その手が届く距離
『ちょっとビー!あんた何してるの!?まさか気絶させて運ぶとかそう言う話じゃないでしょうね?』
「そんなことするか。自分で走ってもらうんだよ。お前はマネージャーさんに言って二人を走らせろ!」
できるかもしれない、いやできるはずだ。康太の中には一種の確信があった。
康太の身に宿った『Dの慟哭』この魔術は本来このような形の魔術ではなかった。
神父であり魔術師であるデビットが、神への、そして不条理への悲しみと憎しみと怒り、全てを含めた感情の渦に晒したことによって今の形となった。
だがこの魔術の本来の形は、本来の目的は他者から魔力を吸い取るというものではない。本来は自らの魔力を生命力に変え他者に分け与えるものだったのだ。
「・・・思い出せ・・・!あそこにいるのは救けなきゃいけない人だ・・・!」
康太のその言葉に呼応したのか、体の中からデビットが噴き出してくる。康太の真後ろに顕現し、その両腕をゆっくりと移動している森本奈央に向ける。
文が連絡したのか、マネージャーの表情は緊迫している。そして早く移動しようとして森本奈央を引き連れて走る。
だが森本奈央は走れなかった。走ろうとしているのはわかる、だが体力が残っていないのか、ほとんど歩いている速度と変わらない。
マネージャーが手を引いて走らせようとするが彼女の足が追いついていない。
体力と生命力が同じようなものであるかはわからない。だがあの時、自分の体の中から抜け落ちていったあの『何か』が生命力なら、それを注ぎ込めば少なくとも活力は戻るはずなのだ。
康太の体の中にあった魔力が減っていく。康太は特に何もしていない。ただ森本奈央の助けになりたいと思っただけだ。
その想いに呼応したのか、デビットが揺れている。より人に近くなった姿をさらしながら康太の魔力を一気に奪い取っていく。
瞬間、森本奈央の足取りが変化する。先程までは走るというよりも無理やり足を動かしているだけだったのに対し、徐々にではあるが走ることができ始めている。
地面を蹴り、足を前に出し、少しでも早く移動しようとしているのがわかる。
うまくいった、そう理解するのと同時に康太は先程までこちらに意識を向けていた魔術師に対峙する。
康太が戦闘を中断していたのは一分にも満たない。だがそれでも相手が移動するには十分すぎる時間だった。
康太は残り少なくなった魔力を総動員して身体能力強化の魔術を発動し、森本奈央を追おうとする魔術師の眼前に立ちふさがる。
槍を振るうことで相手への牽制にもなったのだろう、眼前の魔術師は森本奈央への接近を一度止め康太への対応に集中することにしたようだ。
しかも康太が槍を持っていることもあり、必要以上に近づこうとしてこない。どのような魔術を使うのかもまだ判別できていないからかこちらの様子を窺っているようにも見えた。
その対応はこちらからしても好都合だ、先程の生命力への変換のせいで魔力の半分以上が持っていかれた。しかも体に残っている魔力もかなり少なくなっている。少し時間をかけて魔力を回復させないとまともに戦闘も行えなくなってしまうだろう。
魔力の供給口の弱い康太では魔力を一気に消費してしまった場合どうしても長期戦を行えなくなってしまう。
もっとも、それは少し前までの話だ。
康太はDの慟哭を発動し、目の前にいる魔術師の体めがけて黒い瘴気を飛翔させる。
当然魔術師もそれを避けようとするが、霧状に散布された瘴気を完全に避けられるはずもない。
取り囲むように魔術師の体を包んでいき、問題なくその体に瘴気を取り込ませるとすぐさま魔力の吸引を始める。
自らの供給口に加えDの慟哭による魔力の吸引。この二つを合わせれば今までの倍近い魔力を一度に蓄えることができる。
倍と言っても元が弱いために焼け石に水のように思えるかもしれないが、相手の魔力を奪っているという意味では大きな意味がある。
相手の魔術師も自分の魔力が奪われているという事を理解したのか、すぐに康太から離れながら森本奈央を追おうと移動を開始する。
魔力吸引の魔術はある程度距離があると発動できなくなるというタイプのものが多いと聞く。
確かに康太の身に宿すDの慟哭も同じタイプだが、その射程距離は従来のそれとは比べ物にならない。
その分操作性や制御性に難があるが、十メートル程度距離を空けたところでは何も変わらないのである。
康太はすぐに遠隔動作の魔術を発動し移動している魔術師の首根っこを捕まえて後方へと引き寄せる。
急に力がかかったことで体勢を崩した魔術師めがけて康太は槍を思い切り振りかぶりその脚部へと斬りかかる。
康太の槍は間違いなく足に命中したはずだった。だが金属音がし康太の手には妙な手ごたえを残していた。
槍が魔術師のローブを切り裂くとその下には金属のプロテクターが装着されていた。
あれでは刃を当てたところで傷にはならない。金属を操ることに長けた魔術師だというのはわかっていたが防御にも使用しているとは思わなかった。
それだけ体が重くなるが、康太のような物理攻撃に特化した魔術師には特に相性がいいだろう。
厄介だなと思いながら康太は相手との距離を一定に保ちつつ槍の攻撃を放ち続けていた。
結果から言えば相手の近接戦闘の能力はさほど高くなかった。
当然と言えば当然かもしれない。魔術師は本来中距離戦闘を好むものが多い。魔術のほとんどが射撃系や念動力などによる攻撃なのだから。
康太のような接近戦を心得た魔術師の方がむしろ特殊なのだ。
相手も魔術を発動して何とか康太を退けようとしているが、相手が使ってくるのは金属の操作による遠隔攻撃。そして時折武器を使って攻撃してくる程度だ。
武器と言っても小型のナイフ。その程度では康太の槍の前には意味をなさない。
どうやら康太に接近戦を挑まれかなり集中力が削がれているようだ。視界も思考も狭まり何とかして康太を退けなければいけないと思っていながらも最善の策が思いつかず、簡単に行える行動だけを選択している。
魔力を奪われながら苦手な戦闘を強要されているというのも彼の思考能力を奪うのに一役買っているようだ。
思ったよりもこのDの慟哭は相手への精神的な動揺を与えるのに有効であるらしい。
訓練を始めたばかりの文の行動に似ているなと思いながら康太は槍を放ちながら相手の防具の位置を確認していた。
その体に装着されている金属のプロテクターの位置は大体把握しつつあった。
腕、胴体、足、それぞれ金属のプロテクターで関節の動きを阻害しないように防護している。
康太の槍の攻撃もうまい具合にプロテクターに当てることで防ぐことができている。
もっともかなりギリギリな感はある。むしろ反射的に腕で防いだ時に丁度プロテクターに当たっているという表現の方が正しいかもしれない。
既に森本奈央はだいぶ移動しているようだった。この距離なら身体能力強化をかけて移動しても彼女たちの方が先に駅前の通りに到着するだろう。
既に足止めとしての役割は十分に果たした。
問題は目の前のこの魔術師をどうするかという点だ。
このまま退けてもいいが、何を目的にしてこの魔術師が森本奈央を狙ったのかを確認しておく必要があるだろう。
個人的な私怨か、それとも誰かに頼まれたのか。
もし後者ならそのことを確かめなければならない。その為にはただ退けるだけでは不十分だ。
この魔術師は生かして捕える。
目標が決まったところで康太は自分の中にある魔力を確認する。
接近戦を主軸にしていたこともあって比較的魔力は溜まってきている。魔力の貯蔵量は五割から六割程度だろうか。先程の状態よりはかなり回復している。
このままの回復と魔術の使用を考えても多少余裕はある。もちろん無茶な使い方をしなければの話だが。
少し深呼吸をしてから康太は意気込んで槍を片手持ちに変えて片手をフリーにすると魔術を発動する。
こちらから逃げようとする魔術師に対して遠隔動作の魔術を発動し、こちらに無理矢理引き寄せる。
相手からすれば唐突に力を加えられることもあって体勢を崩してしまう。この遠隔動作という魔術は接近戦にも使えるし補助にも使えるかなり有用な魔術だった。苦労して覚えた甲斐があるというものである。
槍の射程距離を維持すると同時に槍を振いながら康太は懐からナイフを取り出して相手に向けて投擲する。
かなりの至近距離で投擲されたナイフは相手の腕に仕込まれたプロテクターに当たりほとんどダメージは与えられずに弾かれてしまう。
だがそれでよかった。
康太は再び遠隔動作の魔術を発動し、弾かれていったナイフを『掴む』
そして自分の体から振るわれた槍を防いだ腕の関節部分めがけてナイフを思い切り突き立てる。
そう、この遠隔動作の魔術の真骨頂は自分の体がそこになくても自分の体がそこにあるかのように道具を操れるという点にある。
つまり接近しなければ使えないはずの近接武器を中距離間でも使うことができるという事でもある。
無論距離と発動時間に比例して魔力を消費してしまうためにあまり長く行う事は自分の首を絞める結果になってしまうが。
目の前の魔術師は防いだはずのナイフが再び自らに襲い掛かってきたという事実を認識することができず、ただ腕に唐突に走るその痛みにさらに混乱を増しながら康太めがけて一心不乱に魔術を発動して強引に距離をとろうとしてくる。
だが当然そんなものに当たる康太ではない。
炸裂障壁の魔術を用いて敵の魔術師の近くに障壁を張ると、相手の魔術の攻撃によって障壁に亀裂が入り無数の刃となって相手の体めがけて襲い掛かる。
プロテクターを付けているために顔や首、そして関節部にしかダメージを与えられないが、それでも十分すぎた。
与えたダメージは少なく、軽い切り傷程度のものだがその程度でさえ動きを阻害するには十分すぎるのである。
康太は無数の刃に晒されて若干戦意喪失気味の魔術師めがけて思い切り蹴りを放つ。
槍での攻撃のように刃でのそれではなく、瞬間的に身体能力強化を発動して威力を底上げし全体重を乗せて放った一撃だ。その体を後方へと吹き飛ばすには十分すぎる一撃だった。
だが康太も吹き飛ばしたまま相手と距離をとらせるつもりはない。再び遠隔動作の魔術を発動しその衣服を掴んで強引に後方に吹き飛ぶ動きを止めると同時に肉薄し、相手の腕を掴んで思い切り捻りあげる。
その首筋にナイフを当てることも忘れずに相手の魔術師を完全に拘束することに成功していた。
土曜日なので二回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




