言葉に誘われ
「あんたが憎いのは自分自身、それに降りかかった不条理そのものだ。あんたがそれを与えていいはずないだろ」
康太の言葉に反論するかのように黒い瘴気はざわめいて康太の眼前に迫る。これ以上は危険ではないかと真理が後ろから心配そうに小百合の顔色を窺うが、当の本人は全く気にした様子はなく、真っ直ぐと康太の方を見ていた。
何もするつもりはない。弟子の顛末を最後まで見届ける。そう言うつもりのようだった。
不条理に怒って何が悪い。許せない、憎い、だから振りまくのだ、私達が味わった、あの子たちを襲ったあの地獄を!人知れず死んでいったあの子たちのために!
「あんたがそれを言うのか、あの子たちが望むわけでもないのに、あんた自身が望んでるわけでもないのに・・・!」
先程とは打って変わって強くそう言うと、僅かに黒い瘴気は怯んだ。
康太は彼の、デビットの事の顛末を見ている。だからこそデビットの言葉が許せなかったし否定せずにはいられなかった。
「あの子たちの為?あんたが知ってるあの子たちは・・・少なくとも俺が知ってるあの子たちは、最期までお前に救いを求めてたぞ・・・!」
康太が見たこの場所の光景。ほとんどの子供たちが、ほとんどの人々が、神父に救いを求めていた。
神でも家族でも友人でもなく、自分を助けようとしてくれているほかならぬ神父であるデビットに。
「あの子たちが望んだのは殺戮じゃない・・・不条理からの救いだ。あんたに救けてほしくて、あんたに何とかしてほしくてあんたに縋ってあんたに手を伸ばした!」
康太の言葉は説得とは程遠い。あの時康太が感じた、神父に向けて弱弱しくも手を伸ばした子供の、あの時の感覚を、あの時の声を、自ら感じ聴いているからこそ康太の言葉は重く突き刺さる。
「あの子たちの為?お前自身がそうしないと自分を保てなかっただけだろう!自分の怒りを不条理ではなく、弱いものにぶつける事しかできなかっただけだろう!」
楽な方へ、楽な方へ。
人間が困難にぶつかった時、無意識のうちに楽な方を選択することがある。デビットは絶望と怒りによって不条理に立ち向かうという本来の生き方を、自分自身を、本来の自分を見失っているのだ。
康太の声が、その本質をゆっくりと揺さぶり起こしていく。
「不条理を呪ったあんたが、あんた自身が不条理になってる。そんな状況、あの子たちが許すはずがないだろう・・・いい加減思い出せ・・・あんたが何でこの魔術を作ったのか」
この魔術。康太が言っているのは封印指定百七十二号ではなく、その前身となった魔術の事だ。
誰かを救うために作り出された魔術。神父の、デビットの本質を表すかのようなその魔術は今もなおこの百七十二号の基礎的部分に組み込まれている。
あの時デビットがこの魔術を作るときに、救う魔術を殺す魔術にしてしまったのはなんという皮肉だろうか。いやもしかしたら本人の無意識が、彼自身の誰かを救いたいという思いがまだどこかに残っていたのかもしれない。
「あんた言ってただろうが、誰かを助けたいって。誰かを助けたいから今こうしてるんだって」
それはデビットしか知らない事実。デビットと彼の師匠しか知らない事実。そして彼自身とうに忘れていた、忘れかけていた言葉と想いだった。
神父でありながら魔術師を目指し、自らの立場を危うくする可能性があろうと誰かを救う事を求めた神父。
その事実が、記憶が目の前の瘴気の人影を揺らしていた。
迷い、いや揺らぎだ。
憎しみに飲まれていた本質が、康太の言葉によって揺らされ、徐々にその表層に姿を現してきている。
自らの本質を知るものが、自らの体験を理解する者が、そして今まで自分が与えた不条理を体験したものが今目の前にいて、その行いを否定し導こうとしている。
いや、康太自身にそんなつもりはないのかもしれない。ただ神父に救いを求めた子供たちのあの想いを受け、いつの間にか感情的になりながら自分の思ったことを口にしているだけなのかもしれない。
だがそれでも、いやだからこそ、康太の言葉が深々とデビットの残滓に突き刺さり、憎しみと怒りの奥底にある本質をつかんで離さなかった。
「忘れんなよ神父様・・・あんたは誰かを助けようとしたんじゃないか・・・」
神父様
康太がその呼び方を意図的にしたわけではなかった。
だが村人に、子供たちに、何十回何百回何千回と呼ばれたその呼び名が、デビットの奥底にあった本質を呼び覚ました。
誰かを助けるために魔術師になり、神父として多くの人々を救ってきたこと。そして誰かを助けたいからこそその道に進んだのだという事。
そして何よりも村人たちを救いたいからこそ、抱えきれないほどの憎しみを、怒りをその内に宿したのだという事を。
そして、その怒りと憎しみをぶつける先が一体どこにあるのかを、すべて理解し納得した様だった。
黒い瘴気は先程までのざわめいていた様子からは打って変わり、不完全でいびつな人の形からほぼ完全な人の形になりつつあった。
その姿は黒い瘴気で形どられた神父のようだった。




