かれるというだけで涼を得ることができる。


プールとは偉大だなと思いながら康太たちは流れるプールで思い思いにはしゃいでいた。


大きなプールの施設というだけあってそこにある施設は多種多様だ。流れるプールにウォータースライダー、波打つプールに滝と滑り台の中間のような急斜面の坂のようなものまである。


そして十メートル近い高さの飛び込み台まであるのだ。プールとしてはこれだけ大きな施設は他に数えられる程度しかないだろう。


「よっしゃ、飛び込み行こうぜ!じゃんけんで負けた奴一番上な」


「おいマジかよ、あれ十メートルはあんぞ?」


「いいじゃんやってみよ。文もやろ」


「え!?もう・・・仕方ないわね・・・」


遊びの中で康太たちの目に映るものは次々と変化する。遊びの対象もその遊び方もそれぞれ変化し続けた。


全員がじゃんけんをして一番負けたのは康太だった。


運が悪いのはいつも通りというべきか、一番高い十メートルの高さに立った時、康太はそれほど高さを感じなかった。


普段魔術師として行動している時、時折ではあるがこれ以上の高さを飛び回っているのだ。


今さら十メートル程度では康太に恐怖を抱かせることは難しいだろう。


初戦の時点で屋上から飛び降りるなどということをやってのけているのだ。水の張られたプール程度で怯える程康太は臆病ではない。


「八篠!ビビってるならやめてもいいぞ!」


「言ってろ!今とんでやるから!」


下にいる島村に軽く返しながら大きく跳躍して数回回転しながら水の中へと飛び込んだ。


着水の瞬間、体にわずかに痛みが走ったがそれもいつもの訓練に比べれば些細なものだ。


昔はこういう事も怖がっていたはずなのになと康太が水の中で内心苦笑していると、ほんのわずかに体の中にいるデビットがざわつく。


暴れようとしている感覚ではない。何か動こうとしているわけでもない。だが何かざわざわするのだ。


楽しいと感じているのだろうか。幸せであると感じているのだろうか。


それとも、自分がそのような感覚を抱いているという事が申し訳なく思っているのだろうか。


デビットの感情に康太の感情が引っ張られることがあるのなら、その逆もあるのかもしれない。そんなことを考えながら康太は薄く笑みを作って水面へと泳ぎ出した。


こういうのは楽しんだもの勝ちだとそう言い聞かせながら。











「ねぇ文、八篠君って何かあったの?」


「え?何って?」


「ん・・・なんとなくなんだけどさ、前見た時と表情が随分違うなって」


遊んでいる時、プールの縁で休んでいた文にクラスメートの一人がそんなことを言ってきたので文は目を丸くしていた。


一体どういう風の吹き回しだろうかと思ったのだが、彼女が言わんとしていることを文は理解できていた。


何故ならその原因を知っていたからである。


何かあったのか、その質問に端的に答えるのならイエスだ。何かあったと聞かれれば何かありすぎたというべきだろう。


康太は普通の高校生ができるはずのない体験を何度もしている。特にこの夏休みの間はその中でも一番と言っても過言ではない事件があったのだ。


康太の中に、その事件は深い傷を作った。いや正確に言えば傷というよりは変化を促したというべきだろうか。


「違うって・・・具体的には?」


「ん・・・なんかさ、たまにすごく思いつめてるような顔して、その後にすごく優しそうな顔になる。なんていうか・・・大人っぽい?」


「あー・・・んー・・・そうかも・・・?」


多くの人間の死を体感したことで康太は本来知ることのできないような事柄を知った。


そして康太の中でいくつか変化があったのだろう。康太だけの問題ならまだしも康太は今デビットの残滓を内包している。それがまた一つの原因になっているのかもしれない。


今まで康太がしたことのないような表情をしていても不思議はない。特に一学期の頃の康太と今の康太は別人と言っても差し支えないほどだ。


それほど濃密な体験を康太はしているのである。


「でもなんで?ひょっとしてだけど、あんた康太みたいなのがいいの?」


「ん・・・わかる?いやぁ・・・体もすごく引き締まってるし、結構筋肉あるし・・・それに顔もそれなりじゃん?それになんていうか・・・すごく二面性があるっていうか・・・そう言うのよくない?」


冗談のつもりで聞いたのだが、まさかクラスメートが康太に好意を抱き始めているとは思わなかったために文は一瞬フリーズしてしまっていた。


確かに康太は悪いやつではない。魔術師として以前に人間として信頼のおける人物だ。それを否定するつもりはない。今も康太の事は信頼しているし何より一緒にいて楽しめる人物だ。


だが康太が誰かに好かれるというのはイメージできなかったのだ。


あくまでいいやつどまりの人間であると判断していたのだ。まさかクラスメートに康太に好意を向ける人間がいるとは毛ほども思わなかったのである。


「ま、まぁ好みは人それぞれだしね。別にいいんじゃない?そう言われたらきっとあいつも喜ぶと思うわよ?」


「ほんとに?文にそう言われると自信つくわ・・・でも八篠君の好みってどんな感じなの?文なんか聞いてない?」


親戚なんだからそう言う話しないの?と聞かれて文はプールの中で遊んでいる康太の方を見る。


康太の好みと聞かれて思い出すのは正直難しい。話の中で適当に恋愛の話は何度かした覚えがあるが、それらをすべて覚えているわけではないのだ。


何より康太が誰かのことを好きになるというのがイメージできなかった。


そして康太が誰かと付き合うというのが何よりイメージできなかった。


誰かと手を組んで幸せそうに笑っている康太。そう言う姿を想像すると、本当に少しだけ、本当に少しだけだが不快な感じがした。


体の奥がざわざわするというか、神経を逆なでされているような感覚があった。


「・・・ん・・・そう言う話した覚えはあるけど・・・ごめん、覚えてないわ・・・」


「そっか・・・じゃあさ、今度でいいから軽くリサーチしてみてくれない?今度パフェ奢るから!」


「そ・・・そりゃ・・・いいけど」


康太とはただの同盟関係だ。その康太が誰と付き合おうと知ったことではないし、何より頼まれているのだから断る理由がない。


理由はないはずなのに、なぜか文の中では断ったほうがいいのではないかという考えが浮かんでいた。


自分の中でなぜこんな思いがあるのだろうかと康太の方を見ると思い出す。康太は魔術師なのだ。一般人と付き合うというのはまず難しい。


自分が今までそうしてきたように、康太もまた一般人と付き合うというのは避けたほうがいいだろう。


魔術師と一般人が付き合っても、結局のところ不仲になってしまう。隠し事がある間柄というのは結局のところ上手くいかないのだ。


クラスメートと最初からうまくいくはずがないとわかっていながら康太を紹介するわけにはいかない。そう思ったからこそ神経が逆なでされるような感覚があったのだと文は決めつけて苦笑する。


「聞くのはいいけど・・・あんまり期待しないでよ?大体あいつが色恋沙汰ってあんまりイメージできないのよね・・・」


「あー・・・やっぱり親戚だからそう思うのかな?私結構八篠君ってがつがつ行くタイプだと思ってた」


それは康太のことを知らないからよといいかけたが、その言葉を文はそっと心の中でしまう。


この中で本当の康太のことを知っているのは自分だけなのだという、奇妙な優越感のようなものを感じながら、それはないでしょと茶化しながら笑って見せる。


文はまだ自分の中にある感情を正しく理解できていなかった。それがどのような意味があるのかも、どのようなものなのかも。


「ふぅ・・・腹減ったー」


一通りプールを楽しんだあと康太たちは一度集まって敷地内にあるフードコートで昼食をとっていた。


当然同じようにプールを利用している人々も同じことを考えるために非常に混雑しているためにテーブルを確保するのに苦労するかと思いきや、幸彦が気を利かせて席を確保しておいてくれていた。


これができる大人の男かと全員が感心しながら昼食をとる際、文はちらりと視線を先程話していたクラスメートの方に向けた。


「あー・・・飲み物買いに行きたいんだけど、青山君と島村君手伝ってくれない?」


どうやら文の視線の意味を正しく理解したのだろう、思い出したように唐突にそう言うと青山と島村の方に目を向ける。


「あ?いいけど・・・全員分だとそれでも手が足りなくね?」


「あ、じゃあ私達も手伝うよ、ついでにいろいろ買いたいし」


「文、八篠君、幸彦さん、すいませんけど待っててもらっていいですか?」


「いいわよ。ついでに焼きそば買ってきてくれる?」


「わかった。八篠君と幸彦さんは?」


「んじゃ俺アメリカンドッグ」


「それじゃあ僕はかき氷をお願いするよ。味はイチゴで」


それぞれ注文をすると人が殺到するフードコートにそれぞれ散らばっていった。テーブルに残された康太、文、幸彦の魔術師三人は薄く笑みを浮かべながらその様子を眺めていた。


「また綺麗に分かれたな。まぁその方が話しやすいけど・・・」


「それもそうだね。でも楽しそうで何よりだよ。車を出した甲斐があったってものさ」


「幸彦さん、今回は本当にありがとうございます。今度なんか奢りますよ」


「あっはっは、年下から奢られるほど情けなくはないよ。気持ちだけ受け取っておくさ」


「でも仕事の調整とか大変だったんでしょう?何も考えずに頼んじゃったけど・・・なんか恩返ししとかないと申し訳なくて・・・」


幸彦が今日一日空けるためにかなり仕事を奮闘していたというのは小百合や奏から聞いている。なんとはなしに頼んでしまったが社会人に夏の一日を空けてほしいと頼むのはかなり身勝手な行動だった。


康太としても何かしら恩を返しておかなければ気が済まないのである。


「んー・・・そうだねぇ・・・じゃあ今度面倒が起きた時に力になってくれればいいよ。そのときは連絡するからさ」


「了解です。いつでも言ってください」


暇なときだったら駆けつけますよと康太が力強く言うと幸彦は笑いながら先程から黙っている文の方に視線を移す。


先程から話しをしようと口を開いてはまた閉じ、何やら康太に言いたいことがあるようなそぶりをしている。


どう切り出したものかと悩んでいる風だ。


「あ、しまった・・・ちょっと頼み忘れたものがあるからちょっと行ってくるよ。留守番お願いね」


「わかりました。行ってらっしゃい」


幸彦は気を利かせて康太と文を二人だけにすることにした。自分がいては話しにくいこともあるだろう。


気を使う事ばかりに慣れてしまってこういうことが当たり前にできてしまう自分が少しだけ情けなかった。


気遣いができると言えば聞こえがいいが、それは逆に言えば人の顔色を窺ってばかりいるという事でもある。


これは自分の悪い癖だなと思いながら幸彦が自分を叱咤している中、康太と文は二人で皆が戻ってくるのを待っていた。


「結局俺らだけか・・・どうよ文、今回のプール。ちゃんと楽しんでるか?」


「そりゃあね。こういう大きなプールに来るの久しぶりだったし、ちゃんと楽しいわよ」


康太の言葉に文は自然と返事を返していた。先程まで何を言おうか、どう話しかけようか悩んでいたというのに、康太の声に脊髄反射的に言葉がすらすらと出てくる。


なんというか、話しやすいタイプの人間だからだろうか、それとも康太の事を心から信頼しているからだろうか、こうして一緒にいると非常に楽だなと思ってしまう。


先程までの迷いと悩みがうそのようだ。


自分の頬を伝っているのが汗なのか、それともプールの水滴なのかは分からないが、今の自分にはその水の煩わしさすら感じない。康太と話しているとそんな気分になるのだ。


「そう言うあんたはどうなのよ?なんか変な表情してたけど」


それを言っていたのは自分ではなくクラスメートなのだが、文としても康太の変化には気づいている。


その表情の理由もなんとなく予想はできているが、康太が心底楽しめていないのであればそれはそれで不満がある。


周りに楽しむことを望んでおいて自分が楽しんでいないというのはあまり良いとは言えない。


協調性がないとかそう言うこと以前の問題だ。


「あー・・・いや、ちゃんと楽しんでるぞ?普通に楽しい」


その表情を見て文はなるほどと納得していた。


一学期の頃の康太はこういう表情はしなかった。正確には夏の初めごろまではこういう表情はしなかった。


少し困ったような、それでいてどこか一線を引いているような表情だ。見る人間からすればそれは大人びて見えるかもしれない。


だがその表情が文はどうしても不快にしか思えなかった。


「なんて顔してんのよ・・・あんたらしくもない」


「ん・・・そんな変な顔してたか?」


「してたわ。なんかすごくむかつく顔・・・本当にあんたらしくない」


康太は楽しそうに笑う時もっと快活に笑う。苦笑いするときはもっと露骨に嫌そうな表情をする。バカにした時の笑いは心底腹が立つ顔をしているしふざけている時は心底バカっぽい顔をしている。


だが今まで見た中でこういう顔は見たことがなかった。今まで見たことがない顔を見ることができたというのは文としては良いことなのかもわからないが、それが自分に対して遠慮しているという事ならお門違いである。


自分には遠慮してほしくない。対等でいたい。信頼してほしいと思っているからこそ文はこの顔が嫌だった。


そんなことを考えてから、文はようやく思い出す。クラスメートから康太の好みを聞いておいてほしいと言われているのだったと。


「そういやさ、あんたはどうなの?今回こうしてプール来たけどさ」


「どうって・・・どういうことだ?」


「ほら、普通男子だったらナンパとかしたいとか思うんじゃないの?こうしてたくさん女の人もいるわけだしさ。ていうかあんたってどんな女の子が好みなわけ?」


我ながら自然に聞き出すことができたなと内心自画自賛しながら文は周りにいる人々に目を向けた後で康太の方に目を向ける。


康太も同じように周りの人間に目を向けた後、文に今まで見せたことのないような表情をしていた。


近くを見ているはずなのに、周りを見ているはずなのに、その目には周囲の人々が映されていないように見えるのだ。


どこか儚げでありながら、複雑な感情を抱いているようなそんな表情。いくつもの考えを浮かべては消して、そうやって何度も自問自答をしているような表情だ。


そして文はその表情をどこかで見たことがあった。


「俺の好みか、そんなん聞いてどうするんだ?ひょっとして俺に惚れたか?」


「バカ言わないでよ・・・それよりその反応止めて。ひょっとしてバカにしてるの?」


「俺っていつもこんな感じじゃないか?」


「露骨に話題を変えようとし過ぎよ。あんたそう言うの下手でしょ?私相手にそう言うことしないで」


誤魔化すなと回りくどいがそう言ったつもりだった。先程からしている康太の表情から文は何かを読み取っていた。


これは恐らく康太の内部深くに関わることだ。それを誤魔化している。どういうわけかはわからないが康太は文に知られたくないと思っているようだ。


「あのな、思春期の男子相手にそう言う事聞くのってデリカシーないぞ?好みのタイプとか」


「前は普通に返してたような気がしたけど?それにさっきの表情見た後じゃ誤魔化しているようにしか見えないわ。なんかあるんでしょ?」


漠然としすぎている理由だが、自分の心根をズバリと言い当てているその言葉に康太は苦笑してしまった。


本当に困ったという表情だ。先程までの一線引いた笑顔ではなく、さすが文だと認めてしまうような笑みだった。


「なんか悩みでもあるわけ?あんたのああいう表情見たことないから・・・その・・・ちょっと気になるのよ」


心配するとは言わなかったが、康太も文が自分のことを気にかけているという事は気づいていた。


言うような事ではないように思ったが、文には話しておいてもいいかもしれないと康太は思っていた。


文は信頼できる。今まであった人物の中で一番気の置けない相手だ。


小百合でも真理でもなく、文になら話してもいいだろうなと康太は思えた。それは偏に今まで康太と文が積み重ねてきた信頼の結果なのだろう。


「ん・・・なんていうかさ・・・悩みって程でもないんだけどさ、なんていうかこう・・・気付かされるっていうか・・・なんて言うか」


「気づかされる?」


「あぁ・・・今日とか特に楽しいとかそう言うこと思ってるとさ、毎回毎回こいつがざわつくんだよ」


こいつと言いながら自分の体を指し示す康太に、文は康太が何を言わんとしているのかを察する。


要するに、康太の中にいるデビットが妙にざわついて康太の考えを刺激しているのだ。


「今までは普通に生活してる時は基本『そう言う事』は忘れてることが多いんだけど、こいつと一緒にいてからなんか妙にそう言うことが多くてさ。否が応にも思い出させられるって感じなんだよ」


「なるほどね・・・それで変な顔してたんだ」


康太のいう『そう言う事』が魔術師関係の事であると文はすぐに気づいていた。

今まで康太は魔術師でありながら普通の生活において魔術師であることを自覚していなかった。


魔術師になってから日が浅いというのもあるのだろう、文と会っている時やそう言う話をしているときくらいしか自身が魔術師であると自覚していなかっただろう。


だからこそ普通に過ごしている時は普通の学生として生活できていた。


だが今は違う。中にいるデビットのせいで日常生活においても強制的に魔術師であることを意識させられてしまっているのだ。


考えてみれば当然かもしれない、今までいなかったものを内包して変化しない方がおかしいのだ。


今まで気にしていなかった、日常では思い出すこともなかった魔術師としての感覚を感じ取ることで康太は妙な表情をしているのだ。


正確には余計なことを考えているせいで妙な表情になっているというべきだろう。魔術師になりたての人間によくあることだ。


「あんたが日常で普通に感じてたことが、今自分の中では普通じゃないって感じ始めてるのね。そう言う意味じゃあんたの成長具合がうかがえるわ。少しずつだけど自覚が芽生えるきっかけになるかもしれないし」


「自覚・・・そうなのかな・・・なんて言うか、そう言うのとはまた別なんだけどな」


康太が情けない表情で笑みを浮かべると、文はようやく気付いた。この表情は昔の自分の表情にそっくりなのだ。


丁度中学に入学してすぐ、化粧の仕方やファッション誌など、あらゆるものを見て自分を良く見せようとしたことがある。


魔術師であったとはいえ文だって一人の女の子だ。色恋沙汰に興味があるのは仕方がないだろう。


そうやって慣れないことをして着飾ろうとし、姿見で自分の姿を見てそれを誰かに見せるのだと考えた時の自分の表情に似ている。


どんなに頑張ったところで自分は魔術師なのだ。普通の恋愛などできるはずがない。できてはいけない。


そういうあきらめを含んだ表情だ。自分ではどうすることもできない、すでに変わってしまっている自分と、自分と違う周囲への差異に文は諦めるしかなかった。


そのあきらめの表情に今の康太の顔はそっくりなのだ。


魔術師として通るべきところを、康太は着実に通過している。少しずつだが康太はちゃんとした魔術師になりつつある。


きっかけはあまり良いものとは言えないが、それでも魔術師であることを自覚しつつあるのだ。喜ぶべきことなのだろう。


それだけが康太のその表情の理由ならの話だが。


「じゃあ何?そんな変な顔してるのはそれだけじゃないって感じなのね?」


「ん・・・まぁ・・・そう・・・だな」


「歯切れが悪いわね。はっきり言いなさいよ。何にそんなに悩んでるわけ?」


ここまで歯切れの悪い康太も珍しい。思っていることは大抵ズバズバと言ってのける康太なのに、今は借りてきた猫の様だ。


普段から一緒にいる文でもこういう康太は珍しいなと少しだけ驚いていた。


「さっきさ、楽しい時にこいつがざわつくって言ったろ?」


「言ってたわね。それがどうかしたの?」


「・・・なんて言うか、俺を楽しませないようにしてるんじゃないかなと思って」


「・・・楽しませないように?どういう事?」


康太がデビットの感情につられるという話だろうかと文は首をかしげるが、どうやらそう言う事でもないらしい。


康太自身自分が言っていることが正しいかどうかも判別できていない状態だ。だから一つ一つ確かめながら、自分の中で言葉を探しながらどうにかして文にそのことを伝えようとしている。


文は康太が自分の中にある感情や考えを言葉に出すのを待っていた。康太だってこういうことは初めての経験なのだ。最初はうまく説明できなくて当然である。

だからせかすことなく、文は康太の言葉を待ち続けた。


「俺はさ、あの三日間でこいつがやってきたことを見ただろ?」


「そうらしいわね。実際どんなものだったのかは詳しくは知らないけど」


文はあの封印指定百七十二号の事件において、康太が三日間意識不明になった時に常に康太の世話をし続けた。


康太がずっと苦しんでいたのを見ているし、助けを求める声も聞いていたし、康太自身の言葉で『死につづけていた』という事も聞いている。


だがそれが実際にどのようなものでどのようなことがあったのか、文は詳細までは知らないのだ。


いや文だけではない。この世でまだ康太しかそのことを知らないのだ。なにせ話したところで言葉だけではあの体験を理解することなどできないのだから。


「俺はいわばこいつの理解者で、こいつの協力者で、こいつの相方みたいなもんだ。だからこいつ自身が引き起こしたことの責任・・・みたいなものがあるんじゃないかと思ってる。あれだけ人を犠牲にしたんだから『楽しんじゃいけない』って思ってるんだと思う」


「・・・それは、そいつが?」


「・・・こいつもそうだし・・・たぶん、俺自身も」


二万人にも及ぶ人間の死。それを実際に体験し、理解してしまった康太。そしてそう言った人物たちの最期を体感しているからこそ、自分だけが楽しんでしまうのは申し訳ないような、不謹慎なような気がしてしまうのだ。


先程まで楽しんだもの勝ちだと言い聞かせていても、楽しもうとすればするほどあの時の光景が、あの時の感覚が康太の中でよみがえる。


デビットのざわめきと共に、康太の中にある暗い記憶を呼び覚ます。

何故自分だけがあのような目に。


不条理の中で死んでいった人物たちの感情が、康太そのものの感情の重しになって自然に楽しんだりすることができなくなってしまっているのだ。


魔術師としての活動中なら楽しいという感情は後回しにしている。だが今は純粋に遊んでいるだけの時間だ。幸か不幸かそう言う感情の機微を察するにはおあつらえ向きの状況だったのだ。


「はぁ・・・あんたってさ、前々から思ってたけど結構バカよね」


康太の打ち明けた内容に文は思い切り呆れてしまっていた。ため息をついて眉間にしわを寄せ康太の方をまっすぐと見ている。


「なんだよそれ・・・人が結構真面目に悩んでるのに」


「あんたが悩むのは勝手だし、あんたがそう思うのも勝手。でもね、勝手であると同時にあんたの考えが他の人間に影響することなんてほとんどないのよ?しかもそれが死んだ人ならなおさらよ」


「ん・・・まぁ・・・そりゃそうだけど」


死んだ人間はどうあがいたところで何も変わらない。たとえ死んだ人間を悼もうとも、ぞんざいに扱おうとも、結局その人間が死んだという事実には変わりない。


変わるのはその人の死を見て、そして死んだ人をどのように扱うか考える生きている人間だけだ。


「あんたの言うように、死んだ人がいるのに自分だけ楽しむのが不謹慎っていうのはわからないでもないわ。でもねあんたは生きててそいつは死んでて、あんたが抱えてるその二万人の人たちの死は、あんた程度が重荷に感じたところで何も変わらないのよ?」


あんたが世界を救える救世主だっていうなら話は別だけどねと付け足しながら文は頬杖を突きながら康太の目の前に指を一つ立てて見せる。


「あんたはどうあがいたって一人の人間なんだから、抱え込めないものまで抱えてどうするのよ。切り捨てろとまではいわないわ。その元凶をあんたは抱えちゃってるんだもの。だからそう言うことを思い出すのも、そう言うのを重荷に感じたり使命感を感じたりするのも時と場所を考えなさい」


「でも・・・それでいいのか?こいつは」


「そいつはそいつ、あんたはあんたよ。そいつはあくまで生きていたころの人間のほんの一欠けらでしかないんでしょ?特定の条件に反応するだけのものなんでしょ?だったらそんなのにあんたが引きずられて悩む必要なんてないのよ」


ズバズバとものをいう文に康太は少しだけ気圧されていた。


いくら悩んだところで死者がよみがえるわけでも、デビットが魔術を使って殺した人々の苦しみが癒されるわけでもない。


今生きている康太がいくら祈りをささげても、いくら自分の楽しみを削ろうとも、結局のところそんなものは自己満足以上の結果は生まないのだ。


自己満足なんてものは自分が納得したいだけのものだ。今生きている康太が楽しむか楽しんではいけないかという訳の分からない考え方とは全く違う。


それこそ無意味だ。それをしたところで、そんなことを考えたところで何も変わらないし何も変えられない。


それならデビットが反応するような、それこそ不条理を打倒するときだけにその二万人の命の重さを力に変えればいいだけの話である。


「なんかそこまで言われると逆にいろいろと考えちゃうな・・・ていうかお前は実際に見てないからそう言う事言えるんだよ」


「そうね、私はあんたが見たものも感じたものもたぶん百分の一も理解してないわ。理解しようとも思わないし、たぶん実際に感じても理解できないと思う」


理解できない。それは当然のことだ。


例え康太と同じものを見ても、同じものを感じても、康太と同じ考えや結論に至るとは限らないのだ。


人は人によって感じ方も考え方も違う。康太と文もそれは同様だ。例え康太が同じものを文に見せることができたとしても、恐らく康太が今抱いているような悩みは毛ほども浮かぶことはないだろう。


なにせ文はそういう考えを持つような人種ではないし、何より魔術師としてある程度人の死というものを納得しているのだ。


殺しや人死にを許容しているわけではない。だが魔術でそう言う事が起こってしまった。それ自体は仕方のないことだ。


どんなに悔やんでも過去は変えられない。どんなに悼もうとも死んだ人は死んだままだ。だから文はそう言うものは最初から諦めているのだ。


「それでもね、これだけはわかるわ。あんたの気持ちは確かに立派だけど、その考えに飲まれてばかりいるとあんた自身の人生を見失うわよ?」


「・・・見失う?」


「あんたが見たその人の死やそいつの最後のせいで、あんたはそいつ、あるいはその二万の人たちと自分を同一視しかけちゃってる。それは危険な考えよ」


「・・・理解しようとすることはいいことなんじゃないのか?」


「それが生きている人相手ならね。でもね、死んだ人間を理解しようとしたところで答えなんて出ないし、どんな回答を出したところで、答えを出そうとすることそのものが間違ってるんだもの」


康太には文のいいたいことが微妙にわからなかったが、それでも文が康太に伝えたいことは理解していた。


誰かのために悲しむのはいいことだ。誰かのために涙を流すのはいいことだ。誰かのために怒ったり、喜んだり、時には戦ったりすることも良いことだ。


だがそれはあくまで自分があって初めて成り立つことだ。


自分をないがしろにして、自分を他人であるように錯覚して行動するようではいつかきっと身を亡ぼす。


だから文は康太を引き留めているのだ。これ以上康太がデビットという過去の遺物であり、亡霊に引っ張られて行かないように。


「よく思い返しなさい。そいつのやりたいこととあんたのしたいこと。それは似てるようで別物のはずよ。あんたはあんたがやりたいことをやりたいようにやればいいの」


あんたの師匠にもそう教わったでしょと言いながら文は小さくため息を吐く。


小百合に教わった一つの教え。それを反芻しながら康太は自分の中にいるデビットに話しかけるようにいろいろと自問自答していた。


「ただいま、いろいろ買ってきたよ」


「あ、おかえり・・・ってホントにいろいろ買ってきたわね・・・」


康太が若干悩んでいる中、買い物に出かけていたクラスメートたちがわらわらと戻ってきていた。その中には気を利かせてその場を離れていた幸彦の姿もある。


「いやぁ幸彦さんがいて助かったよ。人ごみの中でもすぐ見つけられて楽だったわ。身長あるっていいな」


「役に立てたなら何よりだよ。それより早く食べちゃお。もうお腹空いたよ」


幸彦に言われるまでもなく、その場に用意された料理を口に運び始める康太たち。フードコートのものという事で最高に美味というわけでもないはずなのにこういう場所の雰囲気がそうさせるのだろうか、和気あいあいと話しながら食べるとまた違った美味しさがあるように感じられた。


「ねぇ文、八篠君に聞いておいてくれた?」


そんな中、クラスメートの一人、康太に興味を示している女子が文の方に顔を近づけて小声で話しかけてきた。


「あー・・・上手くはぐらかされちゃったのよ・・・今度締め上げてでも聞きだすから任せておいて」


「別に締め上げなくてもいいけど・・・お願いね」


実際締めあげるかどうかはさておき、もう康太に好みのタイプを聞くような気分ではなくなってしまった。


康太が魔術師として悩みを持っていて、その悩みを少しでも緩和できたのなら良いのだが、実際康太が抱えているものはこれからもずっと抱え続けなければいけないものだ。


いつかどこかしらで区切りをつけなければいけないことだ。それは康太自身が自分で決着をつけるしかないことだ。


文にできることはあくまで助言をすることだけ。自分はこうすればいいのではないかという考えを伝えるだけ。


最終的な答えを出すのは康太以外に他ならない。どんな答えを出すかは康太次第で、その答えに納得するかどうかも康太次第なのだ。


これ以上自分が先程以上のことを康太に伝えるつもりはない。魔術師として康太がどのように考え答えを出すか、少し不安でもあり、少し期待してもいた。


自分が対等だと認め、これからも自分と対等でいてほしいと願っているからこそ文はあえてこれ以上の助言をしないつもりだった。


どんな時だって他人に与えられた答えより自分で導き出した答えの方が重たくて、同時に納得できるものが多いのだ。


「話はできたかい?」


クラスメートたちがプールの内容やこれから何をしようか話している中、幸彦が文にしか聞こえないような不思議な声で話しかけてくる。


恐らく魔術を使っているのだろう。どのような魔術であるのか文はなんとなく察したうえで小さくうなずいていた。


「それはよかった。康太君はまだ魔術師としては不安定なところがあるからね。これからもよろしく頼むよ」


どうやら幸彦も康太の変調に勘付いていたのだろう。同じ男だからか、それとも同じように周りに理不尽な魔術師が多いからか、同じような境遇の康太を人一倍気遣っているようだった。


康太は人に恵まれるのだなと実感しながら文はクラスメートと話をしている康太の方に視線を送る。


先程までの悩んでいる表情とは打って変わり、いつも見る普通の高校生らしい表情を見せている。


吹っ切れたのか、それともただ単にそう言う演技をしているのか、文には判断できなかったが少しでも明るくなったのなら何よりだ。


魔術師として不安定。


それは康太がまだ魔術師になってから日が浅く、魔術師としての考え方があまりできていないことが原因だろう。


何よりも康太が魔術師としての自分を自覚しきれていないのが原因だ。康太の中にいるデビットが原因で徐々にその自覚と、彼の中に新たに芽生えた悩みが発端になって今なお若干不安定になっているようだがそれもまた康太の成長を助けるものになるだろう。


本来なら師匠である小百合がそう言うことに気遣うべきなのだろうが、小百合は良くも悪くも弟子を放任する。


教えるべきことは教え、自ら気付くべきものに関しては一切教えない。そう言う意味では小百合はある意味厳しくも師匠らしく康太に接しているというべきだろう。


そして真理も過保護の様でありながらしっかり康太には厳しく接している。助けるばかりではなく時には試練を与え、しっかりと康太にできることをできる範囲でやらせようとしているのだ。


考えているだけでは上達はしない。実際にやってみて経験してみて初めてわかることだってある。


こうして悩んでいるのだって同じだ。悩んで考えて初めてわかることだってある。だからこうして悩んでいる時間というのも決して無意味というわけではない。


自分も似たような悩みを持ったことがあるなと少しだけ懐かしくなりながら文は飲み物の入った紙コップを傾ける。


今日が夏休みでよかった。康太にはまだしっかり悩むだけの時間がある。


きっかけは与えた。新しい考え方も伝えた。あとはそれらを閉鎖的にならず康太が考え答えを導き出せるかどうかだ。















その後、康太たちは昼食を終えた後もプールで遊び続けた。


日が傾きかけると同時に引き揚げることにし、全員で幸彦の運転する車に乗り込んでいた。


そして現在康太と文、幸彦を除く全員が車の中で寝息を立てている。これは文の魔術によるものだった。


クラスメートの疲れを取り除いてやりたいという気持ちもあるが、それ以上に康太や幸彦と魔術師として話しておきたいと思ったからである。


特に幸彦とはほとんどと言って良いほど話したことがない。奏とは何度か訓練をしたことである程度性格や特徴も把握しているが幸彦に関してはほとんど何も知らないと言ってもいいくらいなのだ。


「今日はありがとうございました幸彦さん。おかげですごく楽しかったです」


「力になれたなら良かったよ。僕も久しぶりに羽を伸ばせた。やっぱり若い子たちに囲まれるのはいいね。誘ってくれてありがとうね」


若干発言が親父臭いが、実際幸彦はそれなりの歳だ。こういう物言いが多くなってくるのも仕方のない話かもしれない。


「でも幸彦さん、お仕事の方は大丈夫だったんですか?康太が言ってましたけど結構無理してたとか・・・」


「気にしなくていいさ。奏姉さんも言ってただろう?子供がそう言うことを気にするものじゃないって」


奏も幸彦も必要以上に康太たちを子ども扱いする。康太たちとしてもあまりにも子ども扱いされるのは快く思わないが、奏や幸彦のする子ども扱いはなんというか非常に上手いのだ。


線引きがしっかりしているというか、しっかりと一個人として認めながら大人の恰好よさを見せつけてくれているかのようである。


一人の大人として、子供に見栄を張りたいという風に見えなくもないが、こういう見栄を張っている大人たちを見ると少しだけ羨ましく、同時にあこがれを抱いてしまうものだ。


「でもよかったのかい?せっかく友達と一緒なのに眠らせちゃって」


「疲れてるみたいでしたから。それにその方が話しやすいですし」


「ん・・・まぁ友達とは学校で会えるか・・・それで?何が聞きたいんだい?」


何が聞きたいか。文が魔術師として幸彦に聞きたいことはいくつもあった。だがその中で一番聞きたかったことがある。


それは今文が悩んでいることでもある。


「幸彦さんは肉弾戦が得意だと聞きました。それで肉弾戦に有利な魔術を教えていただければなと・・・」


肉弾戦。文も最近本格的に鍛錬を始め、実際に実戦で使えるレベルにまで昇華したいと考えている技術だ。


だが文の場合康太のように実戦に限りなく近い状態での訓練というのはなかなか難しい。


彼女の師匠であるエアリスが本格的に肉弾戦を教えてくれる気になればいいのだろうが、彼女はどちらかというとデスクワークがメインのタイプだ。魔術を使って肉弾戦に対応できるだけの反応速度を鍛えてはいるものの実際の戦闘でどこまで役に立つかはわからない。


そこで文は自分の体に加えて魔術でのアプローチが望めないかと思ったのだ。


何も肉体強化だけが肉弾戦に活用できる魔術ではない。肉弾戦の専門家ならそう言った魔術を知っているのではないかと思ったのだ。


「肉弾戦ねぇ・・・肉体強化は覚えてるんだよね?」


「はい。そう言うのじゃなくてもっとこう・・・汎用性の高い魔術が覚えたくて」


「んー・・・肉弾戦において肉体強化以上に汎用性の高い魔術はあまりないんだけど・・・そうだなぁ・・・」


「あ、そう言う話なら俺も一つお願いが。耐久力を上げられるような魔術ってありますか?」


文が肉弾戦用の魔術を知りたいと口にした時に覚えておきたい魔術があったのだ。


それは先日京都で戦ったカツキチが使っていた魔術だ。体に光る膜のようなものを纏って耐久力を上げているようだった。


単純な防御魔術ではなく、攻撃にも流用できそうな魔術だった。康太の使う槍や炸裂鉄球もかなりあの魔術に防がれてしまっていたために強く印象に残っていたのである。


「耐久力を上げる・・・か・・・うぅん・・・一応肉体強化も耐久力は上がるけどそれじゃダメなの?」


「はい。なんかこう装甲みたいな感じで使いたいんです。どうでしょうか?」


「文ちゃんは?何かリクエストは?」


「そうですね・・・私もまずは耐久力を増すことができれば。あとは攻撃力もある程度欲しいです」


防御も攻撃も同時にできるような魔術がいいという事なのだろうが、幸彦としては困ってしまっていた。


なにせそんな都合のよい魔術がそうそうあるわけがない、実際幸彦が覚えている魔術の中にそう言った類のものを探すのにだいぶ苦労していた。


「そうだね・・・こういうのならどうかな?」


そう言って幸彦が左腕をハンドルから離して二人に掲げて見せると、そこにほんのわずかにではあるが光がともり彼の拳を包み込んでいた。


「あ、これ前見ました」


「そう?話が早いや。これは付与・・・俗にいうエンチャントの魔術だよ。指定した道具や部位に特定の力を与えることができるんだ」


「エンチャント・・・私もいくつか使えますけどそんなに汎用性高いですか?」


「高いよ。道具だけじゃなくて自分の体にも指定できるからね。もっとも自分の体に指定して扱うにはだいぶ苦労するだろうけど」


付加する魔術というのは当然その付加する対象を決定する必要がある。それは武器であり防具であり自分自身である。だが一つ制御を間違えばその与えた力が牙をむくこともある。


その為自分の体にかける場合それなりのリスクが付きまとうのである。


「エンチャントの魔術は種類もあるし属性によって効果も変わる。自分の得意な属性で自分の欲しい特性の魔術を探してみるといいんじゃないかな?」


康太君には今度無属性のエンチャントの魔術を教えてあげるよと言いながら幸彦は魔術を解除し再び運転に戻っていた。


エンチャントの魔術というと康太はゲームなどでイメージすることしかできなかった。武器や道具に特定の効果をつける魔術を思い浮かべる。恐らくエンチャントは魔術や属性によってその効果を変えるのだろう。


以前戦ったカツキチなどは打撃力や防御力を装甲という形で上昇させる魔術を使っていたのだろう。


無属性か土属性に近い魔術だろうか。そんなことを考えている中、康太はふと疑問に思う。


「あの、火属性とかそう言うのはほぼイメージできるんですけど、無属性のエンチャントってどんなのなんですか?イメージできないんですけど」


火属性のエンチャントというと武器や道具に炎を纏うようなイメージだ。あるいは熱を帯びたりと温度に関係するものが多いというのが想像できる。


だが無属性の魔術というとどうしてもイメージがわいてこない。そもそも無属性の魔術は念動力と言った特定の力場を作り出すものが多い。もちろん人間の無意識などに作用するような魔術もあるがそれを体や道具に付与するとなるとどのような効果が得られるのか思い浮かばなかった。


「そうだね・・・僕が覚えているのなんかはさっき康太君が言った装甲みたいな感じだよ。他の属性のものに比べると扱いは比較的簡単だよ。その代り汎用性は低いけどね」


「具体的にはどんな感じなんですか?」


「そうだね・・・さーちゃんなんかが似たような魔術を使えるんだけど、膜を作ってその部位を強化するって考えるといいかもしれないね・・・いやちょっとだけ拡大するって言ったほうがいいのかな?」


小百合も似たような魔術が使えるという言葉に康太は少し興味がわいたのか、助手席で自分の手を何度か開閉させて先程幸彦が見せていた光の膜を思い出す。


「さーちゃんが使う魔術は、特定の道具とか体を対象として、動作を拡大させることができるんだ。正確にはエンチャントとはちょっと違うんだけど、僕が使うのはそれをエンチャントとして使ってる分拡大とかはできない。ただそのかわりある程度強度もあるし使い勝手はいい。少なくとも肉弾戦なら十分扱えるレベルだね」


幸彦はそう言って左手を二人に見せるように掲げて見せる。


幸彦が魔術を発動したのは二人にもわかったが、その手には一見すると何も変化はないように見受けられた。


一体何をしているのだろうと思いながら眺めていると、幸彦は車の中に置いてあったペンを一つ指でつまんで見せる。


すると指に直接触れていないにもかかわらずペンは宙に浮き、幸彦がもっているかのように動いて見せた。


「これ、指に膜ができてるってことですか?」


「そう言う事。指の動きと同じように動かすことで疑似的に装甲みたいな役割を与えてるんだ。拡大能力をなくす代わりに装甲としての力を与えてるから普通の斬撃くらいだったら簡単に防御できる。攻撃と防御両方に使える便利な魔術だよ」


逆に言えばそれ以外に使い道は無いけどねと幸彦は笑いながら適当なメモ用紙を手に取ってそこに何やら紋様を書いていく。


それが先程行っていた魔術の術式であると康太と文はすぐに理解できた。


「こういうのはあまりやらない方がいいんだけどね・・・まぁ若者が覚えたいっていうならしかたないか」


二人の師匠というわけでもない幸彦としてはあまり肩入れすることは良いことだとは思っていないのか、それとも魔術を教えるのは師匠の務めだと思っているのか、少し苦笑しながら二人に術式を渡していた。


「この魔術って強い一撃を受けたりすると壊れるんですよね?」


「もちろん壊れるよ。相手が強い一撃を与えてきた場合はそれをある程度緩和してくれるとかそう言うレベルだね。練度と消費魔力を上げればそれだけ強度は増していくし、そのあたりは使ってみて調整するといいよ」


このエンチャントの魔術は名を『付与装甲』というのだが、この魔術は特定の部位、道具などに特殊な膜を張ることができる。その膜の展開範囲が広ければ広い程、また強度を上げようとすればするほど消費魔力は多くなる。


練度を上げていけばより少ない魔力で広い範囲をカバーしたり、少ない魔力でもそれなりの強度を持つことができる。


この魔術の利点は単純な防御だけではなく、武器での攻撃においても発揮される。


例えば刃物での攻撃の際に刃物部分にこの魔術を使っておけばその斬撃が一時的に強化される形になる。


強化されると言っても刃本体が傷つかないとか、ほんのわずかにではあるが攻撃範囲が増えるとかそう言うレベルだが、刃の損傷を気にしなくてもいいという点では覚えることによる利点は大きい。


それにこの魔術を使いこなせるようになれば攻撃を受ける瞬間に、攻撃を受ける部位に装甲を展開することで少ない魔力で的確な防御ができるようになるかもしれない。


やるべきことがまた増えたが、できることも同じように増えるだろう。康太は嬉々としながらその術式を眺めていた。


「でもさっきも言ったけど気を付けてね。自分の体に指定してエンチャントするっていうのはそれなりにリスクがあるんだから。しっかりと練度が高くなるまでは実戦投入は厳禁だよ」


エンチャントの魔術はリスクが付きまとう。というか術者の肉体に直接かけるタイプの魔術は大抵リスクがある。物理的な効果が高ければ高い程そのリスクは付きまとうのだ。


肉体強化を不完全な形で発動すると強い吐き気などを催すのと同じようなものだなと康太は理解することにした。






















「幸彦さん今日はありがとうございました」


康太たちは駅まで戻ると幸彦に礼を言ってそれぞれ解散していた。車の中で丸々寝ていたクラスメートたちは比較的元気を取り戻し、それぞれの家へと戻っていく。


康太と文はこれからどうしようかと考え始めていた。


「そうだ康太君、ここまで来たんだしせっかくだからさーちゃんの所に顔を出していこうと思うんだけど、一緒に来るかい?」


「あ・・・そうですね。とりあえず顔だけは出しておいた方がいいか・・・文はどうする?師匠のところ行くみたいだけど」


「どうしようかな・・・行ってもいいけど、邪魔にならない?」


「邪魔にはならないだろ。それじゃ幸彦さん、お願いします」


「了解、それじゃ後ろに乗って」


康太と文は幸彦の操縦する車に乗り込むと小百合の店まで直行することになった。


早く家に帰って風呂に入りたいという気持ちもあるが、せっかく世話になった幸彦に何の見返りもなく帰してしまうというのはさすがに気が引ける。


小百合の店までなら特に問題はないしそこまで負担にもならない。どうしても風呂に入りたいなら小百合の店で風呂を借りればいいだけの話だ。


「やあさーちゃん、遊びに来たよ」


そうして車で移動し、小百合の店に到着すると奥のちゃぶ台でパソコンで作業をしていた小百合はものすごく嫌そうな顔をしていた。


満面の笑みの幸彦との良い対比である。なぜここまで嫌そうな表情をするのか康太には理解できなかった。


「何の用ですか?というか今日は確か康太たちの付き添いでは?」


「そうだよ、その帰りに寄ったんだよ。せっかくこの辺りまで来たしね」


幸彦の後ろに康太たちがいたのを見つけてお前達が連れて来たのかと呪わんばかりの視線を向ける中小百合は大きくため息を吐く。


「・・・康太、全員分の茶を淹れてこい。ついでに茶菓子もだ」


「わかりました。そう言えば姉さんは?」


「真理なら地下だ。いくつか注文があったからまとめさせている」


真理は今日予定があったらしいが、その予定はもう終わったのだろう。茶を淹れたら彼女の手伝いをしなければいけないなと思いながら康太が茶を淹れていると文もその手伝いにやってきた。


ちゃぶ台の所に残された幸彦は康太と文の方を見て薄く笑みを浮かべる。


「今日は楽しかったよ。さーちゃんも来ればよかったのに」


「生憎と私がいると周りの人間が怯えるのでね。それに仕事が溜まってますから」


「そう。でもやっぱりあぁしてると康太君もまだ子供なんだなって思うよ。思春期真っ盛りって感じだね」


康太の今日一日の様子を見ていた幸彦は困ったように笑う。時折康太が見せたあの表情は、自分の中で答えを見つけられずに悩んでいるような感じだった。


自分の中にある答えの出ていない問題を抱えて不快に思っているような、解決しなければいけないのに自分一人では答えを出せないような、そんな表情だった。

思春期にありがちな自問自答。康太がしていたのはまさにそれだ。


「・・・康太が何やら失礼を?」


「いやいやそう言う事じゃないよ・・・彼はまだただの高校生だ。魔術師になってもそのあたりは変わりない」


「・・・ですがいつまでもただの高校生のつもりでは困ります。魔術師として、一人前になってもらわないと」


「まぁそりゃそうなんだけどさ。あんまり急ぎ過ぎても康太君が追いつけないよ。体とか技術じゃなく精神面でさ」


人間の肉体というのは鍛えれば鍛えるだけその能力を向上させていく。個人によって限界はあるし、得意不得意もあるだろう。


その成長の速度にも差がある。康太は比較的運動が得意な方なのだろう、肉体面ではその成長は確かに著しい。


だが精神面はそうもいかない。


精神の成長というのはあらゆることを経験して少しずつ育っていくしかない。劇的な経験をしても、その瞬間に精神が成長するということはあり得ないのだ。


経験し体験し、そしてまた別のことを経験してようやく少し成長する。それが精神の成長というものだ。


康太は確かに魔術師として肉体的な技術や能力を高めて来た。だがその成長に精神の成長が追いついていないのだ。


「今はまだ少しのひずみで済んでる。文ちゃんも結構サポートしてくれてるみたいだから心配はいらないけど・・・これ以上負荷をかけるとどうなるかわからないよ?」


「・・・あいつを面倒に連れ出すなと?」


「連れ出すなとは言わないさ。最低限気を使ってあげたほうがいいよってこと。厳しい師匠っていうのも必要だけど、たまには優しくしてあげなきゃ」


「・・・私にそれを言うんですか?」


「苦手なことでもきちんとやらなきゃね。さーちゃんは恥ずかしがり屋さんだから難しいかな?」


そう言いながら笑う幸彦に小百合は眉をひそめてため息を吐く。


だからこの人は苦手なんだと内心舌打ちをしながらパソコンの作業を一度止めて台所に向かった康太の方に視線を向けた。


師匠と弟子の関係を変化させるつもりはない。だが幸彦のいうように康太が歪を抱え始めたのは確かだ。


その歪が大きくなる前に手を打て。幸彦が言いたいのはそう言う事だ。


康太は力を得た。だがその代わりに自分自身の中に大きな問題を抱えた。それは身体面ではなく精神面でのものだったのだろう。


何のリスクもなく力を得ることはできないとはよく言ったものだ。小百合は康太がどのような魔術師に成長するのか、少しだけ真面目に考え直すことにした。


一周年を迎えましてお祝いでとりあえず十回分投稿


一周年ならこれくらいかなと思ってとりあえず十回分投稿してみました


これからも頑張って更新していきますので楽しんでいただければ幸いです。

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