監視の目
「あぁ、これ良いですね。今のうちに買っておきましょうか」
「いいですね。生菓子は・・・帰りの方がよさそうですね」
「今買うとちょっと痛んでしまうかもしれませんからね。そう言えば文さんにも何か買っていってあげるんですか?」
「えぇ、文とエアリスさんには渡そうと思ってます。後奏さんと幸彦さんにもお土産をと思いまして」
「それがいいでしょう。きっと喜びますよ」
こうして康太と真理は仲良さそうに、そして一見すると本当にただ買い物をしているだけのように思えるだろう。
だが当の本人たちからすると二人ともだいぶ周囲への警戒を高めている状態だった。
敵意を放つようなことも殺気を抱くこともなかったが普段の康太たちを知っている小百合や文がこの場にいれば二人が普段通りの演技をしながらも周囲に対して強い警戒心を持っていることを理解できただろう。
本当に僅かで普段の二人を知っていないと理解できないほどの変化。だがそれは確実に二人の中にあった。
「時に姉さん、例の状況はどんな感じですか?」
「見られているの自体は変わりません。どうやら相手としては阻害されていてもある程度こちらが見えていればいいと思っているんでしょうね。阻害対策の魔術を使ってきていません。範囲に関してはもう少し歩いてみないとわかりませんね」
先程から移動しながら買い物などをしているが、遠視の魔術の効果範囲はさておき相手のアプローチの状況などはそこまで変わっていない。
真理が遠視阻害用の魔術を使っているにもかかわらず、相手がその対策を全くしてこないという事はなにか理由があるのだろう。
「ってことは、相手はただ俺たちが魔術師だから見てるだけってことですか?」
「問題を起こさないようにチェックしているというのもそうですが、見ているぞという印象を与えることで行動しにくくしているのかもしれませんね。見られているという状況では誰しも危ないことはしにくくなるものですから」
人目のある場所では犯罪は起きにくい。テロや目撃されることを目的とした犯罪ならまだしも見つかるわけにはいかない魔術師なら大抵の人間は人目を遠ざける。
今こうして自分たちが見られているという事はそれだけ悪いことがやりにくいという事でもある。
「詳細が見えなくてもいいなんてことあるんですか?ちょっと小細工するようなことだってあり得るかもしれないのに」
「そうすることができないのか・・・あるいはそれをする必要がないのか。もしかしたら今見ている人は使命感ではなく義務的にやっているのかもしれませんね」
「・・・どういうことです?」
「つまりお仕事と同じ感覚でやっているという事ですよ。とりあえず勢力圏内に知らない魔術師が入ってきた。だからマークはしているけれどそれ以上はするつもりはない。四法都連盟の実業務に関しては私も分かりませんから、もしかしたらそう言う役割があるのかもしれません」
「あー・・・なるほど。索敵用のチームとかそういう役割をそれぞれ担わされてるって感じですか?」
「このまま何のアクションもなく、ただ見ているだけならその可能性がありますね。ですが困りましたね・・・このまま見られ続けるというのは少々・・・」
たとえ相手に悪意がなくとも、たとえ相手が事務的な行動だとしても四六時中見られているというのはあまり気持ちのいいものではない。
特に真理は女性だ。相手がどこの誰なのかは知らないがずっと見られるというのは正直困るのだ。
「いっそのことどこにいるのかわかればこっちもアクションかけられるんですけどね・・・こっちについてきてる奴もいないっぽいですし・・・そちらは何かわかりますか?」
「なかなか尻尾を出してくれませんね。それだけ相手も慎重になっているという事でしょうか・・・あるいは相当の手練れか・・・まぁどちらにせよ油断できる状況ではありませんね」
「何かアクションを起こしますか?」
「ん・・・それもいいですがもう少し待っておきましょう。こういうのは焦ったほうが負けるものですよ」
康太たちはまだ相手に対して何のアドバンテージも握っていない。相手だけがこちらを捕捉している状況だがそこまで焦るような状況ではないのも確かだ。
まだ条件はイーブンに戻せる。別にこちらが何かされたというわけでもなければすでに戦闘中というわけでもないのだ。
これはあくまで情報戦。まだこちらとあちらが敵対関係になるとは限らないのだ。必死になって不審な行動をとって相手の警戒度を上げる必要はない。
「こういうのって少しもどかしいですね。もうちょっとわかりやすく接触してきてくれればいいのに」
「そう簡単にはいかないものですよ。こちらもあちらも、まだ互いの情報や内情を全く理解していないのですから。探りを入れて調査をするのは当然の事です。もどかしいというのは同意しますが」
真理としてもちまちまとした情報戦や駆け引きよりも実際に戦ったほうが簡単だし楽だと思っているのだろう。
やはりこの人は自分の兄弟子だなと思いながら康太は一瞬眉を顰める。
ほんのわずか、本当に一瞬だけ自分に向けられたある視線を感じ取ったのだ。
殺意が込められたその視線、康太はその方角を大まかではあるが理解し再びなんでもない笑顔に戻してから真理の方を向いた。
「姉さん、今の分かりました?」
「えぇ、どうやら相手の方がしびれを切らしてくれたようですね。ですが康太君?ほんの一瞬でも表情を変えるのは減点ですよ?それだけ相手に変調が伝わってしまいます」
「すいません。やっぱこういう視線向けられると身が強張るというか・・・」
「言いたいことはわかりますけどね。これからは何事も無くなるように努めましょう。ですがまぁ殺気を読むことができるようになっているだけ上出来ですね。私だけではなく康太君も感じ取ったのなら間違いではないでしょう」
待っていた甲斐があるというものですと真理は商品に手を伸ばしながら薄く微笑む。
康太だけではなくその視線は真理も感じ取っていた。当然と言えば当然だろう。康太にできて真理にできないことなどほとんどない。特に魔術や戦闘に関してのことは小百合に教え込まれ続けた真理が習得できないはずがないのだ。
距離までは康太もまだわからないが、その方向はなんとなく理解した。問題はこれからの行動をどうするかである。
「ですが一瞬だけ、という事は厄介ですよ?その気がなくても私達のやり取りそのものに殺意を抱いたのか、それとも殺気を出してすぐに自らを諫めたのか・・・前者ならまだいいですが後者の場合厄介です」
「それだけ手練れってことですもんね。どうしますか?相手の方に行きますか?」
「どうしましょうか・・・正直迷っているんです。こちらに殺気を向けたのはまぁいいとして、戦闘をするつもりがあるのか・・・それともないのか。こちらから積極的にアプローチをかけるとその分戦闘になりやすいです」
「こっちが接触したがってるって思われるからですか」
「それもありますが、斥候というのは基本見つかってはいけません。相手の情報を入手し、確実に本部に伝えなければなりませんから。こちらが見つけて追おうとすれば当然相手は逃げようとします。そうなると逃げる側は追う側に何かしらの置き土産をする可能性があります」
置き土産というのが何らかの攻撃魔術であるというのは康太も理解できていた。要するに確実に逃げるために康太たちに対して何らかの魔術的なアクションをかけるという意味だ。
それが足止めのための煙幕のような単純なものであれば良いのだが、足を潰すための攻撃魔術である場合こちらの被害も出てきてしまう。それはこちらも相手も望むところではないように思うのだ。
「相手から攻撃をされたならこちらとしてもそれ相応の対応をしなければなりません。少なくとも見て見ぬふりをしていられる状況ではいられなくなります」
「そうなると戦闘になる・・・か・・・どうしましょうか・・・?面倒は起こしたくないですけど・・・」
「商談は明日・・・可能なら今日中に相手側に私たちの目的を知らせて可能な限り摩擦を少なくしておきたいんですけど・・・どうしたものでしょうか・・・」
こういった事態になれている真理としてもこの状況をどうしたらいいものかと悩んでいるようだった。
普段のようにこの辺りが魔術協会の勢力圏内であるというのであれば話は簡単だったのだが、幸か不幸かこの辺りは四法都連盟の勢力圏だ。協会と連盟という組織同士の対立を深めるわけにもいかない。
可能な限り穏便に。そう言う意味も含めて小百合は康太と真理に今回の行動中の露払いを任せたのだろう。
自分がやったのでは間違いなく摩擦が強くなる。二人に任せることである程度問題を少なく解決できるようにしたつもりなのだろう。
もっとも、言い方を変えればただ単に面倒事を弟子二人に押し付けたという形になるのだろうが。
「康太君の意見としてはどうです?このままスルーしておくか、それともアプローチをかけるか」
「・・・そうですね・・・相手が見ている状態がどういう意味を持っているのかはさておき、阻害の魔術を使ってるので見られていることをすでにこっちも気づいていると相手側は知ってるわけですから・・・少し強気のアクションをしてもいいと思います」
「ほう、それは何故?」
「こっちがすでに見られているのを気づいているのに相手は何もしてきてない。するつもりがないのかする気がないのかできないのかはわかりませんけど、このままじゃたぶんずっとこのままです。なので揺さぶりをかけて相手の目的を割り出します」
「思うように埒が明かないのなら、思うように埒を明けようというのですね。なるほど・・・やはりあなたは私の弟弟子ですね」
同じことを考えていましたと言いながら真理は笑う。
康太も真理も小百合の弟子だ。長々と状況の変わらない持久戦をするのは趣味ではないのである。やるなら端的に、小気味よく、竹を割ったようにわかりやすく。
状況が変わらなく、その状況のままではこちらが不利のままであるのであれば多少こちらの身を削ってでも状況を動かして有利になるように働きかける。
小百合との訓練で学んだことでもある。時には自分にできないことでもやろうとするのが戦いにおいては重要なのだ。
「さて、そうなればこちらとしても準備が必要ですね・・・とりあえず少し移動しましょうか。別のお店も見たいですし」
「そうですね、もう少しだけ買い物をしていたいですし。やりたいこともできましたし」
康太は携帯の地図アプリを起動しながら、真理は買いたいお土産をレジに持っていきながらこれからの行動の準備を始めていた。
今もなお監視は続いている。だがいつまでもこの状況に甘んじているつもりは二人とも毛頭なかった。
「おぉ、修学旅行の土産物の定番、木刀じゃないか!こういうの見ると中学の頃を思い出すなぁ・・・」
「へぇ、康太君はお土産で木刀を買った口ですか?」
「さすがに買いはしませんでしたよ。でもクラスメートの何人かは買ってましたよ?長いやつじゃなくて短いやつでしたけど」
土産物の定番かどうかはさておいて、康太は店の中に置かれている木刀を見て目を輝かせていた。
男の子というのはいつまで経っても武器にあこがれるものなのである。それは中学生が高校生になる程度の時間では変わることはない。
そして康太が仮に普段槍を扱う魔術師であっても武器にあこがれることに変わりはないのだ。
「それで姉さん、どうするつもりなんですか?このまま買い物でも俺は別にいいですけど・・・」
「ふふ・・・そうですね、そろそろアプローチを変えましょうか。でももう少し待ちますよ。あと少し・・・たぶんあと数分以内に変化があるはずです」
自分の分からないところで真理は一体何をしているのだろうかと疑問に思いながら、康太は特に何を考えるでもなく買い物を進めていた。
こういう時は下手に考えを巡らせるよりも自然体でいたほうが真理の役に立てるであろうという事を理解しているのである。
「何かできることがあったら言ってくださいね。何もしないのはさすがにあれですし」
「わかっていますよ。康太君にもしっかり働いてもらいます。時に康太君、遠隔動作の魔術の射程距離は大体どれくらいですか?」
「え?・・・そうですね・・・調子の良い時で百メートルないくらいです。今の状態だと・・・たぶん五十メートルとかそこらが限界くらいだと・・・」
康太の扱う遠隔動作の魔術はその発動距離と発動時間に比例するように消費魔力や必要とする集中力が多くなっていく。
康太が認識できている距離、そして把握できている場所、康太自身の調子、全ての要素がかみ合って初めて離れた場所での発動が可能になる。
以前に比べだいぶその射程距離は伸びている。だが調子は普通、しかもあまり来たことのない街並。しかも視界も開けていない。遠隔動作を長距離で使うには少々良くない条件が並んでしまっているのだ。
「ふむ・・・それでしたら十分ですね。ゆっくり移動しましょうか。お店からお店へ転々とする感じで」
「さっきまでと同じですか・・・それで何をすれば?」
「もうそろそろ康太君もどこから見られているのかというのがわかってきたんじゃないですか?さすがにずっと見られてますし」
「・・・なんとなくですけど・・・今は俺の後ろ・・・大体七時の方角の斜め上くらいからですか?」
「その通りです。大体そのあたりから視界を確保しているようですね」
遠視の魔術は所謂カメラのようなものを飛ばしてそこから見えるものを術者に届ける魔術だ。
監視カメラのように定点的に配置される物もあれば、まるで自由自在に飛び回るものも存在する。
今回の場合は後者だ。視線の位置が一定ではなく動いているのがわかる。
だが康太なりに全力で探ってようやくわかる程度だ。見られていると意識しなければわからないほどにその視線は弱弱しい。直接見られていない分認識しにくいというのもあるのだろう。
直接殺気を向けられるのと違ってだいぶ把握するのに時間もかかってしまう。こういうのはまだ察しが悪いあたり実戦経験の少なさがうかがえる。
「康太君には私が合図したら私の指示する位置に指示したように遠隔動作の魔術を発動してください。アプローチとしてはそれで十分です。あとは私がやりましょう」
「それはいいですけど・・・もしかしてもう場所把握したんですか?」
「ふふ・・・ただ買い物していただけではないんですよ?まぁばれないようにするためにだいぶ面倒な手順を踏みましたが」
どうやら真理としても何もせず買い物をしていただけではないようだった。
見つからないようにばれないように相手を探すというのはだいぶ苦労したようだが、その苦労を全く表情に出さずに今まで買い物をしていた当たりさすが経験豊富なだけはある。
我が兄弟子ながらすごい人だと感心しながら康太は笑みを浮かべていた。
「それで、どのタイミングで仕掛けるんです?」
「まずは康太君の射程距離まで近づきましょうか。話はそれからです。相手がそこを動かないように自然に、かつゆっくりと、確実に動いていきましょうか」
真理が遠隔動作の魔術を使えば恐らくもっと簡単に話は済んだのだろうが、恐らく彼女には別にやることがあるのだろう。
それなら自分は確実に彼女の役に立てるようにするために集中を高めておく必要がある。
可能なら周囲の建物の位置や構造なども把握しておきたいところだ。
時折解析の魔術を発動しながら康太は建物の構造を把握しながらその情報を頭の中に入れていく。
当然こちらを見ている人間に気付かれないように死角になるようにしながら。
あともう少し、もう少しで康太の魔術の射程距離に入る。
康太は指定された座標にいつでも遠隔動作を発動できるように心がけながら、真理の合図を待っていた。
日曜日、そして誤字報告を五件分受けたので合計三回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




